人理を守れ、エミヤさん!
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希望の欠片だジャックさん!
逃げる。逃走する。『フィランソロピー』の士気は一気にドン底まで落ちた。
誰一人死ぬ事なく生き延びられる、その幻想を破壊された者達は現実を直視してしまった。
安住の地のない地獄にいる。あんな化け物がいる。本当はもう生き残る芽はないのではないか……そんな愚にもつかぬ思考に嵌まろうとしている。それは、それだけは阻止しなければならない。
人は死ぬ。多少なりともその事実を知っている兵士達だけは、士気を保ち規律を堅持していられるが、そうでない人々にとってなんの慰めになるだろうか。兵士はフィオナ騎士団との戦いで228名に。戦う力のない老人、女、子供、男の群衆は141名に。総計で369名にまでその数を減らしている。
495名いた彼らがその数を一気に減らし、彼らは脆い硝子細工のような希望を砕かれた。助からないのではないか、あの男がいても、人間ではないらしい少女がいても、自分達は助からないのではないか……。見ないようにしていた過酷過ぎる現実の重さに、彼らは堪えかねている。
だから走らせた。余計な事を考えさせないために。只管に走らせ、疲労困憊し思考する余裕がなくなるほどに走らせた。
夜営を行うには、まだ早い。夕方だ。しかし彼らはもう走れない、歩けない。何があっても。
……何があっても、だ。疲れきった彼らの表情は虚ろになっている。魔神柱という化け物を見て、それで何人も死んで心が折れようとしている。今、敵サーヴァントに襲われれば、全員死ぬしかない。逃げられるだけの体力も気力もない。故に休ませる。見張りを立たせ、警戒する。
「春、ついてこい」
「マスター?」
軍服の下にサラシをつけ直してある。沖田は黒衣の上に浅葱色の羽織を纏った姿で寄って来る。
俺はアンドロマケをカーターに預け、一旦彼らから離れて行動する旨を伝えていた。難民達は疲れ果てて眠っている。もし俺の姿がなくなっている事に気づかれれば騒ぎになるだろうが、今なら離れても構わないだろう。夜明けには戻ると言い含め、不安そうにするカーターの肩を叩いた。大丈夫だ、俺に任せておけ、と。担保もなく、信じられるように強がるだけだ。
俺は沖田に言った。
「カウンター・サーヴァントを探す」
「……」
「この前はペンテシレイアを見つけたな。だがそのお蔭で犠牲を出さずに撃退できた。今度は味方に出来るサーヴァントを見つけられると信じよう」
「……見つけられなかったら、どうなるんです? またあのアマゾネスの女王を見つけたり、軍勢を率いてる敵サーヴァントを見つけたら?」
「その時は全滅だ。敵のサーヴァントが軍を率いて近くにいれば、どのみち助からない。祈ってくれ、味方が見つかりますようにってな」
英雄は逆境を乗り越えてこそなのだろうが、生憎と俺はその器ではない。逆風続きの状況で、更に苦境に追い込まれても踏ん張れない。
俺だけならいい。その時は逃げるだけだ。逃げて、勝算を立て、改めて勝つだけでいい。そのなんと簡単な事か。今に比べたら――守るべき者のいない時の、なんて気楽な事か。
沖田は神妙に頷く。そして、意を決したように問い掛けてきた。強い意思を感じる。
「マスター。いざとなったら、私はマスターを何よりも優先します。カーターさんやエドワルドさん達には悪いですが、私にとって一番大切なのはマスターなんです。……まさか彼らが死ぬ時も殉じて死ぬ気でなんていませんよね?」
「……当たり前だ。仲良く心中する気はない」
「本当ですね?」
「ああ」
「……嘘でもいいです。その時は、マスターを気絶させてでも連れて逃げますから」
「……」
本当のところ、俺は彼らが全滅を避けられなくなった時にどうするのか、自分でも分からなかった。頭では分かっている。逃げるのが一番だ。しかし……。
頭を振る。合理的に、その時は動くしかない。動くしか、ない。大事の前の小事と割り切るしかなく、もし俺が死ぬ事でこの時代の滅びを食い止められなかったら、それこそ彼らは犬死にになってしまうから。
沖田の決意表明に偽りはなかった。それが正しいと認めている。だから、頼んだ。俺の中の青い部分が、変に逆らわないように。
「……その時は頼む。正直に言うが、冷静に判断できる自信はない」
「分かってます。マスターは、そういう人です。だから皆がマスターを信じられてる。どうかそのままの貴方でいてください」
歩き出す。いや、走る。のんびりと歩いていられる余裕はない。長く走れるペースで探索に向かった。
そうしていると、またも森を見つけて。流石に俺は訝しげに眉根を寄せた。
妙だなと呟く。俺はアメリカ全土の地図を記憶している訳ではないが、それでも地形の移ろいに関しては多少知識がある。
砂漠があり、河があり、森がある。山脈、林など。どれも唐突に変化する事はなく、ほぼ地形と気候は連動して形成されるものだ。そうポンポンと荒野や森が繋がっているわけもない。
思い返せば、ペンテシレイアをはじめて見つけた時もそうだ。不自然な形で渓谷があった。
この特異点は時間の流れがおかしい……推測するに、各地の地形は今と昔の地形が入り交じっているのか?
