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魔弾の王と戦姫~獅子と黒竜の輪廻曲~

作者:gomachan
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第21話『奪われた流星の丘アルサス~忍び寄る魔王の時代』【Aパート 】

アルサスに――『黒地に銃砲』の御旗たる、テナルディエの軍旗が翻る。





西へ沈みゆく夕凪が、まるで草原を焼き払うかのように吹き付け、獅子王凱の後ろ髪を静かに仰ぐ。
無論、彼だけではない。今、変わり果てたアルサスを見下ろすのは凱のほかに、ティッタ――フィグネリア――そして、ザイアンの姿もあった。
茜色に染まっていく光景は、ブリューヌ王国の……いや、世界の終末を思わせる。少なくとも、凱にはそう感じていた。

「……本当に人が住んでいるの?」

ヴォージュ山脈の一本道を駆け抜けて、ようやく到着した目的地に、フィグネリアは思わず息を呑んだ。彼女の言葉に、ティッタの表情は沈痛な面持ちになる。
聖剣王シャルルを始祖とするブリューヌ建国より数百年、まだ王都や公爵家を除く集落は決して裕福とはいえず、近隣諸侯との戦乱や、貴族による着服問題、疫病の流行り等で貧苦に喘ぐものは少なくない。

幼少期のエリザヴェータが住んでいた寒村も――

ウルス=ヴォルンの治めていたアルサスも――例外ではない。

統治者として、『疫病』という問題に悩み、結果……村を焼いた。
疫病の蔓延を防ぐ為に村を焼き払う選択が、果たして正しいかどうかは分からない。いや、そういう選択に是非を問うこと自体が間違いなのだ。
間違った選択かもしれない。しかし、必要な選択であったことだろう。
10年くらい前……うろ覚えだが、ティグルの父ウルスが悩んでいた場面を見たことがあると、ティッタは領主から聞いたことがある。
だが、今のアルサスに漂う大気は、それとはまったく別種のものだった。
どのような寒村でも、人がそこに住んでいる以上、『活気(エネルギー)』が満ちている。
本来ならそこに浮かぶはずの、田畑を耕す光景が、子供達が走り回る光景が、行商人が行きかう光景が。











しかし――今のアルサスには、その活気が恐ろしく少ない。











特に――ユナヴィールの村。
アルサス一帯を見渡せる丘から、その村が真っ先に凱の目に入った。どれが廃家で、そして人が住んでいるのか区別のつかないほど荒れ果てた家屋。中には焼き払われたのか、黒焦げた柱と堀だけになったものもある。

「ザイアン……どうやらテナルディエ公爵がアルサスに居るのは本当のようだな」
「――――はい。父上は今、中央都市セレスタにいます」

今更な質問だったなと……凱は思う。
この惨状、何より、アリファールの乗せる風が、怨嗟と悲劇に叫ぶ声を、凱の耳元に運んでくる。

(ブリューヌ全体が……このような惨劇にまみれた声で喘いでいるのか?)

凱の唇が……ぎゅっとしまる。
アルサスだけじゃない――かつてムオジネルが奴隷の狩り場として選んだアニエスも、マスハス卿の治めるオードも、オージェ子爵の治めるテリトアールも、このような光景になっているのか?そう思うと、沸き上がる怒りのあまり、凱の拳が自然と固くなる。
それに構わず、隣に立つフィーネはガイに問いかける。

「まずはどこへ行く?いきなりセレスタへ?」

しばし沈黙の中、凱は行き先を告げた。

「――――ユナヴィール」

ここアルサスは、4つの村部区画にて構成されている。ユナヴィールの村もその一つだ。
遠くからでは、外観上の『惨状』しかわからない。実際に足を踏み入れて、先に『生存者』がいるか確かめなくては。

