幻の月は空に輝く
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日向宅訪問・2
感情のままに行動した直後、やっちまったー、って後悔する人間はそれなりに居るのかもしれない。
でも、この行動。
気分的には胸倉を掴み上げるような乱暴な行動を、後悔する気にはまったくなれなかった。白眼特有の白い目をパチパチと動かし、ヒアシは私にされるがままになってる。
私の言った言葉が気になるのか。
それとも子供に服を掴み上げられるとは思っていなかったのか。
さっきよりも私を視界に収めて、ヒアシは恐る恐ると口を開きかけた。
が、問われて答える事の出来ない転生前の知識。
実際は宵闇一族だとか、嵐誓の名を継ぐ意味だとか。
その辺りでも色々と見えたり分かったりする事はあるらしいけど、勿論この身に関わる裏事情も話せるわけがない。
転生前の知識もヤバイし、一族の秘密もヤバイって事は事情を知らない私でも流石に察する事は出来る。
だからこそ今回は畳み掛けようと、私はヒアシの服を握る指先に更に力を込めた。それに気付いてか、ヒアシも開きかけた口を閉じて私の様子を見守っていてくれるらしい。
ふぅ、と緊張を逃がすように軽く息を吐き出してから、私はもう一度しっかりとヒアシを瞳に写した。
不安そうに私を見つめるヒアシ。
「俺がネジの友人──…と言い切るにはおこがましいのかもしれない。が、本人に嫌がられても近くにいるつもりだ。
ネジを、知らないという事から抜け出させてくれ。信じる、信じないは約束できないが」
わかるよ。
うん。
わかってしまうよ。
空気が読めないわけじゃないからね。
はっきりと言わないまでも、明らかに私はヒザシの残した言葉を知っている。あの時の事実をわかっている。
本来ならば私が知りえるはずのない情報。
それを当たり前のように口にした私を訝しむ気持ちもわからなくもない。けど、私はそれらを真っ向から受け止めるようにヒアシを真っ直ぐに見つめ、淡々と言葉を紡いだ。
というか、五歳の台詞じゃないよね。
言った私が言えた言葉ではないんだけど。
ぱさり、と羽を羽ばたかせ、私の肩に降りた天華の温もりにホッと胸を撫で下ろしながら、私はヒアシの言葉を待っていた。
天華が居てくれれば百人力というか何と言うか。
甘えまくってる自覚はあるけど、胎児の頃から一緒にいる天華がいてくれる事に安堵を覚えるのは既に条件反射みたいなものだったりする。
さっきから揺れているのは私か、それともヒアシか。
ゆらゆらと不安定な場所に立たされている精神状態に追い込まれそうだけど、天華が頬に擦り寄り、私の耳元で小さく鳴いた。
一瞬とも永遠ともいえる緊張状態の中、ヒアシは私に伸ばすかを迷っていた右手をゆっくりと下へと下ろした。
ぶらんと力なく地面へと吸い込まれてしまうかのように、腕は重力に逆らう事なく落ちた状態。
そして、この気配はネジ。
私の突然の行動に驚いているのか。それとも私が言った言葉の意味とヒアシの力ない状態に驚いているのか。恐らく両方だけど、やはりネジのその疑問について私は答えようがなかった。
だから、というわけじゃないけど、私は歩きながらネジを見つめ、そしてそのまま横を通り過ぎようとした……んだけど、すれ違う瞬間にガシィっと手首を掴まれる。
んん??
