冥王来訪
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第三部 1979年
戦争の陰翳
隠密作戦 その4
前書き
篁亭を出た車は一路、名神高速道路へむかって進んだ。
大阪伊丹にある関西国際空港に行くためである。
途中、鴨川にかかるの鳥羽大橋に差し掛かった時である。
目の前を走ってる幌付きのトラックとセダンが行先を遮るように停止していた。
事故なのだろうか、双方の運転手が車外に出て何か話し合っている様子だ。
アコードを運転する白銀はそう考えて、車を急停止した。
目の前で話していた男たちは、白銀たちの様子を伺うと一目散に走り去った。
その直後、闇夜を裂くように甲高い音と共に赤い線が通り抜ける。
銃弾は、全て車のタイヤに当たる。
これで奴らは、袋のネズミだ。
そう考えたGRUの特殊部隊の隊長は、指示を出す。
「全員、表に出ろ」
道路の左右の繁みの中から、スコーピオン機関銃を持った男たちが目の前に現れる。
全員が黒い目出し帽に黒服姿だった。
「フフフフ……
白銀、ベルンハルト。貴様らの負けだ。
早速だが、ミラ・ブリッジスを渡してもらおうか」
そう男が英語で話しかけた時、止まっていたセダンのドアが一斉に開く。
前の席から白銀とアイリスディーナ、後部座席から被衣で身をすっぽり包んだ人物が出てくる。
白銀の後ろに立つ女は、顔を隠すため頭からかぶった衣を投げ捨てる。
女の正体は、ミラ・ブリッジスではなく、着物姿をした美久だった。
「引っかかったな、ソ連人」
白銀の一言で騙されたことを知ったGRU工作員たちは、一斉に彼の方に顔を向ける。
「ど、どうして氷室、貴様がここに……」
九條亭に居た穂積から向こうの状況を逐一聞いていた隊長は驚きの声を上げる。
どうして、わずか15分足らずで、30キロ以上離れた大津から、京都市内まで来れようか。
男が混乱している最中、ブリヤート人の副官が声をかけた。
「遠くから、サイレンの音がします」
誰もパトカーのサイレンには気が付かなかった。
副官は、シベリアの原野で育った男だけあって、聴力も違うのだろう。
男がそう考えている内に、副官は続けた。
「台数は、2から3台です。どうしますか、隊長」
男の混乱するさまを見て、白銀は助手席に隠してあったM72グレネードランチャーを取り出す。
砲身を伸ばすと即座に方に構えて、黒い発射ボタンを操作する。
「伏せてください」
その言葉よりも早く、アイリスディーナは身をかがめる。
砲身からロケット弾が飛び出し、折りたたまれた金属の羽が伸びる。
弾頭は間もなく止まっているトラックのボンネットにに命中し、近くに止めてあったセダンを巻き込んだ。
爆風とともに強烈な爆音が上がり、セダンが宙を舞う。
まもなく燃料に引火し、炎を吹き出す。
ガソリンを浴びた工作員数名は、引火した体を消し止めようと必死に地面を転がった。
隊長の男は、火だるまになる部下をよそに、アイリスディーナの方に駆け寄る。
せめて彼女だけでも人質にと、考えての行動だった。
その瞬間、閃光が認められた。
アイリスディーナの放った.32ACP弾が、男の持つスコーピオン機関銃に当たる。
彼女はワルサーPPK/Sを握っていた。
それは東独製の違法生産品ではなく、米国のインターアームズ社でライセンス生産されたものだった。
もしものことを考え、篁がミラの誕生日に護身用にとプレゼントしたものを借りていたのだ。
(インターアームズ社とは、1998年まで存在した米国の拳銃メーカーである。
西独製のPPKが500ドルなのに対し、米国製のPPKは265ドルだった。
半値近かったが性能と仕上げは、西独製と遜色はなく、人気商品だった)
額からにじみ出る汗の為に濡れた目出し帽に触れた後、男はスチェッキン拳銃を取り出す。
アイリスディーナの方ににじり寄りながら、安全装置を半自動の位置に操作する。
小娘と思って、侮っていたのが間違いだった。
女とはいえ、相手は、一通りの軍事教練を受けた人物ではないか。
車を盾にするアイリスディーナに向け、9×18ミリPM弾を数度放つ。