「……行こうティッタ」

最悪の場合、ユナヴィールへ足を踏み入れた瞬間、戦闘になる。
どうして力無きティッタが、凱とフィグネリア――ザイアンと同行しているのか。
時は少しさかのぼる。











【銀の流星軍・駐屯地・司令官幕舎】











「ティッタ。君は自分が何を言っているのか、分かっているのか?」

穏やかで包容力の深い凱でさえ、彼女の申し出に眉を潜めた。その声色は若干だけ、非難じみている。

「俺達は最悪の場合、アルサスで戦闘になる。万が一、君に何かあれば、ティグルやバートランさん達に顔向けができなくなる」

戦いという言葉に一瞬、ティッタの表情が強張る。
一介の侍女に過ぎない自分には、到底解決できないし、凱達の力にさえなれない大きな問題なのだ。

「……過酷な運命はいつもアルサスから奪う。しかし、今回ばかりは止めねばならん」

沈痛な面持ちで告げたのはマスハスだった。
度重なる戦場へ常にティグルの背をついていき、いつ倒れるか分からぬ背中を、ずっと支えてきた。
主の疲れた身体を優しく労る食事。安らぐ環境たる寝床を整え、一日を告げる起床行動の数々を、ティッタは『使命』として尽くしてきた。
その健気な姿勢こそが、銀の流星達に明星を与えていたのだ。

「ティグルを失い、ティッタまで失ったら……わしはウルスに顔向けができぬ。ティッタよ……どうか考えなおしてくれぬか?」

凱がティグルに顔向けができない様に、マスハスもまた亡き友人に顔向けができないのだと。彼の声色に悲痛が滲む。
そして、マスハスの言葉に同意するかのように、ルーリック――リムアリーシャまでティッタの瞳を覗き込む。

「確かに、あたしは今まで剣も握った事はありませんし、戦いになれば、ガイさんとフィグネリアさんの足手まといになります」

直接の命のやり取りに関しては、ティッタの力は皆無となる。己の無力さを噛みしめ、『想い』に訴える。それが本当に自分の強さなのかと――

「戦うことが……怖く……ないのか?」

凱がためらいがちにティッタへ問いかける。
うまく問えない凱の台詞は、痛々しさを伴ってあたりに響く。

「正直に言えば、あたしだって怖いです……」

何か、ぽつりぽつりと語り始めるティッタ。徐々に灯りが宿るロウソクのように。

「ティグル様の代理として……あの地の民を護る義務があります!いざという時に彼らを守る為!あたしは!」
「ティッタ……」

責任感の強い娘だなと――フィグネリアは思う。自分を育ててくれた母以外に、生まれ育った貧村に、かつてこのような気丈の人間がいたかと。
同時にリムもフィーネと同じ感想を抱いた。かつて、テナルディエ軍襲撃のさいに、たった一人でティグルの屋敷で待ち続けていたことがあった。もし、一つでも取り間違えていたら、命を落としていたかもしれない。でも……
主に留守を任された。
それは、まぎれもない自分の果たすべき『使命』だと信じたから。

――ティグル様にこのお屋敷の留守を任されました!それを見捨てるなんて……できません!――

思い出すのは、涙を晴らしながらティグルに抗弁するティッタのほとばしる、あの言葉。
それだけじゃない。
以前、テナルディエ軍がアルサスを攻める前日でも、彼女の強さの片鱗は見えていた。
バルコニーで凱とティッタはこのように想いをぶつけ合ったことがある。

――ガイさんはくだらないと言いましたけど、たった一人の大切な人を待ち続けるのがそんなにくだらないことなんですか?――

昔を思い出して過去を振り返って凱は逡巡する。狂気と信念の構成群にて第二第三のテナルディエを生ませない、この戦いに終止符と機転をもたらす方法はないかと。
テントの隙間から冷たい風が吹いて、みんなの頬をそよぐ。

「でも――実際に私を連れていくかどうかは、ガイさんの判断に委ねます」

ティッタは自らの想いを言い切った。もし、足手まといになるなら、いっそ見捨ててもらっても構わないと。
無論、凱にそんな事できるはずもないし、するつもりなど毛頭ない。
だから凱は決意する。この子の勇気に俺も答えなければならないと。

