星々の世界に生まれて~銀河英雄伝説異伝~
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激闘編
第九十九話 捕虜交換式前夜
帝国暦487年6月10日09:00
アイゼンヘルツ星系、アイゼンヘルツ、銀河帝国、銀河帝国軍、宇宙艦隊総旗艦ヴィルヘルミナ、
グレゴール・フォン・ミュッケンベルガー
ここアイゼンヘルツは、帝国領の中でもフェザーンと隣接する星系だ。フェザーンの隣に位置している割にはそれほど栄えてはいない。
「機関の性能が上がり、民間船のワープ機関でも充分な跳躍距離が得られる様になったからですよ。フェザーン発、フェザーン着を問わず、アイゼンヘルツ向けの船以外はこの星系をすっ飛ばして行く、という訳ですな」
「詳しいな」
「叛乱軍に居た頃、部下がこの星系への潜入任務に参加した事がありました。任務終了後にその部下がそう言っていたのを覚えております」
「ほう…どういう任務だったのだ、それは」
「亡命者の護送任務です。護送対象が誰かまでは、小官も存じてはおりませんが」
「直接の上官にすら教えないとは、極秘の任務だった様だな。卿自身は参加しなかったのか」
「ハハ…参加していたらそのまま逆亡命していたでしょうな。それでは任務に支障が生じます。逆亡命するのであれば、せめて任務は成功させなくてはなりません。それに、失敗する可能性がありました。その任務で直接護送任務に携わった部下は、小官に引けをとらないの白兵技能の持ち主でしたから」
「卿の経歴は見させて貰った。亡命後の技能試験でオフレッサーと引き分けたというではないか。卿に引けをとらないと言うのなら、かなりの強者だな」
「はい…ですが、オオフレッサー閣下は手を抜いて下さったのですよ。装甲服を着けての実戦なら、手も足も出ない結果に終わったと思います」
「謙遜も程々にするのだな、生身であってもオフレッサーと引き分ける事の出来る者などそうは居るまい」
目の前で笑うリューネブルク…急遽ミューゼルが儂の護衛官として連れて来た男だ。先年のカストロプ領鎮圧に参加して勇名を上げた。今回は装甲擲団兵一個中隊を引き連れフェザーン行に同行している。要人護衛の任務などやった事はないだろうが、とても優秀なのが解る。この様な男を使いこなせないのでは、叛乱軍の人事担当者は何をしていたのかと敵ながら心配したくなるというものだ…。
「叛乱軍…この場合同盟と言えば宜しいのかしら…元帥閣下、お許し下さいましね…同盟はどんな国ですの?」
リューネブルクにそう問いかけたのはヴェストパーレ男爵夫人だった。男爵夫人はグリューネワルト伯爵夫人の世話役として同行している。儂は皇帝陛下に掛け合い、伯爵夫人を今回の捕虜交換式の陛下の名代として、宮中から連れ出す事に成功した。ミューゼルに憂いなく任務を果たさせる為であったが、我ながら人がいいと思わざるを得ない。捕虜交換は陛下の勅裁を得ているから、たとえ軍が主体で行うとしても陛下の名代が居ないのはおかしな話だ、という線で陛下を説得したのだが…許す陛下も陛下、と言わざるを得ない。口では簒奪など許さぬ、かかってこいと言いながら、ミューゼルを援けて居られる。奈辺に真意があるのか判らぬお方ではある…。
「叛乱軍…自由惑星同盟、自由の国と言いながら、それほど自由でもありませんよ。特に小官の様な帝国から亡命した家柄の者にとっては」
「あら…帝国から亡命した方々は、叛乱軍にとっては有為の人材ではなくって?」
「亡命する理由も様々ですから、男爵夫人。同盟建国当時からかの国に居る者達と違い、我々の様な者は差別の対象になっているのが実情です。小官は自分の能力を発揮できる場所に生まれたかった。それで帝国に帰参したという訳です」
リューネブルクがちらりと儂を見て頭を下げた。過去にもこの男の様な存在は幾人も居た。だが帝国に帰参したからといってその能力を発揮出来る地位に着いた者はほとんど居ない。それに、オフレッサーはこの手の男は好まぬであろう。叛乱軍にいた頃の経歴も見たが、白兵戦技もさる事ながら、作戦指揮も中々のものだ。擲弾兵指揮官でなくとも艦隊要員としてもやっていける力量はあるだろう…。
