Episode.「あなたの心を盗みに参ります」
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プロローグ
プロローグ
月明かりの下。風で草木が揺れる音と、噴水から流れ出る水の音だけが聞こえる。心地のいい冷たい風が、火照った身体を冷やしてくれるようだった。
今日は、私の誕生日に恒例の、親戚が集まって行われるパーティーの日だ。私の家は、少しばかりであるが裕福だった。お父さんは有名な企業の社長、お母さんはその秘書を担っている。だから、一人娘である私の誕生日には、別荘の豪邸で、毎年豪勢なパーティーが行われるのだ。
でも、そんな日にも関わらず、私の気分は最悪だった。パーティーの真っ最中に抜け出した私は、お気に入りの庭園のベンチに座って一人泣いていた。
「どうぞ」
私の目の前に、白いハンカチが差し出される。慌てて涙を拭って顔を上げると、同じ歳くらいの青年が立っていた。
見たことがない人だ。ってことは、親戚ではないと思うから……いつもパーティーの準備をするときに雇う、お手伝いさんだろうか。
「よかったら使ってください」
「ありがとう……。でも大丈夫、ハンカチなら持ってるから」
「そうでしたか」
私は、差し出されたハンカチを軽く押し返すと、自分のハンカチを取り出した。化粧が落ちてぐちゃぐちゃになった顔を拭いて、この人のハンカチを汚してしまうのは申し訳ない。
もしかしたら、パーティーの真っ最中に抜け出した私を、会場にいる両親が呼んでいるのかもしれない。頼まれて、この人が探しに来てくれたのだろうか。
そう考えて、この人に申し訳なく思いつつ、急いでハンカチで涙を拭った。
化粧し直さなきゃいけないし、彼には先に戻ってもらおう。
改めてお礼を言おうと口を開いたとき、私が声を出すより先に、上から優しい声が降ってきた。
「——お嬢さん」
顔を上げると、月の光に照らされた青年の顔が目に入った。淡い月の光を背に立つ姿は、なんだかとてもキレイで……見惚れてしまいそうになる。
彼はニコリと私に微笑みかけると、先程差し出してくれたハンカチで、自分の右手を覆った。
「スリー、トゥー……」
最後にワンという掛け声を発すると、彼はパッと右手のハンカチを取った。驚いたことに、彼の右手には薔薇の花が一輪握られている。すっと顔の前に差し出されて、私はゆっくりと手を伸ばした。
「すごい……!どうやってやったの?」
興奮気味にそう言う私に、彼は苦笑して首を横に振った。
「申し訳ありません。マジシャンは、マジックのタネを明かしてはなりませんから」
「……それもそうね」
私は少し残念に思いながらも、笑って肩をすくめた。
そうよね。それにこういうのは、わからないままの方が素敵かもしれない。
「では、涙も止まったようですので、僕はこれで」
彼は私の顔を見て微笑むと、胸に手を当てて丁寧にお辞儀をした。てっきり一緒に会場に戻るものだと思っていた私は、驚いて慌てて立ち上がる。
「一緒に行かないの?」
彼はその質問には答えずに、ニコリと笑顔を浮かべた。
「笑顔の方がお似合いですよ、お嬢さん」
「……!」
言われた言葉に驚いて、私はなにも言えなくなった。
そういえば、涙が止まっただけでなく、私はいつのまにか笑顔を浮かべていたみたいだ。彼は、私が泣いているのを見て声をかけてくれたのだろうか。
「あ……ありがとう!」
遠ざかる背中にそう叫ぶと、彼は軽く手を上げてひらひらと振ってくれた。手の中に残った薔薇に目を落とす。素敵なマジックショーを思い出して、自然と顔が綻んだ。
でも……パーティーのお手伝いさんじゃなかったのかな……。
そう思いつつ、パーティー会場にいた人の顔を思い返してみる。だけど、一向に当てはまりそうな人は思い当たらなかった。やっぱり今初めて見たような気がする……。ここは関係者しか入れないはずなのに。
悶々と考えながら、ベンチに置いていたカバンを持ち上げる。手に持っていたハンカチをカバンにしまおうとしたとき、なにか見慣れないものが入ってることに気がついた。
取り出して見てみると、それは小さいカードのようで、片方の面に文字が書いてあった。
『明晩 月明かりの下で あなたの心を盗みに参ります 怪盗キッド』
「……怪盗、キッド……?」
その文字の最後には、可愛らしい絵文字風の絵で、シルクハットを被った怪盗のようなものが添えられていた。
「……なにこれ」
新聞もテレビも見ない私は、このカードが今世間を騒がせている大泥棒の予告状だとは、夢にも思わなかったのである。
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