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その答えを探すため(リリなの×デビサバ2)

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第9話 転入生と茶碗蒸し

新暦65年、4月上旬

 聖祥大付属小学校3年生の教室は新学期が始まり、普段よりも友人たちとのお喋りに騒がしくなっていた。

「ねぇねぇ、アリサちゃん。今日新しく転入生がくるって先生たち言ってたの」

 亜麻色の髪をツインテールにしたくりっとした目をした少女が、となりにいる少女に話しかけた。それに少し鬱陶しそうに振り返りながら、となりの少女は答える。

「知ってるわよ。てか、私と一緒に登校してたんだから、なのはの知ってる事を私が知っているのは当たり前でしょ」

 金髪で勝気そうな少女―――アリサ・バニングスがじろっと少女を睨みつけた。

「にゃはは、そうだった。けど、ほんと今日はいろんな特別があるの。入学式に、新学期に、新しいクラスに転入生! いっぱいいっぱいあって、今からもうすっごい楽しみなの!」

少女―――高町なのはがそれでも嬉しそうに言う。新学期が楽しみで仕方がないのか、ツインテールが上下にひょこひょこ揺れている。


「お、おはよ~」

 そこに、紫髪の少女が間に入ってきた。声に張りが無く疲れているのだろうか、若干肩を落とし、目の下にも隈ができているように見える。

「あっ、すずかちゃんおはよーなの!」

「おはようすずか、……ってなんか妙に疲れてない? いきなり一緒に学校に行けないって言われて、ちょっと心配したのよ?」

 入ってきた少女―――月村すずかに挨拶する2人。なのはは先程の上機嫌のまま元気よく手をあげて、アリサは眉をひそめ今朝突然メールごしにいわれた事について、彼女の事を心配しながら尋ねた。

「う、うん。ごめんね。それで、来れなかった理由なんだけど、純吾君の撮影会があって……」

「何よそれ、って。……あ~、また暴走したのねリリーさん」

 唐突に言われた意味のわからない理由に納得するアリサ。2人とも、もの凄い美人だけどもの凄い常識外れの女性を想像してしまう。想像の中の彼女は、綺麗な黒髪を揺らして元気いっぱいに彼女たちに笑顔で手を振っていた。

「うん、制服の試着した昨日の夜から『今日はジュンゴ祭りよ!!』って一晩中。それに朝もまた純吾君が制服着たらまた『短パン来たぁぁぁぁっ!!』興奮してきちゃって……」

「朝から災難だったわね…。あら、それじゃあ転入生って」


「むぅ~、すずかちゃんとアリサちゃんだけで話進めてズルイ! ジュンゴ君って、誰なの?」

 ぷくー、と頬を膨らませ会話に割って入るなのは。自分が全くついていけなかったのが気に入らなかったらしい。

「あら? 恭也さんから聞いてたと思ったんだけど。えぇと、純吾君って…」

 そこで、教室の前から席に着くよう声が聞こえる。担任が着た事もあってなのははしぶしぶ自分の席に戻った。





「皆さん、おはようございます。春休みも昨日で終わって、今日から新しい学年ですね…」

 先生が黒板前で朝のホームルームをこなしている間、高町なのは先程までの上機嫌から打って変って、少し不機嫌そうだった。

 今日から学校が始まり、新しい事や楽しい事が始まると思っていたし、何より親友であるアリサやすずかとまた一緒になれるはずだった。
 しかし実際会ってみると、アリサとすずかは自分の知らない事で盛り上がっている。しかも、自分の兄までもがそれを知っているというのに、自分だけが知らない。まるで自分だけが取り残されたように感じてしまい、拗ねてしまったのだ。

――――転校生さんに、ちょっとお話しないとなの

 自分は会ってもいない、けれども親友たちは知っているという顔も知らない転校生に悪態をつく。
 悪いのは隠し事をしていた親友や兄なのだろうが、知っている顔より知らない人の方が責めやすいものである。

