魔法戦史リリカルなのはSAGA(サーガ)
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【プロローグ】新暦65年から94年までの出来事。
【第1章】無印とA'sの補完、および、後日譚。
【第8節】キャラ設定1: ニドルス・ラッカード。(前編)
前書き
この人物は、この作品の本筋とは全く関係が無いサブキャラなのですが、「クロノが幼い頃から目標としていた人物」という設定ですので、「当時の時代背景」なども含めて、ここでやや詳しく紹介しておきます。
ニドルスは新暦10年の7月に、ミッド北部のヘレニゼア地方で生まれました。それなりに裕福な家の次男坊で、「経済的には」何の苦労も無く育ったのだと言います。
ただし、彼は元来、魔法の才能には大変に恵まれていましたが、人間関係にはあまり恵まれてはいませんでした。
彼自身も口数が少ない上に、孤独が苦にならない性格だったため、初等科では「友人」と呼べる相手も(5年生になるまでは)一人もいませんでした。彼はいささか大柄で、目つきも悪く、ぶっきらぼうで、同年代の少年少女たちにとっては、典型的な「何やら近寄りがたい雰囲気の持ち主」だったのです。
また、家庭においても、彼の「父や母や兄との関係性」はごく希薄なものでした。
父親は厳格な(悪く言えば、相手の感情に配慮できないタイプの)法務官で、母親は教育熱心な(悪く言えば、自分の理想を生徒らに押し付けて来るタイプの)教師でした。
一方、彼の兄ヴェナドゥスは、実によく整った容貌の持ち主で、スポーツも万能で、学業に関しても「極めて」優秀な子でした。そのため、彼の両親は「過剰なまでの期待と愛情」をかけて、金も労力も惜しまず、この長男に高度な教育を受けさせました。
結果として、ニドルスの方は両親からはほとんど放置されて育ち、四歳年上の兄からは(若干の羨望が入り混じった)軽侮の眼差や嘲笑を受けて育ちました。彼も学業の成績は「明らかに平均以上」ではありましたが、それでも、兄ヴェナドゥスには遠く及ばなかったのです。
ニドルス自身が記憶する限りでは、彼の両親が生前、彼と「まともな会話」をしたことは一度もありませんでした。
また、ニドルスが小さい頃は、いわゆる〈大航海時代〉でした。
つまり、『新たな世界を発見し、座標を確認した』という報告が、毎月のように続々とミッドに届いていた時代だったのです。
その当時、『好奇心の旺盛な小児が「自分もいつかは、そうした世界を巡ってみたい」と思うことは、ごく自然なことだった』と言って良いでしょう。
ニドルスも「6歳児の集団検診」で、自分が実は「相当な魔力の持ち主」であることを知ると、大変に小児じみた夢ではありましたが、『僕もいつかは管理局で艦長さんになって、いろんな世界へ行ってみたい!』と思うようになりました。
幸いにも、地元の「魔法学校」が自宅から歩いて通える距離にあったので、彼の両親は周囲からの強い勧めに押し切られるようにして、翌年からニドルスをその学校の初等科に通わせることにしました。
今にして思えば、これもまた「彼が家族と疎遠になった理由」のひとつだったのでしょう。彼の父も母も兄も、魔力は全く持っていない「普通の人間」でした。
自分の魔力が、本物の「突然変異」なのか、それとも「隔世遺伝」の類なのか、ニドルス自身にはよく解りません。父からも母からも、祖父母の話など一度も聞いたことが無かったからです。
【なお、この作品では、以下のような設定で行きます。
『魔力の「充分な資質」が親から子へ遺伝する確率は、せいぜい50%程度で、両親がそろって優秀な魔導師であったとしても、この確率にはさほど変わりが無い。
現在、ミッドでは「合計特殊出生率」がほぼ2.0なので、結果として「親も魔導師である魔導師」の人数は年代ごとにほぼ一定で、おおよそ「千人に一人」程度である。
