人理を守れ、エミヤさん!
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油断大敵だね士郎くん!
右腕が動かない。治癒不能の黄槍を受けてしまったからだ。
干将莫耶による二刀の近接戦闘は不可と断じる。敵に近づかれる事自体を避けねばならない。英霊エミヤならば、片腕でもある程度は戦えるのだろうが、生憎と奴ほどの戦闘勘がない俺には無理だ。あの男の位階は、戦いに生涯を捧げてはじめて至れる境地。そんなものは俺には要らないし、求めるつもりも毛頭ない。
ソロモンの強化の魔術によって、サーヴァント並みの身体能力を得られるからと驕れば痛い目を見るのは自明だ。
片腕が不能な以上弓も使えない。投影宝具の掃射による中距離からの支援を徹底するしかなかった。今後の展開を考えれば、固有結界を使う機会もないはずである。
傷口の周りの皮膚を剣の鋼で無理に塞ぎ、強引に止血しているから、下手に固有結界を使おうとして暴走してしまえば即死する恐れがあった。例えば今、ディルムッドの魔を断つ赤槍を受ければ、それだけで致命傷だろう。
右腕を取り戻すには黄槍を破壊するか、ディルムッドを撃破するしかないが、聖杯に使役されている以上は奴を倒しても時間が経てば復活する。完全に倒した訳ではないから、傷が治らない可能性が僅かにある故に、黄槍を破壊するのが最も確実だろう。
マシュが心配そうにこちらを窺ってくれている。不自然ではない範囲でさりげなく右側に立ち、カバーしてくれる辺りにシールダーとしての高い意識が垣間見える。頼りになるが、そこまで気にしなくてもいいとも思った。
それに心配してくれているのはマシュだけではない。俺が背に負った桜も気遣ってくれている感じがして、俺は薄く微笑を溢す。おうロマニ、お前この二人の爪の垢煎じて飲めよ。
「……」
想定される敵は湖の騎士、輝く貌、百貌、青髭だ。前者の二騎はともかく、後者の二騎は脅威にはならない。青髭は前準備がされていたら厄介だが、大聖杯に向けて急行している現状、大聖杯への接近を防ぐ為に復活してきても迎撃態勢は不完全となる。
それならアルトリアの聖剣や、ロマニの魔神召喚で一撃で屠れると実証済み。百貌に至ってはマスターの近くにサーヴァントがついている以上はさして脅威とも言えない。油断してサーヴァントの守りを外し、不意打ちを受けさえしなければ問題なかった。
勝ち筋は見えている。後は大聖杯まで行ってロマニに『この世全ての悪』を洗浄して貰い、大聖杯の脅威を排除した後にネタばらしだ。
彼らが納得してくれればよし、理解が得られなかったら戦闘開始となる。まあ十中八九戦闘になるだろう。理解と納得は別物だ。――やり方が少々黒幕チックなのは勘弁してほしい所である。
さておき、ロマニに征服王を、マシュにアルトリアを抑えてもらって、俺がセイバーのマスターとしてのアイリスフィールに『破戒すべき全ての符』を刺し、アルトリアを脱落させるのが合理的だろう。
その後に征服王を数で叩けばいい。征服王には『王の軍勢』という、独立サーヴァントの連続召喚を行う宝具があるらしいが、魔術王としてのロマニが魔神を召喚すれば、恐らくなんとかなるとのロマニの見立てがある。
――言うまでもなく皮算用だ。実際にそこまで都合よく進むとは思っていない。
だが自軍の都合がいいように進ませるのが指揮官の仕事だ。その状況での切り札は聖杯になる。ロマニに浄化してもらえば好きに使える魔力タンクだ、使わないのは勿体ない。ロマニのバックアップに使えば、七十二の魔神全召喚も可能になる。どう戦力を計算しても勝てると断じられた。
円蔵山が見えてきた。……これで何度目だ? 此処に来るのは。いい加減見飽きたし、これで最後にしたいものだが――どう足掻いてもこの人理を巡る戦いが終われば、桜の為に再び来ねばならない可能性がある。
冬木の第五次で一回目、特異点の冬木で二回目、そして今回で三回目、後に四回目もあるのかもしれない。生涯でそれだけ大聖杯を見る機会があるだなんて、冬木は呪われているのではなかろうか? 超抜級の魔力炉心といっても何度も見れば有り難みも皆無である。
……待てよ。コイツを持ち帰ればカルデアの食費が浮くのでは……?
