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開戦前夜

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第六章

「では後は運だな」
「左様です」
 山本は静かに一礼して帝に述べた。海軍もまた打てる手は打ち露西亜との決戦に赴くのだった。戦いの時は近付いていた。
 その開戦が近付く中で陸軍大将乃木稀典も妻にこう言っていた。
 武士そのものの厳しいが確かなものがある顔で妻に言うのである。
「葬式は焦るな」
「焦るなといいますと」
「棺が一つ届いてすぐにはするな」
 こう言うのだった。
「三つ届いてからにしろ。いいな」
「三つ、ですか」
「わしだけではない」
 乃木は死を覚悟していた。それが何よりも出ている言葉だった。
 そしてそれは自分だけではなかった、残る二つの棺はというと。
「勝典と保典もだ」
「二人共ですか」
「この戦争は未曾有の国難だ」
 乃木もまたよくわかっていた、この戦争がそうした戦争であると。
 だからこそこう言うのだった。
「乃木家が絶えようとも構わぬ」
「日本が勝つ為なら」
「勝たねばならぬ」
 これは絶対だった。今の日本にとっては。
「だからだ。息子達も戦場に送るぞ」
「わかりました」
 妻は夫の言葉に静かに頷いて答えた。
「ではそうされて下さい」
「何も言わぬのだな」
「日本はそうした時でしょうか」
 これがその妻の言葉だった。
「一人が助かりたいから逃げる時でしょうか」
「わしは勝典と保典を安全な部署に置くこともできるのだぞ」
 陸軍大将である、それだけの力は充分にある。
 己の傍に副官として置いてもいい、誰もそれを批判しなかった。だがそれでも乃木はあえてこう言ったのである。
「死地に送ってもよいのだな」
「あなたはそうした方ではありません」
 夫をわかっている言葉だった。
「侍ですから」
「そう言ってくれるか」
「勝典と保典も同じです」
 二人も息子達も然りだというのだ。
「侍です。侍ならばです」
「戦いの場で死ぬことも道理か」
「勝って下さい」
 妻はあえて生きて帰ってくれとは言わなかった。
「祖国の為に」
「済まぬ」
 乃木は妻の心と言葉に一言だけで答えた。
「では行って来る」
「はい」
 妻は夫の前で三つ指をついて深々と頭を垂れた。そのうえで夫の出陣を見送ったのである。
 日本と露西亜の戦争は遂にはじまり誰もが覚悟を決めて言った。
「勝つぞ!」
「何としても勝つぞ!」
 強大な露西亜を前にして腹を括り戦いに赴いた、全てははじまった。
 伊藤は宣戦布告の文章を見て一旦目を閉じてから言った。
「賽は投げられた。後はその賽をどう収めるかだ」
 戦場に多くの将兵達が向かう。伊藤はその彼等のことも想い言った。
「頼んだぞ」
 こう言ったのだった。日露戦争は誰もが覚悟を決めて開戦を決意した戦争だった。そして。
 歴史にはこうある。日露戦争に勝ったからこそ日本は生き残り多くのものをもたらした、そしてその勝利が多くの有色人種に希望を与えたと。だがそこに至るには多くの者の覚悟、死すら意識したそれがあることは書き残しておくべきだと思いここに書かせてもらった。


開戦前夜   完


                   2012・10・25 
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