戦国御伽草子
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壱ノ巻
毒の粉
8
あたしは一気に飛び起きた。
朝。夜明けに近いけれどまだ薄暗く、肌寒い。
あたしは体中にじっとりと汗をかき、がたがたと震えていた。跳ねのけた衾を色が白くなるほど握りしめる手すら細かく揺れている。
今、夢を見ていた。何の夢かは分からない。けれど、夢を見ていた。
強く、心に残る絶望。そして、体に収まりきらないほどの悲しみ。
「…う」
ずきりずきりと頭が痛む。
夢の内容を思い出そうとすればするほど、遠ざかる。考えてるその間に記憶がこぼれていく。
残っているのは身を焦がすほどの感情だけ。
夢、ゆめ。泣いている。誰が?
炎が舞っている。何もかもを燃えつくそうと、炎が踊る。
頭痛い。
「う、ぁう…」
いかなきゃ。どこへ?
待って、どうして…。
考えがまとまらない。
暗闇の室の中、不意に音もなく光が射した。
光を辿って顔を向けると、開いた障子に手をかけ誰かが立ち尽くしていた。
足音も何もしなかった。あたしが気づいていなかっただけかもしれないけれど。
「…」
唇は開いたけれど、声を出す力が体になかった。あたしはなぜか、酷く疲れていた。
夢を追いすぎて、今のあたしの状況を考えるのが億劫で、それが誰かとかなぜこんな時間にあたしの部屋に来たのかとか思うのもだるくて、ゆっくりと睫を瞬かせた。
静かに滴が頬を伝う。
その時、初めて気がついた。ああ、あたし、泣いているんだ。
悲しい。何が悲しいんだろう。でもすごく、すごく、悲しい。
何か大事なものを無くしてしまったような。
夢のこと、なのに。
夢の中ではそれは確かに現実としてあたしの心に迫っていて。夢でよかったとも思えずあたしは静かに涙をこぼした。
「いかないで」
胸が締め付けられるように、夢に浮かれたままぽろりとあたしは言葉を落とした。障子から目の前に伸びる人影の肩がびくっと揺れた。ぼんやりとそれを見ていたあたしははっと我に返った。
「うそ。ごめんなんでもない」
慌てて言った。
けれど人影は、一瞬戸惑ってから、遠慮がちにそっと部屋に足を踏み入れた。
一歩入ったところで立ち止まった。その、顔が見えた。
背の中ほどまでの髪を首の後ろで降ろしたまま一つに括り、肉の削げた頬と切れ長の瞳。以前見た時はむっつりと引き結ばれていただけだった唇が、今日は困惑するように薄く開いている。
それは、兄上が言っていた、最近うちに仕えるようになった発六郎という男だった。
「瑠螺蔚様…」
狼狽しながら、もう一歩、褥に近づいて、そっと片膝をついた。
あたしは震える手を隠そうと衾の下で握りしめた。
「どうか、なさったのですか?誰か人を呼んで」
「いい!…いいわ。大丈夫よ、大丈夫だから…」
あたしは涙をごしごしと袖でこすった。夢の名残を振り切るように、強く。
それから発六郎に向けてもう平気と少し笑って見せた。
けれど、発六郎はなんともいえない苦い顔であたしを見ていた。
笑ったそばから、あたしの頬に拭ったはずの涙が流れた。
ひとつ流れると、あとはもう次から次へとぽろぽろと溢れた。
止めようとしても、止まらない。
ああもう。こんなんで大丈夫だって言ったって説得力なんかありゃしない。
思わずうつむいた時、目先にすっと手布が差し出された。
発六郎がいつのまにかあたしの横にいて、少し顔を背けたまま無言でくたびれた手布を突き出しているのだった。
あたしはその不器用さにふっと笑った。
笑った拍子にまた涙が流れたけれども、その涙はもう冷たくなかった気がした。
「ありがとう」
「…いえ」
短く発六郎は答えた。
もう胸を締め付けるような涙はおさまっていた。発六郎のおかげだ。優しい人。とても。
「発六郎、ありがとう」
もう一度、心をこめて言った。
発六郎が虚をつかれたようにあたしを見た。
その、見開かれたふたつの瞳。長い前髪がかかっているせいでよく見えないのだけれど。
「…あれ?」
あたしは声をあげた。
ここまで近づかなければ気がつかなかった。
「あんた、瞳の色左右で微妙に違う?ほら、こっちのほうが色が薄く…」
あたしが腕を伸ばして前髪に触れるのと、発六郎が身を引くのは同時だった。
そのあまりに素早い身のこなしに、あたしは一瞬呆気にとられた。
「…御前、失礼いたします」
ようよう発六郎はそう言って、逃げるように部屋を出ていった。
えっ、と…なに?
顔がコンプレックスとか?悪いことしちゃったかな…。
発六郎が出て言った障子、その隙間からひんやりとした心地よい風が入り込んでくる。
あたしは瞳を伏せた。
夢。
炎に巻かれて、あたしはー…。
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