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愛犬と占い師

作者:南 秀憲
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愛犬と占い師

 皆さんは、昆陽池≪こやいけ≫をご存じだろうか?
兵庫県伊丹市にある都市公園で、昆陽池は二千十年ため池百選に選定された。白鳥が自然放養されている他、冬には三千羽を越えるカモやカモメ……などの渡り鳥が飛来する。池の中ほどに日本列島を模した人工島があり、正に関西屈指の野鳥の楽園だ。春になると、白鳥が可愛い雛達を連れて泳ぐ姿は,皆の心を和ませる。
奈良時代の僧、行基が七百三十一年に築造した農業用ため池だそうだ。
近くに伊丹空港があるので、騒音には耳を覆いたくなるが、毎朝、パンの耳を持って通っていれば、さして気にもならない。青空をキャンパスにした白っぽいジェット機の姿は、まるで絵のように素晴らしい。
色彩豊かな様々な種類のカモ、餌を空中高く放り投げても見事にキヤッチするカモメや池に泳ぐ鯉や鮒が、特に私のお気に入りである。
白鳥には与える気がしない。大きな図体で、偉そうにカモ達を押しのけ、嫌悪感を催すビチャビチャと耳障りな音を立ててパンの耳を貪り食べるからで、遠慮を知らない奴は大嫌いだ。
愛犬の散歩も兼ねて来ているが、彼女の人気は半端でなく凄い。平日は、三脚を使い高価な望遠レンズを装着したカメラで、水鳥を写そうとファインダーを覗いている人達、幼い子供連れが多く、土日、祭日は、人々が大勢来園して、水鳥を見に来ているのか、セシルを見に来ているのか区別出来ない。それ程の可愛がられようだ。

私が、愛犬のセシルを手に入れた理由はこうだ。
伊丹市でも犬種が豊富に揃っている大型ペットショップで、スヌーピーのモデルであるビーグル犬を買う予定だった。そこに、雪が降り積もったスイスで山岳救助犬として活躍する犬種である、生後六十日位のグレートピレニーズ犬が犬舎にいた。
まるでぬいぐるみのように可愛い純白の子犬と、互いに目が合った。思わず抱いてみると、両手の中で嬉しそうな表情をして唇を舐めてきたので、堪らなく欲しくなった。成犬になれば、良くTVCMに純白で大型犬の代表のように良く出演している犬だ。
しかし、値段を見て一瞬めまいに襲われた。六十万円のPOPが、堂々と貼ってあったからだ。仰天して、思わず目の前が真っ暗となり、両目を床に落としたのではないかと、床を探した程だ。
その時、籠に入っているマダガスカル島生まれの喧しいワオキツネザルが「キー、キー、キガクルッタノー、キガクルッタノー」と喚いていた。
しかし、運命的な出会いをしたこのグレートピレニーズ犬を、飼いたい気持ちは増すばかりだった。
「一時間後には必ず買いに来ますので、絶対他人に売らないで欲しい!」
店員さんに頼み込み、車で銀行へすっ飛んで行き直ぐに例の売り場へ戻った。
同じ店員さんに、買いに来たと声高らかに宣言すると、
「父はアメリカで、母はイギリスで,共にチャンピオン犬だったから、特に値が高いのよ!」
自慢げに、そう言われた。
「それにしても値がハルデス」
溜め息混じりに、店員さんの情に訴えかけるように呟く、奥の手を使ってさり気なく小声で言った。私の演技と科白は、彼女には効果覿面だった。
「そんなにこの子を愛して下さるなら、店長と相談して参りますわ」
と言って、事務所に入った。十分程して事務所から出て来た彼女は、顔を真っ赤にし、まるで自分を私に売るかのような素振りをした。私の眼を見てウットリとした表情で、手を微かに震わせ、五十万円の札束を、時折フーと長い溜息を洩らしながら数えていた。
その後、血統書、動物病院紹介、狂犬病予防注射の受け方、飼育上の諸注意……などの説明を、懇切丁寧にタマワッタワ。その眼は恋人を見つめるようにトロンとし、さり気無く私の手を、時々さすって軽く握りながら……。
早速、セシルと書類をその店員さんからひったくるようにして、後ろを振り向く事なく一目散にマンションを目指した。赤のフェラーリをシャッター付のガレージに駐車させた。エレベーターが一階で止っていたから、慌てて乗り込み十四階の部屋に着いてほっと一息つき、キューバ産のハバナ葉を原料とした葉巻を悠然と燻らせた。リビングルームには、芳醇な甘い香りが充満し、正に得も言われぬ至福が私を包み込んだ。
ここは分譲マンションで、一括で支払ったので文字通り権利書は私がモッテルワ。二十九歳の若さで、何故、有り余る程お金を持っているのかと言えば、四億円程遺産相続したからナノ。
両親が、四年前交通事故で亡くなり、財産と保険金が天涯孤独の私の手に全て入った。
贅沢さえしなければ、遊んで一生暮らせるだけの金額だが、私は人相占いをして生計をタテテイルワ。
何故、時々女性の言葉が出るかと言うと、私は文字通り二重人格だからだ。姿はイケメンの男性だが、時々女性が心に現れ、外見に変化はないけれど、思考の全てが女性に変身シチャウノ。
解離性同一性障害は、この解離が繰り返し起こる事で、自我の同一性が損なわれる精神疾患だ。強い心的外傷を受けた場合、その心的外傷が自分とは違う「別の誰か」に起こった事だとして記憶、意識、知覚等と解離してしまう事らしい。