一方、魔力の全く無い両親から「突然変異」で魔力の持ち主が生まれてくる場合もあるが、そちらはせいぜい「六万人に一人」ぐらいでしかない。
また、「隔世遺伝」という現象もあるにはあるが、それは通常、一世代おきか、せいぜい二世代おきで、間が三世代以上も空くことは、あり得ない。つまり、特定の家系において「魔力を全く持たない人物」ばかりがすでに三世代も続いているのであれば、その家系からはもう魔力の持ち主は(突然変異以外では)生まれて来ない、と考えて良い』
(ちなみに、一世代おいて隔世遺伝する確率は、せいぜい20分の1程度。二世代おいて隔世遺伝する確率は、せいぜい600分の1程度です。)】
たとえ友人はいなくとも、ニドルスにとって、学校生活は「充分に」楽しいものでした。少なくとも、家庭生活に比べれば「相対的に」楽なものでした。
また、彼は10歳の春には、早くも空戦スキルに目覚め、秋には「ダメ元」で管理局の「魔導師ランク試験」を(周囲には内緒のまま、学長の推薦で)受けてみたのですが、予想外に良い結果が得られました。
そこで、管理局の担当者からも『初等科を卒業師たら、すぐに空士訓練校へ進学するように』と強く勧められ、ニドルスもようやく訓練校を受験するための勉強に本腰を入れ始めます。
そして、新暦21年の4月。
ニドルスは5年生(最上級生)に進級し、生まれて初めて「友人」ができました。同じクラスになった、「もう一人の空士訓練校志望者」ディオーナ・パストレアです。
接触は、ディオーナの方からでした。一体どこから聞きつけたのか、彼がすでに管理局の魔導師ランク(空戦Dランク)を取得していることを知って、『いろいろ教えてほしい』と言って来たのです。
初対面でいきなりグイグイ来るので、最初、ニドルスの方は「引き気味」でしたが、その代わりに『学校でも有数の才女であるディオーナから、受験のための勉強を教えてもらえる』と知って、ニドルスは「交換条件」に応じました。
最初のうちは、二人とも単なる「双務契約」のつもりだったのです。
それでも、多くの時間を二人きりで過ごし続けているうちに、互いに相手を「意識」してしまうことは、この年頃の少年少女にとっては、ごく当たり前のことでした。
その年、大人たちはみな、『カラバス連合との戦争がついに終結した』という話題で大いに盛り上がっていましたが、一度も戦場にならなかったミッドチルダの小児たちにとっては、そんなことは文字どおり「遠い世界のお話」でしかありません。
7月の末、ディオーナは「勉強会」と称して、ニドルスをついに自宅へ誘いました。
それでも、いきなり「自分の部屋」というのは、さすがに恥ずかし過ぎます。
ニドルスをリビングルームのソファーに座らせてから、ディオーナは『実は、今日は、父さんも母さんも帰って来ない日なの』と小声で告白しました。
途端に、ニドルスの挙動が「ぎこちない」ものになります。(笑)
しかし、そこにタイミングよく、ディオーナの飼い猫が姿を現してくれたおかげで、一気に二人の緊張が解けました。
訊けば、四年と四か月前、ちょうど彼女が初等科に入学する直前に、彼女の叔父の家で生まれた猫なのだそうです。
「四匹が一度に生まれた中で、この子だけ真っ白で、体が弱くてね。叔父は小さい頃から猫が好きだったけど、叔母の方は実は動物自体があまり得意じゃなくて……その上、リアに猫アレルギーが出ちゃったから、『この子猫たちは全部、里子に出そう』とか言い始めて……ああ。リアっていうのは、叔父夫婦の娘で、私と同い年のイトコなんだけどね。
当然だけど、今にも死にそうなこの子にだけは、里親が見つからなくて……それで、私が無理を言ってもらって来たの。……ジェルディス。あなたは何も憶えてないだろうけど、最初の何か月かはホントに大変だったのよ」
