東京レイヴンズ 異符録 俺の京子がメインヒロイン!
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憑獣街 3
秋芳が狙うのは首。
まず首を潰して呪文を唱えられなくするつもりだ。
火怒呂の首に貫手を入れる。相撲でいう喉輪だが、完全に喉を潰すいきおいで突く。
命中。続けざまに股間を蹴り上げ、前のめりになる火怒呂に対し容赦なく打撃をあびせかける。殴る、殴る、殴る、ひたすら、殴る。
両手で頭と顔を守るようしてうずくまったので、頭部目がけて膝蹴りを叩きこむ。のけ反ってがら空きになった胴に突きと蹴りの応酬。
とかく呪術師というものは、相手も呪術師だと呪術戦になると思いがちだ。
だが競技ではないのだから、呪術師同士が向かい合って、よ~いドンで呪文詠唱開始。などという決まりなどない。
呪文の詠唱や集中するいとまをあたえず、肉弾戦に持ちこむ。
これが秋芳流の対人呪術戦だ。
武術とは、もっとも実践的な魔術の一つなのだ。
このやり方で今まで何人ものはぐれ陰陽師を血祭りにあげてきた。
相手の接近を防ぐため式神を守りにつけるのがセオリーだが、プロならともかく護法式をはべらすもぐりの陰陽師などめったにいない。
今回の場合、火怒呂は一体しかいない自分の護法式を自分の身の近くから離しすぎた。
秋芳たちを挟み撃ちにすることが裏目に出たのだ。
一方的。あまりにも一方的な秋芳の攻勢だったが、しかし――。
「!?」
異様な殺気を感じて跳びすさる秋芳。
わき腹に痛みが走る。まるで獣にで咬み千切られたかのように肉がえぐられていた。
内臓までは達していない。致命傷ではないものの、血が流れ出し地面に染みを作る。
「やれやれ、乱暴な陰陽師だ。死んでいなかったら死んでたかもなぁ」
火怒呂の体から声が響く。
喉は完全に潰したはず。ではどこから?
「これがわれの新しい力。二つ目の冥途の土産だ」
火怒呂の肩に牙を剥いた犬の頭が生えている。その犬がしゃべっているのだ。
「くっくっく、蠱道に使役されし三十六の禽獣よ、わがもとへ集え。咬み、啄み、啜れ!」
火怒呂の全身から次々と獣の頭が生える。
膝からも肩からも犬や猫。鳥の頭が生えてくる。指は蛇に、つま先は蝦蟇に、背中からも得体の知れないなにかが生えて不気味に蠢いているのがわかる。
だが服はどこも破れていない。肉体そのもが変化しているわけではないようだ。
一つの巨大な霊災を中心として無数の霊災が連鎖的に発生し、無数の霊的存在が実体化して暴れ回る 状態をフェーズ4。百鬼夜行と呼ぶが、今の火怒呂の醜悪かつ邪悪な姿と、身にまとう妖気の量は、まさに歩くフェーズ4状態だ。
「おいおい、一人百鬼夜行かよ。ワンマンアーミーなんて言葉はあるが、ワンマン……そういや百鬼夜行を英語にするとなんて言うんだ? パンデモニウム? う~ん、ちょとちがうような……」
軽口を叩きつつ、異形と化した火怒呂の姿をしっかりと視る。
五行の偏向は見られない。しいて言えば呪詛の塊だ。
下手に接近すれば獣たちの牙の餌食になる。となれば――。
「我咆哮、金城穿孔、鉄壁崩壊。吼っ!」
我が咆哮は金城を穿ち、鉄壁を崩す。
虎の口を模して重ねられた掌から気がほとばしる。
純然たる気の衝撃、虎吼掌波だ。
鬼の体をバラバラに吹き飛ばしたこともあるその苛烈な一撃は、はずれることなく火怒呂を撃つ。
「ぐっ、やるな。今のは発剄か?」
衝撃を受けて数歩後ずさる。その時ジャミングされた映像のように火怒呂の輪郭がぶれ、明滅した。
これはrag。
ラグと呼ばれる現象だ。
式神や霊災のような霊的存在は物理的影響力を持つ立体映像のようなもので、そこにあるように見えても実際にそこに物質があるわけではない。
そのため物理的・霊的に強い干渉を受けると構成が乱れてラグが出る
火怒呂六三。もはや人ではない証左だ。
しかし与えたダメージは低い。
シャァァァッ!