「ところで男爵夫人、伯爵夫人は如何お過ごしかな。慣れぬ艦艇生活で窮屈な思いをしていなければよいのだが」
グリューネワルト伯爵夫人はほとんど部屋から出ていない様だった。陛下の名代という事もあって行幸用の応接室を夫人達の居室にしたのだが…フン、これでは儂はまるでミューゼル姉弟の保護者ではないか…。
「アンネローゼ…いえ、伯爵夫人も閣下のお心遣いには感謝しておりましたわ。まさかフェザーンに行けるとは、と。ワタクシもです」
陛下に掛け合えば伯爵夫人の身を預かる事は可能であろうとは思っていた。だが彼女の身の置場をどうするか…それが問題だった。オーディンに置いておけばベーネミュンデ侯爵夫人がまたぞろ何か企むやも知れず、ブラウンシュヴァイク公に保護の名の元に拐われてしまうかもしれなかった。だが儂がそのまま連れて行けば身辺警護も問題ない…そう思って同行を求めた。そこまではよかったが、問題が発生した。グリューネワルト伯爵夫人は陛下の名代ではなく、陛下が儂に彼女を下賜したのではないか…そういう風聞が宮中に広まったのだ。夫人が儂に同行する事が公にされなかった事も、それに拍車をかけた。寵姫が宮中を出るのだ、発表はなくともあっという間に貴族達には伝わる…伯爵夫人にとってはとんでもない話だが、寵姫を下賜されるのは臣下にとって最大の名誉とされている。この風聞が大貴族達を刺激したのだ。
~陛下は貴族を頼りとせず、軍を重んじている~
ミューゼルにとって後顧の憂いは無くなったものの、有志連合軍の結束を強める結果になってしまった。有志連合軍…貴族の艦隊がたとえ練度が低いとはいえ、今頃はシャンタウ辺りまで進出している筈だった。今の所は問題はないが、彼等の動きが捕虜交換に影響を及ぼさないとも限らない。しかも叛乱軍は奴等の公式発表として此方への再出兵を公表していた。この事も有志連合軍に不安と刺激を与えているに違いなかった。だが叛乱軍の使節は既にフェザーンに到着しているし、捕虜交換は間違いなく行われるだろう。軍内部では、『叛乱軍の再出兵の発表は、たとえ捕虜交換は行っても我々と馴れ合うものではない、敢えて相反する意志表明を行って帝国を混乱させるつもりだろう』という見方が強かった。おそらくその通りだろう。そうでなければフェザーンに叛乱軍の使節が到着している筈がないからだ。勿論そう思わせておいて本当に再侵攻してくる恐れもある。その時には改めてオーディンにて待機している十個艦隊を動かせばよい。オーディンには既に有志連合軍は居らぬだろうし、十個のうち二個艦隊も残せば首都の混乱を防ぐには充分だ。叛乱軍は我が正規艦隊のうち十二個艦隊と有志連合軍を相手にする事になる。有志連合軍など弾避けにしかならないかも知れないが、それでもその数は叛乱軍にとっては脅威だ。奴等の足を止めるには充分だろう。
6月11日14:00
ヴィーレンシュタイン宙域、銀河帝国軍、ミューゼル艦隊旗艦ブリュンヒルト、
ラインハルト・フォン・ミューゼル
「ラインハルト様、総旗艦ヴィルヘルミナよりFTLです」
嬉しそうな顔をしてキルヒアイスが俺の部屋に入って来た。ヴィルヘルミナはミュッケンベルガーの座乗艦だ、嬉しそうな顔をする理由などない筈だが…。
”久しぶりね、ラインハルト“
「…姉上!いや、グリューネワルト伯爵夫人ではないですか…今何処に居られるのです、いや何故ヴィルヘルミナに?」
“ミュッケンベルガー閣下が陛下に働きかけて下さったのよ。私を陛下の名代として捕虜交換式に、と”
「それは…ではご無事なのですね」
“ええ…ヴェストパーレ男爵夫人も一緒よ…元帥閣下と代わるわね”
“約束は守ったぞ、ミューゼル”
「何とお礼を申し上げればよいか…まことにありがとうございます」
“男むさい軍艦にお乗せする事になったのは不本意だが、此処なら安全であろう。そちらの状況はどうか”
「はい。まず叛乱軍ですが、強行偵察の結果、アムリッツァに一個艦隊規模の増援を確認致しました。これを受け、現在ヴィーレンシュタインにて臨時の根拠地を造成中であります。完成次第ボーデン、フォルゲン宙域の哨戒を強化致します。続いて有志連合軍ですが、シャンタウにて集結中の模様です。艦隊編成はまちまちですが…およそ十万隻を越えるものと思われます」