そう語りかけながら、ディオーナはその白猫を優しく抱き上げました。大きく成長した白猫は、声も上げずに、きょとんとしています。
「そのジェルディスというのは……もしかして、何か由来がある名前なの?」
「うん。今ではもう語られることも少ないけれど、ミッドにも本来、固有の神話があってね。そこに出て来る『夜空の女神、六つの夜風を率いて星空を征く〈闇の女王〉マウゼール』の双子の妹が『昼空の女神、六つの風を従えて青空を駆ける〈光の女王〉ハルヴェール』なの。そして、彼女に付き従う『六つの風』のひとつが、〈悪戯な旋風〉のジェルディスなのよ。……私は、活発で元気な子に育ってほしいと思って、この子にそう名付けたの」
「……ディオーナって、ホントに物知りなんだね」
ニドルスは心の底から感心した口調で言いました。
「ただ本が好きで、いろいろと読んで来ただけよ。頭の良さだけなら、私よりリアの方がよっぽど頭が良いわ。……まあ、魔力なら、私の方がだいぶ上なんだけどね」
前半はやや恥ずかしげな、後半はちょっぴり自慢げな口調です。
(身近な人と張り合えるのって良いことだなあ……。)
ニドルスにとっては、そんな些細なことですら充分に羨ましいことでした。彼には、そもそも自分にイトコがいるのかどうかすら、よく解らないのです。
二人はしばらく、勉強そっちのけで「ミッドの神話や猫に関する話」を続けていたのですが……そこへ不意に、ディオーナの母親が帰って来ました。
「サ~プラ~イズ! ただいま、ディオーナ~。おみやげ、あるわよ~」
二人そろって、玄関からの物音には全く気がつきませんでした。二人の主観としては、リビングルームのドアが「何の前触れも無く」いきなり開かれたような感じです。
そうして部屋に入って来たのは、四十歳前後と思しき、かなり小柄な女性でした。どうやら、昼間から少しばかり酔っているようです。
「ええっ! ママ? パーティーとかで帰って来られないんじゃなかったの?!」
「パーティー、つまんなかったから~。あとはラルちゃんに任せて、ママ、帰って来ちゃった~。ケーキ、二つだけ買って来たから、パパには内緒で、一緒に食べましょ~」
そう言って、手に持った小箱をローチェストの上にそっと置いてから、彼女はようやくニドルスの存在に気がつきました。
「んん?」
バッチリと目が合ってしまいます。
ニドルスは、内心では慌てふためきながらも、即座に席を立って深々と頭を下げました。
「初めまして。お邪魔しております。自分はディオーナさんのクラスメートで、ニドルス・ラッカードと申します。以後、よろしくお見知りおきください」
緊張のあまり妙に堅苦しい口調になってしまいましたが、それでも、ニドルスは何とか噛まずにそのセリフを言い終えました。
すると、女性は上機嫌のまま、ウンウンとばかりに小さくうなずき、いかにも感慨深そうな口調でこう語ります。
「そ~か~。ウチの娘も、もう親の留守を狙ってオトコを連れ込むような齢になったか~」
「そんなんじゃないから! もう。ママ、出てってよ!」
ディオーナは顔を真っ赤にして席を立ち、両手でぐいぐいと母親の体をリビングルームから押し出して行きました。
「え~。ここ、私の持ち家なのに~」
母親は悲しげな口調で不平を述べながらも、あえて逆らうこと無く、娘に押されるがままに廊下へ出て行きます。
「ケーキはあなたたちで食べちゃって良いから。……あ! ママ、お茶、出してあげる」
「それも、私がするから!」
廊下の方からは、そんな楽しい(?)会話が聞こえて来ました。
(何だか、愉快なお母さんだなあ。)
それもまた、ニドルスにとっては充分に羨ましいことでした。
(こういう家に生まれていたら、僕にももう少し違った人生があり得たんだろうか?)