火怒呂の背中から鞭のようなものがしなり、秋芳の首を狙う。同時に指の毒蛇が胴を、つま先の蝦蟇が長い舌を足に絡ませようとのばす。
残りの桃園霊符に気を廻らせて鞭を断ち斬りつつ、軽功を駆使して攻撃を避ける。
避ける、避ける、避ける。
「ええいっ、ちょこまかと!」
毒蛇の牙も蝦蟇の舌も、秋芳の身にかすりもしない。
地面に落ちた鞭らしきものが、しゅうしゅうと音を立てて消滅する。
それは巨大な蠍の尻尾だった。
(ひー、おっかねぇ。どんな毒があるか知れたもんじゃない)
とんっ。
ふと背中になにかがあたり、そこから温かい気を感じる。
京子だ。
京子の背中だ。
「もう一分は経ってると思うけど、手こずってる?」
「少しね。あいつ変身しやがった」
「…ヤバイ気がびんびん伝わってくる。あんなの一瞬でも見たくないわ、早く倒して」
「おう」
ほんのわずかな背中合わせの会話。
こんな時だというのに、それが妙に楽しい。秋芳の顔に自然に笑みが浮かぶ。
京子の戦いは禍斗の先制攻撃から幕を開けた。
「GAFOLAAAッ」
漆黒の魔犬の口から炎の息が吹き出す。
「急急如律令!」
即座に水行符を発動させる。水剋火。水は火を消し止める。
灼熱の息吹は京子になんの影響も与えなかった。
『倒そうなんて考えるな』
彼はそう言った。けれども目の前の動的霊災は時間稼ぎを念頭においた戦い方でしのげる相手ではない。
現に白桜と黒楓の連携攻撃を軽やかに避けつつ鉤爪や牙で反撃し、少ないながら、こちらの式に手傷を負わせている。
その巨体に似合わぬ俊敏さだ。
全力で倒すつもりで戦って、やっと時間稼ぎになる。
手持ちの呪符は五行符がそれぞれ数枚。それと桃園霊符がまだ一枚残っている。
自分の使える術には限りがある。どうする? どうすれば、勝てる?
(さっきの火。相剋相性だったにしても簡単に打ち消せた。この犬、呪力はたいして強く無いんじゃない?)
ふとある考えが脳裏に浮かぶ。
「GAUUUッ!」
黒楓の薙刀が禍斗の前脚を掃う。
転倒こそしないもののバランスがくずれ、隙が生じた。
(今よ!)
一瞬だけ意識を白桜・黒楓の制御から離し、自前の呪力を練り上げるのに集中。
転法輪印を結印し、続いて呪縛印に。
「緤(す)べて緤べよ、ひっしと緤べよ、不動明王の正末の本誓願をもってし、この邪霊悪霊を搦めとれとの大誓願なり! オン・ビシビシ・カラカラ・シバリ・ソワカ!」
不動金縛りの術。
目に見えない呪力の縄が禍斗の身を縛る。
成功だ。
「今よ! 白桜、黒楓!」
反撃の心配はない。二体の式神に守りを捨てた全力攻撃を命じる。
刀を何度も打ち据える白桜。
渾身の力で薙刀を叩きこむ黒楓。
禍斗の体にラグが走る。
効いている。
確実にダメージを与えている。
だが。
「GUGAGAAAッ!」
京子の呪縛を力任せに引きちぎり、突進。
二体の式神が大きく吹き飛び、こんどはこちらがラグる。
「きゃあっ」
術を返された衝撃に、つい悲鳴があがる。
(こいつ、なんてタフなの!?)
