真田十勇士
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巻ノ百七 授かった術その十一
「執念じゃ、しかし間に合わぬ時は」
「それがしだけで」
「行くことになるがそれではな」
茶々がというのだ。
「聞かれぬ、そしてじゃ」
「そのことが仇となり」
「大坂は敗れる」
「やはり戦をするならば」
幸村はいくさ人として言った。
「どうしましても」
「そう思うのが道理じゃ」
「だからですな」
「そのことが気になってじゃ」
「父上は養生され」
「時が来れば思う存分と思っておる、その念でじゃ」
「今もですな」
「身を慎んでおる、そして上田じゃが」
真田家代々の料理の話もした。
「源三郎がおり孫達もおるからな」
「安心出来ますな」
「真田の家は残る」
「幕府の下で」
「だからそのことは安心しておる」
実際にこのことは落ち着いて話す昌幸だった。
「至ってな」
「それがしもです」
「源三郎なら安心してな」
「真田の家が続く土台を築かれますな」
「あ奴ならばな」
間違いなくというのだ。
「そうしてくれるわ」
「ですな、では」
「我等は我等の道を進むぞ」
「そしてその道の為にも」
「生きるのじゃ、生きてこそと言っておるな」
「何かが出来る」
「それでじゃ」
「父上も。ひいてはそれがしも」
「生きるのじゃ」
「わかり申した」
幸村も頷いて応えた。
「身に着けた術も使い」
「その術は生きる為にも使えるな」
「はい」
その通りという返事だった。
「間違いなく」
「ではな」
「はい、この術も使い」
「生きるのじゃ」
「何としても」
「武士道は死ぬものか」
「少なくとも当家では違いますな」
「恥は忘れるな、しかしな」
「生き恥を晒してもですな」
「生きることじゃ」
「望みがあれば」
「その望みを果たす為にじゃ」
まさにというのだ。
「あらゆる手、力を使ってな」
「生きるのが当家」
「わかっていればよい、ではな」
「その時のことも頭に入れておきまする」
「そうせよ、それとどうもじゃ」
ここで昌幸はこうした話もした。
「幕府の中でいざかいが起こっておるな」
「幕府の中で」
「お主は聞いておらぬか」
「江戸、駿府のどちらで」
「その両方でじゃ」
「まさかと思いますが大御所殿と公方殿が」
「いや、そうでうはないらしい」
駿府の家康と江戸の秀忠がいがみ合う、戦国の世では常の肉親同士のいざかいではとだ。幸村が言うとだ。
昌幸は否定した、そのうえで言うのだった。
「幕臣の間でな」
「権勢を競い」
「起こっている様じゃ」
「そうした動きがありますか」
「わしの配下の者達が江戸や駿府を歩いてな」
「そのことをですか」
「感じた」
そうだというのだ。
「そう言っておる」
「では十勇士達にもです」
「送ってか」
「調べさせましょう」
「それがよい、何か気になる」
「はい、幕府はこれまで一枚板と言ってよいですが」
「徳川家はそもそも乱れることが少なかった」
家康への一途な忠義でまとまっている、このこともまた徳川家の強さの要因であったのだ。
「大御所殿が主となられてからな」
「そのことは天下によく知られていますが」
「それがじゃ」
「いざかいが起こっていますか」
「どうもな」
「そうですか、では」
「うむ、幕府のことを見ていこうぞ」
「わかり申した」
十勇士の全てと幸村も修行を終えて強くなった、しかしその間にまた天下は動こうとしていたのだった。今度は幕府の中で。
巻ノ百七 完
2017・5・17
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