金木犀の許嫁
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第五十二話 歴史の真実その四
「戦もです」
「辞さなかったですね」
「最後の手段でしたが」
「その最後の手段をですね」
「採らざるを得ずです」
「大坂の陣になったんですね」
「ですがここで、です」
幸雄は真剣な顔で言った。
「豊臣家が切支丹を禁止すれば」
「収まっていましたね」
「そして秀頼公が大坂城を出れば」
そうして他の地に移ればというのだ。
「よかったのです」
「幕府は大坂城に大坂を手に入れて」
「統治を万全に出来ますし」
そうなるからだというのだ。
「豊臣家を滅ぼさずともです」
「よかったですね」
「要は大坂でした」
幕府が手に入れたかったのはだ。
「豊臣家の滅亡ではなかったのです」
「そこを見ることが大事ですね」
「ですから」
幕府はそうした考えだったからだというのだ。
「大坂の陣が終わっても豊臣家はです」
「滅ぼしたと言っても」
「その実はです」
「残していたんですね」
「そうでした、家康さんも冷酷かというと」
そうした気質だったかというと。
「別にです」
「そうした人じゃなかったんですね」
真昼が言ってきた。
「そうですね」
「権謀術数にはです」
「長けていても」
「それまでの人生で備えていても」
それでもというのだ。
「基本律儀で人の情けを知る人だったので」
「豊臣家もですか」
「根絶やしにはです」
その様にはというのだ。
「しませんでした、表ではそうだとしても」
「実は、ですね」
「見逃していて」
そうであってというのだ。
「秀頼公は薩摩に逃れ」
「生き延びられて」
「ご子息もです」
「大名になっていたんですね」
「幕府にとっては一目瞭然だったでしょう」
それこそというのだ。
「実は秀頼公のご子息だったというのは」
「木下家の分家と言っても」
「そうだったでしょう、ですが」
「幕府は敢えて見て見ぬふりをしたんですね」
「そうだったのです」
「そうですか、ただ」
真昼はここで幸雄に問うた。
「秀頼公のご子息は処刑されていますね」
「そうなっていますね」
「そうですよね、じゃあ処刑されたのは」
京都の四条河原でそうされたと言われている人物はというと。
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