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人理を守れ、エミヤさん!

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偽伝、無限の剣製 (前)



 ソラが、落ちてきた。

 聖剣の光に照らされ、(かし)いだ北欧神話の世界樹(ユグドラシル)の如き樹槍。その偉容はローマの歴史その物の質量に比し、たった数騎の英霊など容易く押し潰してしまうだろう。
 聖剣の一振りで消し飛ばすには巨大すぎる。楯で受け止めるには重すぎる。人智で計るには荷が勝ちすぎた。
 一瞬、諦念が脳裏を過る。ここまでか、と体から力が抜けてへたり込みそうになる。だが諦めて堪るかという、強烈な怒りにも似た激情に俺は天蓋の崩落を睨み付けた。
 しかしそれがなんになる。不屈の闘志が一体なんになるというのだ。そんな精神論、この現実の事象にどう左右するという。ゆっくりと傾ぐ樹体、後のない危機的状況。まさに絶対絶命という奴であろう。
 だが、それこそなんだというのか。絶対絶命なんてもの、これまで幾度も乗り越えてきたではないか。今度も乗り越えられる、乗り越えて見せる、現実に施行可能な選択肢を思考しろ、何がこの危機を打開せしめるのか見極めろ。

 マシュの楯で凌ぐ――却下だ。マシュのそれが強力無比な防壁となるのは確かだ。しかし上から圧し掛かってくるものを受け止めるという事は、そのまま巨大質量を支える事に繋がる。そうなると宝具の長期展開を余儀なくされるだろう。
 宝具を長時間展開出来るだけの魔力を、俺もマシュも残していない。仮に実行した場合、魔力が尽きるまでの間、死期が遠ざかるだけ。時間を稼いで策を練る猶予を稼げるかもしれないが、それだけだ。今より消耗した状態で一体何が成せるというのだ。
 ではアルトリア、或いはオルタによる聖剣抜刀はどうか。――これも却下である。マシュの楯すら満足に発動出来るかどうか定かでないというのに、最強の聖剣の魔力消費に今の俺が耐えられる筈もない。そもそもこんな巨大なものを焼き尽くすほど、広範囲に放射出来るものでもなかった。無理矢理に聖剣を解放させたとしても、魔力の不足故に通常の威力を発揮する事すら出来まい。
 となるとネロ、アタランテ。この二人もまた論外だ。単純に火力がない。ネロの剣に灯る火も、果たして全員を守護するのに足りるのか。不確定なものに賭け、縋るのは無責任である。

 ――無意識の内に、一節を口ずさんでいた。

 マシュを見た。薄く儚い少女。普通の、女の子。デミ・サーヴァントとして楯を構え、なんとか防ごうと気組を立てている。その目は只管に俺を見ていた。
 何故俺を見る? 俺ならどうにか出来るとでも? ……いや。自分に命じろとマシュは言いたいのだろう。自分が真名解放し一時とはいえローマの質量だろうと支えて見せるから。その間に、なんとか逃げてほしい、と。
 その献身は。
 命を賭してでも俺に尽くそうとする姿勢は、誰かのために在ろうとする感謝の気持ちは。尊い物のはずのに、吐き気がして。
 俺の神経を逆撫でにする。逆上にも似た怒りが俺を発奮させた。

 ――お前を犠牲にする手なんて、選べるか。

 三十路手前のいい年したおっさんが、ガキに縋るようになったらお仕舞いだ。
 渾身の魔力を振り絞り、紡いだ二節。軋む肉体。哭く回路。強がりは男の子の特権だ。だが苦境の強がりはおっさんの義務である。剣製に特化した魔術回路が唸りをあげ、鋼の剣が内部から総身を突き刺していく。痛くないよと痛がって、表情の上に鉄を置く。微塵も顔色を変えない、もうこうなったら意地だった。
 アルトリアとオルタを見た。無理矢理に聖剣を解放しようとしている。己の存在を維持する魔力を聖剣に充て、充填させていく。責任を取るつもりなのか、この事態を招いた事を責任と捉えているのか。
 ばかめ。決定し実行したのは俺だ。ならその責任は俺のものだ。リーダーは俺だろう。偉ぶる為にリーダーを張ってる訳じゃない。断じてお前達に重荷を背負わせるものか、こんな所でお前達を失って堪るか。
 俺は、待て、と断固として言った。
 ハッとして俺を見る碧い瞳、琥珀色の眼。信じ難い物を見たというような顔は、属性が正反対であっても同一人物である事を納得させた。
 立ったまま顔を伏せ、内側から突き出てきた剣山に貫かれ無惨な肉塊と化した左腕をぷらんと落とす。眼を閉じ右手で祈るように拳を作った。

