ボロディンJr奮戦記~ある銀河の戦いの記録~
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第105話 憂国 その5
前書き
いつもお世話になっております。
恐らくこの憂国ではいろいろな意味で一番『具合の悪い』話になると思います。
書いていて、ここを潜り抜けないといけないと分かっているんですが、Jr.自身の未熟さと自己矛盾の発露を、上手く表現できないあるいは書ききれないもどかしさで、正直苦しかったです。あと1話で終りますので、ご了承ください。
それと暑い日が続いています。皆様もご健康にご留意されますよう。
宇宙暦七九一年 三月 ハイネセンポリス
「我々は真に国を愛する憂国騎士団だ!! 我々は君達グエン・キム・ホア平和総合研究会を弾劾する!!」
鉄色の戦闘服に身を包んだ骸骨マスクメンの、品性も欠片もない音量だけが大きい前口上が、文字通り聴客の乏しい会場を揺るがす。大学の講義にも使用されるので、音響効果はバツグンだ。演壇に立ったばかりの女性弁士は耳を塞いでいるし、ボンボン達も気味悪そうな表情で、憂国騎士団の方を見つめている。
静まり返る会場のほぼ中心。演壇と出入口の中間点までゆっくりと降りてきた憂国騎士団のリーダーと思しき男は、団扇のようなトラメガを左手に持ち右腕を伸ばして女性弁士を指差した。
「君達はこの国難ある時に、自由惑星同盟市民としてあってしかるべき国家への献身を怠り、自己正当化の為に国益に反する主張をして人心を惑わせ、国家の団結を乱そうとしている!!」
国家への献身を今もって怠ってるのは誰で、自己正当化の為に国難を振りかざし、団結の美名の下に威圧で異論排除しようとしているのはお前らじゃねーのか、と呆れてモノが言えなかったし実際に言わかったのだが、女性弁士は演壇の下に蹲って耳を塞いでいるだけだし、反戦市民連合の幹部らしい先程の男性弁士は同志らしい年配の男達と内緒話をしているだけで何も反論しない。
「これらはまさしく売国奴の所業であり、我々憂国騎士団にとって制裁・粛清に値する行為である!!」
でかい鏡があるなら見せてやりたいが、今こいつらよりも問題なのは研究会側の幹部達だ。突如乱入してきた狂人達を前にパニックに陥っているのかもしれないが、(無駄だとは思うが)治安警察に連絡するなり、(たぶん別の団員が隠れているだろうけど)非常口に誘導するなどして、聴客の安全を確保するよう努力したらどうだと思ったが、宣戦布告してから一〇秒経っても彼らには動く気配がまったくない。
憂国騎士団の背後にいる怪物の存在を考えれば、あえてここで俺がその役目を買って出る必要はない。憂国騎士団の注意は弁士や熱心に会場前方で話を聞いていた聴客達に集中しているので、出入口に最も近い最後列の優位を生かし、出口を塞いでいる一人を無力化して、この場をトンズラするのがお利口さんだ。
だが憂国騎士団全員の右腰には例の棒状スタンガンがある。法的にはおそらくアウト(非殺傷兵器の無許可携帯)の代物。会場に入ってきた団員の数は二〇。俺を含めた聴客の数からいって団員一人あたり五人ブチのめせれば、俺を含めて研究会側は全滅。そしてシトレの幼馴染が言っていたように、近くで遠巻きにしている治安警察によって逮捕されるだろう。研究会側が、騒乱罪の名目で。
思想的に相容れない相手だとしても、これから想定される惨劇から目を逸らして身の安全だけを確保することは、同盟市民の生命と財産を守るべき軍人の為すべきことではない。人生の正解とは程遠いが、俺の良心がそれでは耐えられない。本来は海賊や帝国軍を対象とした、同盟軍基本法下服務規程における市民の緊急保護要領を法的根拠にするしかないだろう。それで躾のなってない犬の飼い主がそれで納得してくれるか未知数だが。
