亡命編 銀河英雄伝説~新たなる潮流(エーリッヒ・ヴァレンシュタイン伝)
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第二十六話 遠征軍の混乱
宇宙暦 794年 10月 17日 宇宙艦隊総旗艦 アイアース ワルター・フォン・シェーンコップ
会議室からロボス元帥が出てきた。敬礼したが全くこちらを見ることもなく足早に去って行く。明らかに元帥は怒っていた。何が有ったのやら……。
「シェーンコップ大佐、元帥閣下は御機嫌斜めでしたね」
「そうだな、ブルームハルト」
「さっきストレッチャーで運ばれていったの、あれ、作戦参謀のフォーク中佐ですよね」
「そのようだな」
ブルームハルトの口調は歯切れがよくない。何処となくこちらを窺うような口調だ。
会議室の前には何人かの士官が集まっていた。各艦隊の司令部要員、或いは副官だろう。そして俺、ブルームハルト、デア・デッケンも会議室の前にいる。リンツは連隊で留守番だ。
今日の将官会議は始まる前から大荒れが予想されていた。総司令官ロボス元帥に対してグリーンヒル参謀長が強い不満を持っている……。イゼルローン要塞攻略を円滑ならしめるためグリーンヒル参謀長は努力してきたがロボス元帥はそれを認めず自分を無能扱いする行為だと邪推している……。
ロボス元帥が心から信頼するのはフォーク中佐でフォーク中佐はそれを良い事に今回のイゼルローン要塞攻略を自分の考えた作戦案で行おうと考えている。その作戦案はヴァレンシュタイン大佐により成功よりも失敗の可能性が高いと指摘された。そして多くの参謀がその指摘を妥当なものだと考えている……。
グリーンヒル参謀長がヴァレンシュタイン大佐にフォーク中佐の作戦案を叩かせよう、それによって作戦案を修正し成功率の高いものにしようとしている。将官会議は酷く荒れたものになるだろう……。どうやらその通りになったようだ。
会議室のドアが開き士官がぞろぞろと出てきた。皆顔色が優れない、何処となく鬱屈したような顔をしている。外で待っていた士官達が近寄るが表情は変わらない……。幾つかのグループに分かれ小声で話し合い始めた。
ヴァーンシャッフェ連隊長が会議室から出てきた。表情は……、苦虫を潰したような表情だ。
「連隊長、会議は如何でしたか」
「……」
連隊長は口をへの字にしたまま俺の問いには答えなかった。あまり機嫌は良くない様だ。フォーク中佐の作戦案が採用されれば一番その被害を受けるのはローゼンリッターだろうと言われていた。
もっともヴァーンシャッフェ連隊長は武勲を挙げる機会だと張り切っていた。という事はフォーク中佐の作戦案は却下されたという事か……。まあストレッチャーで本人が運ばれたのだ、採用されるわけがないか。
会議室から小柄な士官が出てきた。ヴァレンシュタイン大佐だ。彼が出てくると廊下にいた士官達が会話を止めた。視線を合わせることを避けてはいるが意識はしている。明らかに周囲は彼を畏れている。ヴァーンシャッフェ連隊長も彼を一瞬だけ見たが直ぐ視線を外した。
ヴァレンシュタイン大佐は周囲を気にすることなくこちらに向かって歩いて来た。一瞬だけ俺達を見たが直ぐ視線を外し無表情に歩く。
「ヴァレンシュタイン大佐」
俺がヴァレンシュタイン大佐を呼び止めるとヴァーンシャッフェ連隊長が顔を顰めるのが分かった。構うものか。ヴァレンシュタインは足を止めこちらに視線を向けた。
「作戦案はまとまりましたか」
俺の問いにヴァレンシュタインは無言で首を横に振った。そして微かに笑みを浮かべながら近づいてきた。
「何も決まりません、元々作戦案など有って無いような物ですからね。笑い話のような会議でしたよ」
笑い話のような会議? その言葉にヴァーンシャッフェ連隊長がますます顔を顰めた。そしてブルームハルト、デア・デッケンは訝しげな表情をしている。
「先程ストレッチャーで運ばれていったのは……」
「ああ、あれですか、五月蠅い小バエが飛んでいたので追い払っただけです。まあ、あれはしつこいですからね。いずれはまた現れるでしょうが当分は大丈夫でしょう。幸いこれから寒くなりますし……」
そう言うと可笑しそうにクスクスと笑い始めた。
ヴァーンシャッフェ連隊長がさらに顔を顰めた。周囲の人間も俺達を見ている。何処か恐々といった感じだ。その気持ちは分かる、美人だが怖いところのある美人、それが俺のヴァレンシュタイン評だ。まともな男なら近づかんだろう。だが俺はまともじゃないんでな。全然問題ない。