思わず後退し、相手と距離を取る京子。
(こわがっちゃダメ。戦うのよ…)
とんっ。
ふと背中になにかがあたり、そこから温かい気を感じる。
彼だ。
秋芳の背中だ。
怖じ気が消え、自然に安堵の息が漏れる。
「もう一分は経ってると思うけど、手こずってる?」
「少しね。あいつ変身しやがった」
たしかに。最初の比ではない邪気が向こうからひしひしと伝わってくる。正直それにくらべれば、あの漆黒の魔犬。禍斗なんてかわいいものだ。
「……ヤバイ気がびんびん伝わってくる。あんなの一瞬でも見たくないわ、早く倒して」
「おう」
ほんのわずかな背中合わせの会話。
たったそれだけのことで京子は体力も霊力も全快したような気分になった。
彼と一緒に戦っている。負けるわけがない。
彼の背中を守っている。負けるわけにはいかない。
勝つ。
絶対に、勝つ。
「白桜、黒楓!」
京子の右前方に白桜が、左前方に黒楓が移動する。
だがかなり離れた配置だ。この布陣では京子の前がガラ空きだ。
「GUUUU……」
獣の瞳に思案の色が見える。
突進して引き裂く前に先ほどの術で動きを止められ、左右から攻撃されるのはいやだ……。
はたしてそのように考えたのか不明だが、誘いに乗るような真似はしなかった。
禍斗の口が大きく開く。
そこにはおき火のように赤々と燃える炎が見える。
距離があるのをいいことに、ふたたび火の息での攻撃を試みたのだ。
ごうっ。
自分に目がけて一直線に伸びる炎に対し、京子は二枚の符を投じた。
一枚は桃園霊符。
もう一枚は水行符――ではない。土行符だった。
「霊気よ、つどいて盾となれ。急急如律令!」
桃園霊符で防壁を張る。
だが火を防ぐのにもっとも効果的な水行符ほどには軽減できない。火はせき止められたが火傷するほどの熱気が伝わってくる。
熱い。
髪の毛の焼けるような、いやな臭いがただよう。
それでも、なんとか防ぎきった。
「灰燼より真土あらわる、急急如律令!」
同時に投げた土行符は火の息を吸収し、ひときわ強い気を放ち、巨大な土塊と化した。
五行相生、火生土。
「土精を食みて金剛と化せ、急急如律令!」
間髪入れずに金行符を、続いて水行符を打つ。
「金鉄に発露し恵水となれ、急急如律令!」
土塊は鉄塊と化し、その表面を大気中の水分が凝縮されたかのような大量の水滴が覆い尽くす。
そしてそれは一筋の水流と化し、禍斗にむけ激しく噴射、直撃。
土生金。金生水。
相生効果により増幅された水気は極めて強力で、火気をまとう禍斗はひとたまりもない。
断末魔すらあげることもできず、いっそう激しくラグを起こし消滅した。
勝った。
京子は勝ったのだ。
五行相生を駆使するため、連続して符術を使うのは一つの賭けだった。
符を投じるタイミング、術式の展開と制御。それらに寸分で狂いがあれば、失敗していただろう。
幼い頃からの呪術の手ほどき、座学で習った五行相生。
そして実技授業で秋芳と呪符打ちをしてコツをつかんでいたから、それを犬神の群れに対し実践していたからこそできたのだ。
日々の訓練、研鑚はけして無駄にはならない。
そう。日々の欠かさぬ努力があって、始めて強くなり、勝つことができるのだ。
接近戦では全身に生えた獣たちの牙の餌食になる。
ある程度距離をとって戦うか…。
そう考える秋芳だったが――。
「まずはその蝿のように小うるさい動きを封じてやる。オン・ビシビシ・カラカラ・シバリ・ソワカ――」
「オン・ビシビシ・カラカラ・シバリ・ソワカ」
「オン・ビシビシ・カラカラ・シバリ・ソワカ」
「オン・ビシビシ・カラカラ・シバリ・ソワカ」
火怒呂の全身に生えた獣たちの口から一斉に詠唱の言葉が漏れる。
「「「「「オン・ビシビシ・カラカラ・シバリ・ソワカ、オン・ビシビシ・カラカラ・シバリ・ソワカ。縦横縛陣!」」」」」
無数の唱和が呪力と一体となって響き合う。
それは先ほど京子が禍斗にかけた不動金縛りと同種の術だが、数がちがう。
ちがいすぎる。
十重二重、三重の呪縛が秋芳に放たれた。
(おいおい、口の数だけ術が使えますってか? そんなのありかよ!)
