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魔法戦史リリカルなのはSAGA(サーガ)

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【プロローグ】新暦65年から94年までの出来事。
 【第4章】Vividの補完、および、後日譚。
   【第7節】キャラ設定4: ヴィクトーリア・ダールグリュン。

 
前書き
 さて、Vividのコミックス第9巻を読むと、ヴィクトーリアは初対面で、はやてに『お噂はかねがね』と挨拶(あいさつ)をしていますが、この時の態度から察するに、ヴィクトーリアはただ単に『一般人として、四年前の機動六課の活躍ぶりを聞き及んでいた』というだけでは無さそうな感じがします。
 大変に個人的な感想で恐縮ですが、私はここで『彼女の身内には「それなりに階級の高い管理局員」がいて、いろいろと具体的な話まで聞いていたのでは?』と感じました。
その辺りから想像を膨らませて、少しばかり「ダールグリュン家の系図」のようなものも考えてみましたので、ここで紹介しておきたいと思います。
「古代ベルカ史」関連の設定や、エドガーやジークリンデの話、オリジナルのキャラクターである「コニィ・モーディス」の紹介なども、(あわ)せて御覧ください。 

 


 まず、ベルカ世界では、人類は一貫して(その惑星にある五つの大陸の中でも)ただ一つの大陸にしか居住したことが無く、ベルカ人たち自身は、その大陸のことを単に〈中央大陸〉と呼んでいました。
【彼等が他の大陸へ進出しなかった理由は、(少なくとも、数ある理由のうちの一つは)いずれも遠く離れた他の四つの大陸には、多かれ少なかれ「小型の竜族」が住んでおり、ベルカ人は一般に竜族を「大変に嫌悪」していたからです。】

 そして、北半球の中緯度帯に拡がるその大陸は、ごく大雑把に言うと、南北3600キロメートル余、東西7200キロメートル余の「長方形と楕円形の、(あいだ)を取ったような形」をしていました。
【総面積は2000万平方キロメートルを軽く超えており、現在のミッド〈第一大陸〉と比べると、実に2.5倍超の広さとなっています。
 そして、実際に、最盛期(第一中間期の末期)のベルカ世界の総人口は、現在のミッド総人口の2.5倍(25億人)を超えていたのだと言います。】

 しかし、先史時代には、この大陸はまだ「さほど大きくはない中央島」と「その四方に隣接した四つの小型大陸」とに分かれていました。その後、200年の〈空白の時代〉における急速な寒冷化の結果、海が後退して、中央島と四大陸が「ひとつながりの土地」となったのです。
 また、先史時代には、それら四つの小型大陸で、それぞれに少しずつ異なった文化が形成されていたため、広大な〈中央大陸〉が成立した後も、かつての小型大陸はそれぞれに「州」と呼ばれ、ベルカ世界の滅亡に至るまで『文化は州ごとに少しずつ異なる』という状況が続きました。

 さて、現代のミッド語における「帝、王、公、候、伯、子、男」といった、「貴族の身分を表現する用語」は、実は、元々すべて〈号天〉からの外来語です。
 本来のミッド語は(あえて日本語に翻訳するならば)「(きみ)(あたひ)(おびと)」などといった古典語で、今やそうした単語は『その方面の専門家でなければ、聞いても意味が解らない』という状況になっています。
(大昔のミッドでは、身分制そのものがまだあまり発達していなかったので、身分を表現する用語も、やはり同様に未発達なままだったのです。)

 ミッド人も、初めてベルカ文化と接触した時代には、実に精力的に翻訳作業を進めましたが……あまりにも精力的に、事を急ぎすぎたのでしょう。今にして思えば、「稚拙な翻訳」や「明らかな誤訳」も決して少なくはなかったのですが、それらの「不適切な訳語」の多くは、そのままミッドの社会に定着してしまいました。
 例えば、ベルカ語の「国家の主権者、ないし、それ以上の身分を表現する三つの単語」は、それぞれ「王、帝、聖王」などと翻訳されていますが、実のところ、これもあまり「適切な訳語」ではありません。号天語としての「本来の意味」を考えれば、少なくとも「帝」は、誤訳と言って良いでしょう。
 ベルカ語の「帝」は、あくまでも「聖王」の臣下であり、単に『諸王の中では、傑出した存在である』と言うに過ぎないのですから。
【ユーノ・スクライア教授も84年の著書(後述)の中で、『この「王、帝、聖王」は、実態に即して言うならば、それぞれ「国王、州王、星王」とでも訳した方が、まだマシだった』と述べていますが、全くそのとおりです。】

