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或る皇国将校の回想録

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第五部〈皇国〉軍の矜持
  第八十話六芒郭顛末(上)

 
前書き
馬堂豊久
 〈皇国〉陸軍大佐 独立混成第十四聯隊長 先遣支隊支隊長 
ユーリア・ド・ヴェルナ・ツァリツィナ・ロッシナ
〈帝国〉副帝 東方辺境領姫 〈帝国〉軍東方辺境領鎮定軍司令官
新城直衛
 近衛少佐 新城支隊司令官 六芒郭防衛隊司令
ゲルト・クトゥア・ラスティニアン
 東方辺境領鎮定軍第二軍団(本領軍)司令官代理
 本来の司令官アラノック中将は何者かに狙撃され死亡


 

 
皇紀五百六十八年 十月九日 午後第四刻 司令部庁舎 司令私室
新城支隊 支隊長 新城直衛少佐

「相も変わらず包囲されている。気分を変えようとしても目に映るは一面の敵陣。
四面から聞こえるは〈帝国〉の歌、田畑出会った場になびく旗は鷲の旗。
変わったものといえば緑が減ったくらいか。日々に慣れてきた自分が怖いですな」
 秋と言っても雨季が近づき空気も湿っぽい。藤森の軽口に新城にとっても爽やかさから程遠い。
「人の噂も七十五日、僕らが籠城を初めて七十五日、どうだ、君達の悪評も忘れ去られたのではないかな」
 藤森は博労のような顔を歪めてやり返す。
「どうでしょうか、司令殿の悪評は十年は残ると思いますが」
 藤森の減らず口に新城は唇を歪めて答えた。
「部隊の現状はどうだ」
「とにかく今日は一息つくことができました。具体的に言うと南東突角堡での白兵戦闘はなんと零です、これは驚異的な数字ですな」
 そう言っている間も間断なく砲声が響いている。
 攻囲部隊の攻撃は突撃よりも砲撃を重視するようになっている。だがそれは危機感を覚えさせるようなものではない。
「敵の予備兵力は薄くなり、気圧の前線が〈帝国〉軍を泥濘に沈めようとしている。
ここまで来たらもう無理に攻め立てる必要もないからな」

「そろそろ期限です‥‥虎城の三街道で動きがあったのは確かなようですね。撤収は予定の通りでよろしいでしょうか」
「馬堂大佐がこちらに向かっている、剣虎兵三個大隊と銃兵二個大隊を主力として編成された支隊を率いてな」
 藤森はほう、と感嘆する。本当であるなら〈大協約〉史上最大数の剣虎兵を動員した作戦だろう。
「‥‥大したものですな、自分で言い出して自分で向かうわけですか」

「剣虎兵の大規模運用は例がない。他兵科との共同運用経験がある奴が出てくるのは自然だよ」
 と言いながらも新城の声に子供のような響きを聞きとった藤森はそうはいいますが貴方がやりたかったのではありませんかね?と喉元まで出た言葉を飲み込んだ。
「交代で仮眠を取らせてやれ。それと飯の量も増やしてやれ、北領で僕は学んだのだが、夜戦からの強行軍はキツいぞ」
 そう言いながらも新城の機嫌は良くなっている。
「楽しそうですな」
「久々に剣虎兵らしく振舞える、脱出に向けた戦力の再編を済ませておけ」
「あぁそうなると突角堡の――そういえば長門砲兵部長はどうしております」
 指揮所に詰めているはずの彼の姿がない。どこかが集中砲撃を受けているなどの際には時として彼自身が状況把握に出向くこともあるが今は敵も強行を控えている。

「脱出後の手筈の後始末の段取りを任せている」
「あぁ例の後始末ですか。あぁ必要だとは思いますが――彼を欲しいですか?」
 君も楽をしたがるな、と新城は唇を歪めた。
「欲には際限がない――人足るを知らざるを苦しみ、既に駒を平らげても、関を望むものだ。
だがまぁ西原の懐にまで手を突っ込むつもりはない。必要がない限りはね」
必要があるなら突っ込む野は変わらんでしょうに、と鼻を鳴らし藤森は答えた
「それならそれで、かまいませんがね。奴も私も貴方もこの大げさな芝居の幕が降りるまでにあっさり死なないようにしましょうや」
 先遣支隊が六芒郭に接近するのはその翌日の事であった。