全身に気を廻らして襲い来る術に身がまえる。
ひとつ、ふたつ、みっつ……。
相手の術を弾くたびに呪力と霊力の摩擦が生じ、まばゆい光が閃く。
すべて、耐えきった。
「そんなバカな!? きさまはバケモノか?」
化け物はそっちだろ。
内心で苦笑しつつ、距離をつめる。
獣の牙も厄介だが、連続呪術はそれ以上に脅威だ。接近して戦うしかない。
「斬妖除魔、降魔霊剣。急急如律令!」
剣指にした人指し指と中指の間にはさんだ桃園霊符から一メートル近い光り輝く尖形状の刀身が生成される。
桃園霊符に宿る破魔の力を剣の形にしたものだ。
間合いをつめ斬りかかる。
鋭い斬撃が火怒呂の体に生えた犬の首を断ち、刺突が猫の目を潰す。
攻撃があたるたびに火怒呂にラグが生じるが、負けずに反撃してくる。
鋭い歯や嘴が肉を切り裂き貫こうと、毒のしたたる牙や針が身を侵そうと、長い舌が足を絡め取ろうと襲い来る。
大きく開けた口から蛾や蜂の群れが吐き出され、それを霊剣を風車のように回して掻き散らす。
手数が、ちがいすぎた。
こちらの一度の攻撃に対し、むこうからは十を超える反撃がある。
蛇の牙や蠍の針など、いかにも危険そうな攻撃を優先的に防御するが、すべては防ぎきれない。犬や猫の牙が秋芳の身に無数の傷をつける。
先ほど負傷したわき腹からは今も血が流れ、足元に血だまりを作っている。
「ハハハ! どうしたどうした、動きが鈍っているぞ。血を流しすぎたんじゃないか? あまり動きまわらないほうがいいぞ」
一カ所に止まっていては相手の的になる。目まぐるしく位置を変え、攻撃を繰り返していた秋芳だが、戦闘開始時にくらべ、その動きは鈍って見えた。
(貪狼…)
犬の牙が頬をかすめる。
(巨門…)
猫の牙が上着を裂く。
(禄存…)
鳥の嘴が肩をかすめる。
(文曲…)
毒蛇の牙を斬り払う。
(廉貞…)
蝦蟇の舌を突き通す。
(武曲…)
目を狙った蠍の毒針を寸前で断ち斬る。
(破軍)
動きを止める秋芳。
服は破れ、血がにじみしたたり落ちる。満身創痍だ。
「観念したか? だが、われをこの姿にさせるとは大したものだ。これは鏡伶路を屠る時までとっておくつもりだったのだからな。言ったとおり犬神にしてやろう。次に目を覚ました時は土の中だ」
そう言って蠍の尾をもたげる。
「動くなよ、手元が狂う。……ふふふ、いいことを思いついたぞ。おまえに出す『仕上げ』の食事はあの女の肉で作ってやる。胸腺のフォン・ ド・ボーがいいか? それとも肝臓のパテがいいか?」
火怒呂は気づかない。
さんざん動きまわったにもかかわらず、秋芳の息にまったく乱れがないことを。
火怒呂は気づかない。
秋芳は血こそ流しているが、汗ひとつかいてないことを。