「……それでは皆さんに新しいお友達を――」

 と、その噂の転入生が入ってくるようだ。先生が入室を促す声が聞こえたので、なのはも深みにはまり込んでいた思考を止め、転校生を見ようと顔をあげた。

 ガラッ、という音がして教室の前の扉が開く。コツコツと教室の前中央まで転校生らしい男の子が歩いてきて、こちらを向く。

「じゃあ、自己紹介をお願いしますね」

「ん……。鳥居、純吾」



 彼を見て、良く分からない、というのがなのはの第一印象だった。

 なのはよりも他の同級生よりも高い身長。ちょっとぼさっとして、片目にかかるまで伸びた髪。
 そして不機嫌そうな、けど眠たそうに細められた眼と一直線に結ばれた口。
 一見無神経、無感情そうな、強面で危なげな見た目。驚くほど短かかった自己紹介も、その外面の怖さに拍車をかけていた。

 けれどもじ~っ、と彼を見てみると、そのイメージを違うんじゃないかなぁ、となのはは思いなおす事にした。

 だって、眠たそうな目はクラスを興味深そうにきょろきょろしているし、面長な顔の頬は少し緊張で上気しているのだから。
実はただ緊張しているだけで、さっきの短い自己紹介もそれが原因なんじゃないかと思ってしまう。

 それに、きょろきょろとした視線が今何かを探し当てたかのように止まってからの事。
 そこは彼から見てなのはの左少し後ろ、すずかが座っている席だ。目に見えて彼から緊張の色が消えて、代わりにふにゃっとしたやわらかい雰囲気になったのだ。
 表情はあんまり変わっていないのに、ここまで雰囲気が変わったことが分かるなんて、ある意味すごい才能なんじゃないかと益のない事を考えてしまう。

 そんな風に彼を見ていると、さっきまでの不機嫌がいつの間にかおさまっているのに気付き、なのははちょっとだけ驚いていた。

―――やっぱり、これから楽しい事が待っていそうなの

 けれどもその驚きは彼女にとっても心地よいものだ。いつの間にか変わっている自分の気持ちに少しだけ楽しい気分になり、朝のホームルームが終わったら彼に話しかけに行こうとなのはは思いなおすのだった。





その後、ホームルーム終了後の休み時間

「はじめましてなの! 私、高町なのは、これからよろしくね!」

休み時間になって他の生徒が純吾のもとへ転入生への洗礼である質問をしに行こうとする中、なのはは真っ先に彼のもとへ飛び出していき、自己紹介をした。

「鳥居、純吾。………高町? 師匠?」

「ふぇ、師匠ってお兄ちゃんの事?」

「ん…。師匠、キョーヤ。最近鍛えてもらってる」

「本当にお兄ちゃんと知り合ってたんだ……。うん、私はお兄ちゃんの妹だよ」

確かに最近兄の恭也は月村邸に良く出かけていた。先程のアリサ達との話といい、これが良く出かけていた理由かと納得する。


「お兄ちゃん、後でお話なの……」


 けれども、感情は納得いかない。だから後で絶対お話しする、なのはは心の中で勝手に決心する。
 そうして兄になんと文句を言ってやろうか考えていると、ふと、純吾がごそごそと制服のポケットから何かを取り出すのが見えた。

「これ……」

「ふぇ?」

 取り出されたのは茶碗蒸しだった。陶器の器に入れられ、口の部分にはきれいにラップがかかっていて中のおいしそうな黄色や具材が見える。

「え、えっとこれ何?」

「ん…お礼。
師匠が色々と教えてくれて、ありがとうございます。
それで、一杯できる事が増えたから、ありがとうございます」

「にゃ、にゃはは……」



―――いい子なんだろうけど、やっぱり、良く分からないの。

 受け取った茶わん蒸しと、こちらに向けて頭を下げる彼を交互に見ながら、自分の頬がひきつるのを感じるなのはだった。





「ねぇ、純吾君。これから翠屋ってお店に行かない? 純吾君の転入おめでとう会したいなって」

 そうすずかが声をかけてきたのは、その日の放課後だった。

 あの後、意外にも親しみやすい奴なのではないかと考え直したクラスメイト達が、休み時間に大挙して目を白黒させたりと、純吾は転入生としての洗礼を受けた。
 そんなかなりハードな一日を過ごした純吾は、ふらふらと眠気のため揺れていた頭を止め、普段から細い眼をさらに細めてすずかを見る。