十月十日 午後第五刻 六芒郭包囲網警戒線より約半里
支隊本部 先遣支隊 支隊長 馬堂豊久大佐

 包囲網からそれた小寺の中に彼らはいた。支隊の将校達が集まり、最後の確認を行っている。
「‥‥さて、支隊長の構想を説明しよう。首席幕僚」

「改めまして首席幕僚の大辺です、構想を説明します
我々の目的は新城支隊の六芒郭からの脱出を支援する事です」
「現在、六芒郭の包囲に専従している部隊はおおよそ15万、誘因行動により東方辺境領軍の大半が虎城防衛線へと移動しております。ですが当たり前といえば当たり前ですが実質的に攻略戦に動員される部隊の数はさほど変わりません。
布陣は薄く広くはならず、狭く、強固なものとなっております、主攻正面である南方に本営が置かれ、最も強固な防衛態勢を整えております。
我々はここを叩き、指揮能力を一時的に麻痺させることが目的となります」

「はい、我々は突破先鋒として連隊鉄虎大隊と第一〇五鉄虎大隊、そして捜索剣虎兵第十二大隊と支隊本部直下部隊がそれを支援。そして独立混成第十四聯隊銃兵第一大隊により退路の確保を行います。
我々は敵本営を強襲、新城支隊は我々が攻撃を開始した小半刻後に突破を開始します」

「本営の位置は」「”噂話”と新城支隊の導術観測を比較した結果、六芒郭より南南東六里に位置しています」

「砲兵隊は護衛と後方支援部隊と共に後方に拘置、包囲網から離脱後に投入します。
以後は駒州軍司令部に指示に従い、後退します」

「第十二大隊は、支隊本部とともに中衛という事ですね」
 鵜灘少佐は細い顎を撫でながらニヤリと笑った。
「支隊長殿のいくさぶりを間近で拝見させていただきましょう」
 馬堂大佐は微笑を浮かべて軽く手を振って答えた
「さて、支隊長殿、作戦開始にあたって訓示を」

「‥‥ん」
 傾いた陽光を浴び、若い大佐が前に出る。
「さて諸君、我々は国家暴力の構成員である、即ち法と理性と倫理に基づき暴力を振るうものである」
 淡々とした、それでもよく遠く声が響く。
「法とは即ち明文化された責務であり権利であり軍という組織の存在根拠である。
理性とは道理であり、我々の行動の正当性を保証するものである、
倫理とは組織内の人間の相互信頼を型作るものであり、個人の良心において共有されるべきものである」
 すう、と息を吸うと声色が変わった。朗々と瀑布のような迫力のある声へと転ずる。
「さて諸君!見るが良い、我々が眼に映るのは何か!そこにいるのは我々の数ヶ月間の平穏の為に身命をとして戦い抜いた勇者達だ!そしてそれを取り囲むのは侵略者達だ!
私は保証しよう!これは御国の法に則り軍の役目を果たす護国の戦であると!
何故なら我々は内地の東半分を制しようとする敵の心胆寒からしめる戦だからだ!
私は保証しよう!この戦は国軍統帥の理性が振るう戦であると!何故ならこの戦は幾万の兵士が身命を賭しながら紡いだ戦理の果てにここにあるからだ!
私は保証しよう、この戦はまったく良心をかけた戦であると!
何故なら我々は我々の為に血を流した兵らを救う為に戦場へ赴くからだ!」
 視線を向けられた将校達は背筋を伸ばす。
「諸君、私は諸君らの上級にある国家暴力の管理者として諸君に告げよう、『正義は我らにあり、奮って暴力するべし』と」

