イベリス
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第五十四話 雨が降る中でその十二
「あれと同じだよ」
「ヴィーガンの押し付けもですね」
「そうだよ、自分でそうするならいいけれど」
「押し付けはよくないですね」
「本当に素晴らしい思想だとやる人が自然に増えるよ」
そうなるというのだ。
「だからね」
「押し付けはよくないですね」
「絶対にね」
「やっぱりそうですね」
「うん、そもそも牛乳も卵も食べないとなると」
極端なヴィーガン思想によってそうなればというのだ。
「栄養バランスが悪いね」
「お豆腐とか食べないと駄目ですね」
「他にどうして蛋白質やカルシウムを摂るか」
「それが問題ですね」
「人間はパンとお水だけじゃ生きていられないけれど」
部長はこの言葉も出した。
「お野菜と果物だけでもね」
「生きていられないですね」
「そうだよ、禅宗のお料理も玄米のお粥と沢庵だけだと」
この献立が普通だとされているがそこにお供えのものを何かと食べてそのうえで栄養を摂取しているのだ。
「絶対によくないしね」
「栄養バランスも悪いですね」
「お腹も空くしね」
「そうなりますね」
「だからお供えしてもらったものを食べてるんだよ」
「そうですよね」
「残さないでね」
禅宗ではこれが絶対である。
「お豆腐もおうどんもカレーもね」
「何でも食べるんですね」
「そうしているからね」
だからだというのだ。
「禅宗のお坊さんも暮らしていけてるんだ」
「そうですよね」
「そう思うとね」
実際にというのだ。
「ヴィーガンは栄養摂取をかなり考えないと駄目だよ」
「そうした考えですね」
「それにお野菜や果物も生きているよ」
部長もこのことを話した。
「何でもね」
「植物もですね」
「ヴィーガンだから命を奪わないかっていうと」
「それは違いますね」
「お米だって麦だって生きているから」
だからだというのだ。
「そのことを忘れたらね」
「よくないですね」
「人は生きていると絶対に何かを食べて」
「命を頂いているんですね」
「そうしていない生きものはそうはいないよ」
「植物自体なら別ですか」
「食虫植物は別にしてね」
こうした植物のことも話した。
「そうだけれどね」
「お水と光合成だけで生きられたら」
「また別だけれど」
「大抵の生きものはですね」
「少なくとも動物や昆虫なら」
それならというのだ。
「もう命を頂いてね」
「自分達は生きていますね」
「そのことを忘れないといけねいね」
「ヴィーガンもそうだって」
「そう思うよ」
こう咲に話し咲も頷いた、咲は部活でも命のことを教わったのだった。
第五十四話 完
2022・3・8
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