レオナルドやロマニに依頼し、聖杯を改造してダグザの大釜みたいにすれば食料無限湧きも可能ではなかろうか。もし可能なら設備復元も可能! そうなったら職員の職場環境を大幅に改善できる!
おお、夢が広がるな! 人理が回復すれば聖杯の使用データも一瞬で消去、不都合なデータも改竄自由! はっはっは! これは良いことを思い付いてしまった! 特異点で手に入れる、特異点化ばかりに使われるなんちゃって聖杯じゃないんだ、まさに万能の願望器。他の特異点にも持って行って、脱落した敵サーヴァントの魂を回収していけば再利用召喚も出来るかもしれない。経費ゼロで! なんだこれは無敵じゃないか!
――まあ無理なんですがね。
レイシフトは繊細で精密なシステム。そんな莫大なデータを積んでいたら、漏れなく俺の意味消失は免れない。普通に死ねるのでやる訳がなかった。聖杯で出来るのは、カルデア内であれこれする事だけである。
「……先輩、あれを」
――か細いマシュの固い声に、意識が急激に収斂する。雑念が全て消え、俺は直ぐ様マシュの指し示すものを見遣った。マシュは悼むように目を伏せる。
円蔵山の麓、大聖杯のある空間へと至る為の洞窟の入り口に、奴らはいた。
悍ましい怨念を纏う黒化英霊。個の質を極めた輝く貌、湖の騎士。そして単身の百貌、魔本を開いた青髭。加速度的に海魔が召喚されていき、百貌が分裂していった。
うんざりと溜め息を溢す。その醜悪な面を見ていたら、蛸が今後食い辛くなる。なるほど、いつぞやのアルトリアが蛸料理に怯んでいた理由が分かった。厳密には違う生物だが、こうも似ていると苦手意識が湧くのも頷ける。
奴さんはどうしても俺達を中に入れたくないらしい。黒化英霊達が戦闘態勢に移行する。
ディルムッドが双槍を構え、ランスロットが魔剣を抜き放つ。百貌が周囲を取り囲むように分散し、魔本の魔力が高まった。張り詰めていく空気に、ぎゅ、と小さな手で桜が俺の赤い外套を握る。その不安を解くように、俺は背中の桜に軽く言った。
「心配するな、激しく動いたりはしない」
すぐに片をつける。だからしっかり掴まっていろよと告げた。
正直な話、こんな所にまで付いてくる桜には説教が必要なんだろうが、それよりも桜に必要なのは我が儘を聞いてくれる存在だ。思う存分に我が儘を聞いてくれて、頼らせてくれて、それでいて守ってくれる存在が今の桜には必要なのである。
桜の意思を守りながらその命を守り、そして特異点を攻略する。それを全部成し遂げねばならないのが大人の辛いところだが。なに、荷物を背負うのには慣れている。今は人理の命運を背負っているのだ、少女の命が乗っかった程度でハンデにはならない。
油断はしない。しかし緊張も過度にしない。順当に戦い、順当に勝つ。宝具の図面を脳裏にイメージし、擊鉄を上げる。と、その工程に割り込む声があった。
「――早速か。此処は余が引き受けよう」
「ら、ライダー……?」
戦車の御台に座り、手綱を握っている赤毛の征服者だ。戦車の中で不安げに見上げている少年の頭に分厚く大きな手を置き、征服王は自信ありげに笑う。
その雄らしい精悍な笑みを浮かべたまま、彼は堂々と告げる。
「彼奴らは余が討つ。うぬらは先に進むがいい」
「……ライダー、何か策が?」
「策? そんな小賢しいものはない! 英霊の誇りを失った彼奴らに、余の王道を示してやるまでの事よ。なぁに、たかがサーヴァント四騎如き、余の敵ではないわ」
アルトリアの問いに、威風を昂らせるイスカンダルの放言は、彼が犠牲になるつもりなどない事を感じさせる。