 ベルカ語の語源にまで(さかのぼ)って考えると、「王、帝、聖王」の原義は、それぞれ「治める者、束ねる者、導く者」となります。
【ミッド語の「聖王(holy king)」はあくまでも訳語であり、ベルカ語でそれを意味する用語は、決して「聖」という単語と「王」という単語との合成語ではないのです。】

 もう少し言葉を補って意訳するならば、「現実に国家を統治する者、そうした国々を州ごとに束ねて統括する者、ベルカ世界全体を(多分に精神的な意味合いで)教え導く者」といったところでしょうか。
 実のところ、先史時代には、四つの小型大陸はそれぞれの「帝」によって統括されていました。その当時の「王」たちは、それぞれの「帝」の下で、後の時代で言う「諸侯」のような立場に立っていたのです。
 しかし、惑星規模の寒冷化と〈中央大陸〉の成立に(ともな)い、かつての「四帝」の一族は、ことごとく滅び去りました。
 また、その時点で、諸王の数は三百を超えていたと言います。古代ベルカ1080年の歴史とは、ひとつには「国家の統合が進み、王国の数が三百あまりから四十たらずにまで減少してゆく過程」でもあったのです。

【なお、ミッドの新暦で言う「(ぜん)1298年」からの1080年間が、ベルカで言う「古代」です。古代ベルカでは、100年ではなく、120年を「大きな単位」としていたため、一般に、古代ベルカの歴史は「九つの時代」に分かれるものとされています。
 ごく大雑把に言うと、『第三の時代の後半が〈第一戦乱期〉で、第六の時代が丸ごと〈第二戦乱期〉で、第九の時代が〈第三戦乱期、および、大脱出の時代〉である』ということになります。
また、〈ゆりかごの聖王〉とは、本来〈地上の聖王〉に(あい)(たい)する表現であり、歴史上「実在」していたことを確認できるのは、五人だけです。
 今では、前1500年頃に〈次元世界大戦〉を引き起こした人物が〈最初のゆりかごの聖王〉と呼ばれてはいますが、もしかすると、それ以前にも〈ゆりかごの聖王〉は存在していたのかも知れません。ただ、歴史的にその実在を「確認」することが全くできていないだけなのです。】

 国家統合の過程で、一個の「州」を丸ごと平定した「王」には、「聖王」から改めて「帝」の称号が下賜(かし)されることになりましたが、実際には、歴史上それを現実に成し遂げたのは、第六の時代に北部州を統一したグンダハール王国の王だけでした。
(かつて北部州の西半分には数多くの王国が存続していたのですが、第二戦乱期には〈闇の書〉がベルカ世界の中央大陸の「北部州から西部州にかけての地域」に長らく()()いていたため、それらの王国は次々に滅び去って行ったのです。)
【以後、グンダハールは「帝国」を名乗り、その称号を維持するためにも、北部州における「分離独立運動」(帝国に対する反乱)をひとつひとつ丹念に潰してゆくことになります。】

 他では唯一、南部州のガレア王国が統一に「やや」近いところまで行きましたが、北部州に比べると(面積は似たり寄ったりでも)人口が随分と多かったために、結局のところ、南部州は最後まで完全な統一には至りませんでした。
 一方、東部州と西部州では、広さと地形の関係で国家の統合がなかなか進まず、最後まで十数個もの国家が林立したままだったと言います。

 また、第三戦乱期には、諸王はもっぱら「聖王連合」と「反聖王連合」とに分かれて(あい)争いましたが、聖王連合の中核を成すのは、下記のとおり、各州に一つずつの「四大同盟国」でした。

 北部州には、〈雷帝〉ダールグリュン四世が()べるグンダハール帝国。
 南部州には、〈冥王〉イクスヴェリア一世を(よう)するガレア王国。
 東部州には、〈覇王〉クラウス六世に(ひき)いられたシュトゥラ王国。
 西部州には、〈剣王〉アルトゥリウス三世を(かか)げるダムノニア王国。

 その戦乱期が終了した後、〈大脱出〉の時代には、「雷帝の末子」ヴェンデルがミッドに落ちのびて、「ダールグリュン家」の初代当主となりました。
【古代ベルカでは、王侯貴族の「苗字」は、「直系相続で継承される、具体的な身分や立場」と不可分に結びついていたので、『最終的には、ただ嫡子だけが親の苗字を受け継ぎ、他の子供たちはみな「分家」して苗字を変える』というのが、全く当たり前のことだったのです。】

