蛤女房
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第三章
「私は長く生きた蛤で」
「蛤から出て来たからな」
「おわかりでしたか」
「釣った蛤から出て来たんだ」
それならというのだ。
「もうだ」
「あの時で、ですか」
「もうわかっていたさ」
既にというのだ。
「だからな」
「驚かれないですか」
「それは小便じゃないか」
「私の汁です」
蛤の、というのだ。
「それです」
「それを汁ものに入れているからだな」
「汁ものが美味しかったのです」
「そういうことだな」
「はい、ただ」
お磯は項垂れたままだった、その顔で言うのだった。
「そのことがわかったので」
「出て行くのか?」
「人でないところを見られたので」
「いや、もうそれはな」
既にとだ、吾六はお磯に返した。
「わかっていたって言っただろ」
「だからですか」
「出て行くとか言うな」
それはというのだ。
「こっちもわかっていて夫婦になったんだからな」
「そうですか」
「これまでも一緒にいてくれ」
吾六はお磯に真剣な顔で告げた。
「いいな」
「そうしていいのですか」
「わしがいいって言ったんだ」
他ならぬ自分がというのだ。
「だからな」
「このままですか」
「ずっと一緒にいてくれ」
「いていいのですね」
「何度も言わせるな、いいな」
こう言ってだった、吾六はお磯を引き留めてだった。
そのままずっと夫婦でいた、二人はそのままずっと幸せに過ごした。そしてだった。
吾六はお磯との間に多くの子をもうけた、その子達は皆蛤の要素はなく完全に人でありすくすく育った、だが。
用を足すとそれが妙に磯臭かった、変わったところはそれだけで別におかしなところはなかった。そして吾六は親や子達と共に女房の美味い汁ものを楽しみ続けた、そうして実に幸せな一生を過ごした。
蛤女房 完
2020・7・12
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