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人理を守れ、エミヤさん!

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グレートプレーンズだよ士郎くん!

グレートプレーンズだよ士郎くん!





 エミヤシロウ。その名が己のものなのだと察しはついた。
 しかしそこに生の感覚は伴わない。欠け落ちた記憶が、己の名に対する実感を削ぎ落としていたのだ。
 ああ、それが自分の名前か、と。遠い日の出来事に関する記憶を掘り返す感覚に似ていた。

 『捻れ狂う光神の血(コル・ジーア・ファラ)』を発動したクー・フーリンが、唐突に姿を消した。それがブリテンの宮廷魔術師マーリンによる仕業である事は分かった。俺にはそちらの方が重大事である。どこに、どうやったのかなんてどうでもいい、認識すべきは「再び遭遇したら命はない」という事で。「迅速に移動しなければならない」という事である。

 しかしそうも言ってはいられない。俺は合図を出して『フィランソロピー』の面々を砦に誘導した。
 早々に砦内の物資を回収させる。新たに取り込んだ難民は総数を二百十一名。今まで連れてきていた群衆と合わせると三百五十二名に。二百二十八名の兵士数よりも多くなってしまった。
 彼らもまたこちらの指揮系統に属させ、目的地へ同行させる事になる。彼らには悪いが、揉め事を起こす事があれば武力で制圧すると告げてあった。最低限の秩序の背景には何時だって武力がある……悪しき歴史ではあるが、その武力が平和を敷くのなら是非もない。
 そして旧来の面々に馴染ませる為に、難民達の行軍の列をバラけさせ、派閥じみたものが出来上がらないようにする措置を施しておいた。今はそれしか出来る事はなかった。また、彼らも疲れている。一日はこの砦で休まねばならないだろう。

「マスター」

 忙しなく指示を飛ばし、漸く一段落がついた頃。アルジュナが物問いたげに声を掛けてきた。
 俺は努めて平静に応じる。

「ああ……すまない、こちらも立て込んでいてな。労いの言葉一つで放っておいてすまなかった」
「それは構いません。何事にも優先順位というものはあるでしょう。マスターは彼らの指導者、であるなら相応の重責はある。そこに文句をつける気はありません。しかし……お訊ねしますが、マスターの名はジャックではなかったのですか?」

 訝げに指摘してくるのは、契約の前に告げた名と、俺にマーリンが告げた名が乖離している点。
 名前の交換は最低限の礼節だ。そこを疎かにし、偽名を告げていたとしたら、その最低限の誠実さがない人間という事になる。
 人からどう見られても基本的に気にしない俺だが、流石にそんなふうに見られたくはない。特にアルジュナは最強戦力だ。彼からの不信を買うわけにはいかなかった。
 故に正直に告げる事にする。俺は辺りの目が向いていない事を確かめる。シータはクリスト、ミレイ、ニコルの三兄妹に囲まれていた。クリストは年が近いように見えるシータにデレデレとしている……微笑ましい光景だ。沖田は沖田で、アンドロマケの世話をしてくれていた。
 砦内の兵士達は物資の運搬、集積、見張り、休憩を代わる代わる行っている。群衆も思い思いに休んでいた。忙しなく、喧騒に包まれていて。こちらを気にしている者はいない。俺というリーダー、アルジュナという存在感のある英雄にも目がいかないほど忙しいのだ。休むのまた、必須である。他のものに目をやる暇はない。

「……これから伝える事は他言無用だぞ」
「それはどういう……」
「俺のジャックという名は、あそこのミレイという少女がつけてくれたものだ。俺には自分の名に関する記憶がないんだよ」
「記憶がない?」
「ああ。俺は固有結界が使えるんだが、ある事情でそれが使用できなくなっている。代わりにその固有結界を弾丸に込めて、敵にぶつける事で炸裂させているんだ。今のところ二発撃ち、敵サーヴァント一騎と魔神柱一体を撃破しているが……その代わりに記憶が少々欠けてな。そこに自分の名前も入っていたんだよ」
「それは……」