〈冥王〉イクスヴェリア本人も、オルセア経由でミッドに渡り、内海(うちうみ)に面した地下神殿の遺跡の奥で永い眠りに()きました。
 そして、「覇王の嫡子」ハインツ・S・S・イングヴァルトもまた、ミッドへ移住しました。
 一方、〈剣王〉アルトゥリウスは、『生涯、子供には恵まれなかった』と伝えられています。
【だからこそ、彼は自分の「甥」に王位を継がせるつもりでいたのですが、その甥は一体何を考えたのか、突如として彼に反旗を(ひるがえ)し、カムランの戦いで彼と「相打ち」になったのだそうです。
 そこで、今では『ダムノニアの王家は、ベルカ世界とともに滅び去った』というのが、歴史学界での「通説」となっています。】

 その後、ダールグリュン家の当主は代々、努めてミッド人の女性を妻に迎えて来ました。
 結果として「雷帝の血」はどんどん薄まっていきましたが、それでも、おおよそ三世代に一人ぐらいの割合で、先祖返りのように「雷帝の力」を受け継ぐ者が現れます。
 後に第11代の当主となるテオドールも、その一人でした。旧暦526年(新暦で前14年)の生まれなので、『わずか13歳で執務官になったという「伝説の」ガイ・フレイルとも同い年だ』ということになります。
 テオドールは新暦6年に19歳で執務官になると、嫡子の座を弟に譲り、当主(祖父)の許可を得てダールグリュン家の領内に個人所有の「別邸」を新築した後、翌年の秋には「ウベルティ家」の本家から妻を迎えました。

【ミッドチルダが「聖王家直轄領」となった後、聖王家の直臣(じきしん)が「総督」としてミッドに赴任し、そのまま土着して、すべてのミッド貴族たちの上に君臨しました。
 それが、フランカルディ家。つまり、事実上の「ミッド王家」です。
 また、ミッドへ移住したベルカ貴族たちは皆、ミッドが独立する以前は「ベルカの法と流儀」に(のっと)って生活していたので、分家が「苗字」を変えるのは当然のことでした。
 上記の「ウベルティ家」や下記の「サラサール家」は、ともにそうした「旧暦以前の(ミッドが独立する以前の)時代」に成立した「総督家からの古い分家」であり、それらの「四大分家」は、ミッドでは今もフランカルディ家に次ぐ「名門中の名門」とされています。】

 一方、新暦16年には、テオドールの下の妹が「サラサール家」の本家の嫡子に嫁ぎましたが、そこで生まれた2男3女のうちの次女は、後に、同家の「第二分家」の嫡子に嫁ぎました。
(そこで生まれた4女と1男のうちの末子が、後に「ジャニスの夫」となるスラディオです。)

 テオドールの子供は男子3名のみでしたが、その長子ベルンハルトは、新暦29年にミゼット提督の姪「リアンナ・クローベル」と結婚しました。
 彼の子供も、やはり、男子3名のみでしたが、その長子ハロルドは、新暦56年に「フランツ・バールシュタイン博士」の妹ベルタを妻に迎え、後に3男と1女を(もう)けました。
 その1女(第二子)が、新暦62年の5月に生まれたヴィクトーリアです。
(つまり、彼女には、父方の叔父が二人、実の兄が一人、実の弟が二人います。)
【後に、ベルンハルトの長子ハロルドは、ミッド中央政府で政治家になり、次子ダミアンは、管理局の査察部に入って、82年には44歳で少将となり、末子エリアスは(表向きの話としては)住所不定の「放浪者」となりました。】


 さて、ヴィクトーリアは、ダールグリュン本家では63年ぶりに生まれた女の子であり、そのためか、曽祖父テオドールは彼女を溺愛しました。彼女に「ヴィクトーリア」と名付けたのも、当時75歳のテオドールです。
 彼はもう70歳の時に嫡子ベルンハルトに家督を譲って引退していたので、可愛い曽孫(ひまご)のために、時間をいくらでも自由に使うことができました。実際、ヴィクトーリアは2歳から6歳までの間、曽祖父テオドールに引き取られて、彼が住む「別邸」の方で養育されていたのです。