“十万隻…穏やかな数ではないな”
「その中には幾らか正規軍艦艇も含まれております。申し上げにくい事ながら、もしかすると幕僚副総監はご存知かも知れません」
”…了解した。その件についてはヒルデスハイム伯に聞いてみる。儂は現在アイゼンヘルツにて待機している。まもなくフェザーンに向けて移動を開始するが、現地到着後は卿に細かい指示など出来なくなるだろう。それ故、今から命令書をそちらに送る。受信後は統帥本部と連絡を密にせよ。よいな“
「了解致しました」
通信は終わった…とりあえずは姉上が無事でよかった。ミュッケンベルガーを信じて任せたものの、此方からどうなっていますかなどと聞ける相手ではない。皇帝の名代?とんでもない理由をこじつけたものだ、発表がなかったのも余計な混乱を避ける為だろう。それにしてもヴィルヘルミナか、確かにオーディンに居て貰うより余程安全というものだが…皇帝は何を考えてミュッケンベルガーの要求を飲んだのだろうか…くそっ、俺はまた奴の手の中で踊らされているのか?
「何にせよ、アンネローゼ様がご無事なのはいい事です」
キルヒアイスは俺の心中を察したのだろう、俺を諭す様にそう言った。
「そうだな。まずはその事を喜ばなくてはな」
ミュッケンベルガーの口ぶりだと捕虜交換は無事実施されるだろう。だが叛乱軍は再出兵を発表した。その上でアムリッツァには一個艦隊の増援…硬軟取り混ぜての交渉…という事だろうか。軍内部での観測が示す様に、捕虜交換と再出兵、相反する意志表示で此方の混乱を誘う、という…一番辻妻が合う見方だ。戦争は継続中で、捕虜交換の為に一時的に休戦した訳でもない。何も警戒を解く理由はないという事だ。叛乱軍が再出兵を行うとしても一個艦隊の増援では明らかに兵力が足りない。
「国内向けのアピールだろうか…」
「どうかなさいましたか?」
思わず口にしていた様だ。キルヒアイスが俺を覗き込む。
「いや、叛乱軍の再出兵の件だ。捕虜交換実施の一方で再出兵…奴等の国内向けのアピールではないかと思ったのだ」
「我々の混乱を誘うと同時に、叛乱軍国内の引き締めを図る…という事でしょうか」
「捕虜交換に対する反発は帝国内でもあった、だったら奴等はどうなのだろうと思ってな。戦争が始まって以来、自然に休戦状態になった事はあっても、戦いそのものを止めた事はないのだ。その休戦状態というのも、両陣営で猛威を奮ったサイオキシン麻薬の撲滅の為で、戦争を止めた訳ではなかった」
「では、彼等の再出兵の発表は、叛乱軍内部の捕虜交換反対派に対するバランスを取った結果…という事でしょうか?」
「そういう可能性もある。何にせよ我々は警戒を解いてはならないという事だ」
「そうですね…」
警戒…とりあえず無事だとはいえ、姉上は大丈夫だろうか。ミュッケンベルガー個人の護衛としてリューネブルクを付けたものの、まさか姉上を伴なってフェザーンに行くとは…公式発表はなされてないから、姉上が捕虜交換式の前面に出てくるとは考えにくいが…もしそうであっても大貴族達はどう考えるだろう…。
「司令長官から命令書が電送されてまいりました」
俺とキルヒアイスの会話が終わった頃合いをみて、フェルナーが命令書を持って来た…これは…。
「キルヒアイス参謀長、各艦隊の司令官を集めるのにどれくらいの時間が必要だ?」
「二時間後には集合可能です」
「よし、一六三〇時にブリュンヒルトに集まれと伝えよ」
宇宙暦796年6月11日09:00
フェザーン星系、フェザーン軌道宇宙港、第一軌道ステーション、第一係留ポート、自由惑星同盟軍、
第十三艦隊旗艦トリグラフ、
ダスティ・アッテンボロー
「閣下、本日一五〇〇時に帝国軍が入港すると宇宙港管制官から連絡を受けました。艦隊を哨戒第一配備とします」
”こちらにも連絡があったよ。哨戒配備?大袈裟じゃないか“
「念の為です。哨戒配備にしておけば、直ぐに戦闘配置に移行出来ますので」