 ネロは何を察したのだろう。アタランテは事を成さんとする男を見守っている。

 みんなは俺の成そうとする事を知っている。俺の能力は話してある。故にだろうか、託すように俺を見ていた。
 その信頼が重い。その視線が痛い。もう使う事はないと、自らに禁じていた、あの朝焼けの丘。克明に浮かび上がるイメージに心的外傷の瘡蓋が剥げる心地がした。
 あらゆる信条をネジ曲げても、魔力が足りないという現実的問題がある。展開出来ても十秒そこそこだろう。結界の範囲を限界まで広げ、外部の世界から遮断し――其処からどうする。異世界というシェルターを敷いて、其処から、どうするというのだ。

 三節、四節、五節。

 唱える内に、傾いだ樹国はソラとなって落ちてくる。いつの間にか側まで来ていたマシュが肉塊となった左腕を掴み、倒れそうな体を支えてくれた。

「――yet, (けれど)

 頭をカラにして、紡ぐ六節。

my flame never ends(この生涯は未だ果てず)――」

 頭痛がする。喉元を競り上がる鉄の味に、束の間、現実を忘れた。

My whole body was (偽りの体は)

 この偽物が、借り物の人生が、俺のものなのだと謳う厚顔無恥。
 恥知らずな我が身。省みぬ罪禍。
 本物の尊さを語る術はない。偽物の偽者だ。何を言っても白々しく何を知っても空々しい。この身に赦されたのは、仮初めのもの。所詮は空想、幻想に至らない夢のカケラ。

still (それでも)

 七節。
 詠唱は完成する。偽物だと自嘲した口で、情けない本音が囀ずられる。
 それでも、と。これしか自分にはないのだから。
 己のためではなく。せめて誰かのために刃を振るう事は、赦してほしい。そう願う。
 認める者はいない。俺の秘密を知る者もいない。だがそれでいい、誰も知らなくていい、俺が偽物のエミヤだと、知らなくていい。みんな俺を本物だと信じる。なら、俺は偽物でも、本物として恥知らずに駆け続ける。
 だって、どう足掻いたところで。(こころ)が偽物でも、この体はきっと――

"unlimited blade works"(無限の剣で出来ていた)

 ――走り続ける限り、折れる事はないと信仰する。

 真名が世界に熔け、崩落する樹国がソラより落ち、大地にあるもの悉くを押し潰す刹那。
 鉄を鍛つ火が駆けて、人理の守護者らを取り込んだ。








 固有結界(リアリティ・マーブル)

 曰く、固有結界とは悪魔が持つ『異界常識』だった。それを人間にも使用可能な範疇に落とし込み、魔術として確立したのが魔法に最も近い魔術。魔術世界の禁呪である。
 それは術者の心象風景で現実の世界を塗り潰し、内部の世界そのものを変えてしまう魔術結界。御大層なことに魔術に於ける到達点の一つとされるもの。本来衛宮士郎のような未熟な魔術使いに至れる境地ではない、叡知の結晶だ。
 だが。
 この体は固有結界にのみ特化した魔術回路。この回路を通して行使される魔術は、悉くがリアリティ・マーブルの副産物に過ぎない。
 剣製が出来るのではない。剣製しか出来ないのだ。魂ではなく、肉体に埋め込まれた聖剣の鞘に、起源を剣に変えられて。故に固有結界の現す異能は剣製の枠組みから外れ得ない。
 衛宮士郎は、例えどう在っても、剣製に特化した魔術使いでしかないのだ。