アイリスディーナは乱脈に逃げまどいながらも、PPK/Sで応戦した。
男はアイリスディーナの方に気が向いていて、周囲の状況を見落としていた。
既に銃声を聞いた近隣住民により通報されたパトカーが来ていたことに、気が付かなかったのだ。
アイリスディーナは、PPK/Sの引き金を落とすが、弾が出なかった。
敵の襲撃に興奮しており、なおかつ反撃するのに夢中で、弾切れに気が付かなかった。
男は口元をゆがめ、恐怖でおののくアイリスディーナを見やった。
彼女は近くにあった小石を投げて、必死に男を牽制しようとする。
男は腰のベルトに横差しにしたカフカス風の短剣を抜き出した。
後ろで燃え盛る炎の光が反射して、闇夜の中に鈍い煌きが浮かび上がる。
「うへへ。さっきの威勢はどうした、お嬢ちゃん。
後は俺が可愛がってやるぜ」
アイリスディーナは、一閃の光を見た瞬間、血の気がスゥーと引いた。
「へへ、うへへ。貴様のようなドイツ人は危険だ。
やはりソ連がしっかりと教育せねばならんのだよ」
アイリスディーナは、おびえ切っている。
すっかり、元の気弱で優しげな少女に戻ってしまっている。
アイリスディーナに歩み寄る男の眼前を、小太刀が通り抜ける。
反射的に男が振り向く。
男は一瞬にして、振り下ろされる刃の輝きを身に受けた。
60センチの刀身は、男の左肩から胸を引き裂いた。
袈裟懸けに切られた男は、握っていたキンジャールを落とす。
ゆっくりとスローモーション撮影の様に、男は前のめりに崩れ落ちた。
白銀は、止めとして、倒れた男の両手足を持っている細引きで縛り上げた。
これは戦いの鉄則である。
長い実戦経験を持つ白銀はこれを忘れなかった。
遅れてきた警察に一部始終を話すと、生き残った工作員全員を引き渡す。
警察と消防の事情聴取が終わる事には、すでに夜が明けた後だった。
場面は変わって、ハイネマン救出作戦が行われている同時刻の京都。
五摂家の一つである斉御司の邸宅では、密議が凝らされていた。
薄暗い室内で、男たちは酒を酌み交わしながら、九條の件に関して話を進めていた。
「いかが、思われますか」
薄い茶色の軍服姿の男は、上座に居る単仕立ての小袖を着た男に問いかけた。
軍服姿の男は大伴中尉で、小袖姿の男は斉御司の当主だった。
「木原の事か」
大伴の言葉に、斉御司は失笑を漏らした。
斉御司は何か企み事があると、笑みを浮かべる癖がある。
大伴も、斉御司に倣い、わずかに笑みを浮かべた。
「先ほどの間者の報告からすると、このままではもはや勝負あったも同然……」
斉御司は、大伴の言葉に失笑を漏らす。
「いやいや、ソ連にも知恵者は多い。
まだまだ、国内は大揺れに揺れる」
斉御司は笑みを消して答えた。
大伴も彼に合わせて、真剣な表情になった。
「揺れなければ、どうしても揺らさねばなりません」
斉御司は言葉を切ると、タバコに火をつけた。
「その時こそ、将軍ご親政の好機でございます」
斉御司たちの狙いは、元帥府による将軍親政。
つまりは、現代日本に幕府体制を復活させることが狙いだった。
長い時間をかけて築き上げてきた議会制民主主義を壊し、一部の武家や公家による専制政治を望んでいたのだ。
そのためには、外国勢力の力を借りるのもやむなしというのが、斉御司の本心だった。
だから反米反ソの精神で、冷戦下の日本を独立させようとする御剣とは相いれなかったのだ。
「その時まで、我らは道化になりましょう。
ある時は米国に、ある時はソ連に……」
斉御司は顔を歪めて、不敵の笑みを浮かべた。
壁にかかった振り子時計の方を見ながら、こう続けた。
「あの時計の振り子のように、首を振りましょう」
斉御司は煙草をもみ消しながら、大伴の方を向く。
大伴は、自分の右側にある軍刀を握って、無言で立ち上がった。
勢いよく鞘から抜くと、虚空に向かって剣を一閃する。
部屋の中の灯りを求めて入ってきた蛾を、鈍い光が両断した。
「おのれ、木原め。
いずれや、血祭りにあげてやる」
後書き
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