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亡命編 銀河英雄伝説~新たなる潮流(エーリッヒ・ヴァレンシュタイン伝)

作者:azuraiiru
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第二十一話 作戦計画書

宇宙暦 794年 7月26日  ハイネセン 宇宙艦隊司令部 ミハマ・サアヤ


「ちょっとこれを見てくれないか」
ワイドボーン大佐が私達にA4用紙十枚程の文書を渡しました。表紙には「第六次イゼルローン要塞攻略作戦」と書いてあります。

思わず私は周囲を見ました。ヤン大佐は困惑していますが、ヴァレンシュタイン大佐は興味なさそうです。一瞬視線を文書に向けましたが、直ぐ司法試験の参考書に戻しました。

「良いのかい、こんな物を見せて。極秘だろう?」
「宇宙艦隊司令部の中で作戦参謀が見ているんだ、問題ないさ」
「なるほど、そう言えば作戦参謀だったか……」

ヤン大佐が納得したように頷いています。ワイドボーン大佐の言う通りです。私達は作戦参謀でした、名前だけですけど。
「まあ、ちょっと見てみようか」

ヤン大佐が声をかけてきました。私にというよりヴァレンシュタイン大佐に対してだと思います。大佐もそれが分かったのでしょう。一つ溜息を吐くと無言で計画書を手に取り、読み始めました。

ヤン大佐が私を見て笑みを浮かべました。“素直じゃないね”でしょうか、それとも“困ったものだね”でしょうか。ヤン大佐とヴァレンシュタイン大佐の関係はヴァンフリート星域の会戦直後から比べるとかなり良好になりました。

会話を交わすわけでは有りませんが、相手を避けるようなそぶりは有りません。少しずつですが良い方向に向かっていると思います。このまま良い方向に向かってくれれば……。あとはあのミューゼル准将の事が大佐の思い過ごしであることを祈るだけです。私もちょっと笑みを浮かべてから計画書を読み始めました。

読み出すにつれ、ドキドキしました。作戦計画書なんて読むのは初めてです。しかも第六次イゼルローン要塞攻略作戦、味わうようにじっくりと読みました、楽しいです。ところが私が半分も読み終わらないうちにパサッという音が聞こえました。

不審に思って音のした方を見るとヴァレンシュタイン大佐が作戦計画書をテーブルに置いた音でした。もう読み終わった? 私が半分も読み終わらないのに? 大佐は無表情にテーブルの上の作戦計画書を見ています。

私も驚きましたがヤン大佐もワイドボーン大佐も驚いています。顔を見合わせているとヴァレンシュタイン大佐がこちらを見ました。
「読みましたよ、ちゃんと」
「わ、分かった、こっちも急いで読もう」
「その必要は有りません。ゆっくり読んでください」

ヴァレンシュタイン大佐がヤン大佐と話しています。ゆっくり読んで良いと言われましたが、とてもそんな事は出来ません。大急ぎで残りを読みました。読み終わったのはヤン大佐と殆ど同時だったと思います。

私達が読み終わったのを見てワイドボーン大佐が話しかけてきました。
「で、この作戦計画だがどう思った?」
「悪くないね」
「悪くないか」
ヤン大佐が頷きました。

悪くない? そうでしょうか? 私には良く分かりません。ミサイルでイゼルローン要塞に穴を開けるなど簡単に出来るのか? 帝国軍がそれをやすやすと許すのか? ちょっと質問したいと思いましたが、気が引けました。

なんと言ってもこの部屋に居るのはヴァンフリートの英雄、エル・ファシルの英雄と士官学校で十年に一人の秀才と言われた人物達です。お馬鹿な質問をしたら笑われるでしょう。もっともヴァンフリートの英雄は今ひとつやる気が見えませんが……。

「ミハマ大尉、納得がいかないという顔をしているな」
「あ、それは……」
「構わんよ、疑問があるなら言うと良い」
ワイドボーン大佐が質問を促がします。私なんかが話して良いのかどうか、迷いましたが思い切って聞きました。

「総司令部は艦隊主力を囮にしようとしているんですよね」
「うむ、そうなるな」
ワイドボーン大佐が答えてくれます。そしてヴァレンシュタイン大佐は無言のままです。話を聞いているのかどうか……。