”判った。だがくれぐれも軽はずみな行動は慎んでくれたまえ“
「了解致しました」
何が大袈裟だ、部下に軽はずみな行動をさせない為に哨戒配置にするんじゃないか、まったく…。
「ラオ参謀長、艦隊に命令。全艦哨戒第一配備とせよ。尚、軽挙妄動は慎め、命令違反は軍法会議における極刑に処すると付け加えてくれ」
「極刑…了解です」
極刑…銃殺だ。これくらい言っとかないと本当に何をしでかすか分からない。
「艦隊に命令を発しました。ですが銃殺というのは…」
「参謀長、不心得者のせいでフェザーン回廊で両軍が戦闘開始、捕虜は戻らない…俺達はどうなる?」
「そうでした、迂闊でした」
軽はずみな事をすれば、ちょっと想像すれば大抵の者は理解出来る未来図が待っている……大スクリーンには戦艦から大わらわで飛び立つシャトルが映っていた。各艦共に三交替での上陸を許可していたから、地上でも軌道エレベータの周りではこれから大混雑が生じるだろう。
「参謀長、宇宙港管制官に連絡してくれ、申し訳ないと」
「はい」
普段ならこの第一軌道ステーションも、民間船の発着に使われる場所だった。艦隊に所属するほとんどの艦艇は、臨時に増設された貨物船発着ステーションに係留されている。宇宙で同盟と帝国が落ち着いて話す場所がフェザーンしかないとはいえ、軍艦が邪魔者なのは明らかだ。
「戦争する場所じゃないのは確かだな、此処は」
10:00
フェザーン、自由惑星同盟高等弁務官府、
バグダッシュ
「宇宙港周りは大騒ぎになっておりますな。フェザーンでは軍人は異質な存在です、フェザーン市民の感情を逆撫でする様な事は止めて欲しいものです」
トリューニヒト国防委員長は俺を見て呆れた様な顔をした。
「君も軍人じゃないのかね?」
「ここでは流通安全保障コンサルタントという肩書でやっておりまして…捕虜交換が決定するまで、この建物には入った事はありません」
「ふむ。この建物には、という事は、向こう側の建物にはよく出入りしているという事かな?」
委員長の視線の遥かな先には帝国の高等弁務官府がある。
「よく…とまではいきませんが。諜報活動にはコネや袖の下が一番ですからね…コンサルタントというのは意外に儲けがいいのです。お陰で私の懐も潤うという訳でして」
「ふむ…ウィンチェスター君は優秀な部下に恵まれているな。懐云々は聞かなかった事にしよう。どうだろう、軍を辞めて私のブレーンにならないか」
「まことにありがたいお話ですが、遠慮させていただきます」
「何故かね?」
「こちらの方が面白いもので」
「正直な男だな、君は」
「時と場合によりますよ」
俺がこの場所で国防委員長とこんなどうでもいい話をしているのも、弁務官…ヘンスロー氏のせいだった。捕虜交換の打診は確かに同盟の高等弁務官府を通じてフェザーン自治領主府に伝えられた。そして自治領主府から帝国の高等弁務官府に話が行き今に至るのだが、フェザーンにおける捕虜交換に関わる実務…捕虜交換式を行う場所や段取りなど、必要な事をまったくやっていなかったのだ。式自体の実務交渉は自治領主府を通じて行うのだから、特段難しい訳でもない。こちらの代表は確かに国防委員長だが、政府同士の交渉ではないから、現場でやる事はそこまで多くない。ましてやここはフェザーンだ、式典の細部については彼等の提示したプランを修正すればいい。ヘンスローが駄目なら、その下にいる首席駐在武官のヴィオラ大佐がやればいいのだが、この男も事なかれ主義の塊だった。ヘンスローの指示がないからと、何もやろうとはしなかった。
「まあ、ウィンチェスター君が、直接君をフェザーンに派遣した意味がよく理解出来たよ。弁務官府は機能していない」
「パーティの類いにはよく参加していた様ですがね」
俺がそう相槌を打つと、国防委員長は大きくため息を吐いた。
「パーティね、大いに結構だ。生きた情報を得る事が出来るからね。ここはフェザーンだし、弁務官や武官達が多少私腹を肥やそうと全く構わんが、せめて任務には励んで欲しいものだ…この後の予定はどうなっているのかな?」
