邪教、引き継ぎます
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第一章
11.神託
ロンダルキア北東には、清らかな水をたたえる湖がある。
湖の東側に浮かぶ島には小さな祠が存在し、大神官ハーゴン討伐の旅をしていたロトの子孫三人組は、神殿へ向かう前に立ち寄っていた。
そのときの祠には神父と少女が住んでおり、二人はロトの子孫三人組に束の間の休息を与えたのち、最後の戦いへと送り出している。
ハーゴンが討伐され世界に平和が戻ったとされている現在は、少女が一人だけで住んでいる状態となっていた。
「どうぞ」
祠の中の掃除を終えて、休んでいた銀髪の少女・ミグア。
扉を叩く音に対し返事をすると、口元まで隠れるように巻かれた白いマフラーを一度触り、椅子から立ち上がった。
ほぼ同時に、若干のきしむ音とともに扉が開く。
「……ずいぶん焦げてるね。アンタ、またロンダルキアに来てたんだ」
現れたのは、全身ボロボロの姿の、一人の剣士だった。
ローレシア王・ロスである。
精悍な顔は汚れ、青色だったであろう服も全体が煤《すす》で黒ずみ、ところどころ穴が開いていた。
「来た目的は君に会うためだった」
「へえ。また引っ越しの勧めでもしに来たの」
「そうだ。『この地に現れた勇者を助けること』が、神から託された君たちの役割だと言っていたはずだ。ならばすでにハーゴンもシドーも倒された今、この祠は役目を終えている。神父がそうしたように、君もローレシアの城に来てほしい――それを改めて頼みたかった」
「過去形ってことは、今は違うのかな」
「違わないが、先に君に聞かなければならないことがある」
「何?」
「ここに来る前、ハーゴンの神殿があった場所に寄ってきた」
その言葉で、祠の白い少女は、彼と自分が入れ違いになっていたということを知った。
「そこで生き残りの魔術師に遭ったが、討ち漏らした」
「……」
「彼の首にぶら下がっていた宝石……あれは間違いなく『祈りの指輪』のものだった。君があげたんだな?」
「まあね」
「あれは『しばらくここに残る』と言い出した君の安全のために渡したものだ。なぜ邪教の生き残りなどに?」
「わたしは自分の身は自分で守れる。でも、彼はほっとくとすぐ死ぬ。そう思ったから」
「それは、君が助けなればいけない理由になるのかな」
「なってないね。でも、そうしないといけないような気がした」
とりあえず、もらい物を勝手に渡したことは謝る。ごめん――そう言って少女は頭を下げた。
ロスは何か言いたそうな顔をしたが、祈りの指輪の件でそれ以上の追及はしなかった。
「その様子では、まだこの地に居続けるつもりなのか?」
「うん。そのつもり」
「新しい神託でもあったのかな」
「それはない」
「ならばなぜ」
「なんでだろ。でも、まだここにいないといけない気がするんだよね」
しばし、両者が無言で視線を交錯させる。
ぶつけ合っているわけではない。だが溶け合うようでもない。
「……わかった。今回は引き下がろう」
その静寂を破ったのは、ローレシア王・ロスだった。
「アンタがボロボロなのはわたしのせいだし、少し休んでいくならここ使っていいよ」
「いや、いい。ローレシア城で空を飛ぶ不審なものが現れたという手紙をさっき鳥が届けにきた。念のためすぐ国に戻る」
「了解」
「君を連れて行くことを諦めたわけじゃない。それは忘れないでほしい」
「わたしは勝手にするから、気にしなくていいよ」
「俺の意志だ。いつかまた必ず戻ってくる」
「あっそ。まあそれもアンタの勝手だね。ご自由に」
黒焦げの青い剣士は白い少女に背中を見せると、扉を開けた。
そこから一歩だけ踏み出し、足を止める。
「もう一つ。邪教の残党がふたたび動き出すならば、俺はそれを潰さなければならない」
白い少女は、それには返事をしなかった。
木の扉が閉まるのを、ただ見ていた。
◇
発見できた白骨遺体をすべて墓に納め終えたフォルは、大神殿が崩壊した場所のがれきの片づけに入っていた。
がれきは重かった。
「ん……っ」
フォルの細腕では、小さいがれきすら持ち上げることが難しい。
「あのときはけっこうな力が出た気がするのに……」
大きながれきに至っては、転がすことすらできず。一人で作業しているのについぼやきが出てしまった。