「……すずか、ジュンゴ今日疲れた」

「うっ」

 今の純吾からは年齢に比して大きな体に似合わない、雨の日の中段ボールに捨てられている仔犬のようなとても弱々しいオーラを放っていた。それにあてられたすずかは軽く赤面する。
 そんな彼女の頭の中で、自称彼の義姉(自称)たるリリーが「それがジュンゴ百八の魅力の一つ、ギャップ萌えよ!」と力説してくる。……なんだろう、少しイラっとくる。

「いいじゃない、甘いもの食べたら疲れも吹っ飛ぶわよ」

 動きの止まったすずかを押しのけ、アリサが割って入る。押しが弱く、現に今純吾の言葉を聞いて躊躇ったすずかに任せていたらお流れになるのは必死に見え、フォローに入るが

「ん。久しぶり……あ、あ、アサリン?」

「アリサよ! どんな間違いしたら人を貝類に間違えるのよ!! てか間違えるにしても間違い方可愛らしいわね!」

 途端に真っ赤になって怒りだしてしまった。
 誘拐の後今日まで会えず、今までずっと彼へ質問しようと突撃してくる同級生をさばき続け、やっと話せると思ったらこれである。彼女は彼がとんでもない天然だという事を失念していた。

「ったく、せっかくゆっくり話せる時間になったと思ったらこれなんだから。それで、純吾料理するんでしょ? 翠屋の料理にお菓子ってほんとおいしいのよ?」

「そうなの、お母さんの料理、すっごく美味しいよ!」

 そこで今日知り合ったばっかりのなのはがアリサのフォローに入った。ホームルームが終わった後すぐに声をかけに行き、恭也の話で盛り上がって、今ではすっかり気を許しているのだ。

 ちなみに、もらった茶碗蒸しは昼休みに食べてみた。なのはにとって「料亭の味って、こんな味なんだろうな…」と、思わず洩らしてしまうほど美味しいものだった。

「料理? ……料理、食べてみたい」

「じゃあ、決まりね」

「うん、アリサちゃん、ありがとうね」

「べ、別にいいわよ私もやりたかったんだし。ほら、決まったんだからさっさと動く!」

 思考停止から立ち直ったすずかに感謝され、慌ててアリサはそっぽを向く。そしてそのまま顔を赤くしたままの彼女に背を押されるように、純吾たちは教室を後にした。





駅前、喫茶「翠屋」

 翠屋は駅前にある喫茶店であり、おいしいお菓子に料理、そして美男美女の店主夫婦を目当てに若い女性を中心に人気のお店だ。
 お店にはそんなお客さん達がはしゃぐ声や、料理に舌鼓を打ち、感想を言い合う声でいつもあふれていた。

 しかしその日の翠屋は、いつもとは違うざわめきがある。
 お客さんたちの話声はいつもの陽気なはしゃぎ声ではなく、むしろひそひそとして静かな熱気を持ったものであり、ある方向を一心不乱に、熱を込めた視線で見つめるお客も多くいたのだ。


 視線の先に、いや、今日の翠屋の中心いたのは一人の女性だった。


 座っているため分からないが、おそらく160ほどはあるだろう女性にしては高い身長。 その体を包む淡いピンク色のトップスや、ショートパンツから覗く手足は春に奇跡的に残ったなごり雪のように白くて、そして小鹿の様にすらっとしている。
 上に目をやれば白い肌とは対照的な、やや青みがかかった腰までとどかんとする長い黒髪に、少女から大人の女性への移り変わる一瞬にだけ魅せる、可憐さと美しさが見事に調和した面立ちをしている。

 そんな女性が店の奥、けだるそうに窓際の席に座っていた。
 窓から差し込むオレンジ色の夕日に白い肌を照らされた彼女は頬杖をつき、足を組み座っている。やや憂いをおびたその表情は待ち人を待っているかのようであり、夕陽を浴びてなお白く輝くその姿に、その一角にまるで絵画の一場面のような雰囲気を与えていた。
 空いた片手でその長い黒髪をかきあげた。あがった傍から髪がさらさらと流れ、その間からちらと白いうなじがのぞく。
異性はもちろん、同性からもその美しさにほぅ…、とため息をついてしまう。