 ――アルジュナは瞠目した。微かに目を見開き、言葉を探す。
 人間には有り得ないその戦果を讃えるべきか否か。それともご自愛くださいと告げるべきか。サーヴァントとしての物言いを模索するも、彼は自重した。
 アルジュナは思う、彼は戦士だ。戦士の行いにケチをつける訳にはいかない。それは侮辱である。覚悟して断行した行いは、その者個人の責任である。口出しすべきではないというのが、誇り高きクシャトリヤであるアルジュナの感覚だった。故に頭を下げる。

「……なるほど。よもや偽名を名乗られたのかと邪推した事、謝罪いたします」
「いいさ。俺自身、エミヤシロウという字をどう書くのかも分からんぐらい他人事に感じてるし、名前がなくとも不便はない。ジャックという通り名もある」
「……。……私は貴方の決断と行動に何も言いません。その武勲を讃える事も。しかしマスター、これだけは伝えておきます。この私が加わった以上、マスターがその身を削ってまで力を振るう必要はありません。どうかその負担は私に負わせてください」

 揺らぎのない自負と余裕。ずば抜けた安定感。サーヴァントとして完璧な在り方。俺はそれに、若干の違和感を見咎めるも、今それには感謝しかない。
 自負があり、余裕があり、完璧である。故にやや張り詰めているように見えるのは気のせいだろうか。己を強く律する求道者のような印象がある。思えば変わり者、ひねくれ者ばかりに縁がある人生だ。コイツも絶対癖が強いんだろうなと、完璧すぎる在り方ゆえに漠然と思う。

「……すまない。それと、感謝する。頼りにさせてもらうぞ、アルジュナ」
「構いません。それがサーヴァントというものです。一応訊ねておきますが、他言無用とはどういうおつもりですか?」
「春……ああ、真名も伝えていいか。……沖田総司には俺の状態は誤魔化してある。体は弱いのに情が強いからな、変に心配させたくない。シータはそもそもエミヤシロウという名を知らない。『フィランソロピー』には指導者がこんな様なのを知られる訳にはいかない……理由としてはこんなものだ」
「……分かりました。私の所で伏せておきましょう」

 適切な理由かどうかは、俺にも判別はつかない。私情が入っていないか問われたら、確信を持って頷ける自信もなかった。
 単なる格好つけかもしれないが、確かに合理的ではあるはずだ。自分自身の名前に意味を見いだせないのだから、必ずしも重大な欠陥ではないはずである。
 しかしアルジュナは言った。

「ただ、」
「?」
「……そうですね。貴方の麾下にある者の中で、特に戦う力の弱い民、そして兵に伝える必要はないかもしれませんが、しかしサーヴァントにだけは伝えておくべきでしょう」
「……何故だ?」
「名というのは、誇りだからです」

 戦士らしい思想だった。

「名は体を表すといいます。穿ったものの見方をするなら、己の体を構成する名は、レゾンデートルになるという事でもある。自らの名に誇りを持たない戦士はいない。それは自己顕示欲によるものでもありますが、何よりも自らの骨子を確立するためでもあるのです。マスターの持つ欠陥は伏せても構いません。しかし、記憶の欠落によって実感が持てないというなら、尚更日常的に名を呼ばせるべきでしょう。自らの名は、己の行いと存在に誇りを持つ為の基点となる」
「……そうか。確かにそうかもな」

 言われてみればその通りだとも感じる。
 身近なサーヴァントの為とは言わず、自分自身の為であると説くアルジュナに頷かされた。
 納得は出来る。俺は俺の足跡に誇り……というのはニュアンスが異なるかもしれないが、自信と自負は懐いている。それを見失わない為の名前……。
 カルデアと合流するまで『ジャック』という名を改める気はないが、『エミヤシロウ』という本来の名を捨てていい理由もなかった。俺はそこに気づかせてくれたアルジュナに感謝する。