「……兵と下士官にはこう伝えるがよい。取り込まれた戦友を救う“美味しい役”が回ってきた!貴様ら自身を英雄譚に刻め!!
矜持は自らに与えるもの、名誉は他人に与えられるもの!死しても誰にも後ろ指を指されず、生きて戻れば英雄だ!
この作戦に失敗は許されない、各員が任務の趣旨を理解し、全うせよ!
‥‥それでは作戦開始準備にかかれ」
 馬堂大佐は北領で最後まで戦いぬいた人間であった事を彼らは改めて認識した。



 作戦の開始は即ち〈帝国〉軍に対する悲劇と同義で会った。
 馬堂大佐は砲兵出身でありながら〈皇国〉剣虎兵将校と比しても最精鋭といえるほどの運用経験を持っている。
その彼が持ち込んだ経験は幕僚、軍官僚としての経験を持つ彼自身と軍監本部出身の幕僚達によって咀嚼され、剣虎兵運用教本に大いに新たな筆を食われることになった。
「敵将校下士官を優先して始末しろ」
「集結する銃兵への突撃を行え」
「敗走した兵隊を盾として敵の統率を叩き潰すのだ」
 特に〈帝国〉軍との実戦に投入を決定された二個大隊は第十四聯隊と一月かけて合同訓練を行うことで徹底した方針を叩き込まれていた。
 馬堂大佐が重視したのは砲兵、銃兵との連携である。新城少佐と異なるのは、新城少佐は剣虎兵を主導とした戦術を構築していたのに対し、馬堂大佐は砲兵、銃兵、更に言えば周辺部隊との協働を視野にいれた戦術を構築していたことである。
それは馬堂大佐の構想能力がより優れているというわけではない――もしそうであるのならば新城直衛は砲兵と銃兵により一万近くまで膨れ上がった敗残兵を抱え込んで後衛戦闘を行い、そのまま六芒郭に立てこもり熾烈な戦闘を行えるわけもない。
 これは前線指揮官としての能力の優劣ではなく、産まれと軍で得た経験の違い、もっと露骨に言えば構想力ではなく政治的な立ち位置の違いに他ならない。

 支隊本部はすでに数個大隊を潰走させ、ほんの一刻前まで〈帝国〉将校達が天幕を設置していた木立の傍で立ち話をしている。
「深追いは避けろ、兵を散らし過ぎると我々が包囲されて壊滅するぞ。
――どうにも良くないな、進みが早すぎる。快進撃は酔えぬのは、俺に戦意がないからか、それとも冷静に判断しているからなのか、どちらだろうか」」
 鉄虎大隊は剣牙虎と銃兵のみで編成された強襲部隊だ。その二個大隊をも投入した事で恐るべき戦果を上げている、既に敵の兵達は薙ぎ倒され、追い散らされている。
「どちらにせよやるべきことは変わりません、陥穽を作るのが任務である以上、進まなければなりません」
「分かっているよ、だが気に食わない。”俺は”あの姫様に三度目の夜襲を仕掛けている。一度目は敗戦の最中で私は大隊長を失い、向こうは三個大隊を失った。
二度目は龍口湾で粘られて大敗した。三度目でこれは如何にも辻津があっていない。
なぜ六芒郭の周囲では燐燭弾が放たれているのにこちらには対応しない?
なぜ兵は狼狽して引き下がるままなのか?
なぜ増援は来ない?なぜ奥へ入っても小隊規模で泥縄の戦列を組むだけなのか?
これでは鎮定軍本営と我々が見なした場所と本領軍が完全に遮断されている――大天幕を目標としたのは誤りだったか?」
偵察の戻りを待ちましょう、と大辺は指揮官を宥める。
「支隊長殿!報告です!」
「何事か」「本営にて戦闘を確認!」
「‥‥馬鹿な、新城はまだ出撃して半刻程度のはずだぞ?
いや、待て、まさか、戦闘しているのは本領と東方辺境領か?」

「おそらくは、御国の言葉は聞こえないとのことです、ですが確認する前に支隊長殿に報告せよと」

 そうかそうか、と豊久はニヤリと笑う。
「‥‥新城は――まだか。すまない、少しだけ一人にさせてくれ。
あぁ大丈夫だよ、ほんの数寸だけだ」
豊久はひらひらと手を振ると木立の奥へと入っていく。



