幻影想夜
しおりを利用するにはログインしてください。会員登録がまだの場合はこちらから。
ページ下へ移動
最終夜「風景」
「とっさぁ、ここに植えよ。」
「おぉ、そうだな。日も良ぅ当たる。」
そう言ってその親子は、そこへ小さな苗木を植えた。
そこは大きな寺の境内、その一画。建立されたばかりの新しい寺ゆえ、この親子はいつも参拝しつつ苗木を植えていた。
楓、銀杏、松、柿や李…その場に応じたものを探して植えてゆく。どうやら植木職人のようである。
「とっさぁ、今度は櫻がえぇなぁ。」
「そうだなぁ…梅も橘も植えたで、あの宝物殿脇にでも植えられっと良いけんどなぁ。」
そう言うと、男は子供の頭を撫でながら去って行った。
二人が植えた苗木は陽当たりの良さに些か参ったが、どうも居心地は良さそうだと感じ、暫し眠ることにした。
ふと気付くと、辺りには多くの木や花が植えられ、前には沢山の子供たちが遊び回っていた。
木も幾分か伸びており、少しばかり高い所から見守っている。
ー 良いなぁ…。本当に、此処へ来られて良かった。ー
木は嬉しかった。ここは生命に溢れ、笑いが溢れていたからだ。
いつまでも見ていたい…伸ばした枝には小鳥が留まり、空には白い雲…。吹きゆく風はどこまでも気儘に…。
そんな長閑な風景の心地良さに、木は深い微睡みへと誘われた…。
再び目を覚ました時、その風景は変化していた。
ふと見れば、隣には何やらお堂建てられ、幾人もの参拝者が香を焚いては手を合わせている。
遠くを見れば、今迄は見えなかった村が見えていた。子供たちや、今手を合わせている参拝者の住まう村であろう。その向こうにある山並みさえ、その木には良く見えた。
ー どれだけ睡っていたのやら…。ー
呆れたと言った風にそう思った時、自分の枝に鳥の巣があることに気付いて笑みを溢した。
あぁ、生命が育まれているのだなぁ…と、木は自分がその生命の一部だと言うことを喜んだ。
そして、それを見続けていられることを感謝した。
朝も夜も…木にとっては、人の一年など然したる時ではない。雨が降ろうが雪が降ろうが、日照りになろうが嵐になろうが…木はただじっと、その場から眺める。
それだけしか出来ないが、それもまた❝生❞なのだと知っていた。
だがそれでも、台風で村に水害が起きた時、飢饉が村を襲った時…木はなぜ自分は動けないのか…なぜ助けに行けないのかと、歯痒く感じたことはあった。
しかし、それさえも❝生❞の一部なのだと知っているからこそ、強く立っていることが出来た。
ー 生きると言うのは…憂いも多いことだ…。ー
木はまた、暫し微睡む…。子供たちの笑顔が見たい、笑い声が聞きたい…そう思いながら…。
だが、微睡みは不意に響いた大きな音で中断された。
ー 何事だっ⁉ ー
そう思った途端、再び大きな音が響き夜の空気を震わせた。
見上げると、薄雲から幽かに溢れる月明かりの中に、得体の知れぬ何かが飛んでいる…。それが何かを落としているのだと分かった。
その何かが村…いや、もう町と呼ぶべき人々の暮らす場を壊している…。
ー 止めろ!そこには多くの人々がいるのだぞ!ー
木は叫ぶ。それは声にもならず、誰にも届かず…。
ー 何故か!何故その様な酷いことをするのだ!ー
それでも…木は叫び続ける。止めろ、これ以上壊すな…と。
だが、木の思い虚しく…町は跡形も無く焼かれてしまった。
ー あぁ!何故私には誰も助ける力がないのだ…!ー
自分の無力さに、木は堪らずに嘆いた。
眼前で起きたことは…決して❝生❞ではない。道を外れた何か…そう、❝生❞を侮辱する❝生❞の道を外れたものだった。
木は初めて「悔しい」と思った。
寺は焼けはしなかったが、以前よりも随分小さくなっていた。
その寺に、連日遺体が運び込まれては、子供たちが遊び回っていた大きな広場で十把一絡げで焼かれて行く…。
ー 人はいつから…この様な残酷な者に成り下がったのか…。ー
木は居た堪れなくなり、再び眠ることにした…。
その心は泣き続け…憔悴しきっていた。
そして…また笑顔の絶えぬ風景を思い描きながら…深い眠りへと落ちて行った…。
「ほら…もう、戻って来なさい!」
そんな声に、木は起こされた。
ふと辺りを見回すと、その風景は全く変わっていた…。
寺はどこにも見えず、そこは広い公園になっていた。近くには噴水もあり、多くの遊具が備えられている。
遠くを見れば、見た事もない四角い高い建物が聳え、良く見えた山並みは全く見えなくなっていた。
ー 何だ…これは…。ー
余りの変容ぶりに、木は呆気にとられた。
木は初め、自分がどこか別の場所へと植替えられたのだと思った…が、ならば掘り起こされる時には、いくら何でも気付く筈。
そう訝しく思っていると…そこへ幾分腰の曲った老婆と、その孫と思しき十歳程の男の子が来て座った。
「お婆ちゃん。この木って、江戸時代からあるって本当?」
「あぁ、そうだよ。婆ちゃんが生まれるずっと前、ここにお寺があった頃からあるんだ。」
「えっ⁉ここ、お寺があったの?」
男の子は目をぱちくりしている。そんな孫に微笑んで、老婆は続けた。
「そう。江戸時代に入った頃に建てられたんだけどね、戦後に無くなってしまったんだよ。でも、この大銀杏だけは伐られずに残されたんだ。」
「どうして?」
その孫の問に、老婆は暫し言葉を詰まらせた。
謂れを知らない訳ではないが…ここで語ることではないと思ったのだ。
「さてねぇ…ただ、この大銀杏を伐ると罰が当たるって昔から言われてたんだよ。この大銀杏だけが、水害も日照りも乗り越え、戦争の時でさえ残った木なんだ。他は全部枯れたり、焼けたり、雷に打たれて倒れたりしたそうだよ。」
「へぇ…そんな凄い木なんだ!」
男の子はそう言うと、立ち上がって大銀杏の幹に小さな手を回した。
「あ…何だかあったかいや…。」
「そうだろう?この大銀杏はね、私達をずっと見守ってきたんだ。これからもきっと、ここで見守ってくれるんだよ。」
老婆はそう言って立ち上がると、孫の頭を優しく撫でた。
ー あぁ、こうして❝生❞は繋がれている…。ー
大銀杏は喜んだ。あの凄惨な時代を人々は乗り越え…こうしてまた、笑顔を取り戻している。
それが堪らなく嬉しかった。
ー 私のこの❝生❞が尽きるまで…見守ろう…。ー
大銀杏は堅く決心する。たとえ動けずとも、一時の安らぎを与えることが出来るのならば…これもまた、悪くはない。
時代は必ず移ろうものだ。同じ時など在りはしない。善かれ悪かれ変化し続ける…それもまた❝生❞なのだ。
木は木であり人は人…それでも大銀杏は思うのだ。
ー この人々に幸多からんことを…。ー
大銀杏はこの風景に満足し、また微睡みに入る…次はどうなっているかは考えず。
ただ、人々を愛しながら…。
end
ページ上へ戻る