―――――そうか。

もし、フェリックス=アーロン=テナルディエが皆の聞きし人物評価の人間ならば、ティッタの『想い』は竜具以上の武器になるかもしれない。
強者と弱者。
それを区別する者は何よりも……

(……俺はティッタの想いと、ザイアンの勇気を戦いの道具にしようとしている)

本当に俺は……正しいのだろうか?これから対峙する魔王との駆け引きに、皆の想いを『道具として』利用しようとしている。
そんな勇者が……果たして本当に正しいと言えるのか?勇者と言えるのか?正義と言えるのか?
やはり、そういった罪悪感は拭えない。自分より年若い人間の決意と『想い』をていよく利用して、戦局を変えようとしているのだから。

「分かった。戦闘になったら俺達がティッタを守る。一緒に行こう。アルサスを取り戻す為に」

一瞬、ティッタの顔に安堵が浮かぶも、次の一言で緊張に染まる。

「ただし条件がある。身の安全の優先度だ。俺達に何かあったら、ティッタ。君が真っ先に逃げてほしい」

そんな結末にするつもりはないが、ティッタまで道連れにする結果だけは何としても避けたい。
そして凱はフィーネに視線を配る。

「フィーネ。お願いしていいか?」
「分かっている。あんたなら絶対に連れていく事くらいは思っていたよ」

既にその事を予測していたのか、フィーネは気前よく返事をしてくれた。思わず凱はあっけにとられた。
リムの話では、黒髪の彼女はどうも醒めた思考ルーチンから打算的に動くと教えられていた。同じ醒めた思考パターンを持つものならば、ここで疑うことを忘れない。
だが、凱にはどうしてもフィーネに対して悪い感情を抱く人物には見えなかった。
戦姫の間ですこぶる悪名轟くヴァレンティナに対してもだった。
ともかく、凱は彼女たちに対して疑う事をしなかった。それは、二人とも自分を信じてくれているからだ。

「簡単に引き受けてくれていいのか?」
「気にしないで。単に私も『自称』魔王となったテナルディエの顔を拝んでやりたいだけだ」

なるほど――と凱は思った。過去にとある『追撃戦』の戦場でテナルディエ側に雇われていたと、彼女自身は言っていた。何かしらの因縁が絡む以上、これ以上自分が係ることはないということ。
ともかく、凱は最悪の場合、ティッタを守り切れない場合に備えて、(フィーネ)栗鼠(ティッタ)の護衛を依頼した。










―――――そして時は戻る―――――










「ねえ、そろそろティッタを連れてきた理由を教えてくれてもいいんじゃないか?」

ティッタの護衛――という依頼を引き受けたのだから、せめて目的くらい教えてもらわねば、割に合わないというもの。
少し時間を巻き戻して、思い返してぽつりと思う。凱とて何か思うことがあって、ティッタを連れてきたのだろう。
最初はアルサスへ連れていくことに反対だったのが――
フィグネリアの疑問に凱は答える。

「ティッタは俺達を戦闘以外で守ってくれる。それに……」

凱の、海のように青い瞳が、ティッタのはしばみ色の瞳を覗き込む。背丈の違いもあって、不思議な感覚がティッタを包む。

「ティッタ――君には行かなければならない『丘』があるはずだ。それを分かったからこそ、君は俺達に打ち明けてくれた」

行かなければならない丘。それは決してアルサスを差しているわけではない。
この戦い。この時代。今に至る歴史から、これからの未来達を、どこへ向かって着地すべきか。

「……はい」

ティッタは固唾を呑んで返事をする。だが、その瞳は一片の迷いもない。

「戦い……以外で?」

それ以上、フィグネリアにはいくら考えても分からない。多分、二人にしかわからないことなのだろう。
このまま村へ入れば、銀の逆星軍との戦闘はどのみち避けられない。
傭兵に『戦場で出会った知己がいる場合は一思いに殺せ』という鉄則があるように、領地を奪い取った野盗にも、こういう鉄則がある。『よそ者には死あるのみ!』と。
王の聖権を奪いし獣の王。その頂点に立つ獅子王(レグヌス)の所業は、まさに野盗だと裏付ける。
だが、凱とティッタ――――二人の『先導者(アンリミテッド)』は別の思惑があった。
それは、かの魔王テナルディエと対峙するまで温存しなければならない、ティッタの『想い』そのものだった。
ついに凱達は麓を降りて、ユナヴィールの地に辿り着いた。