「そんな簡単に帝国軍がこちらの思い通りに引っかかるんでしょうか? よく分からないんですが……」
ワイドボーン大佐とヤン大佐が顔を見合わせました。ヤン大佐が一つ頷いて話しを始めました。

「イゼルローン要塞攻略の鍵は要塞主砲(トール・ハンマー)を使用させない事、或いは無力化する事、この二点をどうやって実現するかだった。第五次イゼルローン要塞攻防戦で行なわれた並行追撃作戦もそこから来ている」
ヤン大佐の言葉にワイドボーン大佐が頷いています。

「あの作戦は帝国軍の味方殺しの前に潰えたが、あれは同盟だけじゃない、帝国にとっても悪夢だっただろう。二度と繰り返したくは無いはずだ……」
「うむ」

私もあの戦いの事は聞いています。もう少しでイゼルローン要塞に攻め込める、そう思ったときに帝国軍は要塞主砲(トール・ハンマー)、で味方の帝国軍艦艇ごと同盟軍を吹き飛ばしたのです。同盟軍は余りの凄惨さに攻撃を断念したと言われています。

「当然だが今回同盟軍が攻め寄せれば帝国軍はイゼルローン要塞のメイン・ポートの正面に配置されたこちらの主力艦隊の動向に注目する、並行追撃作戦を恐れてね。その分だけミサイル艇に対する帝国の注意は薄れるだろう。相手の恐怖心を煽る事で他への注意を逸らす、狙いとしては悪くないのさ……」

なるほど、と思いました。私はイゼルローン要塞攻防戦には参加した事が有りませんし、実戦経験も少ないです。おまけに戦いはいつも勝ち戦で酷い経験をした事が有りません。

ですから並行追撃作戦に、味方殺しに対して帝国軍がどんな感情を持っているのか、今ひとつ分かりませんでした。ヴァレンシュタイン大佐から地獄だと言われましたが、その地獄というのが戦争にどういう影響を与えるのかが分からなかったのです。作戦計画書にもその辺りを書いてくれればもっと分かり易いのに……。

「上手く行けば、こじ開けた穴に強襲揚陸艦を付け陸戦隊を送り込む。要塞内部を制圧しようという訳だが……」
「当然帝国軍が許すわけがない。彼らは慌ててミサイル艇と強襲揚陸艦を排除しようと艦隊を動かすはずだ。その艦隊をミサイル艇と主力部隊で挟撃できれば面白い事になる、そうだろう、ヤン」

凄いです、ようやく私にも分かってきました。もしかすると、本当にイゼルローン要塞を落とす事が出来るかもしれません。私は疑問を解いてくれたヤン大佐とワイドボーン大佐を感動して見ていました。

そしてヴァレンシュタイン大佐は……、相変わらず無関心、やる気ゼロです。何考えてるんだろう、こんな凄い作戦を聞いても感動しないなんて、不貞腐れているのでしょうか? いい加減にして欲しいと思います。

「ヴァレンシュタイン大佐、貴官はどう思う?」
ヤン大佐がちょっと躊躇いがちに声をかけました。ヴァレンシュタイン大佐はまだ一言も意見を述べていません。大体作戦計画書だって真面目に読んだのかも怪しいです。適当に答えて終わりにするつもりでしょう。聞くだけ無駄です。

ヴァレンシュタイン大佐が私を見て薄っすらと笑みを浮かべました! 怖いです、この笑みを大佐が浮かべると大体において碌な事が有りません。
“お前が何を考えたか、分かっているぞ”
とでも言っているようです。謝ります、私が間違ってました。だから笑うのは止めてください。

「ミハマ大尉、スクリーンにイゼルローン要塞を映してもらえますか」
「は、はい」
この部屋の正面には会議用の大スクリーンがあります。私は慌ててスクリーンを操作してイゼルローン要塞を映しました。五分くらいかかったと思います。手に汗がびっしょりです。

スクリーンにイゼルローン要塞が映るとヴァレンシュタイン大佐はスクリーンに向かいました。そしてスクリーンに付いている指示棒を手に取るとスクリーンのある部分を指しました。イゼルローン要塞の正面です。