両親が亡くなって以来、自分が女性の思考になっている時間は、七対三の割合で女性である方が多いノヨ。
鈴蘭台行き電車に乗り、途中の山上駅からは目と鼻程近い有名な精神病院へ行った時、刑務所とほとんど変りない施設に入れられそうになり、逃げるようにして診察室を出た。
広大な敷地内で、新鮮な空気を胸一杯吸おうとウロウロしていると、鉄格子の入った窓から
「お兄さん、お兄さん」
と呼ぶから近付くと、妖艶な三十歳位の女性が、
「私が何故、ここにいるのか、お教えしましようか? 誰にも内緒にしてネ、貴方だけに特別にお教えするわ! 実は私は色狂いなのよ、ほほほほ……」
笑った少し歪んだ顔は、一層狂気にあふれた色気がにじみ出ていて、薄気味悪くて逃げ出した。怯えと危機感を覚え、二度とこれに関しては病院に行くまいと堅く決心した。

三LDKのマンションにたった一人で住んでいるのは、寂しいからセシルを飼った。
セシルを溺愛しているので、彼女も私にメチャメチャなついているワ。
可哀そうだけど、いつも使っている器に大好物の餌を水と、大事にして遊んでいる綿製ボール用意して、セシルをだけにして毎朝八時半には、マンションを後にして仕事場に向う。
近くにある大きなショッピングセンターの一角に占い通りがあり、私は、「人相占いの店」を出店している。
お客様を迎えるこまごまとした準備をし終わると同時に、ショッピングセンターが開店する。開店を待っていたかのように、大勢の女性がまるで津波のように押し寄せる。しかも、連日朝から超満員だ。お客様全員が女性で、女子高生、若いOL達ばかりである。占いの内容は、全て恋愛に関係したものばかりで、私にとっては得意分野ダッタワ。だって、自分の中に女性がいて手に取るように分かってイルモノ。しかも、少しだけだけれど超能力もアルノヨ。
小さな店の割には、テナント料は随分高かった。
鑑定料は、一人当たり五分で一回一万円にもかかわらず、私の館だけ、長い行列が出来る程繁盛し、帰りには大きなダンヒルのバッグでさえ、札で一杯になる。
昼ご飯を食べるのさえ、裏口ドアからお客様に見つからないように出ている。若い女性を煩わしいと思う時もある。でも、大切な収入源だから、こんな事を考えるなんて天罰が当たりソウダワ。
栄えているのは、私の館だけ。他の占いの店には、ほとんどお客様はイナカッタワ。
手相も多少心得ているから手相占いもするが、手を触れば必ず私に恋心を抱き、鑑定中感極まってか、手を強く握ってくるお客さんもいて、急に眼が潤み、まるで恋人にやっと会えたかのようなフェロモンさえ体中から発散させ、鑑定が終わっても一向に立ち去ろうとしたがらない女性には辟易する。
ペットショップへ行った時、わざわざ徒歩だったのにもそれなりの理由がある。
〇~百KM/Hを三.四秒、開発に元F1ミハエル・シューマッハが参加し、五百七十PS/九千PMの最大出力を誇るフェラーリの最新車を所有している。
どこに駐車しても、女性が大勢、まるで砂糖に集まる蟻のように集まっている。どうやら、女性にはたまられない魅力のフェロモンが、ハンドル等に残っているからのようだ。女性の目はトロンとしていた。
それ以来、愛車は一階にある私専用シャッター付車庫に、国宝の阿弥陀如来像のように鎮座したままだ。

