邪教、引き継ぎます
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第一章
9.楽園
ローレシア王・ロスは、いつのまにか足をとめていた。剣先も下げている。
その視線はフォルの杖に固定されていた。
「君は、あのときの魔術師か?」
彼は感づいたようだった。
フォルが、大神殿三階で悪魔神官の横にいた魔術師である、と。
「そうです」
「なるほど。もしかしたら、先にここへ寄り道した甲斐があったかもしれないな」
肩を激しく上下させていたフォルが杖を構えても、彼の表情は落ち着いていた。
アークデーモンとバーサーカーが逃げたことにも動じていない。否、もはやそんなものは興味の対象外と言わんばかりの雰囲気だった。
「まず言っておく。俺は君をたやすく殺せる」
「……」
「今すぐにそうしないのは、君に生かす価値があると思うからだ」
ロンダルキアの冷たい風が吹く。彼から、フォルのほうへと。
それがやむと、静かに告げた。
「改宗し、ローレシアに来てもらいたい」
意外な言葉は、フォルの緊張を解くどころか、その逆だった。構えていた杖の先がさらにこわばり、わずかに上がる。
しかしロスは、そんなフォルの仕草も意に介さなかった。
「大神官ハーゴンや破壊神シドーを討伐し、ようやく世界に平和が戻った。俺は新たに王となった者して、二度と同じような邪教を誕生させないよう努力しなければならない。そのために君たちの教団について詳しく知ることは助けになると思っている」
彼は続けた。
「ハーゴンの神殿にいたならば、君はロンダルキア外で出没していた教徒と違い、内部のことをよく知っているはずだ。持っている情報を提供してもらいたい。協力してくれるのであれば、ここで君の命を奪うことはしない」
「情報を、提供?」
「そうだ。大神官ハーゴンとは何だったのか。それがわかるだけでも意義は大きい」
「大神官ハーゴン様、ですか……」
やや上方を向く、フォルの仮面。
いつのまにか杖の先も下がっていた。
「ハーゴン様は、優しかったですよ……」
「何?」
フォルの声が、どこか遠くなる。
「いつも私が毎朝淹れるお茶を『おいしい』と褒めてくださっていました。礼拝堂の掃除をすれば『ご苦労』と声をかけてくださり、ハーゴン様の新しいローブを作ったときは『よくできている』と評価してくださいました。仕事に関しては必ず温かいお言葉をくださっていたように思います。
ぞんざいに扱われたことなんて、一度たりともありませんでした。いえ、思えば、怒られたことすらなかったかもしれません。私は割とおっちょこちょいでしたので、掃除をしているときにミスをして礼拝堂の物を壊してしまったり、祈りの途中に下の階で大きな音を立ててしまったりしたこともありました。ですが、悪魔神官ハゼリオ様に付き添っていただいてお詫びに行ったときは、いつも『よい』の一言で許してくださいました。
私は上司として、親代わりとしてハゼリオ様を尊敬していましたが、教団の代表としてのハーゴン様も、同じように深く尊敬して――」
「もういい」
ロスはフォルの言葉をさえぎった。
「改宗しないということか?」
「しません。するわけ、ないではありませんか」
「ハーゴンは討伐され、破壊神も討伐された以上、もしも君にとっての理想があったとしても、それは今後決して実現することはないだろう。それがわからないというのは理解に苦しむ」
「理想が実現しない? 私にとっての理想は、すでにこのロンダルキアの地にありました。大神殿では、私たち人間も、人間以外の種族も、ドラゴンなどの動物も、そしてベリアル様・バズズ様・アトラス様など異世界から来てくださったかたがたも同居し、皆さんで仲良く毎日を過ごしていました。
人間しかいないあなたがたの城。多くの生き物が住み、出入りをしていた私たちの大神殿。どちらがこの世界の楽園だったのか。私は大神殿で一番下っ端の魔術師でしたが、その答えを間違えることはありません」
「……改宗しないならば、ここで俺と戦わなければならない」
つまり“死”を意味する。
それを伝えるように、ロスが剣を構え直した。
「望むところです」
フォルも、下がっていた杖先を彼に向けた。
魔術師フォルの仮面と、ローレシア王・ロスの青味がかった瞳が、交錯する。
わずかな時が過ぎると、ロスは白い息を小さく吐いた。
「やはり時間の無駄だったか」
その言葉に怒気はない。
「一瞬で終わる。長く苦しむことはないだろうから安心してほしい」
しかしその表情や剣の輝きには、哀れみにも似た感情が乗っているようだった。
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