「要塞主砲(トール・ハンマー)の射程範囲外ぎりぎりのラインに同盟軍艦艇が展開。帝国軍艦艇は同盟軍を要塞主砲(トール・ハンマー)の射程範囲内に引きずり込もうと同盟軍を挑発……」
「……」
部屋にヴァレンシュタイン大佐の声が流れます。ワイドボーン大佐もヤン大佐も難しい顔をしています。指示棒が別の場所を指し示しました。

「要塞主砲(トール・ハンマー)の死角からミサイル艇による攻撃、悪くありません。ミサイル艇は三千から四千隻程度でしょう。それ以上では帝国軍の注意を引く」
悪くありません? 脅かさないでください、もったいぶって!

「しかし、私ならこの位置に三千隻ほどの艦隊を置きます。それでこの作戦を潰せるでしょう」
思わずヴァレンシュタイン大佐を見ました。大佐は無表情にこちらを見ています。

「ミサイル艇を側面から攻撃、防御力の弱いミサイル艇はひとたまりも無い……。そのまま天底方面に移動、要塞主砲(トール・ハンマー)の射程範囲外に展開した同盟軍を攻撃する」

“うーん”という声が聞こえました。ヤン大佐です。
「それをやられると確かに拙いな」
「拙いのか?」
「ああ」
「……なるほど、確かに拙いな」

ヤン大佐とワイドボーン大佐が顔を顰めています。
「あの、何処が拙いんでしょう。相手は三千隻なんですから攻撃すればいいんじゃ……」

私の問いにヤン大佐が頭を掻きました。
「それが出来ないんだ。この攻撃を回避して敵を攻撃しようとすれば艦隊を移動させなければならない。そうすると要塞の主砲射程内に入ってしまうんだ」
「要塞主砲(トール・ハンマー)の一撃で勝負有りだな」
「同盟軍が後退すれば帝国軍主力部隊が追撃してくるだろう。同盟軍は正面と下から攻撃を受ける事になる」
「はあ、そんなあ」

思わず声が出ました。三千隻です。たった三千隻の小艦隊が有るだけで作戦が失敗? そんなの有り? 到底信じられません。いえ、それよりヴァレンシュタイン大佐です。なんでそんな事を考え付くの?

まともに作戦計画書を読んだとも思えません。それなのになんで? ヤン大佐もワイドボーン大佐も気の抜けたような顔をしています。そしてヴァレンシュタイン大佐は詰まらなさそうにスクリーンを見詰めている……。

こっちをやり込めて“どうだ”とでも得意げになるのなら、可愛げは有りませんが人間味は有ります。それなのに無表情で今にも“何処が面白いんです”とでも言い出しそうです。根性悪のサディスト! 同盟軍の敵は帝国じゃなく、ヴァレンシュタイン大佐のように思えてきました。 

「ヴァレンシュタイン大佐、帝国はそれに気付くかな?」
気を取り直したようにワイドボーン大佐が問いかけました。
「気付く人物は居るでしょう。ただ……、実施できるかどうか……」

ヴァレンシュタイン大佐は答えた後考え込んでいます。そんな大佐にヤン大佐が戸惑いがちに声をかけました。
「ああ、その、ミューゼル准将なら気付くかな?」

問われたヴァレンシュタイン大佐より私のほうがびっくりしたと思います。思わずヤン大佐とヴァレンシュタイン大佐を交互に見ていました。ヴァレンシュタイン大佐は私がキョロキョロしているのには気付かなかったようです。考え込みながらヤン大佐に答えました。

「間違いなく気付くでしょうね、気付かないはずが無い。ただ彼は前回の戦いで功績を挙げる事が出来なかった。昇進は出来なかったはずです。彼が率いる艦隊は二百隻程度でしょう。それでは気付いても脅威にはならない……」
「……」

「それに彼は周囲から孤立しています。彼の意見を上層部が簡単に受け入れるとは思えません。また周囲が彼に協力するとも思えない。油断は出来ませんが脅威は小さいでしょう……。それに今回の戦いに参加するかどうか……」

ヤン大佐とワイドボーン大佐が顔を見合わせました。今度はワイドボーン大佐が問いかけてきました。
「他に気付きそうな人物は?」
「……メルカッツ提督、かな。彼なら気付いてもおかしくない」