「一九〇〇時にホテル・シャングリラにて晩餐会となっております。まずホストとしてフェザーン自治領主ルビンスキー氏本人が。そしてその補佐官ボルテック…帝国側からは宇宙艦隊司令長官ミュッケンベルガー元帥、帝国軍幕僚副総監ヒルデスハイム伯爵、帝国高等弁務官レムシャイド伯爵…これは」
「どうした?」
「いえ、あと御婦人が二名なのですが、グリューネワルト伯爵夫人、ヴェストパーレ男爵夫人…」
「バグダッシュ君、そのグリューネワルト伯爵夫人というのは…皇帝の寵姫とやらではなかったかな」
「はい。もう一人のヴェストパーレ夫人というのは小官も知りませんが…委員長、よくご存知ですね」
「類い希なる美貌の女性と聞いているよ。しかし、何故皇帝の側室がこんな所に…我々を骨抜きにするつもりなのかな」
「さあ…フェザーン観光でもしてみたいと思ったのでしょうか。皇帝の寵姫ともなれば大抵の我儘は許されるでしょうし」
「我儘だったとしてもだ、敵国同士のやり取りの真っ最中にそんな重要人物を観光になど同行させないだろう、普通に考えて」
「敵意は無い…というアピールかもしれません、自信はありませんが」
「自信はない、か…。だが、是非ともそうであってほしいものだ」
10:45
フェザーン、フェザーン自治領主府、
アドリアン・ルビンスキー
「…帝国からはミュッケンベルガー元帥、ヒルデスハイム伯、レムシャイド伯…なのですが」
「どうした、補佐官」
「いえ、閣下はご存知でございますか、その…」
「グリューネワルト伯爵夫人だな。皇帝陛下のご寵愛を一身に浴びておられるお方だ。使節の一行に入って居られる」
「既にご存知でございましたか。皇帝陛下の名代という事でございますが」
遅かったな、ボルテック。こういう妙な人事はもっと早くに知っておくべきなのだがな…。
「発表はされていないがな。公式にはそうなっている。補佐官はどう思う?」
「はい、今回の捕虜交換は皇帝陛下の勅裁を得ておりますから、名代というのはあながち間違いではないかと」
「確かに名代というのは間違いではない。重要なのはそこに誰の意図が働いているかだ」
今回の捕虜交換だが、帝国政府は関与せず、という立場をとっている。交渉の主務者は帝国軍だ。対する同盟も、捕虜交換の打診自体は同盟政府が行ったが、実務交渉は国防委員会が行ってきた。要するに、窓口はフェザーンだが、互いの軍同士のやり取りという事になる。現場同士のやり取りなのだ、同盟はともかく、帝国政府が関与しないのなら皇帝の許可は必要ない筈なのだ。
「例の有志連合軍とも関わりがあるものかと推察致しますが」
「そうだろうな。いささか薬が効き過ぎた様だ」
「申し訳ございません」
「まあよい。同盟の方はどうかな」
「中々隙を見せません。ですが徐々に例の者達は同盟社会に浸透しております」
「ならばよい」
「ありがとうございます。では、本題に戻らせていただきますが…どうなさいますか、実行の手筈は整っておりますが」
「うむ。やってもらおう」
18:00
ホテル・シャングリラ、晩餐会会場控室
ワルター・フォン・シェーンコップ
「連隊長、ホテル周囲の配備状況、異常ありません」
「本当か?」
「帝国軍と睨みあっている、という事以外は」
「それは仕方ないな」
ブルームハルトの報告通り、睨み合いが続いている事以外は異常がない。しかし、捕虜交換の場に俺達が居る事自体が帝国軍の感情を逆撫でしているのではないか…と思わなくもない…晩餐会は一九〇〇時から、予定では二二〇〇時には終了する。そろそろ出席者達がホテルに訪れ始める頃だ。会場に入る出席者達の所持品検査、身体検査は両軍共同で実施する。事前の取決めとして、なるべく血の気の少ない者を選抜して行う事になっている。突然殴り合いが始まるのを避ける為だ。両軍共同で検査を行うのも、不測事態が発生した時に責任の擦り合いになるのを避ける為…必要な措置かもしれないが、まどろっこしい事この上無い。
「ブルームハルト、会場のウェイターに言って、何か飲み物を貰ってきてくれ」
「任務中ですよ」
「それくらい解っている、水で構わん」
ブルームハルトがドアを開けようとすると、ノックの後、帝国軍の制服を着た男が入って来た……お前は!
