せーのっ!
「ここは、一体、何処なのよーーーーーーーっ!?」
部屋を飛び出したところまではよかったものの、てっきり外で待っててくれると思った
高彬はいないし。
あたし一人で、こんなところから帰れる訳無いじゃないのーっ!天地城なんてめったに来ないんだし!
迷いに迷ってうろうろしてたあたしは、いつのまにか入り組んだ部屋の一角に迷い込んでしまった。
もう!このまま天地城から出られなかったら、怨んでやるんだからね、高彬!
昼間なのに暗い部屋。奥のほうは、光も届かず本当に夜のよう。どうやらここは、天地城の中でも奥のほうの部屋になるらしい。質素で、調度品とかひとつも置いてないところを見ると、この部屋は普段使われていないのかしら。
なんか、気味悪い。お化けでも出そう。耳をすませば、微かにイザナミのイザナギを怨む声が聞こえてきそうなーーーー…。
『…………佐々家がーーーーーー…』
え。
イザナミの声でもなかったし、人を怨み呪う声でもなかったけど、なんか、今、聞こえたわよね。
佐々家が、って聞こえなかった?
あたしは注意深く回りを見た。
どうやら、襖一枚隔てた隣で誰か話しているらしい。
あたしはそっと襖ににじり寄って聞き耳を立てた。
『やはり、あいつだな』
はっきりと声が聞こえる。
『ああ。
佐々忠政の末の…佐々高彬。あやつは…目障りだ』
は!?高彬って言った!?
『あいつが、若殿に一番忠誠を誓っている。…だが、今回のことに直接的な
差障りは無かろう、
永田どの』
『まぁ、それもそうだが…。手筈は進んでいるのか』
『ああ』
『目障りだが消せもしないとは…全く面倒な存在よ』
そのとき、いきなりあたしのお腹に誰かの力強い腕が回った。
思わず、悲鳴が口から漏れる。
「ひ、…っふ!」
でもそれは大きな手によって、遮られた。
「し…姫、ここで一体何を?」
耳元で囁かれる。
やけに色っぽい低めの男の声。
嫌な汗が背中を伝う。
……だれ。
男の手の下で呟くと、唇の動きからあたしが何を言ったかわかったらしい。男がふっと笑う気配が伝わる。顔が見えなくて、それがどういう種類の笑みかわからずあたしは体を強張らせる。
「姫、もしや今の話を聞かれましたか?」
………………。
「そうですか。聞かれましたか」
男は小さくため息をついた。
「立てますか、姫。とりあえずここから出ましょう。音は立てないように歩いてくださいね」
「あたしを殺すの?」
部屋から離れ、男の手が外れた途端にあたしはそう聞いた。
「いいえ。でもさっき聞いたことは忘れてもらいます。他言はされないように」
強い調子で男が言う。
「なんでよ」
「強情な姫ですね。なんでも、です。約束してください。今日聞かれたことは忘れてくださいますね」
そうはいくもんですか。高彬の名前が出てきたんだから、気になってしょうがないわ。
しかも、目障りときたらいくらあたしでも、聞いて聞かぬふりは出来ないわ。
男が、返事をしないあたしをじっと見る。
なによ。そんな睨まれたってあたし怖くないんだから。
あたしはじっと睨み返した。
暫く、無言の争いが続く。
先に
音を上げたのは、男のほうだった。
「どうしても、忘れてはくださいませんか。それなら天地城から帰す訳にはいきませんね。今あなたにいろいろ騒がれると私たちの苦労が全て無になる」
「…あたし、誰にも言わないわ。それで気が済むんなら、もう帰っていいかしら」
「姫。私は、忘れてくださいといってるのですよ」
「誰にも言わない、っていってるでしょ?同じことよ」
「どうしてそう駄々をこねられるのか。関わればあなたの身も危険に晒されることになるのですよ。関係のない話に好奇心だけで首を突っ込むのは自殺行為です」
「関係なくないわよ!だってあいつら、佐々家って…あ」
あたしは思わず手で口を覆った。
この男の素性も知れないのに、
迂闊に不味いこと言っちゃったかも…。
「佐々家、…ですか。では姫は佐々の者なのですか」
ああああああ、まずいまずいまずい…。
「ううん、違うわ!」
とりあえず否定したけど、後の祭り。
でも実際あたし、ホントに佐々の者じゃないし!
