殺人鬼inIS学園
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第十七話:殺人鬼の休日
「何をしている、馬鹿者が……」
「お、おおおおお織斑君!?」
「おっほほー、おまえもやることはやってるんだなぁ」
「レゾナンス」の夏の特設コーナーの一角の試着室前にて、ラシャと千冬と山田先生はそれぞれのリアクションを見せていた。眼前には、ここ最近の学園での話題性に事欠かない弟分である織斑一夏が。そして、フランスの代表候補生であり、現在のフランスの混沌化の起爆剤になったシャルル・デュノアもとい、シャルロット・デュノアが「揃って」そこに居たからだ。狭い更衣室に二人っきりで。
「いやあ、俺ぁ安心したぜ。お前は女に興味がないのかもしれないと心配していたが、そういうことに興味あったんだな!!安心した!」
「ラ、ラシャ兄!?」
ラシャの安堵の笑みに慌てる一夏。同時に背後の一角からそれらに反応するかのように物音がした。
「何時まで隠れているつもりだ?」
千冬は鋭い視線を向ける。同時に、柱の陰から二名の女子がおずおずと出てきた。一人は相談室で暴れた転校生。もう一人は金髪碧眼の淑女然とした少女だ。こないだ流し読みしたIS雑誌に載っていた代表候補生のナニガシに似ている。
「セシリアに鈴じゃないか。二人共買い物か?」
二人を視界に収めた一夏が首を傾げる。
「そうよ、女の子には色々と物入りなのよ!!」
「そうですわ!一夏さんはもう少しデリカシーを弁えてくださいまし!!」
まさか今朝からストーカーまがいの真似をしていたとは言えず、二人共恥ずかし紛れに一夏に謂れなき非難を浴びせる。一夏本人は困惑したような苦笑いを浮かべて頭をポリポリかいている。
「ところで、そちらの殿方はどなたですの?」
金髪のお嬢さんがラシャを見て怪しむような視線を向ける。用務員としてのラシャは、制帽を目深に被って表情の判別を気取られにくい様に努めているので、プライベートな本人を前にして、あの用務員だと気付く者はまず居ないだろう。
「セシリア、この人がラシャ兄だよ」
セシリアの態度にムッと来たのか、一夏がジト目でセシリアを睨む。途端にセシリアと呼ばれた金髪少女の表情が青くなっていく。
「ということは……こ、この御方が一夏さんと織斑先生の恩人の!?」
「いや、よしてくれ。そんなガラじゃない」
慌ててかしこまろうとするセシリアに対して、ラシャは手を挙げて制する。ここ数日で、一夏が自分が織斑姉弟にとっていかなる存在かということを言いふらしたらしく、「天下の織斑に恩を売った男」として周囲が特別な視線を向け始めている事にラシャ自身は気付いていた。
自らに実害そのものは無かったものの、小人の妬心というものの恐ろしさの一部に触れたラシャにとっては、これ以上の「恩」絡みでの面倒事は御免被りたい事態であった。
「で、でもよ。ラシャ兄は……あでっ!?」
「ストップだ一夏。それ以上いけない」
これ以上の問答は望まないラシャは、一夏にチョップを御見舞して黙らせることにした。この弟分は納得がいかないとなると、何処までも根掘り葉掘り訊こうとする悪癖が有る。学校の授業では美徳かも知れないが、時と場合によっては察して身を引くことも重要である。しかしながら、彼はそれを未だに弁えていない節が有る。
「俺の名誉のためにあれこれ言おうとしているのは結構なことだが、当の本人が『もう良い』と言っているのだ。それでも尚口を開くのは悪手だぞ?」
「わ、分かったよ…」
一夏は何か言いたげにラシャを見上げるが、謎の威圧感に敗けて渋々と言った様子で口をつぐむ。ラシャは満足そうに頷くと、更衣室の隅っこで縮こまっているもう一人の金髪少女に視線を向けた。
少女、シャルロット・デュノアは、イタズラがバレた子猫のようにビクリと身体を震え上がらせる。前回の詰問のトラウマがまだ癒え切っていないようだ。
ラシャは好都合とばかりに表情を微かに歪ませて、彼女のもとへ歩を進めた。
「此度のご不幸をお悔やみ申し上げます」
「へ?」