ローレシア王と戦う前、アークデーモンの若い男とバーサーカーの少女をはるか遠くに突き飛ばしている。杖の不思議な力があったとはいえ、あのときと同じくらい力が入れば動かせるはずなのに――そう思ったのである。
「それは人間で言うところの、火事場の馬鹿力というやつじゃないかのお」
「――!?」
どこかで聞いた声がして、フォルは仮面を向けた。
そこには、アークデーモンの姿があった。
「あれ? あなたは」
アークデーモンの姿は見慣れていたため、一人一人の容姿の違いはわかる。現れた彼は、アークデーモン族の今現在の仮代表であるはずの、族長代行だった。
なぜここに? と驚くフォルのもとに、ゆっくりとした足取りで歩いてくると、ピクリともしなかった大きながれきをひょいと転がした。
「ふむ。そんなに重くないのお」
そのままゴロゴロと転がし、フォルが小さながれきを集めていた場所の近くで、丁寧にとめた。
「あっ、ちょ、ちょっと待ってくださいっ」
「なんじゃ?」
「いえ『なんじゃ』ではなくてですね……」
「おぬしの力じゃ奇跡でも起きん限りこの大きさのがれきは動かんじゃろうて。だからワシがやるぞ」
また次の大きながれきめがけて歩き出す彼の姿を見て、フォルは慌てて追いかける。
「いやいやいや、こんな作業を代行様にやらせるわけにはいきませんって」
「適材適所じゃよ。ハーゴン殿はちゃーんとその仕事に一番適した者を選んでやらせたと聞くぞ。おぬしもそれを見ておるじゃろ? 近くにいたわけじゃからな」
「近くにはいましたが、私はハーゴン様ではありません……といいますか、しゃべりかたが前と変わっていませんか?」
「こっちが素じゃ。あのときは族長代行だったからちゃんとしたしゃべり方してただけじゃよ。今もそうしてたら肩がこってかなわんわい」
肩をぐるぐると回す老アークデーモン。
『族長代行だった』。一拍遅れて、言葉の意味にフォルは気づいた。
「代行だった、って、もしかして……」
「そのもしかしてじゃよ? 族長代行は辞めてきたわい。今はヒラじゃ。いいタイミングじゃったし、空位だった族長はおぬしに救われた若いのに任せてきたぞよ」
「な、なぜですか!?」
「見てのとおりじゃがの? おぬしの直属の部下になるためじゃ」
「ええっ――!?」
仮面が浮きそうなほど驚いたフォルは、慌てて両手を大きく動かした。
「それはいけませんって」
「いけなくないわい」
「いやいや、私は大神殿で一番身分が低いのですよ。あってはならぬことです」
「今は一番身分が高いじゃろ。なんせ生き残りはおぬししかいないわけだからの」
「たしかに一人ですが、そういう問題ではないと申しますか」
「ん、ワシのような老いぼれは不要ということかのお?」
「い、いえ。そんな失礼なことは考えてもいません」
「よし。ではよいな。ワシは直属の部下第一号として今後おぬしのもとにおる。そして我々の部族全体についても、おぬしにいつでも協力するということにするからの。明日からがれきの片づけも手伝わせるわい。その後も神殿再建のために好きなだけ使うといい」
「……」
フォルの足が止まった。
老アークデーモンの足も止まる。
「なんじゃ? 不満か? おぬし、神殿を再建するつもりなんじゃろ」
「はい。再建といいますか、頭の中で跡地に礼拝堂を作ろうと思っていましたが……なぜそれが?」
「がれきを片付けているということは、そういうことじゃろうて。神殿を再建し、教団を再建する。その気持ちが固まったのじゃろ?」
少々行きすぎた話に、フォルはまた慌てる。
「教団の再建って……そんな大きなことまでは考えていません。しかし、やはり私は今もハーゴン様の教団の信者です。このロンダルキアで、元の生活を、信者としてあるべき生活を取り戻したいと考えています」
「同じことじゃよ。そうしたいなら、おぬしがハーゴン殿のあとを継ぐしかない」
「それは無理です。私があとを継ぐなど口にすることすらおこがましいです。それに、元の生活を取り戻したいというのは、あくまで私の夢であり、わがままです。黙ってやり続けるわけにもいかないですから相談はさせていただこうかとは思っていましたが、皆様にご迷惑をかけようとまでは――」
「そのおぬしの夢に乗っからせてほしい。そう言うておるのじゃよ」
「し、しかし」
一つ、老アークデーモンは咳払いをした。
「あまり年寄りにみじめなことを言わすでないぞ。ワシらはこのままただ生きていても未来はない。神殿の生き残りであるおぬしが立って、このロンダルキアをまとめようとしてくれるなら、それに賭けさせてほしいという思いがあるのじゃ。ワシはおぬしにその器があるやもしれんと見ておる」