ヴァレンシュタイン大佐の言葉にワイドボーン大佐とヤン大佐がまた顔を見合わせました。そして躊躇いがちにワイドボーン大佐が口を開きました。
「メルカッツ提督か……。派手さは無いが堅実で隙の無い用兵をすると聞いている。ヤン、気付くかな?」
「ヴァレンシュタイン大佐の言う通り、気付いてもおかしくは無いだろうね」

ワイドボーン大佐が溜息を吐きました。
「まあ、俺が立てた作戦じゃないからな……、俺が落ち込んでもしょうがないんだが……」
その気持、とってもよく分かります。私だって落ち込んでいる。落ち込んでいないのは根性悪の大佐だけです。大きな声では言えないけれど、きっと先の尖った黒い尻尾が付いてるんです……。

「メルカッツ提督がイゼルローン要塞に来るとは限りません」
「?」
ワイドボーン大佐とヤン大佐が顔を見合わせています。根性悪の大佐は独り言を呟くように話を続けました。

「メルカッツ提督は軍上層部の受けが必ずしも良く有りません。特にミュッケンベルガー元帥との関係は良くない。用兵家としてはメルカッツ提督のほうが上だという評価が有りますからね。ミュッケンベルガー元帥が彼をイゼルローンに呼ぶかどうか……」
「……」

「彼の働きで勝つような事があるとミュッケンベルガー元帥の地位は益々低下しかねない。場合によっては地位を奪われる事もある」
「しかしミュッケンベルガー元帥にとっては今回の戦いは正念場のはずだ。多少の事には眼をつぶるんじゃないか?」

ヴァレンシュタイン大佐が薄っすらと笑みを浮かべました。拙いです、悪魔モード全開です。
「そうとも言えませんよ、ワイドボーン大佐。要塞攻防戦は圧倒的に守備側が優位なんです。メルカッツ提督の力など必要ない、そう思っても不思議じゃありません」

ワイドボーン大佐とヤン大佐がまた顔を見合わせました。これで何度目でしょう、一回、二回……、四回? 今日は顔を見合わせてばかりです。二人ともどう判断すべきか困っているのかもしれません。それよりどう考えても不思議です。どうしてヴァレンシュタイン大佐はそんなに帝国軍の内情に詳しいのか……。

帝国に居たからだけではないと思います。軍上層部の事とか人間関係とかどう考えても変です。兵站統括部の新米士官が何でそんなに詳しいの?

「ミサイル艇での攻撃は上手く行くかもしれません。しかし要塞内部の占拠は難しいと思いますよ」
「?」
またヴァレンシュタイン大佐が妙な事を言い出しました。

「イゼルローン要塞にはオフレッサー上級大将が来るはずです」
「オフレッサー!」
「あのミンチメーカーが? 冗談は止めてくれ」
二人の大佐がうんざりしたように声を上げました。私も内心うんざりです。

オフレッサー上級大将、帝国軍装甲擲弾兵総監、帝国の陸戦部隊の第一人者です。身長二メートル、三次元的な骨格を有する宇宙最強の野蛮人……、白兵戦、つまり肉弾戦で人を殺すことで帝国軍の最高幹部になった人です。どうして帝国って人間離れした人が多いんだろう、遺伝子操作とかしてるとか……。

「冗談じゃ有りません。オフレッサー上級大将とミュッケンベルガー元帥は比較的親しいんです。一つにはオフレッサーは地上戦の専門家ですからミュッケンベルガー元帥にとって競争相手にはならない。一緒に仕事がし易いんですよ」
「……」

「攻める事は向こうに任せてこっちは撤退の事を考えたほうが良いと思いますよ。多分落ちないでしょうから……」
げんなりしました。相変わらずの根性悪です。今から負けたときの準備だなんて……。

以前、ヴァレンシュタイン大佐が言った言葉を思い出しました。
“イゼルローン要塞攻略のカギを握るのは同盟では有りません、帝国でしょう”
確かにカギは帝国が握っているようです。

大佐は同盟軍の力では落ちないと見ています。落ちるとすれば帝国側の失敗があったときなのでしょう。気が重い戦いになりそうです……。


 
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