邪教、引き継ぎます
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第五章
44.侵攻
神殿の礼拝堂に、巨大な魔法円が一つ、描かれていた。
「終わるまではこの魔法円から一歩も出てはいけないのじゃな?」
老アークデーモン・ヒースが、円の中央に立つフォルの後ろに座り込んだまま、確認を取る。
彼はフォルとほぼ行動をともにし、資料査読の手伝いなどもしてきた。そのため、段取りなどは一応すべて頭の中に入っている。なかば他の者たちのためにしたような質問である。
明らかに馴染みのない図形、記号、文字が散りばめられた円。その中に入っていたのは、総勢二十余名の同志たちだった。
十分な魔力を持つアークデーモンのヒースとダスク。そして「魔力が切れたことないから総量も不明」というロンダルキアの祠の少女・ミグア。魔力ゼロながら「絶対に見たい!」とだだをこねたタクト。他は、ケイラスをはじめ、祈祷師や魔術師の中で魔力が多いと自薦または他薦のあった者たちが、仮面およびローブを着けた正装で座り込んでいる。
「はい。この円は召喚のために魔力を注入するという目的だけのものでありません。破壊神様は召喚された直後は混乱されている可能性があるそうですので、会話をおこなって落ち着いていただくまでに私たちが踏みつぶされてしまうことを防ぐという目的もあります」
「踏みつぶされるということは、大きいんだね、これは」
左隣に座るミグアは、フォルの前に置かれている資料の束より一枚の紙を手に取っていた。
そこには召喚で現れると思われるモノが、かなり簡易な線画で描かれている。
「変な形。頭が八つ? 尻尾も八つ? この太いのは足? よくわからない。キミの上司の絵が下手なのか、元になったゾーマの部下の絵が下手だったのか。どっちだろう」
色付けなし。線のみ。全体的にカクカクしており、写実的な絵とは言い難かった。これだけで想像するのは難しいようだ。
「どうでしょう。たしかにわかりづらい、かもしれませんね」
助けを求めるようにフォルは右隣のタクトを見る。
彼も身を乗り出してその絵を見たが、やはり首をひねった。
「うーん、おれもちょっとこれだと想像はできないかなー! でも、なんだろう。おれはこの絵を見てもそこまで違和感を覚えないんだよね。ワクワクする感じがあるよ。楽しみ」
違う世界から来た人間の特権かもねー、とタクトは笑った。かなり場違いな明るい声が、広い礼拝堂に響いた。
「破壊神様はあの黒い鏡から現れるのだろうか?」
魔法円の先頭に座っていた祈祷師ケイラスが、前方を指差しながら振り返った。
フォルたちがいる魔法円の前方、壁近くに立てて置かれていたのは、巨大な円形の漆黒――。黒く輝く鉱物・オブシディアンを磨いて作った丸鏡であった。
当初は用意が困難なのではないかと思われていたが、タクト率いるキラーマシン軍団が運よく大きなオブシディアンを掘り当て、製作に至ったものである。
「そこまで細かくは書かれていませんでしたが、そう考えるのが自然です。黒い鏡は召喚元の世界とこちらとの橋渡しとなるもの、とのことでした」
「術式はどうなのだ。大丈夫なのか」
「はい。大丈夫です。術式は大魔王ゾーマ時代のアレフガルドで確立されたもので、それをハゼリオ様が見つけて研究されたようです。生前にお話が聞けなかったのでどの程度の自信をお持ちだったのかは不明ですが、私は信じます」
やがて、外からシルバーデビルの大きな吠え声が聞こえた。フォルたち以外に神殿にいた者の避難が終了した旨の合図である。
「では、始めます。皆さんよろしくお願いします」
フォルは、練習をくり返して暗記した呪文を唱え始めた。
やがて、礼拝堂の中にわずかな空気の流れができた。
風とまではいかない。しかしそれぞれの頬は感じる、たしかな流れだった。