「その前にたんと恨んでもらうぞ、強い怨念は最高の蠱毒になるからな。あの女、実に嬲りがいがありそうだ。おまえの目の前でかわがってやろう」
火怒呂は気づかない。
自分が結界に捕われていることを。
「貪狼、巨門、禄存、文曲、廉貞、武曲、破軍。我、紫微に立ち七星に命ず、天コウ北斗七星霊陣!」
突如、周囲七カ所から収斂された霊気が吹き出し、火怒呂の体を刺し貫いた。
「ぐはぁっ!? な、なんだこれはっ? か、体が、体がっ、うぐぅがぁぁぁッ!? や、やめろ。やめてくれぇっ!」
七本の刀槍で全身を刺し貫かれ、激しく揺さぶられているようなものだ。
全身に激しくラグを生じ、苦痛にのたうち回ることもできず、ただただ絶叫する火怒呂。
秋芳は闇雲に動きまわっていたわけではない。
地面に自らの血を落とすことでそれを印とし、結界を結んでいたのだ。
洋の東西を問わず、血液というものは呪術の触媒に使われやすい。
血は生命力や霊気といったエネルギーの象徴といえる。
「あんた、呪捜官の八陣結界に捕われて焼き殺されたんだろ。……結界に捕われて死んだ人間が、また結界に捕われる。学習しないのかって話だよな」
「あぐグギギャ! 痛いひぃぎぃっ。崩れるッ。体がッ。やめてくれっ、術を、術を解いてくれ。頼むっ」
「もののついでだ、今度も炎で葬ってやろう。魂さえ焼き尽くす、とっておきの火でな」
結界に捕われた火怒呂に攻撃される恐れはない。
じゅうぶんに気息を整え、内力を練り、導引を結び口訣を唱える。
「玉帝有勅、三昧真火神勅、形状精光、上列九星。急急如律令!」
掲げた両手の間に拳大の火球が生じ、赤、青、白と熱が上がるごとにその色を変え、サイズも大きくなっていく。
そしてふたたび、赤。
完全なる赤。純然たる火。三昧真火だ。
斉天大聖・孫悟空すら退けた、かたち持たぬ神霊さえも焼き尽くす三昧真火。
溶岩の温度は一千度前後、太陽の表面は六千度、核融合炉の温度は一億度を超えるという。では三昧真火は?
無限。
火球に直接触れずとも、発する熱だけであたり一面蒸発してしまうだろうそれだが、呪力で巧みに抑えているため、まわりに被害は出ない。
ゆっくりと近づく火球。絶対の死を前にして、もはや言葉すら出ない火怒呂。
「燃烧吧(燃えちまいな)!」
火怒呂六三は三昧真火に飲み込まれ、消滅した。
秋芳が京子のほうを見ると、禍斗が水流に飲まれ消滅するところだった。
「やったな。フェーズ3の霊災を祓うなんて、プロ並じゃないか。ケガはないか?」
「ええ、平気。とっても心強い味方がいてくれたから。……それよりも木ノ下先輩は!?」
犬神にさいなまれていた木ノ下純。火怒呂を倒してその犬神はどうなったのか?