大きく溜息をついてから首と肩を廻し、携帯端末で化蛇に緊急コールを入れ、左胸ポケのボタンを再確認し、クロスバックから身分証を取り出して尻ポケットに入れる為に俺が腰を浮かせると、突然横から右肩を押さえつけられた。
「一般聴客で軍人のボルノー君に迷惑をかけるわけにはいかない。これは私の仕事だろう」
肩を押したソーンダイク氏はそう言って席を立つと、クリーム色のスーツの両襟を両手で伸ばし、堂々とした歩みで前席へと向かっていく。それは弁護士としていろいろな修羅場を潜ってきている証拠かもしれないが、マフィアと違って弁護士バッチを付けていたところでまったく気にしない狂犬共だ。緊急コールにさらに位置情報を追加で送信して、俺は慌ててソーンダイク氏の後ろについていく。
そんなソーンダイク氏と俺の動きに、まずは前方席に座っていた聴客達が地獄で仏を見たような表情を浮かべ、次に研究会の幹部達がやや苦々しい表情を浮かべて、その視線に釣られるように最後に騎士団の連中が気づき、三者とも黙ってこちらを見つめてくる。
まるで全方位集中砲火を浴びせられているようだが、ソーンダイク氏は平然と聴客と憂国騎士団の間まで移動し、中央通路でリーダーに向き合った。俺はそんなソーンダイク氏より二歩左後ろの位置に立つ。
真正面に対峙することによって、憂国騎士団の面々の敵意もまたソーンダイク氏に集中するが、リーダーのマスクの奥にある暗い瞳だけは俺の顔に向いている。つまりは制裁粛清行動の障害になりうる『護衛官の位置』を理解しているということ。頭の中身が狂犬とはいえ、リーダーを務める理由はそういうところか。
「私は弁護士のジェームズ=ソーンダイクだ」
そんなリーダーの視線に気づいているのかいないのか、ソーンダイク氏は両手を腰に回して胸を張って言った。
「君達がなにを求めてここに来ているのかは知らないが、意見を述べたいのであればまずは席に着き、弁士の演説を聞いた後で司会者の指名を待つべきだろう。少なくともいきなり立ち入ってきて、拡声器で妨害する必要はないはずだ」
まさしく正論であって、そんなことは百も承知の上でこいつらはスタンガンを持ってきている。ここは地上であって宇宙空間ではないが、会場には窓が殆どなく、固定された座席の間にある中央通路は男が三人並ぶのが精いっぱいの幅。舞台はレダⅡのシャトル搭乗ゲートによく似ている。ちなみに出演者も一方は同じ『劇団』だ。だからこそソーンダイク氏をロムスキー氏と同じ目に合わせるのは、原作を知る者としては些か癪に障る。
ソーンダイク氏とリーダーの間に漂う張り詰めた緊張の沈黙。だがリーダーの右足が音もたてず二度床を叩いた時、俺の左前に位置する団員の身体に力が入っていくのがわかった。
リーダーがソーンダイク氏に反論する素振りで、何気なく体を反時計回りで団扇型拡声器を後ろにいる団員の一人に手渡すよう振り向いた時だった。左半身になったリーダーの右隙間を抜けて、団員が棒状スタンガンを振り上げて俺に突っ込んでくる。そしてほぼ同時にリーダーが、団扇を受け取った団員のスタンガンを抜いてソーンダイク氏に襲い掛かってきた。
同時攻撃によって護衛(俺)の混乱を招くつもりだったのだろう。だが『護衛官の仕事』は身を挺しても護衛対象を守ること。俺は左斜めに(つまりはソーンダイク氏に向かって)踏み出して突っ込んできた団員の攻撃を躱しつつ、右腕でソーンダイク氏の襟首を引っ掴んで真後ろに引き摺り倒す。その反動を回転運動に変え、左腕を左側頭部に当て防御すると、背中をリーダー側に向けて衝撃に備える。ほぼ予想通りそのコンマ五秒ぐらい後で、俺の左肩甲骨上部にスタンガンが直撃した。
「くぁwせdrftgyふじこlp」
軍服ではないので当然防電処置はされていない。背中の神経をはいずり回るような電撃と、棒自体の物理的衝撃が合わさって、俺はたまらず声を上げて両膝を突く。その背中にもう一撃、恐らくは躱した団員からのが浴びせられる。ついで左脇から嫌な気配を感じたので、足を捥がれた芋虫のように床を転がると、俺の腹に向かってきたリーダーの蹴り上げを何とか躱すことができたが、遥か頭上から舌打ちが聞こえてくる。