「久しぶりだな。元気でやっているか」
18:10
ホテル・シャングリラ、晩餐会控室、
ヘルマン・フォン・リューネブルク
「久しぶりだな。元気でやっているか」
「リューネブルク、貴様!」
俺が避けるのと同時に怒りのこもった右の拳が空を切る。
「おいおい、捕虜交換を台無しにするつもりか」
「貴様…貴様のせいで俺達がどんな目にあったのか知らんだろう!」
怒りのこもった左の拳は、ブルームハルトか、こいつは…ブルームハルトが必死に押さえていた。
「連隊長、駄目ですってば!」
ブルームハルトのその言葉で我に返ったのだろう、目の前のシェーンコップは大きく肩を揺らしながら、深呼吸をした…余程酷い目にあったのだろうな…。
「どんな目に、か……それは謝罪しよう。だがこの場にお前達が居るという事は、拾ってくれる神に出会ったという事だな。イゼルローン要塞での功名は、俺の耳にも入って来たぞ」
「…お陰様でな。何の用だ、その前に何故貴様が此処に居る」
「貴様達と同じ様に、俺にも拾ってくれる神が居た、という事だ。捕虜交換使節の護衛を任されている…まあ、座れ。ブルームハルト、ウェイターに言って飲み物を貰って来い…大丈夫だ、お前が居なくなっても何もせん」
後ろ髪を引かれる様にブルームハルトが控室を出て行く。シェーンコップが座り、俺も座る…そんな眼で見るんじゃない、成長の無い奴だ…。
「同盟側の関係者名簿を見た。すると懐かしい名前があった。警備責任者に一言挨拶と思ってな。寄らせて貰った」
「こちらに渡された名簿には貴様の名前はなかったぞ」
「俺の名前が出たのでは、同盟側が気を悪くすると思ったのでな。名を伏せて貰ったという訳だ。俺のせいで捕虜交換が台無しになるのは御免だからな」
ブルームハルトが飲み物を取って戻って来た…水か。気の利かん奴だ。
「名簿に名前が無くとも、貴様が表に出れば同じ事だろうが」
「フン…同盟の代表は国防委員長だろう。現場で俺を見たからといって、捕虜交換を反古にする様な事はせんよ。自分の失策になるからな。政治家とはそういうものだ」
「…分かった様な口を聞いてくれるじゃないか」
分かった様な口か…シェーンコップ、貴様の立場では分からんだろうな…悲しい事だが仕方のない事だ。俺も最初は解らなかった、だが帝国に亡命して嫌という程理解させられた…。
「…どうやら長居は無用の様だな。まあ交換式期間中はくれぐれも宜しく頼む。顔を見る事が出来て良かった…これは本心だ」
「貴様…」
「ああ、折角の平和的な捕虜交換の場だ。帝国に亡命するなら今の内だ。貴様達なら高く買って貰えるぞ」
「…遠慮しておこう」
「そうか、残念だな」
スカウトしたのは本心からだぞシェーンコップ。後悔しないようにな…。
18:25
ライナー・ブルームハルト
まさかあの人が此処に居るなんてな…どうなる事かと思ったぜ…。
「済まなかったな、ブルームハルト」
「いえ、小官も連隊長と同じ気持ちではありますから…」
「そうか」
そう言ったきり連隊長は黙ってしまった。リューネブルク元連隊長は少将の階級章をつけていたが…あの人が連隊長だった時、俺は大尉になったばかりだった。大尉とはいっても、まだ新人に毛が生えた程度のひよっこだった。当時のリューネブルク連隊長とシェーンコップ少佐、どちらが強いのか…なんてよくカケをしていたのを覚えている。今ではどうなんだろうか…。
「ブルームハルト」
「はい」
「玄関を見て来い。リューネブルクに笑われるのは癪だからな」
「了解しました」
18:50
ホテル・シャングリラ、晩餐会会場
ヨブ・トリューニヒト
「落ち着きたまえ、アイランズ君」
「は、はい」
