ソードアート・オンライン ~紫紺の剣士~
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アインクラッド編
15.クリスマス・イヴ
「おい」
俺が声をかけると、黒髪の片手剣士は煩わしそうに視線だけをこちらに向けてきた。
「・・・なんだ。俺、忙しいんだけど」
「夕食は食べたか?」
「は?・・・いや、まだだけど」
「そうか。なら行くぞ」
「ええ?」
キリトと同様に置いてけぼりを食らっている夜桜唱団の面々に
「悪いが、夕食は俺抜きで頼む」
と声をかけ、キリトの肩を押しつつ近場のレストランへ俺は足を向けた。「早めに帰ってきなよー」と朗らかに言うミーシャの声が聞こえた。
居心地が悪そうにしながら食事を進めるキリトを眺めながら、俺はここ最近のキリトの様子について考えを巡らせていた。
一時期、キリトが最前線に来なくなった時期があった。最近実力を上げてきているギルド《風林火山》のリーダー、クラインによれば、とあるギルドに加入していたらしい。しかし再び彼が最前線に戻ってきた時、その名前の横にギルドタグはなく、どこか近寄りがたい暗い雰囲気を纏っていた。
「ちょっと前のアルトみたい」
というのはシルストの言葉だ。あれほどの雰囲気を発していたと自分で気づけるはずもないので、我ながら反省した。
そんな雰囲気も一時は鳴りを潜めていたが、最近になって再びその片鱗を見せ始めている。
原因は分かっている。NPC達がこぞって話している、《死んだ者の魂さえも呼び戻す宝》のせいだろう。そんな嘘くさいものにすがりたくなるほどの事が、キリトの身にあったらしい。
「・・・お前がこんなことする奴だとは、知らなかったよ」
ふと、キリトがぼそりと呟いた。
「あいつらのお人好しが移ったかもしれない。・・・キリト。あの噂、信じているのか」
キリトがピタリと手を止める。少し長めの前髪の下から若干睨むように俺を見て、低く声を出した。
「止める気なのか?」
「いや、確認しただけだ」
俺の言葉に、キリトは驚いたように眉を跳ね上げた。それはそうだろう。ふつうの奴なら止めるはずだ。だが俺は止めようとは思っていない。誰かの決めた生き方を否定する資格を、俺は持っていない。
「この世界で何をしようが、そいつの勝手にすればいい。他人に迷惑をかけなければな。・・・だが」
微妙に困惑しているキリトをまっすぐ見つめて、俺は言った。
「お前に生きてほしいと思っている奴らはたくさんいる。それだけは忘れるな」
黙り込んだキリトを置いて、俺は一足早く店を出た。
***
あの言葉が届いたと思えるほど俺は楽天的ではなかったが、言わずにはいられなかった。もう彼は俺の人生の一部に組み込まれてしまっている。キリトは俺なんかに声をかけられたくはなかっただろう。それでも、もう看過することはできない。
「・・・本当に、もう戻れない」
何もかもを遠ざけていたあの頃には。せっかく作り上げていた壁を、ミーシャたちが無邪気に叩き壊してくれたお陰で。
忍び込んでくる冷気に身を震わせながら、立ち止まって俺は上を見上げた。夜の闇の代わりにあるのは、陰鬱な鉄の蓋。星の一つも輝かない。
一つため息をつき、ミーシャたちのいる宿屋に帰ろうと足を向けた、その時。
「よぉ、兄弟」
背中がぞくりと粟立つ。一瞬剣に手が伸びかけるが自制する。落ち着け、ここは圏内だ。俺は内心の動揺を顔に出さないようにしながら、声が聞こえた方向に顔を向けた。
「誰だ」
「冷たいねぇ。さっき言ったじゃねぇか、兄弟ってな」
暗がりからゆっくりと人影が出てくる。被っているフードを外す。その顔に見覚えは――――ない。
確かに俺には兄弟がいる。双子の兄と姉だ。しかし”兄弟”だという男の顔に二人の面影は全くないし、声も記憶にあるものとは異なる。
「人違いだ。他を当たれ」
「いいや、俺が探していたのはお前だよ」
鉄色の短髪男はにやりと笑い、ゆっくりと俺に近づいてくる。
「お前を勧誘しに来た」
「・・・今いるギルドを抜けるつもりはない」
「殺人をしよう」
「・・・」
俺は黙ったまま答えない。冗談にしてはたちが悪すぎる。本気で言っているのかどうかもわからない。
「この世界じゃ、法律は存在しない。ここで起きたことはすべて茅場晶彦一人の責任だ」
「それは違う。茅場は世界を作っただけにすぎないし、行動はすべて本人が責任をもって起こすものだ。俺はそんなことはやらない」
「・・・まぁ、そういうと思った」
男は再びフードをかぶり直す。
「ここで俺の誘いに乗らなかったこと、後悔するぞ」