「ボルノー君!」
俺に引き摺り倒されていたソーンダイク氏が、よちよち歩きで床を進んで、床に仰向けで荒い息をする俺の傍に寄ってくる。触った手から俺の身体にまだ痺れが残っていると分かったのか、想像よりはるかに大きな声でソーンダイク氏は、一様に恐怖に囚われている若い聴客達に向かって叫んだ。
「救急車だ! 早く連絡を!」
「ソーンダイク先生」
「ボルノー君はそのままでいたまえ!」
「大丈夫。もう、大丈夫です」
ゆっくりと、まるで舌なめずりする蛇のように近寄ってくる憂国騎士団の足音を床面から聞きつつ、俺はソーンダイク氏の左肩を頼りに立ち上がりながら、フラグを確認する。
「正当防衛条件、これで成立しますよね?」
「ボルノー君!」
「ゾーンダイク先生!」
襟首をつかんで顔を近づけてからの俺の叫び声に、ソーンダイク氏の視線が宙を泳ぐ。だが次の瞬時には弁護士モードになったのか、それとも俺がこれからなにをしようとしているのか分かったのか、声を上げる。
「た、確かに急迫不正の侵害と防衛の意志は認められるが!」
「後は必要性と相当性ですかね!」
とどめを刺すべくスタンガンを振り上げ突っ込んできた団員に対し、俺は右半身になって躱しつつ反動をつけて右拳を団員の左顎先にぶち当てる。マスクは吹き飛び、団員は糸が切れた操り人形のように音を立てて床に崩れ落ちた。同時にスタンガンも高い音を立てて床を撥ねる。
「さて。憂国騎士団の諸君」
凝った首を廻す音と共に、頭の中でひたすらドヴォルザーク交響曲六番第三楽章がリフレインされる。今の俺には脳味噌も良識の欠片もないが、戦闘力数は間違いなく五三万。会場の通路は宇宙艦隊司令部地下駐車場のように広くはないから、二人以上で同時に襲いかかられる恐れもない。
「君達に与えられる合法的な未来は二つ。ソーンダイク先生の言う通り着席し議事進行に従って礼儀正しく意見を述べるか、これ以上何もせず速やかにこの会場から出ること」
会場の出入口を指差すが、釣られて真後ろに視線を動かすような団員はいない。リーダーを初めとしてなにも言わずに俺を睨みつけたまま。仕草も意志も単純明快で、現在の職場での慣れない暗喩や無能さゆえの錯誤に心が疲れた俺としては、すっきり晴れやかで快感すら覚える。
「もし聞き入れず君達が、再び武力行使を選択するというのであれば致し方ない。適切な手加減は出来そうにないが、それでも良ければ『教育』してやろう」
出入口を指差していた人差し指をしまい、腕を時計回りで捻り手の甲を向け、その隣の指先を垂直に天井へ向ける。事前の取り決めも暗号も必要ない、言葉の通じない相手にもハッキリと意思が伝わる古(いにしえ)からの『挑戦信号』。もちろん効果はバツグンだ。
リーダーの左後ろにいた団員が下卑た叫び声を上げてスタンガンを突き出しながらに突っ込んできたので、クロスカウンターよろしく前屈みになってから、右拳に体重をのせて左脇腹に叩き込む。
屈んでいる状態になっている俺に対し、リーダーはスタンガンを再び振り下ろしてくるが、それを背中に躱しつつ、↓↘→でリーダーの下顎を真下から思いっきりカチ上げる。
その後ろに並んでいる団員がリーダーを躱しながら狭く横二列で突っ込んできたので、左の団員に向けてはKO状態のリーダーの腹のど真ん中にヤクザキックをぶち込んで押し戻し、振り向きざまにリーダーの手から捥ぎ取ったスタンガンを右の団員の左後頭部に力いっぱい叩き込む。リーダーの身体に覆いかぶさられて身動きの取れない左の団員の肩を露出させてスタンガンを皮膚に跡が付くくらいに押し当てて、最大出力で電撃を喰らわせる。
通路ではなく左右に並ぶ机の上を歩いて覆いかぶさってきた奴には、右足を掴んで無理やり飛び出した側とは反対側の机の角とキスをさせてやる。
