才能売り~Is it really RIGHT choise?~
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Case1 後編
◇
「って、ボール置いていかないでよ!? あ、いや、お客様の仕事じゃないけれど、僕はうまく動けないんだから……ッ!」
少年が出て行った後で、灯は溜め息をつきながらも渋々カウンターの椅子から立ち上がる。立ち上がった瞬間、彼の両足に激痛が走って彼はそのまま椅子から転げ落ちた。
「いたたー……。って、最近ますます歩けなくなってるかも。20代で車椅子は嫌だなぁ、まったく」
そんなことを呟きながらも、彼は近くに立てかけておいた杖を手に取り、それを支えにして何とか立ち上がろうともがく。すると、彼の前に無骨な褐色の手が差し出された。その手を見て、灯は呆れたような呟きを漏らす。
「虚(うつろ)、遅いよ」
「済まない」
申し訳なさそうな顔をした彼は、闇から生まれたような黒い髪と同色の瞳をしており、その肌は褐色で、まるでファンタジーの剣士が着るみたいな漆黒のマントを身につけていた。
「お前がうまく歩けないこと、たまに失念してしまうのだ」
「怪我してもう一年は過ぎるってば。いい加減覚えてよ」
「初めて出会った時のお前はもっと元気だった……」
「それから何年過ぎたと思っているのさ、まったく」
二人はそんな会話を交わす。もはや日常茶飯事となっているような光景である。
灯と虚、二人の関係は近しいし虚も灯と同じく「外道坂」を名乗ってはいるが、二人に本当に血縁関係があるのかは謎である。そもそもこの二人、あまりに謎が多すぎるのだ。
「あの少年、馬鹿だと思わないかい、虚」
不意に灯がそんなことを言い出した。
「才能の量は同じくらいを与えたけれど……彼は本当に大切なものが何か、まるでわかっていなかったんだねぇ」
でも、なかなかに面白いお客さんだったよと彼は言う。
「ね、選択の果ての結末がどうなるのか見てみたいよ。面白そうじゃないか」
◇
勉学の才は本当に役に立った。お陰でおれは出世街道まっしぐらだ。行きたい大学にも受かってその後は学年順位トップ10になって四年間ずっとその成績をキープし続けた。おれの持っていた、灯さんに対価として差し出したサッカーの才ってそれだけすごいものだったんだな? 正直おれは驚きを隠せない。
あれ以来おれはサッカーをやめた。練習すらまともにこなせなくなったんだ、続けられるわけがない。おれは所属していたサッカー部に退部届を出して帰宅部になり、空いた時間はひたすら勉学に費やした。勉学に励めばサッカーのことなんて忘れられる、そう思っていたのにどうしてだろうな? それでもたまに、ストライカーだったおれ、山本雪也のことが頭に浮かんでそう簡単には離れてくれないんだ。望んだ道には進めたのに、今こそ人生の中でも相当に幸福な時間のはずなのに、どうしてだ?
それを考えると頭がおかしくなるような気がしてきたので、おれはあえてそこを考えないようにした。だって信じたくなかったんだよ、勉学の代わりに失ったものの大きさが、思っていたよりもずっとずっと大きかったってことを。
そしておれはいつしか、大人になった。
行った大学は東大だ。そこでのトップ10なんだ、十分に誇っていいだろう。それでもおれは、心にぽっかりと空いた空白を無視することはできなかった。おれは満ち足りていたのかもしれないけれど、同時にどこかが欠けていた。おれはサッカー以外の趣味を見つけられなくて、勉学に励み、働くしか能がないワーカホリックになってしまったんだ。
そんなある日、おれは中学時代からの友人に出会った。
「おい、おい! そこにいるのユキヤだよな? ホントにホントにユキヤだよな? ゆっきーだよな?」
掛けられた、声。その声の調子と「ゆっきー」というあだ名に、おれの記憶が猛反応する。
おれは恐る恐るその名を呟いた。
「……アツシ?」
「そーだよそーだよ、あっつんだよ! うっひょお、ゆっきーインテリ系? 変わったなぁ!」
「アツシは、変わってないな、ちっとも」
「そこはアツシじゃなくてあっつんでしょ! あっつんって呼べよゆっきー!」
言いながら、ばんばんおれの肩を叩いてくるアツシ――あっつん。
中学時代から明るく騒がしく太陽みたいだったコイツは、ちっとも変わってはいなかった。
アツシは、あっつんは、言う。
「そーだそーだ、そう言えば、ストライカーさんよぉ、山本雪也さんよぉ。せっかくこうやって再会したんだしさぁ、みんな呼んでサッカーやってみねぇ? おれ、ゆっきーシュート見てみたいわー、また!」
その言葉を聞いて、おれの身体は固まった。
サッカー。ストライカー。ゆっきーシュート。暑い夏の芝草の上、駆ける無数のサッカーシューズ。
その全て、おれの好きだったことすべて、おれは勉学の才と引き換えに捨て去ってしまったんだ。
おれはアツシに訊いてみた。
「……なぁ、アツ……あっつん。お前、今、何しているんだ?」
アツシはおれのそんな質問にきょとんとした顔をすると、ああ、と頷いて喋りだす。
「おれさまは今、絶賛フリーター中でっす!」
「……は?」
アツシは明るく、言うのだ。
「それでも今、たのしーよ。フリーターだけんど、やりたいことはできているんだからなぁ! リアルで充実してまっす! 彼女いないけどおれさまはリア充な!」
人生は失敗したのかもしれないけれど。
好きなことを好きなようにやっているアツシは、とてもとても幸せそうに見えた。
人生は成功したのかもしれないけれど。
好きなことを見失ってワーカホリックになってしまったおれとは、まるで違う生き方。
どっちが幸せなのだろうか。貧乏でも、失敗人生でも、好きなことを好きなようにやれるアツシと、成功人生だけれどやりたいことを見失ったおれ。
大好きだったサッカーを失って、代わりに成功人生を歩み始めたおれは今、最高に不幸せだ。
大好きだったことを捨てず、代わりに失敗人生を歩んでいるアツシは今、最高に幸せそうなのに。
そして、おれはついに気づいた。あの日、才能屋でおれが何を対価として払ってしまったのかに。
おれは東大に受かれなくても、サッカーだけは、ストライカーの山本雪也だけは、捨てるべきではなかったんだ。だってそれこそがおれそのもの、おれがおれである証だったから。愚かだったあの頃では決してわからないことだった。あの頃は成功人生を歩むことしか頭になかった。だが違う! いくら成功人生を歩んだところで、心が貧しければ幸せなんてつかめようはずがない! 一見幸せそうに見えても、心からは幸せにはなれない! だから、だからおれはあの日あのときあの場所で、サッカーだけは、捨てるべきではなかったんだ!