「ただいまなの~」
「おじゃましまーす」
「こ、こんにちは」
「……こにちは」

 そんなある種異様な雰囲気に包まれていたが店に、呑気な声が響く。
 ばっ、と視線が注目する。そこにいたのは聖祥大付属小学校の白い制服に身を包んだ4人の小学生。いつもとは違う雰囲気と、注目をされたことに、「ふぇっ」「な、何よ」「ひっ」「(きょろきょろ)」と少し混乱気味だ。

 と、渦中の女性が唐突に席を立った。
 その行動にまたもや視線がその女性に移る。さっきまで、何もせず座っていただけだったのだから、これからどうするのか注目は否が応にも集めてしまうのだ。


そのまま女性は、店中の視線を一身に受けているのをものともせず彼らの元へと歩いていき


「あ~ん、ジュンゴ半日ぶり~! 半日もジュンゴに会えなくてもちゃんと留守番我慢できたお義姉ちゃんをほめてほめてー! はぁぁ~、癒される~。ジュンゴに頬擦りすると癒されるわ~。我慢した役得よね~。
 っと、そ・れ・に・し・て・も! この子たちはどういう事なの!! すずかちゃんとアサリンは良いとして、またこんなかわいい子捕まえてきて! ジュンゴにはお義姉ちゃんがいるでしょ、お義姉ちゃんで我慢しなさい!
 いいえ、やっぱり我慢は体に毒よね♪ 大丈夫よ、今すぐお義姉ちゃんと少し早い実践保健体育を――」


 目の前の小学生の一人に抱きつき、あまつさえ不穏な事を言い始めたのだった。

 バッ、と店中の視線がそれ、急速に普段の陽気な翠屋が戻ってくる。

 視線がそらされた先にあったのは、先程までの憂いを秘めた雰囲気をぶち壊して少年に抱きつき頬擦りする女性と、目を白黒させる少年。
 それを傍目に見つつ「にゃはは…」と乾いた笑いをあげたり、顔を真っ赤にして手で顔を覆ったり、怒ったりする少女たちだった。



「……で、純吾君。その人、誰なの?」

 気を取り直して、先程まで女性の座っていたテーブルに座るなのはたち。4人がけの席になのは、すずか、アリサそれに、膝に純吾を乗せてニコニコ顔の女性が座っている。
 気のせいか、先の問をしたなのはやアリサ、それにこの光景を見慣れたはずのすずかの純吾に視線がきつい。

「はじめまして。わたし、ジュンゴの義姉の、ぎ・り・の姉のリリーって言います♪
 あっ、義理ってとこ大事だからね。そうじゃないとジュンゴとけっ――」

「小学生相手に何言ってるのよこのショタコン! それに、さっきやっぱりアサリンって! 何なのよアサリンって! 純吾もリリーさんもアサリンって!」

「お姉さんと約束だぞ☆」と言わんばかりの、人さし指を立てウィンクしてなのはの問にリリーが答える。
 その危ない発言を必死に遮るアリサ。途中から、発言に対する注意以上に必死な様子でアサリンに話題が移ったのは、彼女の関心はやっぱりそこにあるから仕方のないことだ。

「……アサリンは、アリサだよ? ティコ、言ってた」

「私は純吾が言ってたから。アサリンがいいねとジュンゴが言ったから、今日からあなたはアサリン記念日♪」

 不思議そうな顔をする純吾と、そんな純吾を見て顔を緩めつつ答えるリリー。
 そんなぼけをかます2人の様子を見て、アリサは机に肘をつき、思わず両手で頭を抱えてしまう。返す言葉もない、彼女は始めてあった日のこの二人の天然掛け合いを思い出して頭が痛くなっていたのだ。


―――自分ではツッコミきれない、と


「ふふっ、ちょっとお邪魔してもいいかしら?」

 そんな混沌とした席に現れる救いの女神。
 なのはと同じ亜麻色の髪を長く伸ばして、柔和な笑みをその顔に浮かべている女性。喫茶「翠屋」の名物店主にしてパティシエの高町桃子だ。