次々と襲い掛かってくる団員から時折軽い一撃喰らいながらも、俺は出入口方向へと通路を進みながら団員共を無力化していく。いつの間にか痛みは消え、身体と拳と脚が一つ一つ考えるまでもなく自然に動き、暴力となって存分に発揮されている。
まるで夢心地の中。出入口扉前で相対した団員の一人がいきなり俺に背を向けて逃げ出そうとしたので、右手で後襟首を引っ掴んで引き寄せ、左腕を首に回して後ろから右腕を絞めて捻り上げる。
「どうした。どうした。女子供は殴り倒せても、大人の男はてんでダメか。ああん?」
マスクの奥で何か慈悲を乞うているように聞こえるが、俺は全く聞こえないふりで締め上げ続ける。
「お前らの飼い主が誰か、俺はよぅく知っているからな。せいぜい捨てられることに怯えて、首を竦めて暮らせ」
飼い主という言葉に団員は首だけで振り向こうとするが、その後頭部にヘッドバットを喰らわせたうえで右肩の関節を外すと、情けない悲鳴を上げて気絶する。その身体から力が抜けていることを確認してから、うつ伏せにして両腕を後ろに回し、マスクを取って頭巾をひも状にして両腕を縛り上げる。
もう俺に立ち向かってくる姿はない。出入口扉から通路を見れば呻き声を上げる団員達で埋め尽くされ、その先には唖然とした表情のソーンダイク氏と、何故か興奮気味にこちらを見ている幹部と聴客達がいる。団員は他にもう少しいたはずだったが、逃げ散ったのかそれとも増援を呼びに行ったのか分からない。
興奮が自然と収まり、心拍が落ちて、同時に背中の痛みも戻ってくるが、呻いている団員が逃げ出さないとも限らない。今度は演壇方向に向かって、団員達のマスクを一人一人剝ぎ取り、同じように頭巾で拘束していく。抵抗しようとした奴はスタンガンで再度無力化し、肩を外すのも忘れない。
「このままで、済むと思うなよ。孺子」
紫色の頭巾をしていたリーダーが俺の膝下でそう言うので、何も応えることなく露出した後髪を引っ掴むと、何度も床に叩きつけた。たぶん鼻が折れた音がしたが気にしない。額も切れて顔中血だらけになり息絶え絶えになったのを見てから、リーダーに顔を寄せる。
「飼い主を道連れにしたいってんなら、幾らでも相手になってやるよ。躾のなってないお嬢ちゃんたち(レディース)」
そうやって最後に一撃、横腹に蹴りを打ち込んでやると、リーダーは蛙のような呻き声を上げて床でのたうち回る。その横に立ち上がって、換気音だけが響く少し暗い照明の下で、大きく両手を伸ばし、最後まで奥に溜まり込んだ闘争心を肺から追い出した。凝りを解すため首を廻しながら見渡すと、先程まで興奮気味に見ていた聴客の顔は、今度は恐怖で引き攣っている。
「ぼ、ボルノー君」
そんな中でやはり最初に声をかけてきたのは、ソーンダイク氏だった。
「大丈夫かね? その……」
「治安警察への通報は済んでますか? ソーンダイク先生」
「それは……たぶん済んでいると思うが」
見渡す視線に誰も応えないので、ソーンダイク氏は深く溜息をつくと、改めてポケットから自分の携帯端末を取り出して通報した。だが数秒遅れで繋がった治安警察の通信指令センターと話をする氏の、その横をすり抜けるように中年の男が俺の前に立ちはだかると、笑顔を浮かべて血に濡れた俺の手を取った。例によって両手で包み込むような握手。
「ビクトル=ボルノー君、というのかね。私はグエン・キム・ホア平和総合研究会のマヌエル=マクレガンだ」
最初に演壇に立った男。恐らくはソーンダイク氏を干した側の人間だろう。あまり好意的になる要素はないが、挨拶は挨拶だ。俺は世間一般で失礼に取られない程度の無表情で小さく目礼する。
「君の助力に感謝するよ。君は強いね。どうかね。講演会の後で食事でも」