俺にはイスカンダルのしようとしている事が分かった。そしてそれが最も合理的である事も同時に理解する。
「聖杯はうぬらに任せよう。然る後に雌雄を決しようぞ」
「意気込みは有り難いが、余り遅いようだと手遅れになるぞ。ああ、俺としてはそちらの方が助かるが」
「ランサーのマスターよ、余を出し抜かんとする意気込みやよし! その時はうぬが一枚上手だっただけである。怨み言は言わん、好きにするがいい。だが忘れるな、余はうぬとランサーをこの聖杯戦争最強の敵と見込んでおる。覚悟しておれ、必ずうぬらを征して見せよう」
「――ああ。ただし、俺はアンタと争うつもりはないがな」
一瞬だけ笑みを交換し、イスカンダルが吼える。
「さあ征くぞウェイバー! 己が召喚した者が真に最強の王であった事の証を魅せよう!」
瀑布のような魔力が吹き荒ぶ。熱砂の混じる灼熱の風が辺りを席巻し、黒化英霊らがさせじと馳せるのも意に介さず、征服王の宝具『王の軍勢』が発動した。
瞬く間に灼熱の心象風景に呑み込まれ、五騎の英霊達が消える。ウェイバーもまたイスカンダルと共に固有結界の中に消えた。
「――きっ、消えた!?」
「この感じは固有結界だ。全く――長ったらしい詠唱もなしに、展開は一瞬か。……行こう、悠長に構えている暇はない」
アイリスフィール達を促し、円蔵山の洞窟に入る。その際、アルトリアは遂に確信を得たように問い掛けてきた。
「シロウ」
「なんだ、アルトリア」
「貴方はライダーの宝具を知っているようだった。貴方は何者だ」
「――さて。その問いには、聖杯の件が済んだら答える。包み隠さず、全部な。今はそれで納得してくれ」
「……いいでしょう。確かに今は、問答している場合ではない」
やれやれ、イスカンダルの宝具展開に驚かなかった、それだけで悟られるなんてアルトリアの直感はやはり冴えすぎだ。
勘のいい手合いには理屈と言葉、態度を一貫し、煙に巻くのが一番だが……アルトリアだけはほんの僅かな失点だけでご破算になるから気が抜けない。まあいずれは勘付かれると分かっていたから、寧ろここまで煙に巻けて良かったと思っておこう。
洞窟を進んでいくと、次第に強大な呪詛に濡れた大聖杯の魔力を肌で感じられるようになってくる。アイリスフィールは目に見えて顔を強張らせつつあった。俺はふと思い出した事がある。それとなく宝具を投影し最後の工程を凍結して待機させておいた。
やがて開けた空間に出る。そして大聖杯の全貌を拝んだ。マシュやロマニも、一度は見ている冬木の大聖杯。汚染されたそれに、驚きはなかったが――アイリスフィールとアルトリアは驚愕していた。
「そんな……まさか本当に……!? 大聖杯が呪いの塊になっているじゃない!?」
「――いえ、塊ではありません。アイリスフィール、あれは、大聖杯は呪いを孕んでいます。間もなく誕生するのかもしれません。……魔術王、貴公は本当にこれを浄化出来るのか? この場で破壊した方がいいと思うが」
「浄化なら問題ないよ。『この世全ての悪』を濾過して消滅させれば、元通りの無色の魔力炉に戻る。まあ、三十分ぐらい時間をもらわないといけないけどね」
ロマニの言に、俺は頷いた。そして目敏くアイリスフィールの容態の変化を見咎める。
「っ……!? ぅ、な、なに……?」
「……」
「あ、ぁぁ、セイバー……! 逃げ、て!」
「アイリスフィール? どうしました!?」
体を掻き抱き、苦悶の声をあげる冬の姫。呪いに侵されていくアイリスフィールの変貌にアルトリアは狼狽した。が、まあ――そう来るだろうなと予見できていた。