「これは……」

 ――晴れ渡る蒼穹のソラ。

 果てなく広がる底無しの青空を、赤い土に突き立つ無限の剣が支えている。
 雲一つない晴れ模様が憚りなく心象を示す。
 影一つ生まない日輪の歯車が淀みなく廻る。
 無限に精製される剣群、絶え間なく流れる清流の涼風。なんて恥知らずの具現なのか。偽物は己に恥じるものなどないと信じているのだ。
 完璧に滑稽。まさに道化だ。だが、弁えよ。道化の所業であれ、扱う用途によっては価値もある。急速に溶けゆく魔力に命尽き掛けるのを、俺は歯を噛み締めて堪えた。
 流石に馬鹿にならない魔力消費量だ。人理が焼却されている故に、世界の修正力もほぼなくなっているにも関わらず、俺如きでは展開しただけで内臓をシェイクされているような激甚な痛みを覚え眩暈がする。
 それでも、マシュに無理をさせるよりはマシだった。アルトリアとオルタをこの局面で落とすよりずっと良かった。友と呼んだネロに縋るよりもこれが最善だったと言い張れるだろう。

 カルデアから通信が入る。驚愕にまみれたそれは、果たしてロマニのものだった。

『この反応は……固有結界か……!? まさか士郎くん、きみがこれを……?』
「すまんがくっちゃべってる暇はない! ロマニ、戦闘服を通じて俺にカルデアの電力を廻してくれ。そう長くは保たんぞ……!」

 元々限界寸前だったのだ。無理矢理魔力を捻り出したせいで左腕が逝った。完治させるのに一週間はかかると見ていい。どう足掻いた所でもうこの特異点では使い物にならない。
 張り詰めたものを感じてくれたのか、ロマニが「滅茶苦茶痛いけど、我慢してくれよ!」と言って電力を回してくれた。改造戦闘服のシステムが、電力を魔力に変換し、俺の魔力負担を軽減してくれる。代わりに、魔術回路に得体の知れない異物が流れ込んでくるような感覚がある。
 痛いとは思わなかった。痛覚は操作できるものだが、今は純粋に痛みを感じる機能が落ちていたのだ。固有結界を維持する魔力をカルデアが担ったが、それもあくまで一部だけ。到底、アルトリア達の聖剣には回せない。

「これが……固有結界。先輩の、心象風景……」
「恥ずかしいから、あまり見ないでくれると助かる」

 感嘆符でも付きそうな表情のマシュやアルトリア達に、俺は渋面で言った。
 俺にとって自らの恥知らずっぷりを露呈させる最悪の禁呪だ。出来るなら使用は避けたかったのである。
 そもそもこれは、戦闘向けの魔術ではない。これが有効なのは有象無象の雑魚か、英霊の中でも最強に位置する英雄王に対してだけ。今回はシェルター代わりに展開して外界から切り離し、ローマに押し潰されるのを防ぐのに使ったが……それとて苦渋の思いを圧し殺しての事。不本意だった。

「……マシュは俺の前に。ネロ、アタランテは俺の傍だ。アルトリアとオルタ、二人は前衛として構えろ」
「……? 何故だ、シェロ? そなたのこれは世界から切り離された異世界なのだろう? ならば警戒すべきものはないであろう」
「――必要がなければ言わん! 早くしろ!」

 一喝し、すぐに指示通りの陣形を取らせる。流石に歴戦の英霊達は動きが早い、アタランテは即座にネロの手を掴んで俺の傍らまで来るや油断なく弓を構え、一拍遅れ駆けつけたマシュの死角をカバーする。
 アルトリアとオルタは瞬時に、黄金と漆黒の聖剣を晴眼に構え周囲を警戒した。

『なるほど、そういう事か』

 固有結界をマスターが使える事への驚きを呑み込み、ロマニは納得したふうに呟いた。固有結界の特性を、彼は知っているのだろうか。

『士郎くんが固有結界を展開した時に、結界の範囲内には君達以外にもそれ(・・)があったね』
「ドクター、それとはなんですか?」

 マシュが訊ねる。ロマニは強い緊迫感を表皮に這わせるようにして言った。

『すぐ側まで倒れ込んできていた巨大な樹木だよ。丁度(・・)、巨大な樹木の中腹辺りの(・・・・・)ね』
「……ぁっ、」

 マシュの瞳に理解の色が広がる。途端、顔を強張らせて周囲を警戒し出した。
 だがその必要はない。紛いものとはいえ、この結界の内側は俺の領域。意図せずして取り込んでしまった(・・・・・・・・・)異物の感知など、赤子の手を捻るよりも容易い。

