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髪切り

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第四章

 手裏剣は何かに当たって落ちた。それを見て。
 半次がその傍に向かった。長谷部も駆け寄る。するとそこには。
 尖った嘴に人に似た顔、そして蝶のサナギに似た身体に。
 手だけがあった。その手のどちらにも鋏、蟹そっくりのそれがある。その奇怪な生き物が腹を切られて道に転がっていた。大きさは人の手首程だ。
 それを見てだ。まずは半次が言った。
「あの、こいつは」
「妖怪であろうか」
「そうとしか思えないでやんすね」
「うむ、どう見てもな」
 そうだとだ。長谷部も首を捻りながら話す。
「そうとしか思えぬわ」
「そうですね。こいつが下手人でやんすか」
「その様じゃ。それではじゃ」
 長谷部はその骸を手に取った。そして懐紙に包んでから。
 そのうえでだ。こう言うのだった。
「まずはお奉行にお見せしよう」
「そうしますか」
「わしにはこれが何かわからぬ。しかしじゃ」
「お奉行ならでやんすね」
「そうじゃ。お奉行なら御存知であろう」
 こう話してだ。長谷部はその怪しい生き物、妖怪としか思えないそれを懐紙に包んでから収めた。そしてそのうえでその日は投げた手裏剣も拾って帰った。
 その次の日に早速それを大岡に見せる。するとだった。
 大岡はその骸を見てすぐにだ。こう言ったのだった。
「これは髪切りじゃな」
「髪切りといいますと」
「妖怪の一つじゃ」
「やはり妖怪でしたか」
「うむ、人の髪を切る妖怪じゃ」
 まさにだ。文字通りそれだというのだ。
「それが悪戯か習性かはわからぬがな」
「しかし髪を切るのはですか」
「確かにする。そうした妖怪なのじゃ」
「成程、そしてその妖怪が柳に潜んでいて」
「おなごの髪を切っておったのであろう」
「そうでございましたか」
「道理で下手人がわからぬ筈じゃ」
 大岡は服の下で腕を組んで言った。
「妖怪じゃとな」
「確かに。それがしもこれは」
「思いも寄らなかったな」
「妖怪なぞいたのですか」
「おるぞ。しかとな」
 このこともだ。大岡は否定しなかった。
「おるのじゃ。こうしてな」
「そうでしたか」
「何かとするのは人だけではないのじゃ」
「妖怪もですか」
「このことは表では言われぬが度々ある」
 これまでのことからだ。大岡はこうしたことも知っていた。伊達に江戸で奉行を務めているわけではなかった。妖怪に着いても知っているのだ。
「人や犬や猫だけが江戸にいるのではない」
「妖怪もまた」
「妖怪も人と共に生きておるのじゃ」
 こうも言うのだった。
「それが世の中というものじゃ」
「江戸だけではありませぬか」
「そういうことじゃ。何はともあれこれでこの話は終わるであろう」 
 下手人である妖怪が死んだ、そのことによってだというのだ。 
 そしてこう話してからだ。長谷部にも言うのだった。
「ご苦労であったな」
「有り難きお言葉」
 長谷部も大岡の労いの言葉に礼で返す。
「それがしもよきことを知りました」
「妖怪のことじゃな」
「人だけがことを起こすのではないのですな」
「そういうことじゃ。この世におるのは人だけではないのだからな」
 大岡は長谷部にこの言葉を最後に告げた。まさにその通りでだ。人の世にいるのは人だけでなく何かを起こすのも人だけではなかった。
 この話は正式な史科には残っていない。だが大岡越前にまつわる話の中に埋もれているものである。このことを知る者は今は少ない。だが面白い話であるのでここに紹介しておく。


髪切り   完


                   2012・5・24 
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