そう言い残し、男は路地裏に消えた。
プレイヤーの反応が消えるまで待ってから、俺は深く息を吐いた。嫌な汗が背中を流れ落ちる。結局、奴の言っていたことは半分も意味が分からなかったが、取り敢えずミーシャたちに忠告ぐらいはしたほうがいいはずだ。
一刻も早く、みんなのいるところに帰りたい。
帰還後、俺が事の顛末をミーシャたちはみな一様に難しい顔をした。ミーシャは一言だけ、
「あんまり、一人にならないようにしようね」
とだけ言った。
***
外は、雪が降っている。
椅子に座っている俺たちの前に並べてられているのは、ナツが腕によりをかけたタンドリーチキンやブッシュドノエル風の料理。つまり、今日はクリスマス・イヴである。
「味付けもこだわったっスよ!召し上がれ!」
「さすがはナツだね!頂きます!」
ミーシャの声に続いて、俺を含めたほかの《夜桜唱団》の面々も次々に手を合わせ、料理に手を伸ばす。
だいぶ料理スキルが上がり、彼自身もこの世界のシステムに順応したのだろう。ナツの手料理は、とても美味しかった。
「心配?」
ふと気づくと、アンが俺の顔を覗き込んでいた。少し考え込んでいたのがばれたらしい。
「あぁ・・・すこし、な」
今日はおそらく、限定のイベントボスがどこかに現れる。キリトはもちろん、青竜連合や他のギルドも血眼になって探していた。おそらく見つけるのはキリトだ。キリトは攻略組の中でも抜きんでた実力を持っているし、クラインが彼奴を追うと言っていたから、まさか本当に戦闘で死んでしまうことはないだろうとは思っている。しかし、本番で何が起こるかはわからない。
「大丈夫だよ、きっと」
「・・・だな」
気分を切り替えるように飲み物をぐっとあおる。手を出さないといったのだ。ここで心配をしていても仕方がない。
食事を終え、のんびりとお茶を飲んでいたミーシャが、ふと口を開いた。
――――走れソリよ、風のように
それは、歌だった。誰もが一度は聞いたことがある、クリスマスに於いては定番の歌。
シルストがアンと顔を見合わせ、にんまりと笑う。
――――雪の中を、軽く早く。笑い声を雪に撒けば、明るい光の花になるよ
シルストはミーシャよりも少し高く、アンは少し低く。3人の音が重なり、綺麗な響きを作り出す。
ナツがタクミを急かすように見た。タクミはため息をついたが、すぐ口を開いた。タクミは低く、ナツは高めに声を出す。
――――ジングルベル、ジングルベル、鈴が鳴る。鈴のリズムに、光が舞う。
5人の歌は全くずれることもなく、不協和音を奏でることも無い。
――――ジングルベル、ジングルベル、鈴が鳴る。森に、林に響きながら。
綺麗な和音を保ったまま、1番を歌い終えた。
歌い終わると、ミーシャはにっこり笑った。
「皆けっこう覚えてるねぇ。練習したのは去年のことなのに」
「とっても綺麗だったわ。5人は確か、同じコーラス部だったのよね?」
だから夜桜唱団だったのか、と俺は納得した。
「クリスティナは違うのか」
「えぇ。私とリヒティはこっちに来てからみんなと知り合ったの。当時は二人で行動してたんだけど、さすがに心もとなくてね。ミーシャに頼んでギルドに入れてもらったの」
「結果的には正解だったぜ。狩りも安定したし、ナツの美味い飯も食えるしな」
その判断は妥当だというべきだろう。この世界では共に行動する人数が多ければ多いほど生き残る確率も上がる。ミーシャに誘われるまでソロだった俺が言えたことではないが。
「私たちがコーラス部っていうのもあって、あなたの名前に親近感があったんだよね。アルトって、低音パートの名前だから。なんでそういう名前にしたのか聞いてもいい?」
アンがどこか恥ずかしそうに言った。
「俺が決めたんじゃないんだ。姉が勝手に・・・。あぁ、そういえば俺の姉も合唱部だった」
「そうなんだ」
「アンは、アルトパートなのか」
「うん。ソプラノに比べると地味って言われるんだけどね、私はハモるところが多いし、コーラスしてるって感じがして好きなんだ」
本当に歌うのが好きなんだな。俺が言うと、アンは嬉しそうにうなずいた。
彼女らはさらに2曲歌って、ささやかなクリスマスパーティーはお開きとなった。
ウインドウを開いてフレンドリストを見ると、キリトの名前は変わらずそこにあった。
無意識にほっと息をついて、俺はウインドゥを閉じ、寝床に潜り込んだ。
7日後の31日、史上最悪のレッドギルド《ラフィン・コフィン》が産声を上げる。
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