【夕刻・アルサス・ユナヴィールの村・中心跡地】









「勇者殿……ここで別れましょう」

ひとまずユナヴィールの村へたどり着くまでの間、ザイアンはずっと考えていたことを口にした。
凱はザイアンに振り向いた。その瞳はやや見開いたままだった。

「オレはこのまま、セレスタへ向かう」

つくづく情けないと、ザイアン自身思う。先ほど凱に『父を止めてほしい』と決意したにも関わらず。
セレスタとは、アルサスの中心都市であり、現在テナルディエが牛耳る奴隷都市となっている。
それでも、あの時と同じように凱はザイアンの表情を逃さないよう見つめる。同時に、ザイアンも凱の瞳を見据えて言った。

「やっぱり……父上とちゃんと話がしたい」
「坊や?」

凱ではなく、今度はフィーネが目を見開く。同じ『種』から生まれ出でたテナルディエ家とは思えぬ、彼自身の振舞いに。

「ザイアン様!……それは!?」

ザイアンには、ティッタの言わんとしていることが分かっていた。
このまま何の成果もなしに帰還すれば、ザイアンの待つものはおそらく『死』かもしれない。息子を溺愛するかつての父は既に他界したと、ザイアン自身既に決めつけていた。『銃』という、より強い力に固執するテナルディエ当主は、ついに息子さえも見向きしなくなったのだ。
これからザイアンのしようととしている、その行為に伴う危険を、ティッタは指摘しようとしていたのだ。だが、ザイアンは首を強く横へ振った。

「そんなことはとっくに分かっている!でも!……でも!……オレの『父上』なんだ!」

今抱くザイアンの考えは決して変わらない。『雨後の茸』を焼き払い、弱者を全て滅ぼすという、父の目指す理想世界は間違っていると思う。
だが、心のどこかでまだお互いに『語り尽くせていない』のではないか?
まだ父上は気づいていないのではないか?
ならば、まだ道を戻すことは可能ではないか?
自分なら、父上の手から『銃』を手放すことだってできるのではないか?
できる事を尽くさないことは、ザイアンにとって何か卑怯に思えた。
情けない絞りカスから生まれた自分という存在。年齢の割に頼りない、不肖の息子かもしれないが世界でただ一人、自分はあの人と血を分け合った親子なのだ。

「……分かった」

ザイアンの心情を理解したのか、凱は反論をしようとしなかった。

「ガイ。本当に止めなくていいの?」

フィグネリアの忠告はもっともだった。
もし、万が一ザイアンが銀の流星軍の中核たる凱の居場所を通報すれば、即座に全包囲網を敷かれることは間違いない。取返しが付かなくなる前に手を打つのは当然のことだった。
ここで討ち取るという手を考えたフィグネリアだったが却下した。
もし、凱たちの居場所を通報せしめようとするならば、既にテナルディエの間者が後を追ってくるはずだ。少なくとも、ザイアンがウソを言っているようにも思えなかったのだ。

(あの坊やは……本気でテナルディエを止めるつもり?)

一瞬、フィーネの驚いた瞳の色がかすかに揺らぐ。そんな彼女の肩に凱はそっと手を置いた。
そして凱は静かにザイアンへ言った。

「……ザイアン」
「――はい?」
「希望を捨てちゃいけない。何より、君自身がそれを分かっているはずだ」

ザイアンは固く息を呑んだ。

「俺達はまだ心にともした『流星』を……消しちゃいけないんだ。生き延びろ。例えどんな困難が待っていても、『勇気の火』がある限り」

最悪の場合、ザイアンはそのまま帰らぬ人となるかもしれない。だが、自分の一回りの年齢を生きている青年には、ザイアンの心情を看破していた。

――差し違えてでも、父上を止める。

ふいに、ザイアンは隠し持っていた携帯型の『銃』の引金に手をかける。心の引き金と共に。
何も凱はザイアンへ気遣って言っているのではない。例え、『過去にアルサスを襲撃した』罪を背負っていようとも、今の時代に必要とされているから、凱は生き延びろと言ったのだ。俺やティッタ、ザイアン、フィグネリア、リム達の、ブリューヌに残された『流星』こそが、切実に必要とされているのだから。