 また、「雷帝の末子」ヴェンデルも、当初は百名を超える家臣団を引き連れてベルカ世界を(あと)にしたのですが、ミッドでは『(ごう)()っては郷に従え』とばかり、「王族の特権」などを要求することも無く、(あくまでも「ベルカ世界にいた頃に比べれば」の話ですが)随分と「(つま)しい生活」を送りました。
 家臣たちも順番に独立させ、(つと)めてミッドの社会に溶け込んでゆくよう、言い含めます。
 それでも、幾許(いくばく)かの者たちは「自発的に」ダールグリュン家に変わらぬ忠誠を誓い続けました。そして、今もそうした家系が四つだけ残っています。
 外側からダールグリュン家を護っているのが、ドスタル家とバールシュタイン家。内側からダールグリュン家を支えているのが、ラグレイト家とモーディス家です。

 そして、ヴィクトーリアの執事「エドガー・ラグレイト」は、新暦60年9月の生まれです。
 エドガーの父方祖父グスタフはラグレイト家の当主でしたが、エドガーの父はその次男でした。そのため、エドガー自身は「分家筋」という扱いになります。
 エドガーが3歳の秋(63年の11月)には、妹のクレアが生まれましたが、翌64年の夏には、いろいろあって、エドガーはヴィクトーリア(2歳)とともに、テオドールの「別邸」へと住居を移されました。『父母の許から離され、テオドールに(つか)える祖父母、グスタフとマーヤの許に預けられた』という形です。
 さらに翌年、以前から体の弱かった母親が本格的な「療養生活」に入ると、妹のクレア(2歳)もまた乳母たちとともに「別邸」の方へ預けられたのですが、その頃から、エドガー(5歳)は、お料理から武芸までこなす「多才な小児(こども)」だったそうです。

 そして、テオドールが68年の7月に亡くなると、エドガー(8歳)は正式に「ヴィクトーリアお嬢様(6歳)の個人的なお世話係(従者)」となり、二人して本家の邸宅に(きょ)を移されました。
 しかし、翌69年、ヴィクトーリア(7歳)はテオドールの「1回忌」の席で不意に意識を失い、まるでテオドールの身魂(みたま)が乗り移ったかのように、強大な「雷帝の力」に目覚めてしまいます。
 最初の三年ほどは、ヴィクトーリア自身にもその「雷帝の力」を正しく制御することができず、結局は、それが原因で(同年代の小児(こども)らを不用意に傷つけてしまう可能性(おそれ)があったため)彼女は「普通に学校(魔法学校の初等科)へ(かよ)うこと」ができなくなり、やむなく「通信教育」へと切り替えられました。

 また、グスタフはテオドールの死後、個人的に「三年の喪」に服していましたが、それが明けた頃、「分家筋のイトコメイに当たる女性」から懇願されて、彼女が5年前から養女として育てていたジークリンデ(8歳)を「危険は承知の上で」引き取りました。
 その際、クレア(8歳)も本家の邸宅に居を移され、六年ぶりに両親の許で暮らし始めたのですが、当然ながら2歳の頃の記憶など残ってはいなかったので、彼女にとっては実の両親も「あまり馴染(なじ)みの無い人たち」でしかありませんでした。両親の側から見れば、さぞ「可愛(かわい)げの無い娘」に見えたことでしょう。
【新暦76年の春、クレアは13歳で義務教育課程を修了すると、すぐに家を出て、向こうに(とつ)いでいた大叔母(祖母マーヤの妹)を頼って、遠くルーフェンへと移り住むことになるのですが……思えば、小さい頃に感じた「両親との距離感」もまた、「彼女がそうした人生を選んだ理由」のうちのひとつだったのかも知れません。】

 そして、72年の春に、ヴィクトーリア(10歳)はジークリンデ(9歳)と出逢いました。
 グスタフがジークリンデを引き取ってから、わずか半年で、ヴィクトーリアが幼年期を過ごした懐かしの「別邸」は、見るも無残に荒れ果てていました。ジークリンデが「エレミアの力」を制御できず、本人も望んでなどいない破壊行為を繰り返してしまった結果です。
 ヴィクトーリアにとっては、数々の大切な思い出をブチ壊されてしまったような状況でしたが、それでもなお、彼女はジークリンデに対して「怒り」よりも、むしろ「親近感」を(おぼ)えました。
『制御できないほどの力を背負わされて苦しんでいたのは、自分だけではなかった』
 それが解っただけでも、彼女にとって、ジークリンデの存在はむしろ「救い」だったのです。
 後に、二人はごく親しい友人として、ともに努力を重ね、互いに協力して、やがて次第に、それぞれに「自分の力」を使いこなせるようになっていったのでした。
【なお、互いに言語は別ですが、「ヴィクトリー」も「ジーク」も、元々は「勝利」という意味の単語です。『同じ意味の名前を持っている』という事実も、二人の親近感を強くする助けになったことでしょう。】