ニドルスは「初めての友人」の家で、改めて「自分の家があまり普通ではないこと」に気づいてしまいました。
その後、ディオーナがお茶を入れ、一緒にケーキを食べながら聞いた話によると、彼女の母親は「ヴェローネ・パストレア」という名前で、42歳の「公務員」なのだそうです。
しかし、ニドルスも、この時点ではまだ『管理局員も公務員の一種である』ということに、全く気づいてはいなかったのでした。
そうして、穏やかに時は流れ……いよいよ空士訓練校の受験の日が来ました。
新暦22年の1月下旬。昨夜から「この地方ではちょっと珍しいほどの」雪が降り積もっていたので、ニドルスは少し早めに家を出ました。案の定、公共の交通機関には少し遅れが出ていましたが、試験会場には余裕で間に合います。
ニドルスも『不正防止のため、互いに見知った受験者にはわざと遠く離れた受験番号を与えて、なるべく別の会場で受験させるようにする』という話を聞いていたので、試験会場にディオーナの姿が見当たらないことに関しては特に疑問を感じませんでした。
もちろん、個人のデバイスや通信端末を試験会場に持ち込むことは禁止されていたので、ニドルスは最初から自分の通信端末を家に置いて来ています。
さて、午前中は筆記試験で、昼食休憩をはさみ、午後からが実技試験でした。
実技試験は『会場ごとに何人かの試験官がいて、各試験官が個々の受験者を一人一人、番号順に審査していく』という形式で、受験者が事前に試験の内容を知ることが無いように、受験者はみな「窓が不透明な食堂」に待機させられて、一人ずつ呼び出され、試験を済ませた者は半ば追い出されるようにして、そのまま会場の外へと誘導されます。
ニドルスは「自己採点では」余裕で合格ラインを超えていたので、自信を持って独り試験会場を離れました。
ニドルスは実技試験の順番がだいぶ早い方だったので、まだようやく午後2時を過ぎたところでした。
(今、隣にディオーナがいてくれたら、「打ち上げ会」と称して、一緒にどこかの店に入って一服してるとこなんだろうけどなあ。)
途中で買い食いなどしながらそんなことを考えていると、雪で滑って危うく転びそうになったりもしましたが、それ以外には特に何事も無く、ニドルスは家に帰り着きました。
自分の部屋に戻って真っ先に通信端末を覗くと、すでにディオーナの端末からのメールが入っています。
(メール? 録音じゃなくて?)
珍しいこともあるものだと思いつつ、それを開いて見ると、次のような無機質な文章が出て来ました。
『これを見たら、すぐにこの番号にかけ直してください。ヴェローネより。』
(ヴェローネおばさん? なんでディオーナの端末を使って?)
ニドルスはあれからも何度かディオーナの家を訪れており、ディオーナの母親に対しても名前で呼びかけられる程度には親しい間柄になっていました。
長い話になるような予感がして、ニドルスは先に小用を済ませてから、ディオーナの通信端末に連絡を入れます。
「ニドルスです。メールを見ました」
「ああ、ようやく……。ごめんなさい。こちらは、ヴェローネなんだけど……ニドルス君。今からすぐに動ける?」
何やら憔悴したような涙声でした。それを不思議に思いながらも、ニドルスは間髪を入れずに答えます。
「はい。動けますけど……何があったんですか?」
しかし、そこでニドルスがヴェローネから聞かされたのは、あまりにも唐突すぎて、およそ信じがたい話でした。
(嘘だよね。そんなの、絶対、何かの間違いだよね。)
ヴェローネの指示どおりにタクシーで病院へ駆けつける間、ニドルスはずっとそう祈り続けていました。
しかし、ニドルスが病院のフロントで担当者に名前を告げると、静かに案内された場所は病室では無く、霊安室でした。ヴェローネは寝台脇の椅子に腰を下ろしたまま、寝台の上に突っ伏すようにして泣いています。
「お連れしました」
担当者は妙に丁重な口調でヴェローネに一声かけると、そのまま退室しました。
ヴェローネはゆっくりと体を起こし、振り向きました。一体どれほど泣けばそうなるのか、彼女の両目の周囲はもう真っ赤に腫れ上がっています。
「ああ。ニドルス君、よく来てくれたわね」
その様子を見て、ニドルスもついに『これは決して「何かの間違い」などではないのだ』と観念しました。