「……勇気?」

ザイアンはそっとつぶやく。

「そう――勇気だよ」

凱もまた優しくつぶやいた。
勇気――――そういえば、久しく口にしていなかった言葉だなと、凱は思った。
同じくザイアンも、忘れかけていた……いや、正確には手放しかけていた言葉を、ようやく思い出すことができた。
怖い気持ちに立ち向かう――心に小さな火が灯る言葉を。

(オレが襲ったアルサスの連中も……勇気を抱いて、ヴォルンの帰還を諦めなかったんだろうな)

始めから、アルサスを焼き払うこと自体出来なかったのだ。
それを理解すると、あの時下した父上の命令がいかに矛盾しているかはっきりわかる。
兵三千を率いてアルサスを焼き払え。だが、既に灯した勇気の火を焼き払うことなど、何人たりともできはしない。
当たり前だ。火を火で焼き払うなど矛盾に等しい。

(そうだ……初めからこのブリューヌ内乱は『矛盾』していたんだ)

強者が弱者を喰らい続ける。例えそれが摂理だとしても、繰り返す『輪廻』としては『矛盾』しているのだ。
弱肉強食……そのような獣の論理に。

「分かりました。覚えておきます」

それだけ、たった一言口にすると、ザイアンは馬の首をひるがえして、セレスタの町へ繰り出していった。




















主要都市セレスタより少し離れたところにある、人口二百たらずの小さな半農の村。名はユナヴィール。
ほんの数か月前までは、何の変哲もない村だったという。

――ある日突然、怖い兵隊さんたちがやってきて、アルサスを占領しました。

そのような証言を得られたのは、様々な意味で貴重と思えた。この証言は、何より発見された『生存者』からもたらされたものだからだ。
証人の正体は、かつてムオジネルによるアニエス侵攻戦のおりに、ティグル率いる銀の流星軍への『見せしめ』の為に、父親を処刑された女の子だった。
かつてオルメア平原の幕舎にて、難民たちへ糧食を配膳していたティッタには、見おぼえのある少女だった。

――帰る家もない……希望もない……――
――だけど、まだ生きている。ならば歩き続けろ――
――流星の丘アルサス……そこに行けば、『英雄』が!最後の砦があるはずだ!――
――そこなら、きっと私たちを助けてくれるはず!――
――あきらめるな!『英雄』は俺達『星屑』を見捨てたりはしない!――

だが、現実は残酷を容赦なく突きつけた。
待ち構えていたのは『英雄』などではない。既に奪われた流星の丘へ居すわるのは――

――――――――『魔王』だった。

それから始まった、地獄のような奴隷の日々。まだムオジネルに『牧』としてくべられたほうが、よほど楽だったのだろうか。
ある時、銀の逆星軍の監視が緩んだとき、この母子は希望を捨てずに脱走を試みた。
だが、母親は娘を逃がす為に身代わりとなり、娘はここユナヴィールまで逃げ墜ちたという。
所詮、10にも満たない女の足など、そう遠くへ逃げられるものではない。やがて力尽きる時が来る。
その時だった、ちょうどザイアンと別れた際に、この女の子を発見できたのは不幸中の幸いだろう。

やがて娘……少女は意識を取り戻し、母親の最後を目の当たりしたことを、凱は承知の上で事情を訪ねる。

「アルサスを占領した兵隊さんたちは、新しくお城から派遣された騎士様を来るたびに殺し、気が付いたら……誰も来なくなりました」

無辜(むこ)の民を、あの地獄のようなアルサスに残したまま。

「最後の丘と信じていたアルサスは……王様に見捨てられました」
「見捨て……られた?」

有り得ないと――フィグネリアは思った。
内乱罪を引き起こした地点でテナルディエ達に討伐隊が差し向けられる。逆賊を討ち取るべく、王に忠誠を誓う騎士が任務を遂行するはずだ。
ブリューヌ最強と謳われる騎士団――ナヴァール騎士団さえも手出しできないとなると、もう答えは一つしかない。