 また、ヴィクトーリアは小さい頃から「ハッキリと物を言う性格」だったので、曽祖父テオドールを始めとして、彼女を愛する人たちも沢山(たくさん)いましたが、同様に、彼女を苦手(にがて)とする人たちも決して少なくはありませんでした。
 身内で言うと、ヴィクトーリアは、祖父ベルンハルトや父ハロルドや母ベルタからは少しばかり(うと)まれており、兄弟との仲も決して親密とは言えません。
 その代わりに、父方祖母のリアンナ、父方叔父のダミアンやエリアス、母方伯父のフランツなどからは、彼女は大変に可愛がられて育ちました。

 そして、新暦74年1月。
 ヴィクトーリアは12歳になると同時に、通信教育で義務教育課程を修了し、当主(祖父ベルンハルト)から早々と「個人の家」を与えられました。
 経済的な援助はまだ当分の間、続けられるので、あくまでも「形式的に」ですが、「本家からは独立した分家」の(あるじ)として認められたのです。
(あえて悪く言うならば、『親から(うと)まれた挙句に、(ほう)り出された』という形です。)
 場所は例の「別邸」のすぐ隣で、せいぜい七百坪たらずの土地に、母屋がひとつ、離れがふたつ立っているだけの(ダールグリュン家の基準からすれば)随分と「(つま)しい家」でしたが、『何かとウザい両親から適度な距離を取ることができた』というだけでも、ヴィクトーリアにとっては充分に(うれ)しい状況でした。

 また、これを機に、エドガー(14歳)は、正式にその家の「執事」になりました。
【ただし、「執事」というのは本来、「その家の使用人たちの(おさ)」のことであり、家の(あるじ)が不在の折りには、(あるじ)に代わって、その家の使用人たち(メイドや料理人や庭師や馬丁(ばてい)や雑役夫など)に、さまざまな指示を出す権限を持った人物のことです。
 原作では、エドガーがまるっきりヴィクトーリアの「個人的な従者」のように描写されていますが、これは「執事の本来のあり方」ではありません。
 この作品では、『エドガーは4歳の頃からヴィクトーリアと一緒に暮らしており、8歳の頃からは正式に(内容的には、今までどおりに)彼女の「個人的なお世話係」を務めていたために、執事になってからも、事実上、その役を兼任しているのだ』という「解釈」をしておきます。
 もちろん、『家の規模も小さく、わずかな数の使用人たちもみなベテランなので、平素は執事がわざわざ一人一人に指示を出すまでもない』というのも、エドガーが日常的には「個人的な従者」のように(ふる)舞っていられる理由のひとつなのでしょう。】

 それからも、ヴィクトーリアは連日のように隣の「別邸」を訪ね、しばしば庭先でジークリンデと練習試合のようなことをしていたのですが、そこへふらりとやって来た「放浪者」エリアスは、そんな二人の様子を見て、可愛い(めい)とその親友にIMCSへの参加を勧めました。
 それを受けて、ヴィクトーリアは早速、その年のIMCS第22回大会に12歳で初出場しましたが、ジークリンデは、当時まだ何かと引きこもりがちな性格だったため、その年は(エドガーとともに)ヴィクトーリアのセコンド役を(つと)めるに(とど)まりました。

 そして、翌75年の初頭には、ジークリンデもまた12歳で義務教育課程を修了し、一旦は実家に戻りました。
 しかし、彼女の家族はみな、魔力の無い普通の人間たちです。
 しかも、ジークリンデは8歳の時に「エレミアの力」を一度ならず暴発させてしまっており、家族や近所の友人たちは、まだ「四年前の恐怖」を忘れてはいませんでした。
 ジークリンデに対して、頭では『(つと)めて以前と同じように(ふる)()おう』と考えてはいても、無意識のうちに腰が引けてしまいます。
(魔力の無い普通の人間が、強大な魔力の持ち主に対して恐怖を感じるのは、ごく当たり前のことでした。)
 やがて、ジークリンデは『ここには、もう自分の居場所は無いのだ』と悟りました。
 もちろん、誰も悪くなどありません。みんな、本当に慎重に、彼女に気を(つか)ってくれています。
 でも、それはつまり、『みんな、もう「慎重に気を(つか)いながら」でなければ、彼女に接することができない』ということなのです。
(ウチ)はもう、ここにおらん(ほう)が、みんな、幸せになれるんや』
 具体的な衝突など起こすまでもなく、12歳の少女はそう悟ってしまったのでした。