「ごめんなさい。当家では、昔から『葬儀は身内だけでの家族葬』と決まっているから、故人の友人は呼んであげられないの。だから……明日には葬儀をして、その日のうちに二人とも墓に埋めてしまうから……あなたには今日のうちに、ディオーナにお別れを言ってあげてほしくて……それで、あなたを呼んだの。いきなりこんな場所に呼び出したりして、ごめんなさいね」
二台の寝台には一体ずつ遺体が横たわっており、全身に布がかぶせられて顔だけが見える状態になっていました。その顔立ちは、確かにディオーナとその父親のものです。
「どうして……こんなことに……」
ニドルスは、たったそれだけの言葉を、やっとのことで絞り出しました。
「ごめんなさい。私がついていてあげれば……あるいは、こんなことには、なっていなかったかも知れないのに……」
ヴェローネは、必要以上に『ごめんなさい』を繰り返しました。
もちろん、それは「謝罪の言葉」ではありません。彼女自身は何ひとつ悪いことなどしていないのですから。
誰にも謝るべき理由など無いはずなのに、それでも、ヴェローネは悲しみのあまり、理由の無い「自責の念」に駆られて、そう言わずにはいられなかったのです。
「一体、何があったんですか?」
ニドルスが静かに問うと、ヴェローネはようやく、ぽつりぽつりと語り始めました。
自分は、仕事でもう何日も前から遠方に出かけており、昨夜のうちには家に戻れるつもりでいたが、予想外に仕事が長引いてしまったこと。
それでも、一昨日の夕方には夫から『少しまとまった有休が取れた。娘には自分がついているので、こちらのことは心配せずに、君は自分の仕事の方を頑張ってほしい』と連絡があったので、自分も安心して、ディオーナのことは本当に夫に任せきりにしてしまったこと。
そして、自分はこちらで雪が積もっているなどとは全く気づいていなかったこと。
「夫にも仕事があって、言うほど家にいる時間の長い方じゃなかったから……たまには『父親らしいこと』をしようとでも思ったのかしら。……バカな人。車の運転なんて、全然、上手じゃないくせに……」
ヴェローネは、しゃくり上げながら、そう言葉を紡ぎました。
「交通事故……なんですか?」
ニドルスの言葉に小さくうなずくと、ヴェローネは『これは、私も後から聞いた話なんだけど』と前置きをしてから、一連の事情を語りました。
「多分……雪のせいで公共の交通機関に遅れが出ていると知って、夫の側から娘に『試験会場まで車で送って行こう』とでも持ち掛けたんでしょうね」
今朝の積雪はせいぜい十数センチといったところでしたが、それでも、この地方でこれほど雪が積もるのは、かなり珍しいことでした。
(この一帯では「年間降水量」それ自体がさほど多くはないので、当然に「降水が冬場に雪と化して降る量」も多くはないのです。)
だから、この地方では、歩行者も運転者もあまり雪に慣れてはいませんでした。
「もちろん、夫も安全運転を心がけてはいたんでしょうけど……交差点の少し手前あたりで幼児がいきなり車道に飛び出して来て、この雪では急ブレーキなんて利かないと判断して急ハンドルを切ったらしいの。それで、他の車と……大型車と接触して、弾かれるようにして滑って行って……交差点で前方不注意のトラックに撥ねられたのよ」
ヴェローネが事故の報せを受け、仕事を同僚に任せて急ぎこの病院に駆けつけた時には、二人はもう全身打撲と出血多量で息を引き取っていたのだそうです。
「私も……頭では解っているの。これは、どうしようもない事故だったんだって。たとえ私が早く家に帰っていて、代わりに私が運転していたとしても……あるいは、最初からタクシーを呼んで、プロの運転手に任せていたとしても……同じように起きていたかも知れない事故だったんだって。でも……でも……」
ヴェローネはそこで、とうとう喉を詰まらせてしまいました。想いが胸の中で渦を巻いて、もう言葉にならないのです。
ニドルスはしばらくの間、そんなヴェローネの傍らに寄り添うようにして、ただ突っ立っていましたが、やがて気を取り直したヴェローネから促されるがままにディオーナの手を取り、心の中で彼女に「お別れの言葉」を述べました。
その手の冷たさが、どうしようもなく悲しくて、ニドルスもとうとう涙をこぼしてしまいます。
(おかしいよ! こんなの、絶対おかしいよ! この雪なら、交通事故で死者が出るのは解るよ。でも、どうしてそれが選りにも選ってディオーナなんだよ? 別に他の誰かでも良かったはずじゃないか!)