「ネジ?」
これからヒアシから父親に関しての情報を得るんだよね。それは私の話しを聞いてたらわかると思うんだけど、ネジは私の方を見ないまま私の身体を引きずるようにしてヒアシへと近付いていく。
離れたはずの距離が、段々と縮まっていく。
ネジも私も口を開く事無く、ヒアシの前へと立つ。私の場合はネジに引き摺られるように近付いた所為か、背中を向けてるんだけどどうやらそれは問題にはならないらしい。
隣のネジからはひんやりとした空気が流れてくるし、背中のヒアシからは戸惑いの空気が流れてくるわで感じる圧迫感が半端じゃない。というか、いつまで手首を掴まれてるんだろう。
「ネジ」
「……」
「聞いてくれるか?」
「……」
「あの時の事を。弟の残した言葉を……」
「………」
……さっきからネジの爪が食い込んでる。一生懸命感情を押さえ込むネジは痛々しいけど、ここで口を出すような真似は流石に出来ない。
「あの時、要求を呑んで死ぬ覚悟をした」
「………」
「だが、その時にヒザシの名があがった」
「………」
更に、ネジの手に力が篭った。
掴まれている手首に痛みが走るけど、私は口を噤んだまま二人の会話に耳を傾けていた。私が無言で堪えている間も、話しはどんどんと進んでいく。私にとっては知識として元々知っていた事。
ネジにとっては初めて聞く事実。
でも、信じられないのか無言のままヒアシを睨みつけてる。
やっぱり私の右手首はネジに掴まれたままだったけど、その瞬間再び引っ張られ屋敷の奥の方へと進んでいく。足が縺れそうになりながらもネジの後についていったけど、その時見えたヒアシの表情はなんとも言えないものだった。
無言の私と、無言のネジ。
多分ネジの部屋だと思うけど、そこに引き摺られるようにして入った後に座布団の上に座らせられた。
とりあえずネジの行動を見守ってたんだけど、口を閉じたままネジは部屋を出て行ってしまう。
「(……うーむ…)」
器用に私の肩に止まっていた天華だったけど、ネジが出て行った方向をジッと見つめた後、私の頬に顔を摺り寄せてきた。
《傷はどうなっている?》
私にだけ聞こえる声で語りかけてくる天華の声のトーンは、いつもよりも低い。
「大丈夫だよ」
人に聞かれたら困るから、囁くようにしながら天華に言葉を返した。
でも、不機嫌そうな雰囲気は収まらなくてどうしたものかと頭を悩ませようとした矢先に、ネジの足音が廊下に響く。
いつもだったら足音なんてさせないんだろうけど、今は感情的になっていて音を消せなかったんだと思う。
開け放たれた出入り口に立つネジの右手には飲み物がのったお盆。左手には箱。匂いから察するにお薬の箱だなぁ、なんて眺めてたら。
「すまない」
と、相変わらず子供らしくない言葉が聞こえた。
感情的になっていても、それを素直に表に出せないネジはやっぱり不器用な子供だと思う。
眉尻を下げて申し訳なさそうに、私の右手首の傷に消毒液をかけて、包帯を巻いていくネジ。その表情から何を考えているかなんてわからないんだけどね。
「気にするな。今回の発端は俺だ」
気まずそうに私から視線を逸らすネジを真っ直ぐに見つめ、私は首を軽く横に振る。本当なら、ネジはこんなに早くに事実を知る予定じゃなかった。それを早めたのは間違いなく私で、ネジが落ち着くならこの程度の傷は当たり前……なんだけど、どうやらネジはまったく納得がいかないらしい。
「ランはどうして……いや、なんでもない」
何かを言いたげに顔を上げたけど、視線が混じる事なくネジは私の手首の治療を続ける。
「……ネジ」
「………」
「ネジ」
私の右手首の治療を終わらせたネジは、相変わらず私と視線を合わせようとしない。照れくさいけど、ここは覚悟を決めて私はゆっくりと口を開いた。
「俺は、嫌がられても近くにいる」
ヒアシには言ったけど、ネジには言ってない言葉。
聞いてただろうけど、それでももう一度言ってみた。
するとネジは弾けるように顔を上げて、瞬く事も忘れたようにジッと私を凝視すると、特徴的な白眼の白い瞳に、銀の髪と蒼い瞳を持つ私の姿が映る。
うーん……未だにこの姿にはちょっと慣れないなぁ、なんて。
雰囲気を無視するような事をふと思いながら、私はネジの言葉を待っていた。
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