アツシを見て、おれは自分の中に広がった空白の正体に、ようやく気付いたのだった。夢喪失ワーカホリック。おれは夢を失って、働くことしかできなくなった! おれに趣味や生きがいはなくなったんだ! しかしいくら後悔しても、もう遅い。だからおれは、アツシに言った。
「そっか……それは良かったな、あっつん。でもおれはもうサッカーはやめたんだ。もうサッカーなんてできねぇよ。今のおれはストライカー山本雪也じゃねぇ。……働くことしか能がない、夢失った社畜だよ。夢喪失ワーカホリックだ、よ」
おれのそんな暗い言葉に、アツシは目を丸くした。
「なんか……ゆっきー、変わったな、マジで」
「だからごめん、斎藤。おれはお前の誘いに乗れない」
名前でなく、名字で呼んだのはわざとだ。
おれがあのとき才能屋に来さえしなければ、きっとおれはアツシと、斎藤敦と楽しく笑いあうことができたのだろう。でも、無理なのだ。自分の出世のために自分そのものを捨てたおれには、無理なのだ。だから「あっつん」と呼ばずにあえて「斎藤」と呼んだ。それは訣別の意味を込めた言葉だ。
アツシは呆気にとられたような顔をしていた。おれはそんなかつての友人に、畳み掛けるように言葉を投げる。
「おれは歩く道を間違えたんだよ。東大に受かったからって、趣味を失って何が幸せなんだよ。……そんなわけで、ごめん」
謝って、おれは足早にその場を去る。驚いた顔のアツシが残された。
「あっつん……」
こいつと一緒にいると、胸が苦しくなる。
こいつはおれが捨てたものを、全て持ったまま幸せに生きているから。
貧乏でも、フリーターでも、こいつは確かに幸せだった。
エリートで、金持ちなおれが不幸せなのと対照的に。
ああ、才能屋よ、今も覚えている外道坂灯よ。あなたはわかっていたんだな? おれがいつかこうなることを。
「選択に後悔はしないでね」さりげなく言われた言葉は裏返せば、「それは本当に正しい選択?」と念を押す言葉になるのだろう。
あの日あのときあの場所に、才能屋に訪れさえしなければきっと、おれはこんなことにはならなかったのに。
でも、おれは才能屋を恨まない。灯さんは確かに、さりげなくだけれど確かに、おれに忠告してくれたんだから。その結果おれのした選択について、あの人に罪はない。――選んだのは、おれなんだ。
ああ、どうしておれは、あの日あの時の愚かなおれは、短絡的な「成功」に飛びついてしまったのだろう。失うものについて、深く考えなかったのだろう。若気の至りという言葉があるけれど、あれはまさしくそれだった。おれは勉学を望んでも、おれそのものみたいなサッカーだけは、対価として差し出してはならなかったんだ。おれは人生を間違えた!
あの店の教えてくれる教訓は、きっとこうなんだろう。
「身の丈に合わないものを望むな」
おれは身の丈に合わないものを望んだから、今、不幸せなんだろう、きっと。
ストライカー、山本ゆっきーは死んだ。今いるのは夢失ったワーカホリック、山本雪也だ。
気づいてしまった今、おれはこれからどう生きることになるのかわからない。でも、いくら成功して家庭を持っても、心から満たされることだけは絶対にないのだろう。そしておれはサッカーが嫌いになる。失われたものを思い出させるから。それでいつか働き過ぎて過労死でもするのだろうか。好きなことをなくしたおれは、働かなければ退屈に殺されてしまうんだ。働いても疲労に殺されてしまうんだ。おれはどうすればいいんだ、なあ!
才能屋が、灯さんが、笑う声が聞こえた気がした。
(それは本当に正しい選択?)
ああ、おれは間違えた。人生の選択を間違えた。
最初から、自分で努力すれば良かったんだ。才能屋なんかに頼らずに――。
〈Case1 夢喪失ワーカホリック 完〉
後書き
「身の丈に合わないものを望むな」才能屋はそう訴えました。
こんな感じでこのシリーズは続いていきます。連作短編集なので全ての話は独立していますが、一部でつながっているかもしれない……?
以降も、よろしくお願いいたします。
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