 そこへ、またひょっこりとやって来たのが、「放浪者」エリアスです。
 彼はジークリンデの話を聞くと、彼女に旅に出ることを勧めました。
「何も『みんなと縁を切れ』なんて言っている訳じゃないんだ。たまには元気な顔を見せて安心させて、土産話(みやげばなし)のひとつでも聞かせてから、また旅立てば良いのさ。それぐらいの距離感の方が、多分、君には向いているんじゃないのかな?」
 ジークリンデがそれに同意すると、エリアスは彼女の両親からも了解を取り付けた上で、また、ヴィクトーリアの方にもその(むね)(しら)せた上で、彼女を連れて二人で旅に出ました。
 その旅先で具体的に何があったのかは、当人たち以外には誰にも解りませんが、ただひとつ確かなことは、『二年間の放浪生活によって、ジークリンデの中で「自己肯定感」がそれなりの水準にまでは回復した』ということでした。

 77年の初頭には、ジークリンデ(14歳)は、今や「人生の師」とも呼ぶべきエリアス(33歳)とも別れて、精神的にも「独り立ち」しました。
 そして、彼女は、一度は家族にも顔を見せた後、またしばらくはヴィクトーリアの家で厄介(やっかい)になり、その年からはIMCSにも参戦します。
【それ以降、彼女は短期の放浪生活を繰り返しながらも、基本的には地元に滞在し、80年の3月には「嘱託魔導師」の資格も取得したのですが……同年の10月には、彼女は都市本戦で「空中乱打事件」を起こした後、「ミッドチルダ永久追放処分」となり、世間的には完全にその行方(ゆくえ)をくらませてしまったのでした。】


 一方、ヴィクトーリアの侍女「コニィ・モーディス」は、新暦66年9月の生まれです。
 コニィの継父イェルクは、モーディス家の「本家当主」ですが、コニィ自身は母親(イェルクの後妻)の「連れ子」なので、イェルクとは血がつながっていません。
(コニィの実父は、彼女が生まれる前に死亡したのだそうです。)

 そして、コニィの実母マイラ・ドスタルは、ヴィクトーリアの実母ベルタ・バールシュタインの父方の従妹(いとこ)です。
 さらに、ベルタの父とマイラの父は「双子のように(うり)二つ」の兄弟でした。兄の方はそのままバールシュタイン家の家督を継いで、2男1女の父となり、一方、弟の方は「テオドールが執務官をしていた時に個人的な従者として補佐官を務めていた、ルドガー・ドスタル」の一人娘と恋仲になり、そのままドスタルの分家に婿入りしました。
 そのせいか、ベルタとマイラは、(ともに父親に似たらしく)年齢(とし)こそ離れていましたが、何やら互いによく似た雰囲気の持ち主です。
 また、そのためでしょうか、ヴィクトーリアとコニィも「単なるハトコ」とは思えないほどに、身体的には互いによく()(かよ)ったところがありました。

 コニィは普段から意図的にヴィクトーリアとは相当に異なるメイクや髪型をしているので、第一印象は随分と違いますが、よくよく見ると、容貌(かおだち)そのものは意外なほどにヴィクトーリアとよく似ています。14歳の頃には早くも、体格もよく似たものに(その気になれば、()で「影武者」が務まるほどのものに)なりました。

【なお、コニィには「系譜の上では(はら)違い」の(実際には全く血のつながっていない)兄が二人と、(たね)違いの弟が二人、妹も二人いて、継父イェルクには(コニィと「もう一人の養女」ウィスメアまで含めると)実に8人もの子供がいます。】

 また、「ヴィクトーリアの上の弟」は、新暦66年3月の生まれで、コニィとは同い年です。
実のところ、コニィは元々、彼の侍女(兼、護衛役)となるべく育成されていたのですが、通信教育によって義務教育課程を6年で修了した際、79年の3月には、いろいろあって13歳でヴィクトーリアの側に引き抜かれました。
 その後、彼女は立派な「格闘型」の陸戦魔導師となり、今や「その方面」に限って言えば、彼女の実力はすでにエドガーを上回っています。

【なお、「ヴィクトーリアの上の弟」はコニィにいささか気があったらしく、この一件のせいで、ヴィクトーリアは今も、彼からは少しばかり(うら)まれているようです。(苦笑)】


 
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