未だ『暴徒』が回収されず、聴客が見ている前で勧誘し、自分の仲間か手下に取り込もうという仕草。あまりにも露骨でセンスがない。だいたい簡易武装した集団を相手にできる人間など、陸戦訓練を受けた軍人以外にはありえない。それに気が付かないのもどうかと思うし、名前も今日知ったばかりの一見参加者をいきなり食事に誘うなど、危機意識もなければ上から目線の思い上がりも甚だしい。
もしトリューニヒトが今の彼の立場であれば、まず治安警察への通報と聴客へのアナウンスは別として、ハンカチを出して俺の手を拭き、身体に異常がないか問う。そして危機に際して、協力して動こうとしなかった自分の非を俺に深く謝罪する。ついでこの騒動の後始末について(負うつもりはなくとも)責任は私達が全て請け負うと言うだろう。その上で治安警察等によって俺が不当に扱われるようなことがあれば必ず手助けすると言って、連絡先を書いた名刺を渡す。その名刺の裏に『是非、お礼に一度お食事でも』と書いて……
いいか悪いかはともかく、そういった相手に『配慮』ができない人間が幹部を務めている状況は、政治組織としては致命的だ。延々と一五〇年も戦い続けて、近親者に戦死・戦傷した人間がいない人間を探す方が大変なはずなのに、和平を求める人間が少数派なのは、受け皿となるべき党派の惨憺たる政治センスのなさも要因の一つだろう。相手がそういう方面では抜群のセンスを持つ怪物とはいえ、学生サークルのお遊びの延長のような状況なのは同盟の健全な政治バランスを確保する上でもいただけない。
現時点でトリューニヒトと憂国騎士団の関係は主従と言うべきなのかまでは分からない。ただソーンダイク氏を爆殺するような政治テロを、トリューニヒト自身は事前に知っていれば許さないだろう。この襲撃も同様に『リードが外れた飼い犬』の暴走というべきだろうが、『襲撃しなければ今後不利になる』というレベルの権威は今の反戦市民連合にはない。ということは『弱小すぎて潰しても誰も気にしない』からいい機会だと思ったということか。
思想的には恐らく俺と彼らでは全く違う。だがこのまま潰されていいわけではない。俺がここで何かしなくても、ソーンダイク氏なら自ら危機感を持って党派を建て直す行動に出るだろうが、それを手助けするのは決して悪いことではないはずだ。
「メシなんかいらねぇよ。どうせ俺のような男の口にはあわねぇし」
軽く力を入れて握手を振りほどきつつ、変装した『底辺労働者』らしい口調で言って、意図的にマクレガン氏を押しのけて、通報の終ったソーンダイク氏に近づて頭を下げる。
「すみません。ソーンダイク先生。さっきは引き摺り倒しちまって」
「何を言うんだね。君こそ大丈夫なのかい。私の代わりに二撃も受けてしまっただろう」
そう言ってソーンダイク氏は俺の両腕を両手で掴む。演技ではなく即座にそうしたのは、政治センスよりも自身の人の善さからなのだろうが、この際の比較対象はマクレガン氏だ。
「先生こそあんなチンピラ達を前に堂々と立ち向かわれたじゃないですか。腕にちっと自信がある俺ですら少しビビってたってのに、口火を切れる先生の度胸は大したもんだ」
「……いや私は弁護士だから、ちょっとした脅しには慣れていただけだよ。あんな問答無用でスタンガンを振るってくるような奴らと知ってたら、私だって……」
「それでも仲間を守る為に体張ったわけでしょ、しかも自分からは暴力をふるわないように両手を後ろに回して。すげぇよ」
俺の野卑で率直なホメ言葉に、聴客の敬意が自然とソーンダイク氏に集まっていく。それをすぐさま感じとったのか、マクレガン氏が俺とソーンダイク氏の間に割り込んでくる。だがもう遅い。
「ソーンダイクさん。ご迷惑をおかけした。もうこんなですから、今日の講演会はこれまでと……」
「うっせえぞ。俺がソーンダイク先生と話しているところに割り込んでくるんじゃねぇよ」
マクレガン氏の胸を敢えて倒れない程度の力を込めて、平手で強く押す。あまり鍛えていないのか、マクレガン氏は想定より長い距離をヨタヨタと体感を崩す。
「自分の仲間達を守ろうとしない腰抜けは黙ってろ」
「な!?」