アルサスも――オードも――テリトアールも――アニエスも――本当に見捨てられた。
それどころか、既に王都ニースも陥落していると考えるのが自然だ。
つまり――ブリューヌ全体は既に現王制の法が一切通用しない世界が広がっている事を意味していた。

「……今は『お母さん』を寝かさないと……」

まだ『弔う』という言葉さえ知らない少女の言葉と行動に、皆は胸を激しく痛めた。
凱は惨状を生み出した存在に怒りを抱き――
フィーネは、覆せぬ現実に凍てついた刃を秘めて――
ティッタは少女にとって最後の『孝行』を見て――

手が小さく、非力で幼いこの少女には、弔う為に土を掘り起こすことさえできない。
見かねて、凱はそっと手を添えた。

「あたしにも……手伝わせて」
「……手伝わせてくれ」

静かに嘆願する凱の言葉に少女は、瞳に溜めていた涙を晴らしたのだった。
その時――――ゴトリという音がした。
誰だ?そう察して後ろを向く。他にも村の生き残りがいるのかと思ったが、そうではない。
むしろ、生き残りどころか、『村をこんなにした連中』と思わしき存在が現れたのだった。

黒ずくめの殺し屋らしき人物が――

鍛えられた巨躯の傭兵らしき人物が――

眼帯をしている山賊のような人物が――

武装した連中が一斉に凱達を取り囲んだ。開口一番に問い詰める。

「貴様ら……このあたりでは見ない顔だな?」

そう言われて、ティッタの外套の袖を掴んでいる少女が恐怖に怯える。
指揮官と思わしき雰囲気を放つ男が、おいしい獲物を見つけた獣の眼で、抜き身状態の剣を凱達に向けた。

「お前たちは一体何者だ?」

静かな声で凱は問う。

「テナルディエ閣下の配下と言ったら……どうする?」

既にその事を予想していたのか、テナルディエの配下と知ってなお驚かない。
既に魔王の領土と化したアルサスに足をあえて踏み入れるような人間は、血縁関係者か王家直属の騎士くらいなもの。
ただ、あいつらにとって凱達の正体など、実の所どうでもよかった。何者であろうとも関係ない。
殺してしまえ。すぐに殺せ。傭兵と野盗の鉄則を極端化させれば、結局のところ同じなのだ。

「答えろ。ユナヴィールの村をこんなにしたのも……この少女の母親を殺したのもお前たちか!?」

兵士たちは「くっくっく」と薄ら笑いを浮かべながら返答した。

「そうだ。ユナヴィールはアルサスを手っ取り早く支配する為に『見せしめ』として、我々が焼き払った!」
「もっとも……その娘の母親を殺したのは『ドナルベイン』様だがな!」

――――勇者に激しい怒りが立ち込める!
瞬間、偉丈夫の指揮官が剣を天高く掲げると、それを合図に包囲網を完成させる。
恐怖は、絶望は、人を根底から支配する最も効率のいい方法だ。
逆らえば殺す。怒り狂ったところで殺す。外部の人間と接触すれば即殺す。関与した人間さえも皆殺す。
閉ざされた世界が今のブリューヌ。それを認知させるために、この娘の母親は殺されたのだろう。

「ここは偉大なる魔王テナルディエ閣下が手中の『逆星の丘』アルサス!貴様等よそ者が足を踏み入れていいところではない!」

将と思わしき騎兵が剣を持ち上げると、それを合図に歩兵たちが抜刀して臨戦態勢に入る。

「少し数が多いみたいね」

対して傭兵の彼女もまた、刃の対翼を広げていた。ティッタは少女を抱きかかえて、幼い存在を勇気つける。
目測にして――その数50人は下らない。それが一輪二輪と続く。
今が『夜』ならば、『闇』に紛れて『死』を避けることもできたかもしれないが、まだ日が沈みきっていない夕刻では、逃亡を諦めざるを得ない。

「ここアルサスに来た事を後悔して……死!!!!「後悔するのは貴様等だ!」」

指揮官が剣を下ろすと、一斉に凱達の首を討ち取ろうとした瞬間―――――












ドン!!!!!