「キャンキャンキャンキャンキャンッ!」
四つん這いになり、後ろ足で蠱毒が埋まっているであろう地面を掘っていた。
頭からはケモノ耳、お尻からはモフッとした尻尾が、手足には肉球ができ鉤爪が生えている。
「き、木ノ下先輩!?」
「悪い気は感じないが、なんか変な具合に生成りが進んだようだ」
「落ち着いてないで、早く蠱毒を修祓しましょう。そうすれば先輩も――て、あなた酷いケガじゃない!」
「すぐ治す。問題ない」
掘り出した蠱毒の本体。四つに分かれた犬の頭蓋骨の欠片に、純の持っていた残りの骨を合わせたとたん、それはさらさらと崩れていった。
もはや瘴気など発してはいない。
術者が死んでなお強い呪力を発する呪具も存在するが、これはそのようなタイプではなかったようだ。
「京子、悪い。少し眠る」
「え? ちょ、ちょっとなに――!?」
目覚めるとベンチに横たわっていた。
「あら、もう目が覚めたの? 早いわね」
京子が見下ろしている。彼女に膝枕されているのだ。
(なんか、最初に会った時と逆だな…)
「ハンカチは木ノ下先輩に使ってるから、こうしてあげてるの。感謝してよね」
隣のベンチを見ると純が横になっていた。
その頭の下には京子の物と思われるハンカチが一枚敷かれている。きちんと調べなければわからないが、純の体の中に犬神はおそらくもういない。
「感謝する。俺は、どのくらい寝ていた?」
「五分……。ううん、三分も経ってないわ」
「そうか――」
さすがに消耗した。
傷を禁じる術は制御がむずかしく、呪力の消費も大きい。
なにより三味の真火を使ったのがこたえた。
火怒呂が結界の中で削り殺されるのを待っていてもよかったのだが、やはりあの数々の言動が頭にきていたようだ。
すぐ起き上がろうとするが、やめた。気持ちが良いからだ。
「もうちょっと休んでたほうがいいわ。あなた、ボロボロじゃない」
「そうかな」
「そうよ」
こうして膝枕されていると、京子の顔がよく見えない。
胸が、大きいからだ。
京子自身の豊かな胸が邪魔をして、下からだと顔が見えないのだ。
「おっぱい、でかいな」
不覚。つい口に出してしまった。
「――っ!」
京子が顔を真っ赤にして睨みつける。
「……スケベ」
「男はみんなスケベなんだよ」
「エロ」
「男はみんなエロいんだよ」
「えっち」
「男はみんな、えっちなんだよ。……なぁ、さっきの言葉。おぼえてるか? なんでもしてくれるんだよな?」
こくん。
これ以上はないくらい顔を真っ赤に染め、瞳を潤ませながらうなずく。
と同時に拳を振り上げる。
「でも、変なこと言ったらぶつわよ」
「ぶたないよ」
「ぶつわよ」
「ぶたない。君はケガ人をどつくような暴力ヒロインなんかじゃない」
「ぶつわ」
「おまえと――」
「ぶつ!」
「まだなにも言ってないだろ」
下からのアングルがなんともいえない。
(あのでか乳をひん剥いてアクリル板に押しつけ、色々な形に変形する様を観賞するプレイとか、いいな)
コツン。
「痛いじゃないか、なぜぶつんだ」
「痛くない! 今すんごいエロいこと考えたでしょ! わかるんだから!」
その時、軽快な着信音が鳴り響いた。京子のケイタイからだ。
「……お祖母様からだわ」
「ああ、心配してかけてきたのか」
「ううん、メール。…ここに来るって」
「なに?」
思わず起き上がる。
「ここに? 塾長に連絡したのか?」
「してないわ。卦でも見たのかしら」
「星読みってそんなピンポイントで誰かの場所までわかるのか? つか、そこまでわかるなら今回の騒動を事前に読めなかったのかって話だが…」
「陰陽師の中にも誤解してる人がたくさんいるけど、星読みの力はなんでもわかる万能なものなんかじゃない。天啓みたいなものだってお祖母様が言ってたわ。知りたいことを常に知ることはできない。急になにかが降りてきて、知りたくもないことを知らされる時だってあるって」