「平和主義者だから腕力は使わないって言うなら、せめて客の安全を確保するように行動しろよ。ソーンダイク先生ほどの器量も度胸もねぇんだから、せいぜい自分ができることに無いアタマを使え」
俺の面罵にマクレガン氏の顔は真っ赤になるが、俺の呆れた視線と自分のスーツについた血糊、それに周囲から浴びせられる冷たい視線に後ずさりする。そこには氏の仲間であるはずの幹部達もいたが、彼らから『もうコイツをフォローする価値はない』といった感じの視線を浴びせられ、そのまま壁伝いに非常口から会場外へと出て行く。その動きを追っていたソーンダイク氏以外、ここにいるもう誰もが気にしない。
随分と冷たい奴らだと思う。特に幹部達はマクレガン氏と同類だが、最初に動かなかったというだけで危機を回避した。ソーンダイク氏が彼ら幹部の意識を改められるかは分からないが、少なくとも今回の事で氏の存在を軽視することはできないだろう。あとは氏の熱意次第で、これ以上のお手伝いは不要だ。
背中に氏への賞賛を聞きつつ、俺は冷めた目で通路に横たわる憂国騎士団の面々を見る。自分の暴虐性がハッキリとした現実としてそこに存在する。なにが平和主義者か、とんだ暴力主義者ではないか、ともう一人の俺が冷静に指摘する。
ではどうすればよかったのか。奴らのスタンガンを受けて床にのされていればいいのか。飼い主の名前を出して奴らを引き下がらせればよかったのか……暴力に身を委ねたのは軽々なのは充分に分かっているのだが。
今更ながらにひたすら自身の無能さと臆病さと二面性に対する嫌悪で、煮えたぎる鍋のように頭の中が熱くなる。血糊が残る拳に自然と力が籠り、米神に血が集まっていくのも分かる。鏡を見れば夜叉が映っているだろう。こんな顔は見られたくはないので、そっと集団から離れようと洗面所のある扉の方へ向かった時だった。
「ハイネセン治安警察だ! 全員その場で動くな!」
クリーム色の制服に白い制帽を被った正義のミカタ達が、声と警棒を振りかざしながら会場に乱入してくる。だが入ってきて、中の『惨状』を見た警官たちの顔に、困惑が溢れている。自然と彼らの視線は上級者へと集中したのを見て、俺はもう笑いが堪えられなかった。想定していた『加害者』と『被害者』が文字通りだったのだから。
「貴様! 何がおかしい! おい!」
指揮官が、静まり返る会場の中で一人笑う俺を指揮杖で指示し、その指示に従って二人の警官が挟み込むようにして両腕を拘束する。別に引き摺られていくつもりはなかったので、両隣の警官たちとわざとらしく三人四足をしながら指揮官の前に赴いた。
「これはどういうことだ!」
「どういうことだ、と言われましても見た通りですよ……警部補殿」
「なに!」
憂国騎士団の面々よりはるかに遅いパンチが、俺の左頬を目掛けて繰り出されてくる。避けるつもりは当然ない。結果が想定外でイラついているのか。警部補殿がバカすぎてさらに冷静でないのは、俺にとっては実にありがたい。ありがたすぎてさらに笑いが堪えきれない。
「貴様! まだ笑うか!」
今度は右頬。遅いなりに力が入ったパンチで、口の中が鉄臭くなるのがわかる。視線が下がったので次は腹だろうから、もういいだろう。
「警察職員の職務倫理規定違反だ。公務執行に際し、無抵抗の拘束者に対する暴行は、これを固く禁じられている」
「な……」
「また準現行犯として拘束する事由として、『笑った』という事実のみ提示している。この国は笑っただけで、抵抗し公務執行妨害となるとは、どういう規則で貴官は行動しているのか?」
「……」
指揮官の顔色が赤から青へと変わっていく。どう見ても底辺労働者の相手が、堂々と倫理規定に沿って自分を弾劾してきている事実と、もしかしたら潜入捜査員(どうぞく)を不用意に拘束しさらに暴行してしまったのではないかという恐怖。実際今の俺は間違いなく準現行犯(身体および被服に犯罪の顕著な痕跡がある)なのだが、それを頭の鈍い指揮官に教えてやる必要は全くない。