「えええ……」
「おぬしも頭数がいたほうがよいじゃろ? ワシらがつくのは助かるのではないかの」
「も、もちろんそれは助かりますが……。それは本当に皆様ご納得ということなのでしょうか?」
「ご納得もご納得じゃよ。ホレ」
老アークデーモンは、顔を横に向ける。
視線の先、やや遠くには、フォルの背丈の二倍近くはありそうな大きながれきがあった。
その陰から、紫の肌と赤い毛が少しだけ見える。
「おい、丸わかりじゃ。いつまでそこにコソコソ隠れとるんじゃい」
その声に、スーッと、顔、体、そして申し訳なさそうに畳まれた翼が現れた。
そして右手で頬を掻きながら、一人の若いアークデーモンがトボトボとやってきた。先日フォルがはるか遠くに飛ばして助けた彼である。
「いや、まー、なんだ、その。この前は、悪か――っ!?」
歯切れの悪い言葉が途中で止まる。
フォルが彼の左手を、両手で握ったからだった。
「ご無事で何よりです。うれしいです」
「……」
目を合わせられない若アークデーモンだったが、代わりに、固く握られたフォルの両手をじっと見ていた。
「お前の手は、小せえな。けど、あったけぇ」
そうポツリとつぶやき、そこで初めてフォルの仮面を直視した。
「まあ、なんだ。人間を信用しているわけではないが、お前のことは信じる」
「あ、ありがとうございます」
今度はフォルがすまなそうにうつむく。
「お前はもう少し堂々としろ! 調子が狂う!」
「うわっ」
「あっ、悪ぃ。こないだのお前はこんなに軽くなかった気がするが」
肩を叩かれてそのまま地面に転がったフォルを、慌てて若アークデーモンが引き上げる。
「とりあえずだ。さっき元代行も言っていたと思うが、お前に賭けることに決めた。俺はここと山の本拠地を行ったり来たりしながら、お前を手伝うつもりだ。嫌だとは言わさんぞ」
そこで、老アークデーモンも口を開いた。
「まだ名を名乗ってなかったな。ワシはヒース。この若いの……じゃのうて今は族長か。ダスクという名じゃ。では、ワシらの種族をよろしく頼むぞい」
「ヒース様に、ダスク様ですね。こちらこそよろしくお願いします」
「様はいらねぇだろ……」
「あ、すみません。では今後は『さん』付けしますね。今後ともよろしく――」
「ちょっと待った! もう一種族追加だ!」
やや上方から来た声に、一同そちらを向いた。
フォルと若アークデーモン・ダスクの二人は、聞き覚えのある声だった。
登場の仕方が、ローレシア王と遭遇したときとほとんど同じだった。
大きながれきの上に立っていたのは、褐色の少女。
ボサボサ気味な赤髪に、緑色の服。左前腕には木の盾を装着している。背中に背負ってるのは、彼女の種族が扱いを得意としている斧。
ローレシア王・ロスと戦ったときに出会った、なぜか仮面を着けていないバーサーカーである。
「よっ、と」
やはりあのときと同じように、フォルの背よりも高いがれきの上から、バネのきいたジャンプで地面に降りてきた。
「魔術師! お前、生きてたんだな! すぐぶっ殺されたんじゃないかと心配――!?」
フォルが少女の手を取ると、先ほどの若アークデーモンのように言葉がとまった。
今度はローレシア王に遭ったときのように、手を払われることはなかった。
「あなたこそ、ご無事で何よりです」
「……に、人間の手って、割とあったかいんだな……。まあ、あのときは、世話になったな」
彼女も少しそっぽを向いたが、すぐに直った。
「それより! オレらバーサーカーの一族もお前に乗っからせろ。んでオレはここでお前に使われてやる。この前の礼だ」
「あなたは頭領様になる予定のおかたでは。こちらに居続けて大丈夫なのですか?」
「勝手に決めるなって。オレは元頭領の娘に生まれただけで、元々そんな柄じゃねえよ。他のやつに任せてきた」
「そ、そうですか……問題なければよいのですが」
「問題なんてない。オレの名はシェーラ。よろしくな」
「シェーラ様ですね。私はフォルと申します。こちらこそよろしくお願いします」
「様はいらねーよ!」
「すみません」
さっきと同じじゃぞ、と部下第一号を称した老アークデーモンが笑った。
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