ニドルスは思いました。世界はいつだって理不尽だ、と。
ディオーナは善良で、優秀で、何より前向きな性格の少女でした。彼女の人生には、輝かしい未来が待っているはずでした。
『夢は、大きく執務官!』
いつだったか、ディオーナは少し恥ずかしげに、そう言っていました。
ニドルスも、彼女なら、きっと成れるだろう、と思っていました。
(それなのに……どうして、こんなことに!)
彼女の「あり得た未来」を思うと、ニドルスにはもう涙を止めることができませんでした。
それでも、このままここに立ち尽くしていても、どうなるものでもありません。
やがて、ニドルスはまたヴェローネに促されて、ディオーナの冷たい手をそっと離しました。
「ニドルス君。もうひとつだけ、お願いがあるんだけど……いいかしら?」
「はい。どうぞ」
「何日かしたら、また私の方から……あの子の端末から……もう一度だけ、あなたを呼ぶわ。そうしたら、また、あの家に来てくれる? 見てほしいモノがあるの」
「……解りました。御連絡を、お待ちしております」
そうして、ニドルスは独り寂しく帰途に就いたのでした。
その後の何日かのことは、よく憶えていません。毎日、学校に通ってはいたはずですが、何も記憶に残っていません。
何やら、夢と現実との区別がついていないような不思議な感覚です。
休日の前日、端末に合格通知のメールが来ても、ニドルスは『ああ、そう』という感じでした。本来なら、声を上げて喜ぶべきところなのに、感情は沈み込んだまま、何にも反応しません。
休日の朝、ヴェローネからのメールを受け取って、ニドルスの感情はようやく、まともな反応をしました。まるで『あの霊安室を出てから、すぐに眠りに就いて、今ようやく目が覚めた』かのような感覚です。
ニドルスは、指定されたとおりの時間に、ヴェローネの家を訪れました。
例のリビングルームに通され、例のソファーに座っていると、ただそれだけで、ディオーナとの思い出が、亡き彼女の言葉や表情が、また改めてニドルスの脳裡に浮かび上がって来ます。
(本当に、死んじゃったんだなあ……。)
ヴェローネが入れてくれたお茶を一緒に飲んで、ニドルスも一息ついたところで、ヴェローネはこう言って話を切り出しました。
「ところで、ニドルス君。空士訓練校の試験は合格したのよね?」
「はい。昨日、合格通知のメールが届きました」
「良かったわ。この子が無駄にならなくて」
ヴェローネはそう言いながら小箱を開けて、その中身をニドルスにも見せました。
「ペンダント? ……いや! これ、デバイスですか?」
ニドルスにとっては、写真でしか見たことが無いような高級品です。
ヴェローネは少し恥ずかしげな表情で、小さくうなずきました。
「私も親バカで……ディオーナなら、きっと合格するはずだからと思って、あらかじめ合格祝いを造らせておいたの。最新のAIを組み込んだ、いわゆる〈第二世代デバイス〉なのよ」
新暦22年のこの段階では、第二世代デバイスはまだ一般に量産化はされていません。つまり、このデバイスは「特注品」なのです。
ニドルスが思わず見惚れていると、ヴェローナはさらにこう言いました。
「でも、あの子はもう死んでしまったから……ニドルス君。このデバイスは、あなたが使ってくれないかしら?」
「え? ……いや、いや、いや。そんなこと、できませんよ! こんな高級品を」
ニドルスが思わず右の掌を横に振って固辞すると、ヴェローネはいきなり両手でその右掌をがっしりとつかんで、自分の手元に引き寄せました。
「お願いよ。受け取ってちょうだい」
(ええ……。)
「身勝手な言い分なのは解っているわ。あの子の夢を代わりに叶えてくれ、とまで言うつもりは無いのよ。ただ……あなたがこれを使ってくれた方が、あの子の身魂もきっと浮かばれるだろうと思うの」
