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彼のお仕事
「準備できました?」
「も、もう少しっ…」
学校にも行っていない梦見は、外出なんて滅多にしない。一年に二回するかしないか、という程度だ。そんな梦見にとって、「お出掛けの準備」は一大事業に匹敵する。
服を選んで軽くメイクをし、髪をセットする。その作業が、とてつもなく苦手だった。特に、服選びが。
紫翔が可愛いと言ってくれても、自分で納得できずにまた最初から繰り返す。そうこうしているうちに8時半を過ぎてしまった。焦れば焦るほど、決まらない。
どうしようかと悩んでいると、紫翔が何かを持ってきた。
「これ、この間届いて、アイロン掛けしてしまっとったんやけど、良かったら着ます?」
「これって…!」
それは、可愛いセーラー服だった。
「制服、着てみたいって言ってはりましたからなぁ。これが似合うと思って」
確かに半年ほど前、珍しく外食に行ったときのことだったか。ファミレスにたむろする女子高生を見て、梦見が「制服か…良いなぁ」と呟いたのだ。
声が、出なかった。紫翔があんな些細な一言を覚えていてくれたことが、嬉しすぎて。
「……」
無言で彼に抱き付いた。
「おー、なんよなんよ」
「…ありがとう」
やっとの思いで絞り出した短い言葉に、彼はただ微笑み、優しく頭を撫でた。
その後、あわただしくメイクとヘアメイクを終わらせ、9時丁度に家を出ることができた。セーラー服のサイズもぴったりで、いつ知ったのか気になったけれど、それは聞かないでおくことにする。いや、彼ほど観察眼のある人なら、見れば分かってしまうのだろうか。
ちょっと太ったのも気付かれてるのかなぁ…。もしかしたら、私が紫翔さんを好きなことも…!?などと考えながら梦見が紫翔の横顔をじっと見ていると、不意に彼と目が合った。
「ん?どうしたん?」
優しく微笑みかけられ、危うく本当のことを言いそうになりながら
「え、えっと、あのセーラー服、本当にありがとう紫翔さん。すっごくかわいくて、私なんかにはもったいないくらい」
とお礼も兼ねて返す。…あっぶなぁい。
「渡すタイミングも悩んでましたし、どうせならって思ってなぁ。今日渡せて良かったわ。ほんまに似合ってますで」
さらっとそんなことを言って、ぽん、ぽんと頭を撫でる。…ほんと、罪作りな人だ。
今日の夕食の話や、紫翔の職業当てゲームをしながら(結局当たらなかった)、20分程歩いただろうか。紫翔が、柵に囲まれた立派な和邸の前で足を止めた。
「ここや」
「……ここ?」
どう見ても、会社には見えない。第一、会社名の看板やプレートがどこにも見当たらない。しかし、紫翔は躊躇なく門を開け、中に入っていく。梦見もそれに続いた。
「わぁ…」
中は、梦見が思わずため息を吐いてしまうほど素敵な庭だった。紅葉や桜などがそれぞれ赤や橙、黄に染まり、秋を謳歌している。小川を流れていく葉もまた美しい。向こうに見えるのは、枯山水だろうか。一般家庭とは思えない程本格的だ。いや、ここは、会社か。それにしても凄い。
「ええところやろ」
「うん…会社の庭だとしても、ここまで綺麗なのは珍しいね…。ひょっとして、造園業者とか?」
ふと頭に浮かんだことを口にしてみるも、紫翔は首を横に振る。
「えぇ、じゃあ一体何の会社なの…」
「それは、中に入ってのお楽しみ、や」
くすくすと悪戯っぽく笑い、彼は小路を進んでいく。とにかく、付いていってみるしか無さそうだ。
やがて、玄関が見えてきた。表札は…無し。ここでも紫翔は躊躇なく扉を開け、中に入る。…この会社のセキュリティは大丈夫なのだろうか。
「梦見はん」
こいこい、と手招かれ、玄関の中へと足を踏み入れる。
「お邪魔します…。…えっ!?」
入った瞬間、素っ頓狂な声が出てしまう。なぜなら、そこには外観とはあまりにミスマッチな―真っ白い、まるで研究所のような施設があったからだ。
「こ、ここって…」
「おっ、やっと来たか、紫翔の彼女!」
「へっ?」
どこからか声がしたと思ったら、上から何かが降ってきて、梦見たちの目の前に着地した。梦見がそれを白髪の男性だと認識するのに、数秒を費やしなければならなかった。天気:人なんていうものがあるのか…お外怖い、と一人青ざめていると、隣の紫翔に「梦見はんが何を考えてるかは分からへんけども、それは違うと思うで?」と言われてしまった。
「あと社長はんも違います、自分は梦見はんの保護者やし」
「そうなのか?でも確かに見えたぜ?」
「今その格好やからやないの」
「こっちの方が目は良いんだがなあ」
「あ、あの!」
梦見が声を上げると、二人揃ってこちらを向いた。
白髪の男性をしっかり認識して、自分の記憶と結び付けるのにそう時間はかからなかった。髪こそ結び、前髪を下ろしてはいるが、海松色の浴衣といい、金地の帯といい、何よりその雰囲気といい―いつかネットで目にしたままだ。
「あの…貴方は、"灯(ともしび)"の社長さん、ですか…?」
暫くの沈黙。やがて、白髪の男性がゆっくりと口を開いた。
「どこで、知ったんだ?」
それが肯定だった。
政府にも朝廷にも反乱軍にも属さず、依頼があればどの組織への協力もする…。そんな組織があり、名前は灯というらしい、という噂がネットで流れていた。ご丁寧に写真付きで。
まさか、実在するとは。そして、紫翔がその一員だったとは。
梦見があまりの衝撃で固まっていると、肩にぽん、と手を置かれた。
「今まで内緒にしとって、悪かったわぁ。驚いたやろ?」
素直にこくこくと頷くと、社長がけらけら笑う。…なんというか、イメージが違う。もっと怖い人だとネットでは噂されていたが…。
「いやぁ、すまんすまん。ここのことはあまり大勢に知られると具合が悪いんだ。だから家族にも秘密ってことになってるんだが…。梦見だったか?君なら大丈夫だと思ってな。今回、特別に許可したんだ。まさか灯を知っていたとはなぁ!」
こりゃ驚きだ、と一人嬉しそうな社長。まるで少年みたいな人だ。
「で、社長はん、梦見はんを呼んだのは何か理由があるんやないですの?」
「ん?…あぁ、忘れるところだった」
…この社長で大丈夫なのだろうか。写真で見た彼は、とても神々しかったけれど…梦見の瞳に映る今の彼はただの面白い人にしか見えない。
「さて…君に話があるんだ。社長室まで来てくれないか?」
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