そうだとすると、いよいよ人理定礎値が深刻だ。時間が狂っている……俺をカルデアから引き離して、寿命で殺すのではなく、別の狙いもあったりするのだろうか?
「……お春」
「はい。っていうか今まで何度か流してましたけど、そのお春っていうの、なんかかわいい響きで照れちゃいますね」
ふにゃりとした笑みで沖田が応じる。顔色はいいが俺は呆れてしまった。
「そんな事を言ってる場合か? それよりお春は俺より耳がいいはずだな。何か聞こえないか?」
「? んー……特に何も……あ、待ってください、何か聞こえます」
サーヴァントである沖田の五感は、視力以外は俺よりも優れている。何か聞こえたような気がするが、気のせいであるかもしれない。
なので念のため確認してみると、沖田は怪訝そうに耳を澄ませ、耳に手を当てた。案の定、何か聞こえたようである。むむむ、と唸りながら沖田は目を閉じ、不確定ながら報告してくる。
「なんか……女の子? と、男の人の声がします」
「……春。ここはどこだ?」
「? 広野の先に何故かある不思議な森です」
「着眼点はおかしいが、大方合っている。だが……人の住める場所か?」
「……あ、そういう事ですか……」
「そういう事だ。人の声がする、それは普通ありえない。ありえないのにあるという事は、つまり某かの異常事態と見るべきだろう」
沖田の顔に理解の色が浮かんでいる。
頷いてみせ、先を急ぐ。やがて俺の耳にも声がはっきり聞こえてきた。それを頼りに気配を殺して走っていく。森の中を数百メートル走っていると、すぐに開けた空間になる。森というよりは林だったようだ。
少女が、大声で喚いて暴れている。筋肉質で褐色の肌をした、金髪の大男が少女を縛りあげて肩に担いでいた。
「あの男は……」
「知ってるんですか?」
ああ、と頷く。フェルグスと同じで、よく知っていた。
「ベオウルフだ」
赤原猟犬のオリジナルを持つ英雄。
体に無数の傷を持つその男は竜殺しでもある。武勇に秀で、武器を使うより格闘戦を好み、実際素手の方が強い。
俺は二人を観察した。ベオウルフの肩に担がれているのは、小柄な少女である。燃え上がる火焔のような髪を頭の両サイドで纏め、少女然とした華奢な姿には似つかわしくない凛とした雰囲気がある。
そして……衣服は殆ど身に付けていない。相手はベオウルフだ、戦闘を行ったのだとしたら、かなり激しくなり衣服が破れてしまったのかもしれない。ベオウルフは婦女子に乱暴する下衆ではないから、衣服が破けるとしたら戦闘以外には考えられず、あの二人は敵同士という事になる。現に険悪な様子だ。少女からは殺気すら感じられる。
俺は目を凝らし、二人の口の動きを読んでやり取りを盗む。
「……ベオウルフは、ケルト側か」
ベオウルフは少女を倒し、アルカトラズ刑務所に収容するつもりのようだ。……この時代にアルカトラズ刑務所はなかったはずだが……やはり先程の推測は正しいのかもしれない。さもなければおかしい。
ベオウルフが敵なのは痛い。味方ならよかった。だが敵だというなら是非もなし。あの少女もサーヴァントだ。救い出せば力になってくれるかもしれない。ならば――仕掛けない理由などなかった。
「春。俺が仕掛ける。お前は三段突きで奇襲しろ。いいか――その一撃で、確実に仕留めるぞ」
「は。我が秘剣の煌めき、ご覧に入れましょう!」
に、と骨太な笑みを湛え、すぐ表情を引き締める。
投影するのは黒弓と、赤原猟犬。沖田が気配を遮断して離れていったのを確認すると、投影宝具を弓に番える。魔力を充填させはじめると――ベオウルフはこちらに気づいた。
手足を鎖で縛ってある少女を地面に捨て、獰猛な笑みを浮かべる。しかし怪訝そうな顔になった。自分の剣の魔力を感じたからだろう。俺は構わず、最低限度の魔力を迅速に込めて。
弓の弦から、呪われた魔剣を撃ち放った。
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