ひとりの歩兵が宙を舞い、崩れかけている民家の壁面へ叩き付けられる。

「……一体何が!?」

鈍器で叩き付けられたような――妙な快音。
臨戦状態の兵士たちが一瞬にして、その表情をこわばらせる。
目前にいた長身の青年が、いつの間にか『銀閃』を抜き放っていた。
本来なら斬撃であるはず――『見えざる鞘』を刃に纏ったまま。
手を柄に取る。刀身を放つ。腕を振るう。そんな一連の動作が知覚できぬほど、すさまじい『神速』の一撃が、迫ってきた一番手の兵を、まるでうっとうしい木の葉を祓うように叩きのめしたのだ。

「本当なら、戦い自体避けたかったが――今回ばかりはそうはいかないぜ!」

純粋な怒り。凱の憤怒に呼応するかのように、アリファールの紅玉が静かに紅く輝く。

「一人残らず叩き潰してやる!!」

不殺(ころさず)は守る。だが、腕やアバラをへし折ることに、凱は何の躊躇もなかった。
ユナヴィールを包み込む暗雲――夜と闇と死の大気を薙ぎ払う、『銀閃の勇者』という旋風が吹き荒れようとしていた。










【同刻・アルサス・中央都市セレスタ】










凱と別行動をとったザイアンはまともに休むことなく、アルサスの中心都市セレスタへ向かった。
正確には、連行だった。
彼がセレスタの門をくぐったときに複数の兵士が出そろっていたからであり、ザイアンは今に至るまでの経緯を語ろうとしなかったからだ。
おそらくフェリックスはそれを聞いて、すぐに連行しろと命令したに違いない。ザイアンは周囲の兵士たちに固められ、総指揮官の天幕に通された。つい先立ってここを訪れたとき、ザイアンは周囲の者たちと同様に、父上への忠誠心熱き兵士だった。
そう――アルサスを焼き払えという苛烈な命令にさえ、怯むことがなかった。

だが、今は父の威を借りていた『仮初』の自分と全く違う。

銀の流星軍という別勢力の、それも大使ともいうべき存在だ。少なくとも、ザイアン自身はそのつもりだった。

(……『相変わらずの光景』だな……あの頃から全く変わっていない)

燃える水を採取する為に発掘作業を『機械』のように続ける『元アルサスの民』たる奴隷たち。
かすかな一瞥をくれただけで、ザイアンはそれほど見向きもしなかった。

ひとりの女性が――貴重な『燃える水』をこぼした。
それを見かねた『監視』が鞭を持ち、痛めつける。誰も助けようとしない。
ザイアンにとって、既に見慣れたはずの光景だ。だけど、眼をそむけようとも、耳をふさぎたくなるのは本当だった。





ヴォルン家の屋敷の前――そこには待ち構えていたかのようにたたずむ父の姿があった。





目線があった途端、獅子の牙のように鋭い父の目がザイアンを射抜いた。

「……ザイアン」
「……父上」

いつもと同じ出会いがしらの一声。ザイアンはその視線を避けようとしたものの、寸の所で思いとどまり、真っ向からそれを受け止める。
フェリックスはそんな彼の変化にさえも気づかない。ザイアンを連行した兵士に、乱雑に命ずる。

「貴様等は下がれ。ザイアンとは二人だけで話をする」

ザイアンを連行してきた兵士たちは、背筋を整えて敬礼した後、二人のテリトリーを離れていった。
やがて彼等の姿が見えなくなるのを確認すると、ザイアンは心を絞るような気持ちで問いただした。

「父上は……この戦争をどうお考えなのでしょうか!?」

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