アイリスフィールはイリヤと同等の性能を持つらしい小聖杯だ。大聖杯と繋がりがある。故に『この世全ての悪』は、この状況を覆すために器を欲するだろう。まあ、読み通りだ。
「『破戒すべき全ての符』」
投影の凍結を解除し、手に顕した短刀をアイリスフィールに突き立てる。アルトリアが柳眉を逆立てた。
「何を!?」
「――アイリスフィールは大聖杯に乗っ取られそうだった。だから奴との繋がりを絶ったんだ」
言いつつ、俺では契約を選んで破戒する事は出来ない。故にアルトリアとアイリスフィールの間にあったパスも絶ってしまう。アルトリアは慌てた。アイリスフィールは余りにも大きな負荷を受けて気絶し、その場に頽れて昏倒する。
「お前を騙し討つつもりはない。彼女が意識を取り戻すまでの間、俺と仮契約してくれ。後で必ず契約を解き、アイリスフィールの許へ返すと約束する」
「……貴方を信じろと?」
「虚言だったら俺を斬れ。まだ右腕は動かない、お前なら簡単に俺を斬れるだろう」
「……。……承知した。ただし、貴方の傍に控えさせてもらう。偽りだったら、令呪を使う間もなく私の剣が裁く」
だめ、と桜が呟く。俺は苦笑して桜を下ろした。
「すまない、マシュ。この子を頼む」
「……はい。余り無茶な約束をしないでください」
「生憎と性分だよ。今更生き方を変えるつもりはない」
呪文を唱える。冬木式の、再契約の呪文だ。――どこかで聞いた――いや、見た? ……なんだろうか、記憶が曖昧だが覚えている。それを自然に舌に乗せて結びとすると、アルトリアは俺の手を取り仮初めの契約が此処に――
“”――キャスター、貴様……!“”
「ッ……?」
「士郎くん! 何をしてるんだ!?」
アルトリアと契約を結んだ瞬間、ビジョンが走る。激しい頭痛がした。ロマニの焦った声が響く。先輩! マシュの声が激しく鼓膜を叩いた。視界が白熱し、認識が遅れる。
アイリスフィールを器に出来なかった『この世全ての悪』が足掻いた。大聖杯から津波のような汚泥が迸っている。俺は愕然とした。アルトリアを意識する余裕もなく吼えた。
「――マシュ、宝具を展開しろ! お前なら防げる!」
「先輩も早く私の後ろへ!」
言われるまでもなく、アルトリアの手を引いて走り始めていた。だが――忘れる訳にはいかない。咄嗟にアルトリアをマシュの方へ突き飛ばし、アイリスフィールを確保すると、彼女をアルトリアへ投げ飛ばす。
「シロウッ!? 貴方は、何を――!」
――汚泥が、この身を呑み込む。
白亜の城があらゆる穢れを祓う光景を見て、俺は失笑した。
……この期に及んで、人助けをしてやられるなんてな。まったく、仕方がない。汚泥に全身を呑まれ、暗転していく意識の片隅で思った。
――油断は、してなかったんだが。どうもな、体が保身よりも先に、動いてしまったんだから仕方がない。
マシュが叫ぶ。桜の悲痛な悲鳴が聞こえた。それになんとか強がりを返そうとして……何も声が出ない。たまには助けられる側になろうと皮肉ぶる。ロマニがいる、マシュも。頼れる奴らだ、少し耐えるだけでいい。なに、昔から――《b》昔から?《/b》――我慢比べで誰かに負けた事はないんだ。アンリ・マユなんて小者に、負ける気は――
――よぉ。ご機嫌如何かな? エミヤシロウ。
聞き慣れた、声がした。眼前に、全身に刺青の施された青年が立っていた。
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