「今です。皆さん魔法円に魔力の注入をお願いします」
タクトを除く全員が魔法円に手のひらを当て、短く詠唱した。
外にくらべれば暗い礼拝堂。大きな魔法円の中に描かれている図形や記号、文字たちから、青い光が発せられた。フォルたちや、堂内の柱、像、そして広い空間そのものを、下から染め上げてゆく。
「……!?」
神殿が揺れ始めた。
最初はわずかな、細かい振動。
すぐに、立っているフォルにも感じられる揺れとなった。
建物も空気も、ざわめいてきたようだった。
ところが。
黒い鏡からは何も現れないまま、その揺れはプツリと途絶えた。
青い光もほぼ同時に消えてゆく。
「……」
ただ一人立っているフォルは、愕然とした。
キョロキョロと見回すも、もちろん礼拝堂には何も現れない。何もいない。
「も、もう一度やりましょう」
ふたたび同じ手順でやり直した。
しかし、今度は青い光すら発せられなかった。神殿が揺れることもない。
さらには。
「あっ」
フォルの体がビクンとなった。
ピシっという音が、闇色の鏡から鳴ったのである。
「ヒビが入った。壊れたね」
白い少女の冷静な指摘。もちろん壊れたタイミングでも、何も現れることはなかった。
なるほど、という声も聞こえた。祈祷師ケイラスのものと思われた。
もしかすると、この礼拝堂内ではなく外に召喚された可能性も――。
一縷の望みで一人の魔術師が見回りに行ったが、戻ってくるなり首を振った。
それを受け、静寂の中、フォルの首が垂れた。
「失敗、ですね……」
場の空気が重い。
「儀式はこれで終了です。皆さん、せっかくお力添えいただいたのに申し訳ありません」
そう絞り出すように言ったフォルに対し、すぐに声をかけたのは、祈祷師や魔術師たちを選抜するにあたって尽力した祈祷師ケイラスだった。
「可能性がある以上はやらなければならない。また何か新たな術式が見つかれば挑戦すべきだ」
さらにこうも付け加えた。
「個人的には、今回は意外な結果とは思っていない。容易な召喚が見込めるものであるならば、ハーゴン様がいかなる犠牲を払ってでも準備を整え、生前に実行していただろうからな」
フォルの隣で座っていた白い少女も、コクリとうなずいている。
老アークデーモンも、消沈気味の空気を吹き飛ばすように笑いながら言った。
「まあ、今日は残念会じゃな。酒できれいサッパリといこうかのう」
しかし、その直後であった。
「フォルはいるか」
声は礼拝堂の出入り口からだった。現れたのは、黄白色の体毛を生やした猿のような体に、羽と長い尻尾。デビルロードだ。
召喚の儀が終わったという連絡は、まだ神殿の外に回していない。よほどの緊急事態でもない限り神殿は立ち入り禁止――そうなっていたはずだったため、ほどけかけていた場の空気が、ふたたび緊張した。
「どうされましたか?」
「敵だ。人間の兵士たちがロンダルキアの洞窟内に入り、ここを目指して進んでいる。洞窟にいたバーサーカーらの同志は避難し、こちらに合流するために移動中だ」
「……!」
フォルは絶句した。想定よりも早かったためだ。
「やれやれ。ローレシアもサマルトリアも、ガッカリしている暇すら与えてくれぬようじゃな」
「いや、それがだな」
「ん、どうしたんじゃ」
「攻めてきたのはローレシア、サマルトリアだけではない。他にペルポイ、デルコンダル、ラダトーム、ベラヌール、ルプガナと思われる紋章を付けた兵士が確認されている」
「なんじゃと……」
集まっていた祈祷師や魔術師からもざわめきが起こる。
「数は推測すら不可能なほどらしい。全世界がロトの旗のもとに結集したようだ」
それは、この場の同志全員が奈落の底に落とされるような、絶望的な宣告だった。
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