「なるほど、そう考えると星読みも大変だな。……さて、どう説明しようか。木ノ下先輩のことは黙っててあげたいが、それも知っているかもしれないし……」
ふたたび着信音。同じく京子の祖母、倉橋美代からのメールだ。
「ええと、木ノ下先輩のこともふくめて、事後処理はこちらでします。ですって」
「ばあさん今夜は妙に冴えてるな!」
「あと、あなたにもお礼がしたいから少し待ってて。ですって」
「俺のことまでわかってるのかよ『召喚教師リアルバウトハイスクール』の澁澤右京ばりの星読みっぷりだな、おい!」
「まだ続きがあるわ……て――ッ!?」
「どうした?」
「な、なんでもないわ!」
赤面してケイタイをしまう京子。
ほどなくして一匹の三毛猫が京子の名を呼びながら駆け寄ってきた。
秋芳は塾長のお迎えに応じて倉橋邸にお邪魔することにした。
倉橋邸。
さすがに広い。
京や大和にある賀茂の屋敷も大きいことは大きかったが、どこか生気にとぼしかった。
暗い部屋の中、障子ごしに差し込む光に映され、ただよっている埃。
そのような、どこか病んだ印象があった。
ここはちがう。
この家は清浄な気と生気に満ちている。
畳ばりの大きな部屋に木ノ下純が寝かされ、その周りに秋芳、京子、美代の姿があった。
犬神騒動についてひと通りの説明を終え、念のため純の気を検めたところ――。
「犬神は完全に取り除かれてます。けれども、まだ獣の気がありますね」
美代はそう言って純の身を調べた照魔鏡をかたわらに置く。
「え、ちょっと待ってお祖母様。それってば『完全には取り除かれていない』てことじゃないんですか?」
陰陽塾内では塾長と生徒。実の祖母に対してもかしこまった言葉を使う京子だが、場所が自宅ということもあり、少々くだけた口調になっていた。
「犬神の気ではないの。まったく別の獣の気が彼女…、じゃなくて彼、木ノ下さんの中にあるわ。それもとても深いところに」
「もともと生成りだった。ということですか?」
「彼自身が生成り。憑依されていたわけではないでしょう。……おそらくは先祖に動物の生成りがいて、その因子が一族の血肉や魂に脈々と受け継がれ、今回の件で覚醒してしまったんじゃないかしら」
(まるで『妖狐×僕SS』の先祖返りみたいね)
(なるほど『幽☆遊☆白書』の魔族大隔世遺伝みたいなものか)
「あら、二人ともずいぶん素直に納得しましたね。こんな稀有な例、すぐには信じられないかと思ってましたのに」
「え、ええ。お祖母様の診たてですもの」
「あー、隔世遺伝や間歇遺伝と呼ばれる現象自体は実際ありますからね。そういうことがあっても、そう不思議ではないかと」
前に読んだ漫画のネタで使われてたんで、しっくりきました。とは言いづらい。
「とはいえ世間一般で言う生成り状態であることには変わりはないですし、正式に封印術を施す必要がありますね」
「……陰陽医のお世話になるってことですか?」
生成りだと認められた者は陰陽医の元に隔離されたり、陰陽庁の監視下に置かれた上で封印術が施され、宿した存在を押さえこむよう、陰陽法に定められている。
陰陽庁内の隔離施設に軟禁され、自由を奪われた純の姿がつい脳裏に浮かび、つい不安げな声が出る。
「安心して、京子さん。どんなことがあろうと陰陽塾の生徒を無碍になんかしません。私の知り合いにとても腕のいい陰陽医がいるの。彼に一度診てもらいましょう。木ノ下さんのご家族には私からきちんと説明するわ」
ことの発端を察知できず、街中で塾生を危険な目に遭わせた。
その罪滅ぼしというわけではないが、倉橋美代は純への助力を惜しまないつもりだ。
「そう…、わかりました、お祖母様。お願いします」
京子の声から安堵とともに憔悴した気配も伝わってくる。
無理もない。今夜だけでかなりの霊力を消費したのだ。
本来なら行使できないくらいの。
「塾長、そろそろ京こ――、お孫さんを休ませては? もう遅いですし、私もそろそろ失礼します」