 彼らに声が届かない程度の距離を取ると豊久は枝をへし折り――木の幹にたたきつけながら駄々子のように喚き始めた。
「クソッ!クソッ!ふざけるな!何でこんな時に畜生!
俺は皇家に連なる者でも五将家の血も汲んでないんのだぞ!
民本主義者の求める無官の産まれでもない半端者だ!
俺はただの中堅官吏だぞ!クソッ!ふざけるんじゃない!畜生!
御国と〈帝国〉の命運を揺るがす選択だと!大功だと!?
そんな責任を負えるか!俺にはそんなクソッたれの大功なぞはいらん!
嫌だ!ふざけるな!!俺は親王でも!!若殿様でも!!新城でもないんだぞ!!!
俺は!!ただの!!駒城の臣の産まれだ!!」
 枝がへし折れ、足元に転がる。
「‥‥若」「大辺か」
 笑うか、と豊久が張り詰めた声で尋ねると首席幕僚は笑いませんよ、と頭を振る

「大辺、俺に〈皇国〉4000万の命運を背負う器があると思うか?」
 大辺が目を閉じ、息を吐く。
「我々は国家暴力の管理者であると言ったのはあなたです。そして我々は暴力の執行をする為にこの場におります。
であるからには、器の有無なぞどうでも良い話でしょう。私はついていきますし、どうにかしようと手助けしますよ、罷免されぬ限りは」
 薄闇に隠れているが常の仏頂面ではなく微笑を浮かべて答えた。

「ハハハ……手厳しい奴を首席幕僚にしたものだな、わかった、わかったよ」
 豊久がふてぶてしい笑みを張り付けるのとほぼ同時に大辺は常の仏頂面に戻っていた。
「支隊長、御判断を」

「‥‥優先順位を下げよう、周囲の制圧を重視して最悪の場合は本営の制圧を放棄する――大天幕への突入は第十二大隊が行う、前衛は迂回して新城支隊のと連絡をとり突破を支援せよ、達せ」

「かしこまりました、支隊長殿」
 大辺の背中を見送り、豊久はほう、と溜息をつく。
 ――選択の余地がないのならば己の鼎の軽重を問うな、か。
 大辺が少佐に上がって数年間を軍監本部戦務課で過ごしていたことを思い出す。彼も官吏や参謀に徹しているように見えても内面は存外不器用なのだろうな、と豊久は感傷に手綱をつけようと努力しながら支隊本部の将校達の下へと歩みを速めていった。




同日 午後第十刻半 第二軍団司令部
東方辺境領鎮定軍第二軍団第9師団〈マクシノス・ゴーラント〉第1旅団長 エーミール・フォン・ドブロフスキ

 第二軍団司令部は活気に満ちていた。恐らくこれほどの熱はアラノック中将が健在であった時の龍州追撃戦以来だろう。
「警戒網を密にせよ、燐燭弾を切らさず、各銃兵隊を集結させ、防衛線を構築するのだ。
騎兵はあくまで支援に徹しろ。東部、西部の部隊から銃兵連隊を抽出し、軍団、旅団の司令部の防衛に回せ」
 だがその熱を熱病に魘される者の如きそれのような印象に変えてしまうのが軍団参謀長から司令官代理へと肩書を変えたラスティニアンであった。
「本営には」「不要だ。放置せよ」
 作戦主任の進言をにべもなく切り捨てる。
「司令官代理、よろしいのですか」
「私が命令する、そうだ、私の、軍団司令官代理の発令だ」
「‥‥はっ」
 敵の兵数すらも分からない。ならばどうする、単純だ。見捨てるしかない。
 ユーリアが主力を割いた東方辺境領の第15師団を見捨て、燐燭弾と銃兵列の壁を構築し、うまくやれれば敵を駆逐する。
 本来であれば拘束するだけのつもりであったが、蛮軍が動くのであればもはや徹底的に全てを破壊する良い機会だ。
 戦場の荒事、奇襲なれば総司令官にすべての責が向く。あの小娘が指揮を執れぬ状態にすれば全ては上手く収まる。