「あ、おかーさんただいまなの」

「「お邪魔してます」」

「……こにちは」

「はい、ようこそ翠屋へ。あら、そちらの彼は初めて見るわね」

 ちら、と桃子が純吾の方を向いた。その視線に固くなる純吾と、そんな純吾をぎゅっと抱きしめるリリー。
 そんな様子に桃子は「あらあら」と笑みを深めた。

「あ、はい。今日は純吾君の転入おめでとう会をしようって来たんです」

桃子の問いにすずかが返し、それと併せて純吾の事を簡単に説明した。

「そう、あなたが恭也が言ってたお弟子さんね。
 じゃあ改めて、はじめまして。私は恭也となのはの母の高町桃子です。ここ翠屋のパティシエもしているわ。恭也となのはともども、よろしくね」

「ん、鳥居、純吾」

「はじめまして、ジュンゴの義姉の、リリーっていいます」

 無難に返す純吾とリリー。リリーにしては大人しいが、初対面の人に対する挨拶としていつものハイテンションはいけないと、最近の忍たちの必死の教育で教えられたためだ。
 この光景を見ていたら、毎回決死の覚悟で教育に当たった忍とメイドの姉妹が感動で滂沱の涙を流すだろうなぁ~、とぼんやりとすずかは思ってみる。

「そうだ、お母さん。純吾君の茶碗蒸し、とっても美味しかったの! それに、純吾君お料理に興味あるんだって」

 なのはが唐突に桃子に今日あったことを話す。自己紹介のついでに、彼の得意な事をしってもらおうという考えだ。

「へぇ、そうなの?純吾君、よかったら私に少し味見させてもらえないかしら」

「ん…分かった。はい」

 朝と同じくごそごそと制服のポケットから茶碗蒸しを出す純吾。
 一体どこから出てきたのかと桃子は呆気にとられ、なのはたちはもう見慣れたと苦笑い。リリーは「さっすがジュンゴ、いつでも準備万端ね」と頭を撫でる。

「どうやって出てきたかは……置いておきましょうね。じゃあ、味見させてもらうわね」

苦笑いしつつも茶碗蒸しを受け取る桃子。スプーンを茶碗蒸しにいれ、口に運び――

「すごい美味しい。これ、本当に純吾君が作ったの?」

 驚嘆する。とてもなのはと同じ小学3年生が作ったとは思えないほど、はなめらかな口当たり、ほどよく効いた出汁の風味など、絶妙な美味しさの茶碗蒸しだった。

「純吾君の茶碗蒸し、ノエルやファリンもすごい褒めてたもんね」

「確かに、今日初めて食べたけど、昔パパに連れて行ってもらった料亭と変わりなかったわ」

 つられて感想を言うすずかとアリサ。

「ん……ジュンゴ、親方に茶碗蒸しだけは褒めてもらった」

 口々に褒められて、少し恥ずかしげな純吾。細い眼をその言葉に喜ぶように、或いは何かを懐かしむよう細めた。

「よっぽどその親方さんの教えが良かったのね。いま、その親方さんはどちらに?」

 桃子が納得するように頷いて質問をする。これだけのものを小学生が作れるようにするほどだ、同じ料理人として是非一度会ってみたいし、料理を食べてみたい。


「………親方、もう会えない」

 しかし、純吾から返ってきたのはそんな言葉。先程までの嬉しげな様子はなりを潜め、懐かしむ目はそのままに、口をグッと食いしばった。
 リリーはそんな純吾を見て悲しげな顔をして、気遣うように抱きしめる力を強める。

「ご、ごめんなさい。そんな事になっているとは思わなかったから」

 慌てて謝る桃子。唐突に悲しげなものに変わった雰囲気に、なのはたちもどうしたらいいか分からず視線を色々に彷徨わせる。
 誰もがこの場をどうすればよいのか、お互いを見あっていると