「そうですね。京子さん、もうお休みなさい。あ、秋芳さん。ちょっとだけ確認したいことがあるので、もう少しつき合ってちょうだい」
「……はい、わかりました。秋芳君。今日はありがとう。また、明日ね」
「ああ、おやすみ」
京子が離席してしばらく、沈黙の帳が降りる。それを破ったのは美代だ。
「あの子を助けてくれたのは、これで二度目ですね。ありがとう。ほんとうに感謝するわ」
「いやいや、ピンチの女の子を助けるのは男の子にとっても気持ちのいいことですから。京子さんくらいかわいいと助けがいがありますよ」
「うふふ、あ、でも恩を着せてエロいことを強要するのはよしてちょうだいね。アクリル板でどうとか」
「さっきから星読みビンビンに冴えわたってますね! 読心ですか!? マインドリーディングですか!?」
「あの子が愛読している少女漫画にも過激なプレイが出てきましたけど、そういうのはきちんと段階を踏んでいたしてくださいね」
「どんな少女漫画ですかそれ! て、あれ? ひょっとして公認してくれるんですか? そういうの?」
それはそれでどうだろう。
「とにかくエロスはほどほどにしてちょうだい。……真面目な話になりますが、ついさっきあの子に新たな力が芽生えたようです。私と同じ星読み。あるいはそれ以上のなにかが」
「やはりそうでしたか。霊力の質と量が変わったのでおかしいと思いました」
「宿星や宿命を変えることはできません。けれども運命は変えることはできる。これからもあの子を、京子のことを守ってください」
「はい、よろこんで」
この人がそう言うからにはさぞかし前途多難な卦が京子に出たのだろう。
守らねば。
あいつの笑顔を守りたい。
あいつを泣かしていいのは俺だけだ。
そう思い、力強くうなづく秋芳だった。
美代との話もすみ、倉橋邸から退出するさい。
秋芳がふと中庭に目をやった瞬間、強烈な既視感。デジャブに襲われた。
寒い寒い冬の日。
白い雪が降っていた。
男が、語りかけてくる。
いいか――、雪というのは人の想いのようなものだ。
白いがゆえに汚れやすく、はかないがゆえに壊れやすい。
それは純粋であるがための自然の摂理。
人の想いも雪のように降り積もっては消えてゆく。
幾日も幾月も幾歳も。
だが記憶は決して消え去ることはない。
忘れるな――。ここで見た、この風景を。
忘れるな――。おまえの心に宿る、その輝きを。
おまえは倉橋に連綿と受け継がれてきた血と想い。
そして新たなる可能性を秘めているのだ。
わかったか――。
っ!?
われに返る。
目の前には黒々とした夜の庭園が広がっている。
雪なぞとうぜん降ってはいない。
「……いつぞやの屋上の時といい、どうも倉橋には奇縁があるようだな」
京子の部屋。
熱いシャワーを浴びて疲労がやわらいだのか、さっきまでの眠気は感じない。
「ゲームを買いに行っただけで色々あったわね」
そう。愛読している少女向けコミックがゲーム化し、それを買いに出かけて京子は犬神騒動に巻き込まれたのだ。
幼なじみの優しい美少年とは正反対の野性的な魅力にあふれた転校生。さらに知的クールな担任教師や、謎に満ちた妖しい後輩――。
そんなキャラクターたちと共に過ごす学園もの作品。
すぐに寝てしまおうかと思ったが、パッケージだけでも見てみようと、購入したゲームの入った青いビニール袋の封を解く。
「……これ、成人向けじゃない」
京子が購入したものは一般向けだったはずだ。
あの店は成人指定作品を買うさい、かならず年齢確認をする。まちがいようがない。
「そういえば、秋芳君も同じ袋持ってたわよね。笑狸ちゃんに頼まれた買い物って、ひょっとして……」
どうしよう?
好奇心がムラムラと湧いてきた。
気づけば手にしたゲームをPCにインストールしている京子だった。
後書き
天コウ北斗七星霊陣の「コウ」は、止の上に四の字がつく特殊文字です。
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