 司令部の直衛についているドブロフスキ旅団長はそれを心地よさとは真逆の感情で眺めている。
「我々は軍命に何一つ背かず、殿下は自分の軍命に則り敗死した。”それが真実だ”」
 あぁいと気高き東方辺境領姫よ!貴方は良き姫だった。だが、それでも貴方は魔王の毒牙にかかって死ぬのだ。
「”それが真実だ”か。あぁ俺達はそう言わねばならんのだな、最早――蛮軍は逃がすのか」
 ドブロフスキは苦い顔をした。

「逃がすしかないだろう。夜襲に長けた連中が外と中から食い破ろうとしている。ここで食い止めて何の戦略的意味がある、それならば混乱を本営まで広げさせた方がよほど良い。
真実とは皇帝陛下の下で記された事で決定される。敵が騒ぐのであればなおよいではないか」
 情報戦の盤面であることにすれば東方辺境領軍が騒ぐのも利用できる、とラスティニアンは言った。
「籠城する連中が逃げるのであればここで徹底的に痛めつける。だが深追いはしない事だ。
蛮軍が全方面で怪しい行動をしているのであればここは守勢に徹し、指揮系統を再編する。とにかく朝までに片をつけることだ」
 そうだ、最初からこの面倒な要塞なぞにこだわる必要はなかったのだ。
 要害に張りつこうとするナイオウドウを突けばよかった、コウリュウドウの野戦軍を叩けばよかった。その結果がこれだ。
 我々の同胞は無為に殺された、辺境領姫の政争の為に。我々は汚名を着せられて始末されようとしている、辺境領姫の名誉のために。
「――今でも意外ではあるよ、貴様がそこまで断固として決断するとは」
「意外、意外だと?」
 数少ない旧友の言葉にラスティニアンは血走った眼をぎょろりと向けてまくし立てた。
「ドブロフスキ、ドブロフスキ!士官学校の門をくぐり、二十余年もの間、どれほど華やかに暮らしてきた?俺達を貴族の恥だと罵る閻閥に阿り、木っ端役人の言葉遊びに追従し、薄めた粥を啜り、酒も女も遊ばぬ事を目下の金満共に蔑まれ!それでもやっと手に入れた将官の座だぞ!!」
 怯えている、追い詰められている。余裕という言葉はこの男から程遠いものだ。だからこそ指揮官には向かない性質の男であった。
「わ、私は!私の幸福の為の人生は!ここから始まるんだっ!!
物心得た時からずっと他人の物だった暮らしを!
領地を持ち、農民たちを従え、ちょっとした貯えを得て、明日も同じような朝が来ると素直に信じられる日々を!
辺境の蛮族や下らん政争……ましてや生まれ落ちて銀の匙を咥え!肉と白麺麭を喰らって育った小娘の些細な失点隠しの為に!俺の、俺の人生を覆されてたまるか!」
 ドブロフスキはそうか、とつぶやくだけだった。この男が誉められた人間ではない事はわかっている。あの姫様が丸ごと自分たちに責任を被せようとしているのだから同道したし、似たような苦労を知っている友人である。
だが今も昔もこの男は厳格でありながら上の不正を見逃してきた男だ。時には避けられなかった失点の責任を押し付けることもあった。
 だが、娶った妻は病弱であった時も見捨てなかった、薬師に見せる為に働き、節制というよりも苦行に近い禁欲的な生活を続けた。子供は流行り病で死んだ。
 鎮定軍への派遣軍団でこの男が参謀長に任ぜられたのは何処の閨閥にも媚び諂いながら属せぬ半端者であるのと同時に辺境を戦場とする苦労を知っているからだ。
 だが人望のあるアラノック中将は不審な死を遂げ、六芒郭陥落が困難なまま冬を迎えようとしている。
 今の自分達は何処の門閥にも属せぬ生贄の羊だ。
「司令官閣下!急報です!敵は本営を包囲しつつあります!要塞防衛隊もそちらに向かっております!」
「背天の業か。まぁ予想の通りだな、ドブロフスキ、頼む」
 ドブロフスキは唸った。説明は受けていたが本当にやるとは。
「我々に石神の祝福があらんことを、だな」
 ラスティニアンはにこりとも微笑まず頭を振った。
 彼らは本領から派遣された従軍司祭団主教の支持を得ていたがそれが天運の加護を得られるとは全く信じていなかった。
 あぁそういえば主教は少将待遇だったか。いや待て、そもそも大将が出張るような戦に出てくるのが主教ではないのか?
 つまり辺境領姫の排除は現場だけの判断ではないということか。いや、上と言ってもどこまで、畜生。



