邪教、引き継ぎます
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第四章
33.ロンダルキアの夜
ロンダルキアでは、人間以外の種族も基本的には明るい時間をメインに活動している。
夜の神殿は、静寂に包まれていた。
最奥部・礼拝堂に近い位置にある、教団代表者フォルの執務室。
扉は大きい。アークデーモン級の大きさの種族でも通れるように設計されていた。
その扉に――。
神殿内に設置されたオイルランプの光が、外の星明かりや篝火の光と混ざり合い、五つの人影を映し出していた。
それらは、本日の夜の警備を申し出ていた信者たちのものだった。
やがて鍵が開く音。そして扉がきしむ音がした。
影たちが、執務室の中へと入っていく。
部屋の中は、一段と暗い。
いつもであればフォル本人か、または、サイズオーバーのギガンテス・リアカーンを除く直属の部下のいずれかが、警備も兼ねて中で寝泊まりしている。しかし現在は揃って海底の洞窟へと行っているために、中には誰もいない。
老アークデーモン・ヒースだけは今回フォルに同行していないが、病気のためデーモン族の山に一時的に帰って療養中であるという知らせが回っていた。
五人は部屋の奥へと進む。
執務机の奥の壁には本棚があり、本や資料でびっしりと埋められていた。主に悪魔神官の遺した資料や業務記録である。
五人のうち、二人は大きな袋を持っていた。
それをいったん床へと下ろし、口を大きく広げた。
それぞれ本棚に手を伸ばし、本や資料を袋へと入れていく。
やや急いでいるようだった。素早い動作で、次々と放り込んでいく。
やがてその動作が止まると、膨らんだ袋を背負い、全員が部屋を後にした。
そして、神殿をも後に――。
「いかんのお、泥棒は」
その人間でない声がした瞬間、影たちはピタリと止まった。
新しい神殿を象徴する、外側の大きな柱たち。その一つに潜んでいた大きな影から発せられた声だった。
あたりが明るくなった。
その大きな影が動き、非常時のみに灯されるランプに火をつけたのである。
「おや、魔物がいらっしゃいましたか」
五人は全員が仮面を着けていた。
そのうちのひときわ立派なマントを着けていた一人が、驚きを口にした。
「気配を消すのは得意でのお。まだ某お嬢ちゃんにしか気付かれたことがないのが自慢じゃ」
柱に潜んでいた大きな影は、老アークデーモンのヒースだった。
「あなたは。ご病気で療養中だったはずでは?」
「そうじゃよ?」
ヒースは、紫色の祈祷師のマントや、ややふくやかな体型などから、しゃべっている相手が誰なのかは予測できていた。
その人物に近づくと、握っていた愛用の三つ又の槍を赤黒く光らせた。
予測の答え合わせをするためである。
鋭く、かつ正確無比な軌道――。
その人物も距離を取ろうと後ろに飛んだが、そこまでも正確に読んでいたかのように、振られた槍先が仮面を捉えていた。
外れて飛んだ仮面が乾いた音を立て、石の床に転がる。
「持病の仮病でのう」
「……!」
ヒースの予測は的中していた。
仮面の下の素顔は、ザハン支部の残党を引き連れてロンダルキアへとやってきていた、祈祷師ハンソンのものであった。
「ケイラスの『フォルが留守の間に神殿で何が起きてもおかしくない』という言葉がどうも引っかかっていての。誰か尻尾を出すやもしれぬと思うて、密かに毎日ここに来ておった」
「……」
「悪魔神官ハゼリオ殿の遺した資料を読みたいだけなら、フォルに許可をもらって昼間に堂々と読めばよい。わざわざ夜に、大きな袋に詰めて、コソコソと、外に……まあ言い逃れはできぬな。資料をどこに持っていこうとしたのか、いや、そもそもおぬしらはどこの勢力から依頼されてこのロンダルキアに来ていたのか。是非とも聞かせてもらいたいのお?」
祈祷師ハンソンはその問いには答えなかった。
しばし沈黙したあと、笑い出した。
「あの不人気ナンバーワン祈祷師の言うことを真に受ける魔物がいらっしゃったとは。恐れ入りました」
「伊達に長く生きておらぬのでな。見る目はあるつもりじゃ。あやつの意見については、妙に感情的になるロトの子孫絡みのことやフォルについてのこと以外は一考に値すると思っとる」
フォルが大変じゃろうから、もう少し他の者と仲良くやってほしいがの、と、ぼやいて苦笑いする。
「で、どうなんじゃ。どこの差し金かのう」
「お答えするとでも?」
「あまり手荒なことはしたくないがのお」
「ほう。屈強な種族とはいえ、ご老体だけで我々手練れ五人を同時に相手ができますか」
ハンソン以外の四人が、荷物を置いて杖を一斉に構える。
着ているローブは魔術師のものであったが、不釣り合いにも程があるような洗練された構えだった。
「今この場には他に誰もいませんよね。証人がいないなら、あなたを消せば事実など私たちでいくらでも作れます」
「フム。確かに今この場にはわししかおらぬが、イオナズン一発でも撃てば誰か来るじゃろうて」
「誰かが来る前に片づけますよ」
ハンソンも宝玉の付いた杖を構え、呪文の詠唱に入ろうとした。
ところが。
「あの、いちおう証人は、います」
やや遠くの柱から、そんな声が聞こえた。
あまりにも意外だったために、その場にいる全員が驚いた。
柱の陰から現れ、頼りない足取りで老アークデーモンのもとにやってきたのは、一人の魔術師だった。
「む? おぬしは?」
「ベラヌール支部所属だった者です。デルギンスと申します」
「ずっとあっちの柱の陰におったのか? まったく気付かんかったぞ。おぬしもただ者ではないな?」
「いえ、ただの魔術師ですが……ケイラスさんから『お前の存在感のなさは群を抜いている』と言われ、バレないように留守中の神殿を監視しろと命じられまして。毎日このあたりに残っていました」
それはヒースにとって嬉しい誤算だった。
「でかした。フォルはわしの言うことを疑わんかもしれぬが、他の人間は必ずしもそうとは限らんじゃろうからな。お前さんの証言もあれば皆きっと信じてくれよう」
いっぽう、祈祷師ハンソンもふたたび笑い出す。
「生きのびられる前提なのは滑稽に過ぎますな。魔術師一人加わったところであまり変わりませんよ。やはり実は耄碌されていらっしゃるのではないですか?」
老アークデーモンは、魔術師デルギンスをかばうように立った。
「いかにも、わしはアークデーモンの平均寿命をとうに超えておる。じゃがおぬしらには負けん」
海底の洞窟のほうは、杞憂であればよいが――。
老アークデーモンは追加でそう小さくつぶやき、三つ又の槍を握る手に力を込めた。
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