マクベス
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第四幕その三
第四幕その三
「何のことか、誰のことかも」
「あの方の妻子のも。まだ残っている」
夫人は彼等の横に来た。しかしそれでも気付くことなくこう呟くのみだった。
「匂いも残っている。アラビアの香水をどれだけかけても消えはしない。何という恐ろしい匂いなのか」
「今度は匂いだと」
「それも私には」
やはりわからない。夫人だけがわかっていることが夫人を責め苛んでいたのだ。
「バンクォーも死んだ。もう恐れるものはないから」
夫人は階段を下りながら呟き続けていた。
「だから私は。もう」
「何と恐ろしい」
医師は下に下りていく夫人を見ながら首を横に振って述べた。
「悪夢のようだ」
「全くです」
「さあ貴方。過ぎたことには構わず」
いつも側にいる侍女の言葉にも気付かず。夫人は呟き続けていた。
「玉座へ。血塗られた玉座へ」
夫人の顔には死相が浮かんでいた。しかし彼女はそれにも気付かない。彼女は何も気付かないまま地獄に落ちようとしていたのだ。影は出ては消え、出ては消えを繰り返していた。それは有り得ないことだが確かにそうなっていたのだった。
マクベスは王宮において出撃準備を整えていた。彼には勝利を収める絶対の自信があった。
「いいか」
周りに控える家臣達に声をかけていた。彼も家臣達も既に鎧と剣で身を固めている。マクベスはそこに灰色の大きなマントを羽織っていた。それが異様に不吉に見えた。
「イングランドと組んだ愚か者達だが」
「はい」
家臣達は彼の言葉に応える。
「恐れることはない。勝利は確実だ」
「陛下の勝利ですな」
「それによりわしの玉座が安泰になる」
一旦は言い切った。ところが。
「だが」
「だが?」
「さもなくば永遠に玉座から離れるかだ。そのどちらかだ」
何故かこう言うのだった。不吉なことに。
「それが決まる。わしは確かに老いた」
それは感じていた。髭にも髪にも白いものが混じり顔には深い皺が刻まれていた。
「慈悲にも尊敬にも愛にも背を向けてきたわしだ。わしが求めるのはそれだけだ。墓にもそう書いておくがいい」
「それは不吉な」
「幾ら何でもそれは」
「よいのだ」
そう家臣達に告げた。
「わしがよいと言っているのだからな。だからこそこの戦いに勝つ」
彼はそれは誓った。
「わし自身がわしの墓にそれを書き残す為に」
「陛下」
そこに侍女が来た。暗く沈んだ顔で。
「どうした?」
「御后様が」
「あれがどうしたのだ?」
「亡くなられました」
「そうか」
それを聞いた瞬間。マクベスの影が一瞬だが消えた。
「そうなのか」
「驚かれないのですか」
「誰でも死ぬ」
マクベスは暗い顔で俯いて呟くだけであった。
「それだけだ」
「陛下」
今度は伝令の若い将校が来た。そうしてマクベスのところにやって来た。
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