「ありがとう。助けに来てくれたのがお前でよかったと思う。これからも宜しく頼むぞ」
「はい。私も力量の高い戦士であるマスターを得られてよかった。先程の射は実に見事でした」

 一線を引いた先で微笑み、アルジュナは一礼すると踵を返す。見張りをしておきます。敵が来ましたら撃退しておきますので、どうぞごゆるりと、と。そんなふうに颯爽としていた。

「……ああ、やっぱりお前も癖がある」

 苦笑する。珍しくもない、屈折した人間。そうした人間にばかり数多く縁があった。だから――まあ、アルジュナは至極分かりやすい。
 何せ完璧過ぎるのだ。第一印象から一貫する、サーヴァントとして無欠の姿勢。英雄然とした戦士で、好青年で、どこか尊大さのある気品。こうした輩ほど、物騒な地雷がある。アルジュナほどの英雄なら、その地雷は命に関わるだろう。

「どうしてこう……くせ者ばかりが身近に集まるんだか……」

 嘆息するも、そうした『面倒臭い』輩は嫌いではなかった。変に都合がよくて、無欲で、正義感が強い。そのくせ自分の信念を固く持つ頑固者の方が嫌いだ。やはりワガママでひねくれ過ぎて真っ直ぐに見える奴の方が、味があって付き合いが楽しい。
 それに。そうした奴ほど、一度心を開いてくれたらこれ以上なく頼もしく、信頼に値するようになる。アルジュナもその手のタイプだろう。俄然、仲良くなりたいとも思う。

 いや仲良くならねばならない。円滑なコミュニケーションは、マスターとサーヴァントには不可欠なのである。鉄則だ。

 ――『マハーバーラタ』で、呪いに雁字絡めにされた宿敵カルナを射ったアルジュナは、戦後に有り余る財と権力を手に入れるも、その全てを投げ捨てて兄弟達と隠棲した。彼が何を思ったのか……。あれほど誇り高いなら、相当の自責の念がありそうだ。
 戦士としての自信がある。――故に。不死身とされるカルナが、その力の源泉である鎧を剥ぎ取られ、呪いに縛られ、戦車を操る御者を計略で操り、無防備な所に矢を射ち込んだ結末は悔しいだろう。
 何せそこまでしてもらわねば、アルジュナはカルナに勝てないと周囲に思われていたという事である。屈辱的だったはずだ。尋常な決着をと願っている筈だ。
 授かりの英雄と呼ばれている。生まれ、環境、友、伴侶。あらゆるものに恵まれ、レールを敷かれ、そう在る事を期待されて生きて――まあ、現代の富裕層の子供にありがちな、鬱屈としたものを懐いていても不思議ではなかった。

 「ま……なんでもいいさ」そう呟く。

 俺を、俺達を助けてくれたのは、施しの英雄カルナではなくアルジュナだ。人間は現金な生き物で、実際に命を救ってくれた相手の方が大事に思える。
 アルジュナが俺達の危機に間に合ったのは、恐らくマーリンのお蔭なんだろうから、彼にも感謝しなくてはならない。マーリンがいなければ、変身したクー・フーリンを撃退出来たか怪しい。
 またいつか会おうと彼は言った。その時は歓迎させてもらおう。そしてこき使ってやりたい。クー・フーリンをも惑わして、どこかにやってしまった力量は大いに頼りにしたかった。

「マスター……」
「ん? ああ、お春か。どうした?」

 密かにアルジュナお友達化計画の草案を練っていると、何やら申し訳なさそうにしながら、おずおずと沖田が話しかけてくる。
 アンドロマケはどこかに繋いでくれたのだろう。ちらりと視界の隅で、クリストが両手を地面について泣いていた。シータがすまなさそうにしながらも、そろそろと静かに離れていっている。……おいおい、もうコクってフラれたのか。惚れっぽくて無駄に行動力があるとは……シータはやめておけ、そんなナリでも人妻だぞ。粉かけたらいずれ旦那が合流してくれた時にぶん殴られる。