たぶんフォーク中佐を叩き潰してロボス元帥を怒らせたのだろう。他の軍人なら自分のしたことに蒼褪めているはずだ。だが目の前の彼は楽しそうに笑っている……。
見たかったな、どんなふうにあの男を叩き潰したのか……。優雅に、辛辣に、そして容赦なく叩き潰したに違いない。俺はその姿に魅入られたように喝采を送っていただろう……。
「ヴァレンシュタイン大佐」
声をかけてくる男達がいた、二人だ。三十には間が有るだろう、一人は長身で体格の良い男だ、そしてもう一人は中肉中背……。ヴァレンシュタインはチラっと彼らを見ると笑みを収め溜息を吐いた。どうやら苦手な相手らしい。
「紹介しましょう。彼らは作戦参謀のワイドボーン大佐、ヤン大佐です」
ヴァレンシュタインの言葉に二人が挨拶をしてきた。長身の男がワイドボーン、中肉中背がヤン。
片方は十年来の秀才、もう片方はエル・ファシルの英雄か。なかなか豪華な顔ぶれだ。ここ最近ヴァレンシュタインと組んでいると聞いている。グリーンヒル参謀長の信頼が厚いとも……。
「ワイドボーン大佐、ヤン大佐、こちらはローゼンリッターのヴァーンシャッフェ准将、シェーンコップ大佐、ブルームハルト大尉、デア・デッケン大尉、ヴァンフリートで一緒でした」
ヴァーンシャッフェ准将の表情は渋いままだ。どうやら准将はこの二人も嫌いらしい。つまり俺の判断ではこの二人はまともだという事だろう。
「ヴァレンシュタイン大佐から聞きましたが作戦案は纏まらなかったそうですな」
俺の言葉に二人が何とも言えない顔をした。困っているような呆れているような。
「仕方ありませんね。能力は有るんだがヤル気のない奴が多すぎる。もう少しヤル気を出してくれれば作戦案も簡単にまとまるんだが……」
ワイドボーン大佐の言葉に皆の視線がヴァレンシュタインに向かった。
「人違いですね、能力は有ってもヤル気がないのはヤン大佐です、小官は能力もヤル気も有りません……。用事が有るので小官はこれで」
面白くもなさそうにそう言うとヴァレンシュタインは歩き出した。その姿にワイドボーンとヤンが困ったような表情をしている。ヤン大佐が頭を掻いた。
「どうやら御機嫌を損ねたようだ」
「確かに……、なかなか扱いが難しい。外見は可愛い子猫だが内面は空腹を抱えているライオン並みに危険だ」
「面白い例えですな、ワイドボーン大佐」
顔を見合わせてお互いに苦笑した。どうやらこの男とは気が合いそうだ。
面白くなかったのだろう、ヴァーンシャッフェ准将が先に行くと言って歩き出した。本当なら後に続くべきだが、もう少しワイドボーン、ヤンと話をしたかった。俺が残るとブルームハルトとデア・デッケンも残った。同じ思いなのだろう。この二人もヴァレンシュタインには思い入れがある。
「実際のところ、何が有ったのです?」
俺の問いかけにワイドボーン大佐が困ったような笑みを見せた。
「最初は問題なかった。フォーク中佐が作戦案を説明しヴァレンシュタインが作戦案の不備を指摘した」
「……」
「フォーク中佐はまともに返答をしなかったがそれもグリーンヒル参謀長の想定内だった。大事なのは作戦案には不備があるという事を指摘することだったんだ。会議の最後で参謀長は衆議にかけたはずだ。このまま作戦を実施するべきか否かとね」
「なるほど」
「おそらく皆賛成はしなかったはずだ。そうなればフォーク中佐を信頼するロボス元帥も無理強いは出来ない。改めて作戦案の練り直しを命じただろう。そういう方向になる、参謀長も俺達もそういうシナリオを作っていたんだが……」
「上手くいかなかったのですな?」
ワイドボーン大佐が溜息を吐いて頷いた。
「上手くいかなかった……。フォークの馬鹿が自分の作戦案を通そうとしてヴァレンシュタインを露骨に侮辱した。そこからは流れが変わった。ヴァレンシュタインは明らかにフォークを潰しにかかった……」
「フォーク中佐だけじゃないさ、ロボス元帥もだ。ヴァレンシュタイン大佐は明らかにあの二人を標的にした……」
「そうだな、ヤンの言うとおりだ」
ワイドボーン大佐とヤン大佐が暗い表情で頷いている。気を取り直したようにワイドボーン大佐が話を続けた。
「フォークは簡単にヴァレンシュタインの挑発に乗った。その後は猫が鼠をいたぶる様なものだ、フォークは自滅、ロボス元帥はブチ切れて終わった。皆蒼褪めていたよ、笑っていたのはヴァレンシュタインだけだった……」
怖い美人だ、自分より下の階級の人間だけではなく宇宙艦隊司令長官を標的にしたか……。体は小さくとも狙いは大きい。間違いなくヴァレンシュタインは肉食獣だ。獰猛で誇り高い肉食獣……。
