八条学園騒動記
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第六百七十五話 どれだけ生まれ変わってもその六
「しかしな」
「ソ連よりましでか」
「ナチスよりもな、ムッソリーニ自身もな」
タムタムは再び彼のことを話した。
「ユダヤ人を守ったり粛清や迫害を行わずな」
「ましだったか」
「そうだった、また日本のことを言うが」
こう前置きして話した。
「オリンピックを日本に譲ってくれと頼まれてな」
「譲ったか」
「頼んできた使者の人の態度が立派で感銘を受けてな」
ただしムッソリーニは当時の欧州の人間であり人種的偏見は強かったという、だが言われると態度をあらためる程度のものは備えていた。
「譲ったこともある」
「あれっ、結構いいところあるじゃない」
ラビニアもそう聞いて言った。
「ムッソリーニも」
「そうだな」
「ヒトラーやスターリンよりもね」
「そうだな」
「そう聞くと擁護する人がいてもね」
この時代のイタリアではそれなりに認められてはいる。
「当然ね」
「家族、お孫さんもそうしていたしな」
「それはわかるわ」
「だがベリヤはな」
「息子さんが名誉回復を訴えても」
「全くだ」
まさにというのだ。
「誰も相手にしないでな」
「いいお父さんだったっていうのも」
「勘違いだ」
その息子さんのというのだ。
「俺が聞く限りでは家族に愛情を持つこともな」
「有り得ない奴よね」
「人を利用するだけ、陥れて拷問を加えて嗤ってだ」
「虐殺もして」
「幼女まで襲ってその手で殺す様な奴がな」
それこそというのだ。
「どうしてだ」
「誰かに愛情を持つか」
「誰がそう考える」
「真性の屑がね」
「最早人間でなくなっている奴がな」
「人間ね」
「人間は人間の心があってな」
そうであってというのだ。
「人間だからな」
「人間の心でなくなったら」
「化けものの心になったらな」
それこそというのだ。
「もうな」
「それはもう化けものってことね」
「そしてベリヤはな」
「まsないその化けもので」
「それでだ」
そうした存在になっていてというのだ。
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