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ドリトル先生と悩める画家

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第八幕その三

「自由軒のカレー、いづも屋の鰻丼にそれに粕汁も出ていたね」
「ああ、粕汁ですね」
「あれも美味しいですよね」
「はい、お話聞いた時は不思議に思いました」
 トミーは先生にその粕汁についてお話しました。
「そんな食べものあるんだって」
「そうだね、日本酒の残りからね」
「まさに残った粕ですね」
「それとお味噌を使って細かく刻んだ人参や大根、豚肉か魚肉それに竹輪を入れた」
「面白い汁ものですね」
「あと豚汁もあるけれど」
 先生はこのお味噌汁のこともお話しました。
「粕汁は関西のものでね」
「豚汁は関東にもありますし」
「けれど粕汁は関西だよ」
「特に大阪ですね」
「あそこのものでね」
 それでというのです。
「夫婦善哉にも出ているんだ」
「そうなんですね。僕はカレーが好きですね」
「自由軒のだね」
「はい、あれが」
 トミーは先生に笑顔でお話しました。
「御飯とルーが最初から完全に混ぜられていて」
「あのカレーはとても美味しいよね」
「本当に」
「僕も好きだよ」
「よく行かれていますね」
「大阪に行けばね」
 その時はというのです。
「よく食べているよ」
「そうですね」
「夫婦善哉もね」
 このお店もというのです。
「行ってるしね」
「法善寺横丁ですね」
「まさにあそこをね」
「主人公達が行っていたんですね」
「そうだよ」
 先生は今度は茸と糸蒟蒻を食べつつお話しました。
「そして作者さんご自身もね」
「織田作之助さんもですか」
「生前はね」
「第二次世界大戦前のお話ですね」
「うん、それか戦後間もなくだよ」 
 そうした時だったというのです。
「織田作之助さんが大阪にいて書いていたのはね」
「確か昭和二十二年に」
「そう、一九四七年だね」
 先生は西暦でお話しました。
「あの人は東京に執筆の舞台を観に行ってね」
「お亡くなりになったんでしたね」
「結核だったからね。結核はね」
 先生は寂しいお顔になってトミーにお話しました。
「当時は死ぬ病気だったから」
「そうでしたね」
「長い間ね」
「ペニシリンが出来るまでは」
「あの病気で亡くなったんだ」
 織田作之助さんはです。
「そうだったんだ」
「今だったら」
「結核も治る病気になったから」
「織田作之助さんもずっと書いていられましたね」
「それが出来たよ」
「そうだったんですね」
「そう思うと残念だよね」
 先生も悲しいお顔になってお話します。 
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