 沖田は頭を下げた。

「……すみません。また、不覚を取りました。大事なところだったのに、肝心なところでお役に立てなくて、本当にすみませんでした」
「……」
「私……頼りないですよね。あ、あはは……足手まといで、ほんとすみません、マスター……」
「……そう思うか?」
「……え」

 コイツはまた、思考が悪い方に転がってるらしい。
 まったく……なんだってこうも世話が焼けるんだ。面倒臭くて、だからこそ可愛く感じる。

「さっきの事なら気にするな。まだ生きてるだろう? 俺も、お前も。なら対策できる、戦える。挽回する機会は幾らでもあるんだ。気に病むんじゃない。それに俺はお前を足手纏いだと思った事はないし、これから先も思わない。俺の最初の令呪を忘れたか? 『何があろうと戦い抜け』だ。令呪の効力は切れていてもその命令は今も生きている。……って、なんで泣くんだよ」
「ぐすっ、だって……だってぇ……!」

 沖田は感極まったように涙ぐんでいた。涙腺緩いなオイ。大丈夫かお前……。
 頬を赤くして、子供みたいに眼を擦っている。仕方ないから慰めるように頭に手を置いて、俺は忘れない内に沖田に言った。

「春、これからは俺の事は名前で呼べ」
「……え? そ、それって……」
「マスターって響きもいいがな。和風のサーヴァントが横文字使う違和感はひどい。ここは日本人らしくいこう」
「な、なら……主殿?」
「名前で呼べって言っただろうが」
「ジャックさん……?」
「横文字だろそれ」
「……エミヤさん」

 往生際の悪い沖田に苦笑する。頭に置いたままの手を動かして、ぐりぐりと動かしてやった。
 あわあわと、慌てて手を振り払ってくる沖田に、俺は噛んで含めるように言う。

「シロウだ」
「ぁぅ……」
「シロウって呼べ。ほら」
「……。……ウさん」
「聞こえないぞ」
「し……シロウ、さん……」

 顔を林檎のように赤くして、恥ずかしそうに名前を呼んでくる沖田に微笑む。やっぱりその名前に実感はない。ないが、まあ――悪くないんじゃないかと、そう思えた。














 翌日『フィランソロピー』は行軍する。

 果てなどないかのような長旅だった。移動を始めて二ヶ月は経っただろう。
 様々な障害があった。といっても、平野を行く時は敵戦士団の接近なんてどうとでもなったが。
 シータとアルジュナのインドパワーをぶちかまして殲滅、殲滅、殲滅だ。小さな山があり、その中に敵が待ち構えている気配があったらインドパワーで自然破壊し、絨毯爆撃で耕してから進んだ。
 また敵に気づかれ、サーヴァントが攻めてくるかもしれない。クー・フーリンが来るかもしれない。だが今はその心配よりも、余計な交戦で足を止めたり進路を変える方がリスクはあった。

 そして、辿り着いた。冬の始まりに、なんとか滑り込む形で――グレートプレーンズへと入れたのだ。
 道すがら逃亡していた兵士三百五十三名と、難民百四十四名を更に加えて……コロラド州の東部に至った。
 その地の軍事拠点である城塞に入り……千名に増えた一団は、漸くの安住の地を得たのである。

 本格的な冬に入る前に、穀物が枯れる前に収穫を急ぐ必要がある。運搬してきた物資、城塞にあった様々な備蓄も、雨も、何もかも無駄には出来ない。なんとか冬は越せる、その後は農作業にも手をつけねばならず、人手も欠かせない――生存戦略が始まるのだ。

 そして。そうして『人類愛』は一つの勢力として、小さな、しかし大きな第一歩を踏み出す事になる。







 
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