我々同盟側の使節は私、国防委員アイランズ君、高等弁務官ヘンスロー、駐在武官ヴィオラ大佐…となっている。後は実務面のスタッフだが、彼等は今頃捕虜引渡しについての細部の打ち合わせを帝国側スタッフと行っている頃だろう。
「閣下、少し早かったのではありませんか」
「こういう時に後から入ると会話の主導権を握られてしまうよ。此処は交渉の場ではないが、相手に優位に立たれるのも落ち着かないだろう?」
「なるほど、流石は閣下ですな」
…ネグロポンティ君を連れて来た方が良かったかな。少なくともアイランズ君よりネグロポンティ君の方がこういうパーティーには慣れているからな…。会場内には同盟、帝国の警備兵が数名ずつ配置されている。お互い所持品検査は済ませているのだから、そこまでしなくてもと思うが…。
「これはこれは、お待たせしてしまった様ですな。国防委員長閣下もお人が悪い、先に入ってお待ちになっていらっしゃるとは」
「いえいえ、この様な集まりは初めてですからな、つい急いでしまった様です。申し訳ない」
慇懃な挨拶をしながら、フェザーン自治領主アドリアン・ルビンスキーが我々に一礼した。
「自由惑星同盟と銀河帝国、長い戦が続いておりますが、この様な催しの仲立ちをさせて頂くのはフェザーンにとっても名誉な事です。ああ、紹介致します、銀河帝国の…大使とでも申しましょうか、宇宙艦隊司令長官ミュッケンベルガー元帥にございます」
剛毅、という文字を人に例えたら目の前の人物になるであろう…と思わせる軍人が静かに頭を下げた。ここからのやり取りはすべて事前に決められたものだ。
「帝国元帥、フォン・ミュッケンベルガーです。青天の霹靂という言葉が合うかどうかは分からないが、この様な機会を設けて下さった事、感謝にたえません」
続いてルビンスキーが紹介したのは、帝国軍幕僚副総監ヒルデスハイム伯爵だ。
「帝国軍上級大将、フォン・ヒルデスハイムです…元帥閣下、青天の霹靂は失礼でありましょう。素直にお喜び下さい…いや失礼、お手柔らかに」
ルビンスキーが此方に目配せした。同盟側はここで皆が起立する事になっている。
「お二人共、お顔をお上げ下さい。自治領主殿が申しました様に、同盟建国の経緯から不幸にも両国は戦争状態にはなっておりますが、戦っている兵士達には罪はありません。彼等の処遇について何とか出来ないものかと愚考した次第です…紹介致します。まず私はヨブ・トリューニヒトと申します。私の隣に控えますのはウォルター・アイランズ君です」
「ウォルター・アイランズです。どうぞよしなに」
起立したまま、深く一礼する。互いの高等弁務官については紹介はない。事前に分かっている事柄だからだ。ルビンスキーが我々の一礼を受けて口を開こうとしたのを手で制止した…これも前もって決められた仕草だ。
「元帥閣下、そちらに控えておられるご婦人方はどなたですかな」
「手前に居られるのはグリューネワルト伯爵夫人です。非公式ながら、皇帝陛下の御名代として参られております」
グリューネワルト夫人は皇帝の正室ではない。故に名代ではあっても正式な使節の一員ではない、という事になっている。
「奥に控えているのはヴェストパーレ男爵夫人。グリューネワルト伯爵夫人の世話役として同行しております」
二人共事前資料で顔は見ていたが、二人共美人だ。グリューネワルト夫人は儚げな、ヴェストパーレ夫人は闊達…という印象を受ける。
「さあ、自己紹介も終わりました。ここからは自由にご歓談頂けたら幸いです」
ルビンスキーは不必要な程明るくそう言うと給仕係を呼び入れた。入室した給仕係がそれぞれのグラスにワインを注いでまわる。ご歓談か…これ以降は捕虜交換についての話題には触れない事になっている。さあどうしたものか…。
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