レーヴァティン
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第五十六話 ミラノの街その二
「それになるか」
「補助輪なのね、こうしたものは」
その手綱等を見てだ、清音も言った。
「そうだったのね」
「恰好悪く言うとな」
久志は補助輪についてのイメージからこうも言った。
「そうなるな」
「手綱とかは補助輪なんて」
「だから恰好悪く言うとだよ」
そこは念押しをした。
「あくまでな」
「そういうことね」
「ああ、それに鞍も手綱も鐙もなしで乗れるとかな」
「遊牧民族でもないとでござるよ」
進太は礼儀正しい笑みで述べた。
「無理でござる」
「そうだよ、生まれた時から乗ってないとな」
遊牧民族の様にだ。
「そんなこと出来るかよ」
「その通りでござる」
「遊牧民族はこの島にはいないか」
「多くの民がいるでござるが」
それでもとだ、進太は久志に話した。
「かつてはそうであっても」
「今じゃ畑も耕してるよな」
「土地に定住する様になったでござる」
そこで農業や商業をしているというのだ、遊牧民族も永遠に遊牧民族であるかというとそうではないのだ。
「東の方の平原部等の人達でござるよ」
「あっちは馬だしな」
「だからでござる」
「この島には遊牧民がいないか」
「左様でござる」
「だから馬具もあるんだな」
久志はあらためて言った。
「手綱にしろ鞍にしろ」
「そういうことでござる」
「それこそ馬具なしで乗れるとかな」
「相当な馬術でござるよ」
「だよな、乗っただけで馬を操るとかな」
「遊牧民ならではでござる」
「さっき馬具を補助輪って言ったけれどな」
自分のその言葉についてだ、久志は頭の中で検証をしてそのうえであらためて述べた。
「ハンドルなしで自転車に乗る様なものか」
「流石にペダルや座席はあるでござるが」
「もっと粗末にしてか」
「そうして自転車に乗る様なものか」
「言うなら一輪車でござるな」
進太は馬具を使わないで馬に乗ることについてこう表現した。
「さながら」
「一輪車の要領で自転車に乗るか」
「もうそれが曲芸でござるよ」
「だよな、じゃあ董卓って一輪車に乗りながら芸やってた様なものか」
馬具がない状態、精々粗末な鞍に乗った状態で弓矢を左右に交互に使えたこの人物はというのだ。このことは史実にも書かれている。
「そうなるんだな」
「例えるならそうでござろうか」
「物凄い奴だったんだな、つくづく」
「只の極悪人ではなかったでござるな」
「酒好き女好き贅沢好きで残虐なな」
三国志特に演義での董卓のイメージである、人一倍肥満していて背も高く腕力もかなりのものだったという。
「それだけの奴じゃなかったか」
「そうでござるな」
「武芸は相当だったんだな、まあとにかくな」
久志は進太との話の後で清音にあらためて話した。
「訂正するな、ハンドルとか碌に使わないでな」
「一輪車の要領でよね」
「自転車に乗る様なものだよ」
「馬具を使わずに馬に乗ることは」
「そう考えると相当に難しいな」
「そうよね」
確かにとだ、清音も頷いて応えた。
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