「ヴァレンシュタイン大佐にはシナリオを話していなかったのですか?」
ブルームハルトがおずおずと言った口調で問いかけるとワイドボーン大佐が頷いた。
「話していなかった。変に振付をするより自由にやらせた方が良いと思ったんだが裏目に出た……。フォークの馬鹿が!」
吐き捨てるようなワイドボーン大佐の言葉にヤン大佐が話を続けた。
「多分ヴァレンシュタイン大佐はこちらのシナリオをある程度は理解していたと思う」
シナリオを理解していた? 俺だけではない、ワイドボーン大佐もヤン大佐を見た。
「ヤン、ヴァレンシュタインは何故シナリオをぶち壊すようなことをしたんだ?」
「彼はロボス元帥を排除すべきだと考えたんじゃないかな。こんなやり方は迂遠だと思った。根本的な問題の解決にならないと思った……」
「……」
皆が沈黙する中、ヤン大佐の声が続く。
「今日の会議で皆がフォーク中佐には幻滅しただろうし、彼を重用するロボス元帥にも愛想を尽かしたはずだ。次に失敗すれば更迭は間違いないだろう」
「……」
「これからどうなると」
俺の問いにワイドボーン大佐とヤン大佐が顔を見合わせた。二人とも溜息を吐いている。
「分からない、ロボス元帥がどう判断するか……。場合によっては意地になって作戦を実施しようとするかもしれない……」
「失敗すれば……」
「ロボス元帥は更迭されるだろうな……。ヤンの考えが正しければヴァレンシュタインの思い通りだ」
皆が溜息を吐いた。怖い美人だ……。
宇宙暦 794年 10月 17日 宇宙艦隊総旗艦 アイアース エーリッヒ・ヴァレンシュタイン
グリーンヒル参謀長も今日の会議には当てが外れただろう。俺があまりにもやりすぎた。顔が引き攣っていたからな。しかしロボスもフォークもまともに取り合う気はなかった。
あの二人は作戦案の修正など認めなかっただろう。やるだけ無駄だ。少なくともフォークは排除した、それだけでも総司令部の風通しはかなり良くなるはずだ。参謀長にはそれで我慢してもらうしかないな。
今思い出しても酷い会議だった、うんざりだ。フォークの馬鹿は原作通りだ。他人をけなすことでしか自分の存在をアピールできない。ロボスは自分の出世に夢中で周囲が見えていない。あの二人が遠征軍を動かす? 冗談としか思えんな。
フォークは軍人としては終わりだな。恐らく病気療養で予備役だ。当分は出てこられない。出てきても作戦参謀になることはないだろう。その方が本人にも周囲の人間にも良い。あの男に作戦立案を任せるのは危険すぎる。
問題はロボスだな……。今回の会議で考えを改めればよいが果たしてどうなるか……。頭を冷やして冷静になれば出来るはずだ。だが出世にのみ囚われると視野が狭くなる……。
難しい事じゃないんだ、下の人間を上手く使う、そう思うだけで良い。そう思えればグリーンヒル参謀長とも上手くいくはずなんだが、シトレとロボスの立ち位置があまりにも違いすぎる事がそれを阻んでいる。
シトレが強すぎるんだ、ロボスはどうしても自分の力で勝ちたいと思ってしまうのだろう。だから素直にグリーンヒルの協力を得られない。そうなるとあの作戦案をそのまま実施する可能性が出てくる……。
問題は撤退作戦だ。イゼルローン要塞から陸戦隊をどうやって撤収させるか……。いっそ無視するという手もある。犠牲を出させ、その責をロボスに問う……。イゼルローン要塞に陸戦隊を送り込んだことを功績とせず見殺しにしたことを責める……。
今日の会議でその危険性を俺が指摘した。にもかかわらずロボスはそれを軽視、いたずらに犠牲を大きくした……。ローゼンリッターを見殺しにするか……、だがそうなればいずれ行われるはずの第七次イゼルローン要塞攻略戦は出来なくなるだろう。当然だがあの無謀な帝国領侵攻作戦もなくなる……。トータルで見れば人的損害は軽微といえる……。
戦争である以上損害は出る。問題はどれだけ味方の損害を少なくできるか、つまり味方をどれだけ効率よく犠牲にできるかだ。採算は取れる、取れすぎるくらいだ。後はロボスがどう動くか、そして実行できるか……。
それにしても酷い遠征だ。敵を目前にして味方の意志が統一されていない。こんな遠征軍が存在するなんてありえん話だ。何でこんなことになったのか、さっぱりだ。ヴァンフリートで勝ったことが拙かったのかもしれない。あそこで負けていたほうが同盟軍のまとまりは良かった可能性がある……。やはり俺のせいなのかな……。まったくうんざりだな。ボヤキしか出てこない。
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