セシルも良く馴れ、体長も一.五メートル、体重四十キログラム程に成長した頃から、奇怪な事が起きるようになった。
リビングでボンヤリ女性週刊誌を読んでいると、横に寝そべっていたセシルが、急に立ち上がり何もない虚空に向かって、前足を激しく上下させた。普段、ほとんど吠えないのに、まるで彼女には姿が良く見えているかのように、何度も激しく吠える。後ろ足の間に尾を丸くして入れているのを見ると、よほど怖かったに違いないと思った。
不審に思い、私はその虚空に向かって両手で気を送ると、微かに何者かの存在が感じられる。背中の産毛が総立ちする位の恐怖を感じた為、和室に敷いてある布団を頭から被って、この場に漂う妖気からイナイ、イナイシヨウトシタ。
十分程でセシルが吠なくなったので、布団から顔を出して辺りを怖々見渡したが、何も異常らしき様子は感じられない。
翌朝、普段通りセシルの餌と水とぬいぐるみとトイレの準備をし、身だしなみを整えると、昨夜は何もなかったように店に行った。
悩んでいるより、女子高生、若いOLの顔を見ている方が、よほどストレスを溜めなくて良いと思えたからだった。案の定、占いがこんなに楽しいと思ったのは、初めてであった。
一週間は、何ら異変もなく,あの夜だけに特別生じた一過性の悪夢だったのだろうか?
ところがそう思い始めた頃だった。夜十一時頃、風呂場でジャグジーを使い全身を癒そうとしていた時、湯船の中から何とはなしに出入り口の曇りガラスを見てしまった。
髪の長い女性の影が、スーと玄関から奥のリビングに移動したように感じた瞬間、先日にも増してセシルが猛烈に吠え出した。
身体を拭くのももどかしく、裸でリビングへ飛んで行くと、空間に髪の長い女性がボーと浮かんで横を向いている。どこかで会ったような気がした。なおもその女性の姿を観察していると、二十分位漂っていたが、やがて視界から消えてしまった。
それ以来毎晩十時頃になると、リビングの空間に、髪の長い女性が三十分程無言で浮かぶようになった。
鬱が進行したのだろうか、何を考えるともなくぼんやりTVを観ている生活が続き、仕事にも出ないでマンションに引きこもり、
(自分は何の値打ちもない人間だから、もう死ぬしかない!)
とさえ思えてきた。
愛犬セシルの行く末が気にはなったが、日を追う毎に自殺願望が強くなり、マンションから鷹のように飛んでみたい欲望が、心の底から沸々と湧き出してきた。
毎晩七時きっかりに現れて、五時間程、髪の長い女性はリビングの空間にボーと浮かんでいるが、不思議な事に、今ではセシルが尾を激しく左右に振り、何かをねだるような鳴き声を出している。

十九階のマンションから、地上までのほんの数秒間で、全ての謎が解けたような気がした。
最近、二重人格の一方の女性が存在を主張し出した。女性が実体化しようとし、男の私を殺して自分がこの世に現れようと……。

何よりもセシルの事が気がかりで、私は、自分のマンションに帰ってきて、リビングの空間にボーと浮んでいると、セシルに猛烈と吠えられた。
髪が長くて美しい二十九歳位の女性が、こちらの方を不思議そうな顔をしてぼんやり見ている。
カーテンはじめ全てのインンテリア、調度品等が女性物に変わっているのに、私は直ぐ気付いた。

――完――





 
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