同日 午後第十一刻半 〈帝国〉東方辺境領鎮定軍本営大天幕
独立混成第十四聯隊 聯隊長 馬堂豊久大佐


本営への突入は馬堂豊久大佐が陣頭指揮を執った。この期に及んで高級佐官が陣頭指揮を執る軍事的な理由はない。
政治的な理由と個人的な理由を混ぜ合わせた何かが理由であった。 
「さて、これは――」
 本営の中にいたのは予想の通りの人間達だ。血を流しつつ鋭剣を手放さない参謀長、同じく流麗な構えで鋭剣を構える東方辺境領姫。そして鋭剣で切り殺された者に、皇国の弾丸をその身に受けた者。彼の周りを固めるのは杉谷中尉率いる増強小隊(新式施条銃装備)である。
 何を言うべきか考える、複雑な思いが絡み合った。
 私人としての言葉、〈皇国〉陸軍軍人としての言葉、駒州公重臣としての言葉、馬堂家の次期棟梁としての言葉、そして己の中に覆い隠し自分でも表に出すまいとした【未来の近似値】を知る者の傲慢なる野心を無遠慮に火搔き棒で引っ掻きまわされた者としての言葉――どの選択においても自分にとって正解がない事はわかっていた。
 それでも、私情を飲み下そうとした。
「‥‥どうもどうも、姫殿下。半年ぶりでしょうか?」
 ”皇国将校”の馬堂豊久は笑みを浮かべて恭しい口調のまま短銃を向ける。
「女を夜に訪れるとは無礼な男ね!」
 豊久はふてぶてしい微笑を浮かべ、杉谷に合図をすると兵たちは副小隊長と共に周辺の警戒のために出ていった。
「私どもがふがいないばかりに味方同士の殺し合いに及ぶとは、私のような田舎者にとっては理解が難しい御趣味ですなぁ」
「意見が合うな、私も如何にも理解しかねるが、貴様らが不甲斐ないとこうして暇を持て余した愚か者がこのような真似をするようになる」
 にこやかに笑みを交わしながら毒を投げつけある二人をみて杉谷はうんざりとため息をつき、初老の参謀長の止血を行った。
「貴族って大変なんですね」
「いやぁあれはあの二人がそれなりに面倒くさいだけだよ、君」

「ハッハッハ――さて、ご同行願いたいのですが?」
「俘虜の辱めを受ける気はないの」
 ユーリアはにこりと笑って短刀を抜き、自身の喉に向けるが豊久は欠伸の真似をしながら返答する。
「ふん縛って連れてゆくのは趣味ではありませぬので同意いただきたいのですが」
「‥‥口説き文句には無粋ではないか?」
 ユーリアが艶っぽく笑みを浮かべる。
「ん?貴様の良く回る舌もそちらはできぬか」
「お生憎ですが稼業の間はそのような――」
 慣れ親しんだ音とともに世界が軽く揺れた。
「砲撃‥‥味方の将兵も配置して――」
いや、包囲された時点で見捨てたのか。畜生!謀反そのものを”消し飛ばす”気か!
「殿下こちらに!」
 メレンティンが大机によりかかりながら叫んだ。
 杉谷と直卒の兵数名が長椅子を被せようとしている。
「伏せろ!」
 ユーリアは首根っこをつかみ豊久を大机にたたきつけた
 一瞬の静寂後、大天幕は爆風によりなぎ倒された。
 
 

 
後書き
お待たせしました。
月間になれない二次創作でおなじみとなっております。
いよいよ六芒郭編も終わりが見えており、頑張りたいと思います。
8月頭までには何とか後編を投稿できるように頑張ります‥‥よろしくお願いいたします。 
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