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銀河帝国革命

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帝国第一革命の失敗とソヴィエトの解散

 
前書き
連続投稿の続きです。 

 
イゼルローン要塞の陥落は帝国に計り知れない打撃となった。政府は緘口令を布告するも、噂は瞬く間に広まり、人民の帝国政府に対する不満は日々高まっていった。
これを受けソヴィエトは帝国暦483年/宇宙暦792年6月7日に中央執行委員会を緊急招集、今後の対応を協議を行った。そこで議長であるハンソンは委員たちに対し、ゼネラルストライキによる直接行動を提言した。

「イゼルローン要塞陥落によって帝国政府の脆弱性が明らかになった!これは我々が帝国を打倒し、人民革命の好機である!今こそ直接行動に移る時が来たのだ!」

「その通りだ!」「何を言っている無茶だ!」「軍に勝てるわけがない!」「今を逃したら二度と機会は来ないかもしれないんだぞ!今起ち上がるべきだ!」

「我々が親愛なる同志諸君!我々ソヴィエトは何のために起ちあがったのだ?腐った帝国政府を打倒し、真の人民主権に基づく革命を成さんとする為ではなかったのか?ここで我が身の可愛さに躊躇っていては、人民革命は未来永劫成し得ないだろう。今こそ我々人民の力を見せる時なのだ!」

長時間に及ぶ討議の結果、ハンソンが提言した直接行動が承認され、ソヴィエト全加盟組織によるゼネラル・ストライキの実施が決定されたのである。

決定後のハンソン達の動きは早く、6月18日に政府当局及びマスコミにゼネストの開始を通達後、翌6月19日に行動を開始、ただちにオーディン中の工場や鉄道などの大型施設が労働者達によって占拠され、操業が完全ストップしたのであった。





ソヴィエトによるゼネストの影響は凄まじく、ゼネストの報を聞いた帝国軍首脳部は軍の動員をリヒテンラーデ侯爵に提言、侯爵も承諾するも、軍の一部がゼネスト突入に応じて、反乱を決行したことにより、対応に忙殺されることになってしまう。その後もオーディン各所で暴動やストライキが勃発、遂にはオーディン周辺の他星系にまで影響が及び、各惑星で暴動や反乱が勃発した。

これを受けてリヒテンラーデ侯爵は、武力による鎮圧を諦め、方針を大幅に転換、事態を収拾するため、憲法の制定と国会の創設、普通選挙の実施を皇帝フリードリヒ4世に提言、これが了承されると、帝国暦483年/宇宙暦792年10月17日、後に【10月詔書】と呼ばれる帝国改革の詔勅が発布された。その結果、帝国宰相及び宰相代理の位は廃止となり、新たに首相職が新設され、その地位には元宰相代理のリヒテンラーデ侯爵が横滑りして就任した。リヒテンラーデ新首相は廃止された帝国議会を復活させ憲法を制定、その後新たな立法処置に基づいて普通選挙を実施すると明言した。

この結果を受けてソヴィエトでは対応を協議するも、10月詔書を評価する穏健派と政府の打倒を目指す過激派に分裂してしまう。穏健派側ゼネストの中止と職場復帰を呼び掛けるも、過激派がゼネストの継続を呼びかけたため、現場は混乱、その隙を突かれ軍の掌握に成功した帝国軍の鎮圧作戦に敗北してしまう。
議長であるハンソンは軍のシンパによって救出され、オーディン脱出に成功するも、幹部の殆どが逮捕されてしまう。
そしてソヴィエトは当局に協力し組織を掌握した穏健派によって[動乱を起こした責任を取る]として、帝国暦483年/宇宙暦792年12月18日に『解散』を宣言、ゼネストから始まった動乱はソヴィエトの敗北で終わった。

だが、10月詔書の約束は果たされることはなく、翌帝国暦484年/宇宙暦793年1月、帝国議会が正式に復活するも、選出方法は一部の納税者と貴族にしか参政権が与えられない制限選挙とされ、更に憲法も制定されたが、あくまで旧来の慣習法を明文化させるに留まり、帝国の支配を正当化させるだけに終わってしまったのであった。

この動乱は、後に「帝国第一革命」と呼ばれ、銀河帝国革命の原点とされているが、それはまたはるか未来の話である……

 
 

 
後書き
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