「貴官が誰の命令を受けて小隊を率いてきたかは知らんが、任務の邪魔をするというのであれば、こちらとしても相応の考えがある」
「……いや、その」
「この通路に横たわっている『道化師』共が乱入し、民間人に暴行を加えようとした。彼らの手には人数分の非殺傷兵器がある。騒乱罪と暴行罪と武器集合罪の現行犯だ。残念なことに証拠も撮影されている。それは『本来の意図ではなかったのだが』」
俺のハッタリに指揮官の瞳が揺れる。つまり自分が潜入捜査員に暴行を加えたことすら記録に残っているということを理解したのだろう。俺がシラケた目で首を左右に振れば、両腕を拘束している警官の腕の力も弱くなっていく。
「貴官は速やかにこれら『道化師』共を拘束し、その意図を聴取すべきだろう。貴官の上官に対しては、組織として正式に抗議させてもらう。覚悟しておくんだな」
今度こそ肩を落とした指揮官は、俺が顎でしゃくると、部下達に命じて拘束されている憂国騎士団の面々を引き上げさせた。しっかりとみな肩が外されているので、腕を持ちあげるたびに会場内に悲鳴が上がる。一〇分もしないうちに、二組の道化師達は会場から姿を消した。
「……ボルノー君」
「あぁ、ソーンダイク先生」
おそらく俺の拘束に対し、弁護士として法に則って抗議しようとしていたソーンダイク氏の顔には、何と言ったらいいのかわからないとしか書いていない。なので、左胸のボタンを軽く押してから、俺はいつもの好青年将校スマイルを浮かべて言った。
「彼らは勝手に勘違いして引き上げたんです。先生がお気になさることはないですよ」
「しかし彼らはトリューニヒト氏のしへ……」
「『我々』は同盟軍基本法と入隊宣誓と自己の良心に従って行動するのですよ」
俺が唇に指を当て上目遣いでソーンダイク氏に応えると、申し訳ないとありがとうの二分の一カクテルのお辞儀を俺に向けた。俺がやったのは単なる詐欺で、そこまで感謝されるいわれはないのだが、気恥ずかしさで頭を掻くと、聴客の中から一人の若い女性が飛び出してきた。それは受付に居た女子学生だった。
「あ、あの!」
その女子学生の手には真っ白いハンカチが握られている。
「先程は失礼なこと言ってすみませんでした。これ、使ってください!」
頭を深く下げながら差し出された白いハンカチを取る俺の両手には、血糊がハッキリとこびりついていたので、「ありがとう」と応えて遠慮なく受け取り、手を拭う。それで『汚れ』が落ちるわけではないのだが、先程までの獣性も興奮も自虐も諦観も、少しずつ落ちついていく。
目立たない程度まで拭き取られた手を見つつ、ハンカチを女子学生に返そうとした時だった。ソーンダイク氏もその女子学生も、何なら集まっている聴衆全員の視線が俺の背中方向に集中していた。規則正しくかつ力強いヒールが床を叩く音だけが聞こえてくる。
そしてその音は、俺の真後ろで止まる。
「中佐。一体どういうことですか、これは?」
何の感情もこもっていないカミソリのように冷たい詰問。振り向けば、そこには黒の上下に白いブラウス。化粧は薄めで、誰もが振り向く『出来るイイ女』のテンプレ。
「まぁ、大したことじゃないよ」
残念ながら間に合わなかった魔法淑女を前にして、俺はハンカチをポッケに突っ込みながら、肩を竦める。
「今来たばかりで申し訳ないけど、これから一緒にドライブに行きたいんだが、いいかな?」
「どちらまで?」
明らかに不機嫌といったオーラを醸し出すチェン秘書官に俺は言った。
「躾のなっていない飼い犬の、飼い主のところへさ」
無用な怨恨を背負っただけかもしれないが、それでも不当に傷つけられる人間が今この瞬間だけでも減ったことは、後悔したくはないと俺は思った。
後書き
2024.07.23 更新
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