男は溜息をついた。
「言っておきますが姫、私はさっき話していたものの仲間ではありません。そこは誤解しないでいただきたい」
「そんなこと言われたって信じるわけないでしょ」
「それはそうですが。姫、どうしたらわかっていただけるのです」
「…わかった。この話はあたしの心の中に閉まっておくから。でもそのかわり!条件があるの」
「なんでしょう」
「出口、どこ」
「…はい?」
「だからっ!天地城から出るにはどうすればいいか聞いてるの!」
「つまり…どういうことですか?」
「つまり、迷った、ってコトよ!」
「迷った?この、天地城で?」
「そうよ」
「では、ここにいたのは…」
「迷いこんだのよ、ここに!あたしだって聞きたくて盗み聞きしてたんじゃないんだから」
そういうと、男はふっと噴出した。
…失礼なヤツね。何笑ってんのよ。
横目で睨みつけると、男は笑いながらあたしを宥めるように片手を挙げた。
「いや、失礼。貴女は普通の姫とは違いますね」
「悪かったわね、普通の姫じゃなくて」
「いえ大いに結構。ただ大人しいだけの姫より、よほど頼りがいがあっていいですよ」
それは褒めてるのか貶されてるのか。
「で、出口まで案内してくれるの?くれないの?」
「案内します。ついてきてください」
男が
颯爽と歩き出した。
「何であたしのこと、姫って呼ぶの?あたし、名乗ってないわよね?」
「着ている物を見れば一目瞭然ですよ」
あ、そっか。
あたしは前を歩く男の背を見つめた。
…別に、悪い人、には見えないわ。
墨をすったようなとろりとした光沢を放つ髪。歩くたびにさらリさらりと揺れる様は女のあたしでもうらやましいくらい。その顔は…素直に認めますこれ以上ないくらいの美丈夫よ。魅力的なのはきりりとした眉かな…。
どっちかっていうと、気品があって、きているものはアレだけど、顔も別にいやらしい感じとかじゃないし。身分が高い人、かしら?
でも、一体誰なんだろう。
自分はさっき話していたものの仲間ではないと言っていた。仲間じゃないとしたら、何よ。
「あんたさぁ」
「はい。何ですか?」
ほら。ちゃんと敬語使ってあたしと話してる。女だから、って馬鹿にしたりしない。
うん。いいひとね。
我ながら単純だけど、人を見る目はあるつもりよ。
「あんた
亦柾って知ってる?」
「亦柾…徳川亦柾ですか。知っていますよ」
「あんた、そいつに似てるわ」
どこどこが似てる、って具体的なことはいえないけど。なんとなく、雰囲気かな?が似てる気がする。
「はは、似ていますか。そう言われたのは初めてですね」
男は、にこと口の端をあげて笑った。
う。
かっこ、いい…。
「…」
「姫?私の顔に何か?」
「う、ううん。なんでもないのよ。なんでも」
あたしはぱたぱたと手で顔を仰いだ。
「あんた、名前はなんていうの?」
「私ですか?そうですね…
鷹男、です」
「鷹男、鷹男ね。じゃぁ、鷹男」
「はい?」
「あんた、誰?」
「…はい」
「あんたさ、そんな服着てるけど、もっと全然上の身分の人じゃない?」
鷹男が、黙る。
暫しの沈黙。
不意に、鷹男が笑い出した。
「な、なによ」
「姫、凄いですね。やはり貴方は普通の姫ではありませんね」
「あんただってあたしを姫だって見抜いたじゃないの。おあいこよ」
「おあいこ、ですか。そうですね」
「で、あんたどこの家の子?…まさか」
ふとひとつのことが頭に浮かぶ。
「…あんた、
由良、知ってる?」
「佐々家の末の姫ですね。知ってますよ」
「あんた、まさかとは思うけど、
三浦家の者、じゃないでしょうね」
まさか、こいつが由良の想い人…
「いいえ?」
な、ワケはないか。そうそう世の中は都合よく出来てないわよねぇ。
「三浦にお知り合いでも?」
「ううん。そういうわけじゃないわ。じゃぁあんたどこの人?」
鷹男は意味深に笑う。笑うだけで何も答えない。
「
織田?な、ワケはないわね。
柴田かしら。あ、でもちょっと亦柾に似てるから徳川の人?」
「では姫こそどこの姫ですか?見覚えがなくもないのですが…」
「あら、あたしもあんた何処かで見たような気がするわ」
「それは光栄ですね」
「で、あんた結局何処の…」
「つきましたよ姫」
「へ?」
ふと気がつくと、あたしは天地城の正門にいた。
「私はまだ用事があるので、ここまででいいですか?」
「あ、うん。ありがと」
「では、また逢いましょう姫」
にっこりと微笑んで鷹男は
踵を返した。
あたしは暫くそこでぼーとたっていた。
あ、結局何処の家の人か聞き逃したわ…。
でも、また会いましょう、って言っていたもの。きっとどこかで会えるわね。
そのときに聞けばいいか。