人理を守れ、エミヤさん!
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灯せ、原初の火
「こ――断る、だと?」
ネロ・クラウディウスは、恐らくこの生涯で最たる驚愕に貫かれていた。
極限まで詰められた盤面を見せられ、打つ手はないとはっきりとした。その上で打開策を提示され、もはやそれ以外に手はないと思われた。
であれば、短い付き合いだが、合理的な戦術を好むシェロ――衛宮士郎は、その策を採択すると思っていた。情に厚いが、しかしどこまでも冷徹に成りきれる男だとネロは見定め、事実それはその通りであった。
だのに、この男は力強く、はっきりと神祖ロムルスの差し伸べた手を払った。そして神祖はそれを快なりと受け入れ満面に笑みを浮かべた。
なんという不合理。万能の天才を自負するが、未だ発展途上の才覚と器。その選択の由縁が解らず、真意を問い質そうとして――はたと。ネロはシェロの瞳を見て、全ての疑問が溶けてしまった。
――美しい、蒼穹の空。
男の中に、その心象を見た。見てしまった。故に、己の疑問は無粋であると感じて。何より美しいものを尊ぶネロは、不意に肩から力を抜いて苦笑した。
やれやれと嘆息して。それでも気になったから、無粋と知りつつ敢えて問いを投げた。
「一応、聞いておく。シェロ、なぜだ? なぜそなたは自ら勝機を手放さんとする」
「愚問だな。それは俺の目を見開かせたお前の責任だぞ」
「余の?」
「俺は――後悔しない。悔やまず己の生を全うする。ネロ、お前は俺を友だと思っていると言ったな?」
「……うむ。確かに言った」
苦笑を、微笑に変えて、ネロは真実心からの笑みを口許に刷いた。
「俺もそうだ。友情と愛情に時間の長さは関係ない。ネロ、お前を友だと思っている。だから見殺しにはしないし、出来ない。お前は自ら友と呼んだ俺に、『友を見殺しにした』と後悔させるつもりか?」
「……参った。一本取られてしまったか」
嬉しげに、しかし困ったように、ネロは眉尻を落とした。
ネロ帝は貴族よりも市民を第一として施政を行なった。愛を持って。ネロの渾身の愛で。
しかしその愛は、市民の求める物ではなかった。通じ合えなかったのだ、ネロとローマ市民は。
そのことを薄々と感じていたからネロは――こうして自らの『愛』が通じた存在に、途方もなく巨大な歓喜を覚え、心の底から震えてしまったのだ。
これは……誓って言えるが、断じて、断じて恋愛感情などではない。そのような低俗なものではない。ネロは今、今生のあらゆる友よりも強い『友情』を、高尚な心のうねりを感じていた。
出会った時期。
過ごした時間。
そんなもの真の友情の前には全く関係ないのだと、ネロは悟った。
「まったく、泣かせるでない。余は……嬉しい」
眦に滲んだ滴を誤魔化しもせず、ネロは素直に胸の裡を明かした。
それに微かに照れた男を、友として慈しみの目で見る。そしてネロは神祖に向き直った。
精一杯の敬意と謝意を露に、しかし毅然と告げる。
「誉れ高くも建国を成し遂げた王、神祖ロムルスよ。すまぬが、余は友を後悔させる訳にはいかぬ。一度はその思慮に傾いておきながら勝手ではあるが、どうか余が彼らと共に行くのを許してほしい」
「赦す。元より私は快なりとお前達の答えを受け入れている。代わりに、名乗れ我が愛し子よ」
それは、荘厳なる誰何であった。
厳かにネロは応じる。それに答えないわけにはいかないと、その魂が薔薇の皇帝に名乗り上げさせた。
「――余は、余こそはローマ帝国第五代皇帝であり、そしてカルデアのマスターである。ネロ・クラウディウス、永久なるローマのため、この身を人理修復の戦いに投じる覚悟がある!」
「……うむ。愛し子よ。私はその目と声を聞きたかった。ならば、躊躇うことはない。ローマは世界である。故に、世界は永遠でなくてはならぬ。私はそなたらに賭けよう。そなたらこそが、魔術王ソロモンの企みを打ち砕くものと信仰する」
『ソロモンだって……!?』
不意に出た名に、ロマニの驚愕に染まった反駁が返る。
それには答えず、ロムルスはネロの手にある隕鉄の赤い剣に手を翳した。
そのらしくない性急さは、もはや一刻の猶予もないことをこちらに教えている。
だがロムルスの余裕はなくならない。雄大な愛と慈しみの眼差しで、ロムルスは『皇帝特権』を行使した。
「ネロ・クラウディウス。残滓である私に出来るのはお前の裡にあるローマをカタチとし、皇帝足る特権を――サーヴァントのスキルを生者であるお前に与えることだ」
「これは――」
ネロに与えられたのは、皇帝特権のスキル。生身であるが故に、サーヴァントのクラス別スキルも、サーヴァントとしてのスキルも持たず、才あるとはいえ剣士としての力量は下の下だったネロに戦う力を与えるものだった。
他者に、スキルを与えるその規格外の特権は、真実EXランクの皇帝特権。
影の国の女王が持つ魔境の叡知が、女王の認めた英雄にのみスキルを与えることが出来るのと同じ。ロムルスはネロを英雄と、皇帝と認めたのである。
「……友よ。すまぬが、私に余分な力はない。既に完成しているその身に、私が与えるものはない」
「端から求めていない。ただまあ……また機会があれば頼む。あって困るものではないからな」
「ふ……強かであるな。そして、だからこそ託そうとも。ローマの命運を。そなたらの戦いが世界を永久のものにすると私は固く信ずる」
その体が幻のように薄まり、消えていく。カルデアの計器に相変わらず反応はない。
元々が幻だった。奇跡のような邂逅だった。そしてだからこそ必然の出会いだった。
最後に、ロムルスはネロの剣『原初の火』に炎を灯す。それは、この戦いの行く先を占う希望の火。
「――帝都で待つ。その炎を、決して絶やすな。私の樹槍は、その炎を、愛し子のローマたる気概を愛し、肯定するだろう」
「感謝を偉大なる神祖。誉れ高き建国の王。余は必ずやそなたの待つ帝都に辿り着き、神祖の暴走を食い止めよう。余には頼もしい友と臣下がいる。彼らは強者だ、必ずや成し遂げる、今度こそ!」
ネロの宣誓に、『原初の火』の炎は一層、激しく燃えた。
それを見届けて、残滓であるロムルスは光の粒子となって消えていった。
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