「お~い桃子。お客さんからシュークリーム追加って……、どうしたんだい?」

 桃子の後ろから若い男性が近づいてきた。恭也に似ているが、彼よりも丸みをおびた余裕のある雰囲気を持った男性だが、今は場の様子に少し困惑したようだ。

「士郎さんっ! あ、彼が恭也が話してた純吾君で、今日聖祥に入校したみたいなの。それで、彼の作った茶わん蒸しをこうやって食べさせてもらっていたの!」

 場の空気を変えるチャンスと士郎と呼ばれた男性に桃子が口早に事情を話した。追従するようになのは達もうんうんと頷く。

「ほぉ、今手に持ってるのがそれだね。ちょっと拝借……」

 それを聞いた士郎は、ひょいと桃子が持っていた茶碗蒸しからひとすくいスプーンにとり、口に運んだ。その瞬間、目を驚きに見開き、純吾の方へ体を向ける。

「すごいじゃないか! こんなに美味い茶碗蒸し、滅多に食べられるものじゃないよ」

 突然褒められた事で純吾も悲しそうな表情から、びっくりしたかのように細い目を少しだけしばたかせる。その様子を見てある事を決心した桃子は、純吾の方へ近づいてこう提案した。

「ねぇ純吾君。良かったらここでも料理を作ってみない? この茶碗蒸し、本当にお店に出しても充分なものだし、私でよかったら料理を教えることもできるわよ?」

(桃子っ? いきなりどうしたんだ――)

(事情は後で話すから、今は私にあわせてください)

 突然の桃子の提案に、士郎は急いで彼女の方を向き、小声で意図の確認をしたが桃子に強引に丸めこまれる。そしてそのまま純吾の方へ向き直り、夫婦は彼の返答を待った。

「……いいの? ジュンゴ、板前になりたいんだよ?」

 桃子のいきなりの提案に、純吾はきょろっと細めていた目を開いて答えた。
桃子はそれはもっともだと苦笑しながら、その問いに答えた。

「ふふっ、板前さんになりたいんだ。大丈夫、確かにお魚や和食は扱ってないけど、修行中に色々な料理を試したし、基本的なことだったら違いはあまりないと思うわよ。
それに板前さんでも、色々な料理に触れるのはいいことだと思うわよ? ここなら今まで純吾君の修行していた環境とは違うし、いい刺激になると思うわ」

「あ、あぁ。この茶碗蒸しだけでも十分商品にはなる。それに、俺たちとしても純吾君に料理を修業してもらって、新しいジャンルの料理をお客さんにだせるんならそれに越したことはないさ」

 士郎も桃子に合わせて純吾に提案する。それに小さく頷いて謝意を表した桃子は、「勿論無理はいわないわ、どう?」と改めて純吾に問いかける。

 フム、と純吾は考えてみる。
 親方も修行中色々と漁港や市場、それに違うジャンルのお店など色々連れて行ってくれた。刺激が大事、確かに親方の言う事とおんなじだ。

「ん…、分かった。モモコに、シロウ? ……よろしくお願いします」

「ふふっ、こちらこそ、よろしくお願いしますね」

 結局、そう言う事になった。ぺこりと頭を下げる純吾に、笑顔で答える桃子。色々置いてけぼりだった面々もその様子をみてほっとする。

 しかし、

「はっはは、そう言えば恭也の奴も君の事を褒めてたなぁ。どうだい、そのまま家を継いでみないかい? 今ならなのはもついてくるぞ!」

 行き過ぎた士郎のフォローに場が騒然となった。突然指名されたなのはは「え、ふえぇっ!」と顔を熟れたトマトみたいに真っ赤にして慌てだすし、アリサは「な、な、な」といきなりの展開に言葉にならない様子。
 逆にすずかはニコォ、と氷のような雰囲気を纏って純吾の方を向いた。凍りつくかのような視線に、士郎の言葉を理解する間もなく純吾の気はそっちにいってしまう。つまり、彼女の怒りをどう鎮めればいいか、必死に考え始めたのである。

 その中で、リリーだけは違う反応をした。無言のまま純吾を膝から降ろして立ち上がり、今だ己の失策に気が付かない士郎の方へと歩く。
 将来の事を勝手に想像しているのか、うんうんと一人頷いていた士郎は、コツコツと彼に向って歩いてくる音に気が付きそちらを向く。