『――固有結界内の魔力反応急激に増大! 来るぞマシュ、士郎くん!』

 警告と共に、赤い土が盛り上がる。
 莫大な魔力噴流、活火山の噴火の如き勢力で大地を蹴散らして飛び出てきたのは、濁流のように垂れ流される汚濁の魔力塊である。
 濡れた泥のような粘性のそれが、ぬちゃりと周囲に撒き散らされ、触手じみてうねる樹木が錨のようにソラを刺した。

「……!」

 蒼穹のソラを汚染する油。それの正体に気づいたネロが、悲痛に表情を歪めた。
 帝都を埋め尽くしていた、異様な偉容を誇った樹木、その中枢にあったと思われる、恐らくは樹槍の本体。即ち――

『! 気を付けるんだみんな、それからは聖杯(・・)の反応がする! 間違いない、それはローマ建国王の――』

「――いいや。奴はもう、ロムルスじゃない」



 魔神霊、顕現



 夥しいまでの眼、眼、眼。
 さながら魔神柱の如く、魔力の塊である樹木の表面を深紅の眼球が埋め尽くしていた。
 うねる触手の樹面を掻き分けるようにして、膨大な魔力熱量に焼け爛れた、天性の肉体が進み出てくる。
 見る影もない、神性も真性も失った神祖の遺骸(霊基)――それに寄生する魔神の悪意。聖杯の力で、英霊ロムルスを汚染する特異点に投錨されたもの。

「ぉ、ぉお、おお……な、なんたる事だ……」

 余りに無惨。余りに悲惨。怨嗟を漏らし、睨み付ける眼は激怒の涙に濡れてすらいる。
 ネロは怒りの限度を超えて言葉を失っていた。薔薇の皇帝が、神祖に託された『火』を一層激しく燃え盛らせる。原初の火の銘を持つ剣を、ぎゅぅぅう、と強く握り締めた。

 見ろ、と注意を喚起するためにオルタが促した。

 ヘドロのように溶け落ちた樹槍を持つ魔神が立っている。
 沸騰した溶岩のような魔力を放ち、その膨大な魔力は何重にも重なった防壁となっていた。あれがある限り、火力という面で騎士王に大きく劣る女狩人では、とても有効打を与える事は叶うまい。
 む、とアタランテは物言いたげにオルタを見る。侮られたと感じたのか。しかし限界まで弦を引き絞ればAランクにも達する一撃を放てるとはいえ、連射が出来ぬならここぞという局面まで力を温存すべきだというオルタの見解は正しい。

「シロウ、指示を」

 オルタの冷徹な眼差しは、この特異点の戦いが最終局面に達したのだと告げている。
 微塵の揺らぎもない機械めいた姿は頼もしくすらあった。俺はネロを見る。気遣われていると思ったのか、気丈に薔薇の皇帝は俺を睨む。侮るな、と。ここまで来て怒りに立ち止まる事も、嘆きに鈍る事もない。余はローマなのだからとその眼が雄弁に語っている。
 ならば気遣うのは逆に失礼だろう。ネロから視線を切り、俺は総員を見渡した。

 神祖の霊基を乗っ取った魔神が、ようやっとこちらへ焦点を合わせ、ヘドロの槍を振りかざす。

 赤土が隆起した。魔神を基点に巨大樹の根が幹が津波となって襲い来る。
 この特異点ではすっかり見慣れた光景だ。マシュが飛び散る木片から後衛と俺を庇うように立つ。その様は、まさに城壁の如き楯――

「敵性個体、戦闘態勢に入りました! 来ます!」
「ああ、完膚なきまでに勝ちにいくぞ。各自最善を尽くせ、全兵装使用自由(オールウエポンズフリー)だ! 露払いは俺に任せろ、往け!」

 青と黒の騎士王が打ち出された砲弾のように疾走する。黄金と漆黒、交差する聖剣の軌跡が同時に風の穿孔を解き放った。

 風王鉄槌(ストライク・エア)

 卑王鉄槌(ヴォーディガーン)

 樹海の津波を穿ち、己の道を切り開いたそれが開戦の号砲となる。







 
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