(え。……いや。でも……。)
ふと気がつくと、いつの間にか、猫のジェルディスが足許に来ていました。
「な~、な~」
何かをねだるように、肉球でニドルスの足を押して来ます。
もちろん、ジェルディスはただの猫なのですから、決して『ヴェローネの言葉を理解した上で、自分も口添えをしている』という訳ではないのでしょう。
それでも、ニドルスには、何やらそのように思えてなりませんでした。
「……解りました。それでは、ありがたく使わせていただきます」
ニドルスが覚悟を決めてそう応えると、ヴェローネは嬉々として「マスター認証」のやり方などをニドルスに語って聞かせました。
「なるべく、あの子だったら付けそうな名前を選んで、この子に付けてあげて」
ヴェローネが最後にそう言い添えると、ニドルスは決然とうなずいて、今聞いたとおりのやり方を実行に移しました。
まずは、ヴェローネから少し距離を取り、次には、近くに何も無い場所に立って周囲に魔法円を展開し、そして、両掌でデバイスを包み込んで魔力を込めて行きます。
「デバイス、起動」
そして、ニドルスがゆっくりと両手を開くと、デバイスはその場に浮かんだまま、かすかな光を放ち始めました。
準備が、すべて整ったのです。
「マスター認証。我が名は、ニドルス・ラッカード」
『OK. Master NIDRUS. Call me, please.』
「汝の名は、ハルヴェリオス。青空を駆ける〈光の女王〉の加護を受けし者、ハルヴェリオス」
『It’s registered. I’m HALVERIOS.』
当然ながら、『ディオーナは神話や物語の類が好きだった』という事実は、ヴェローネもよく知っていました。それだけに、この「ハルヴェリオス」という名前も、大変に気に入ってもらえたようです。
【ミッドの古典語で、IOSは固有名詞を形容詞化するための語尾です。普通は「何々の」と訳されますが、実際には「何々に由来する、何々に関連した」といった意味になることが多く、神名についた場合に限って言えば、しばしば「何々の加護を受けた」という意味にもなり、そのまま名詞として扱うこともできます。】
その後の雑談で、ヴェローネは初めてニドルスの家族を話題にしました。
「ところで、訓練校は全寮制だけど、御家族は納得してくれた?」
ごく軽い口調です。おそらくは、「子離れのできない親」などを想定した「微笑ましい話題」のつもりだったのでしょう。
ニドルスはそこで初めて『自分の家族がどれほど歪んでいるか』について、いささか愚痴まじりに語りました。
「……だから、僕などいない方が、あの家は収まりが良くなるぐらいなんですよ」
「ええ……」
ヴェローネにとっては、完全に予想外の展開だったようです。
「昨日も、合格したことを伝えたら……普通なら、形だけでも『おめでとう』とか言うべきところだと思うんですけどね。僕の父親が一体何と言ったと思いますか?」
「……ごめんなさい。ちょっと見当がつかないわ」
「僕の方を見もせずに、『また要らん金がかかるのかよ』と言ったんですよ」
「ちょっと待って! それって、異常しくない?」
「やっぱり、異常しいですよね!」
「もしかして……ニドルス君、家では虐待されてるの?」
赤の他人の話なのに、ヴェローネはまた今にも泣き出しそうな顔をしました。
「まあ、今時は、無視や放置も虐待の一種だそうですから……今までは恥ずかしくて、ディオーナにも誰にも話したことはありませんでしたが……まあ、『軽い虐待』なのかも知れませんね」
「ええっと……ご家族は、他に誰がいるの?」