「こんにちは店長さん、私、ジュンゴの義姉でリリーって言います。今日はとってもおいしいコーヒー、ありがとうございました♪」

 士郎がリリーの方を向いた事を確認して、彼女は大輪の花が咲いたかのような無垢な笑顔を士郎に向ける。それに対して、士郎も嬉しそうに微笑み返す。

「あぁ、あなたみたいな綺麗な人にそう言ってもらえると俺としても嬉しいよ。
 っと、良く見たらあなたは今日ウチの話題を独占してた」

「あら、独占なんて恥ずかしい。私はただ、ジュンゴが今日こちらに伺うと言うのを聞いたから待っていただけだというのに」

 本当に恥ずかしそうに、リリーは少し頬を赤らめ俯く。

「いやいや、厨房にすぐこもってしまったからあまり見えなかったけど、あなたが一人座っている姿は本当に綺麗だったよ。その時だけ、この席の周りが輝いて見えたほどさ」

 そう言ってまた顎に手を当て想像に浸る。「こんな綺麗な女性が姉なんて、純吾君が家に来てくれたら、本当に翠屋も明るくなりそうだなぁ」
 と、ぽんっといい事をいい事を思いついたかのように手を打った。そのまま士郎はリリーの方へ満面の笑みを向けて

「どうだいリリーさん。あなたも一緒にここで――」

「シ・ロ・ウさん」

 ゾワリ、と自分の肩に突然触れた禍々しくうすら寒いものを感じさせる手に、思わず思考を手放し硬直してしまった。
 士郎はそのままギ、ギ、ギと油の切れた機械のようにゆっくりと振り返る。

「も、桃子……」

「ふふっ、士郎さんったら本当に嬉しそうね。そんなに若くて綺麗な女の子がウチに来てくれるのが嬉しいのかしら?
 おかしいわねぇ、私は確か純吾君をお手伝いに頼もうって思ってたのに、どうしてここまで話がずれちゃったのかしら」

「そ、それは純吾君が家に来てくれたらと」

 思考が硬直しているからか、馬鹿正直に事の切っ掛けについて話す。その答えに、桃子はより笑みを深くして

「えぇそうね。士郎さんのよ・け・い・な提案のせいで、ここまで場が混乱しちゃったのよね。途中まで本当にいいフォローをしてくれてたから安心してたけど、女の子が目の前にいると、どうしてこう暴走しちゃうのかしらねぇ?」

 深い笑みのまま肩に置いていた手を士郎の耳に持っていき、思い切り抓り上げた。

「いたっ! 桃子、もうちょっと優しく」

「いいえ! 今日という今日はしっかりと女性との接し方について考えてもらいますっ! 大体いっつもいっつも士郎さんは店に来た女性客にいい顔ばっかりして――」

 と、そこで桃子は店内がシンと静まり返っている事に気づく。唖然とした表情で彼女たちを見る客に軽く微笑んで、「お見苦しい所を失礼しました」と言って士郎をそのまま店の奥へと引っ張って行った。

 後に残ったのは料理を楽しむのも忘れて呆然としているたくさんの客に、さっきまでの取り乱しぶりが嘘のように桃子達が去って行った方を見つめるすずか達。
 そして先程までの行動は確信犯的なものだったのだろう、ニコニコとして「逝ってらっしゃ~い♪」と桃子達を小さく手を振りながら見送るリリーだけだった。

 10分後、妙にすっきりとした表情をした桃子だけが戻ってきた。そしてとてもいい笑顔でポンッと手をあわせ

「さって、野暮用も終わったことだしっ!! 純吾君、ここの料理を目いっぱい楽しんでいってね!」

 そう提案した。勿論、これを否定するという選択肢は純吾達にはなく、急いで首をぶんぶんと縦に振った。

 その後は、予定通り純吾の転入のお祝いとなった。純吾とリリーは料理の美味しさにびっくりし、それを見てよろこぶ他の面々。純吾にとってはじめての翠屋は、とても和やかな雰囲気の中過ごす事が出来た。



 ちなみに帰り際、「これからよろしくお願いします」という事で大量の茶碗蒸しを差し出してきた純吾に、一同唖然とする。「どっからそんなに出てくんのよ…」というアリサの呟きがやけ印象的だった。



 さらにちなみに、翠屋閉店後に夕食として桃子が事情を話し茶碗蒸しを出してみると一人「小学生に料理で負けるなんて……」とうなだれるなのはの姉の姿があったという。
 
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