「母と兄がいますが、父も母もこの兄にかかりっきりなんですよ。……正直に言うと、お金の問題さえ無ければ、今すぐにでも、こちらから縁を切りたいぐらいです。確か、そういう法律、ありましたよね」
ミッドチルダには、昔から「法定絶縁制度」という法制度がありました。
言うならば、これは『他人を家族にすることができる「養子縁組制度」の逆』で、『現実に血のつながった親子や兄弟姉妹であっても、双方の合意によって「法的に」他人になることができる』という制度です。
これは本来、当局が小さな子供を毒親から保護するための制度だったのですが、その子供が一定の年齢に達していれば、子供自身がこれを主体的に利用することも当然に認められていました。
(もちろん、「親の側からの一方的な申し立て」は認められていません。)
「確かにあるけど……そこまで厳しい状況なの?」
「決して『本気で憎み合っている』というほどではないんですが……どうにも気持ちがズレすぎてしまって、もう互いに接点が何も見当たらないんですよ。ただ、今すぐ絶縁してしまうと、学費の問題とかがあるので……」
「本気で『親に借りを作りたくない』と言うのなら、奨学金という手もあるわよ。……もちろん、借金の一種だから、無事に空士になったら月々の給料から少しずつ返していかないといけないんだけど」
「でも、あれって、申請の手続きとか、かなりメンドくさいですよね?」
「初めての人にとっては、そうでしょうね。……そうだわ! 私、そういうの得意だから、代わりに手続きしてあげる。ちょっと、ニドルス君の端末、貸してくれる?」
(ええ……。)
ニドルスもさすがにちょっと躊躇いましたが、高価なデバイスを贈与されてしまった直後でもあり、ヴェローネの「100%善意」の笑顔を見ていると、なかなか断ることもできません。
「しばらく、ここで待っていてね。覗いたりしちゃダメよ」
ニドルスから端末を受け取ると、ヴェローネはそう言って、リビングルームから駆け出して行きました。続いて、階段をパタパタと駆け上がって行く足音が聞こえて来ます。
(あれ? もしかして、これ、随分と待たされる感じなのかな?)
ニドルスはふとそんなことを思いましたが、実際には、ほんの数分でまたパタパタと足音が聞こえ、ヴェローネはこちらの部屋に戻って来ました。
『はい』と返された端末には、すでに何かひとつメールが届いています。
「多分、『奨学金の申し込みは受理されました。合否の判定は、また後日、こちらからメールでお知らせします』みたいな内容のメールだと思うんだけど、一応、確認してみて」
ニドルスが確認すると、まさにそのとおりの文面が出て来ました。
「後日とか言ってるけど、実際には、そんなに何日もはかからないと思うわ」
「何から何まで……本当にすみません」
その日は、それで、ニドルスは家に帰りました。
『実家が裕福だと、奨学金の審査は通りにくい』と聞いていましたが、実際には、わずか三日後に、『管理局の方から奨学金が出ることが決まった』というメールが届きました。
両親に知らせても特に反応はありませんでしたが、これでもう、初等科を卒業したら、荷造りをして出て行くだけです。
ニドルスにとっては、実に晴れ晴れとした気持ちでした。
こうして、新暦22年の4月、ニドルス・ラッカードは無事、12歳で空士訓練校に入学し、そこでは実に優秀な成績を修めました。
その年の10月には、早くも二つ飛ばして「空戦Aランク試験」を受け、在学中のまま、それに合格します。
しかし、その合格の直後に、ニドルスの身にはまた「思いもよらぬ災難」が降りかかって来たのでした。
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