唐突に神妙な態度で深々と頭を垂れたラシャの様子に、シャルロットは完全に思考回路が麻痺してしまった。てっきりこの得体の知れない恐怖の用務員は、またしても自らに対して恐怖を煽るような言葉を投げかけに来たのであろうと覚悟を決めていたのだから。
「ご両親の事はニュースでお伺い致しました。まさかあのような事になるとは…」
ラシャの言葉に、一夏の表情も沈みこむ。自らが差し伸べた救いの手が彼にとっては思いもよらぬ影響を及ぼしたことに少なからずショックを受けているみたいだ。
「良いんです…両親は裁かれるべき人間でしたから…」
シャルロットもまた、目を伏せる。ラシャは彼女の目尻に溜まった雫をそっと拭ってやる。と同時に顔を寄せて──。
「では貴方もそろそろ裁きを?」
「!!!」
シャルロットの瞳に映ったのは、ラシャの手首に仕込まれた飛び出し式のナイフ。刹那、脳裏に稲妻の如く焼き付いていた光景がシャルロットの視神経を侵した。
「ぁ…あ…」
司法解剖と本人確認のためにフランスへ赴いたときに再会した物言わぬ父と義母。父は腹部から脊髄にかけて、義母は喉と下腹部にそれぞれ鋭いナイフによる刺突裂傷があった。ちょうどラシャの袖口からこちらを伺う切先がまさに───。
「ひぃぅっ!?」
どうにかシャルロットは悲鳴を押し殺した。恐る恐る顔を上げると、そこには穏やかな表情でこちらを見下ろす男の姿。だが、その瞳は絶対零度に冷え切っており、目を離すと何の躊躇いもなくこちらを殺傷しかねない恐ろしさが、発情した蛇のようにうごめいていた。
───あいつだ、あいつがやったんだ。あいつが父さんたちを───。
「大丈夫か、シャル?」
ラシャの肩越しに一夏が顔を出す。自らを全肯定してくれた存在の登場によって何とか心の平衡を取り戻したシャルロットは、恐怖のあまり思わず抱きつきたくなる衝動を必死で抑えつつ、どうにか立ち上がった。
「あはは、ちょっと冷えちゃったみたい。着替えるからちょっと出てって貰えるかなぁ?」
「お、おう!そうだな!!」
「これは失礼。無粋な野郎どもは退散するとするか」
一夏は慌てて、ラシャは大げさに両手を挙げて降伏のポーズを取りながら仰々しくカーテンの向こうへ退避した。
カーテンを閉める刹那、ラシャの唇が何事かを呟くように歪んだ。
──何時も見てるヨ。
シャルロットは自らの世界が壊れる音を確かに聞いた。
シャルロットの心に決定的な楔を打ち込んだラシャは、ゆったりとした足取りで水着について相談している千冬達の元へ戻った。あそこまで忠告しておけば、彼女が良からぬことを企てる事は万に一つも無くなるだろう。デュノア社が潰れたとはいえ、お抱えの技術者や貴重なパテントを抱えた権利者の抱き込みを欧州のIS企業が我先にと争っている状況にある。その中でも、大々的に注目されているのはシャルロット・デュノアの身柄と所持している専用機を何処の所属とするかということだ。
現在のフランス政府にとやかく言う資格は最早残っておらず、様々な勢力が彼女を合法・非合法の手段を問わずに狙ってくるであろう。それらに知人を巻き込む訳にはいかない。
第一、あんなお粗末極まりない偽装工作を馬鹿真面目に受け入れてやって来た人間をラシャは微塵も信用していなかった。未だに彼はシャルロットは一夏を籠絡させるために態々バレバレの変装でやって来たのではないかと疑っているほどだ。
少しでも疑わしき行動を取ろうものなら、彼はすぐにでも彼女にナイフを突き立てるだろう。だが、あくまでそれは最終手段。ちょっと残念な可愛いお弟分を極力悲しませたくない彼は、彼女にわかりやすい警告を行うことにしたのだ。
効果は覿面だったようで、いち早く死人のようになってしまった表情で放心していた。あれなら予行演習も必要あるまい。
「おい、ラシャ。お前も何か意見を言ってくれ。何のために連れてきたのかわからないぞ」
「そうですよ!ただでさえラシャさんは職場でも数少ない男性職員さんなんですから、貴重な意見はたくさんあると嬉しいんですよ?」
唐突に自らに向けられた言葉に、ラシャは我に返った。いけないいけない。と、彼は眼前の千冬と山田先生が持っている水着を見た。
千冬が持っているのは二着。山田先生が持っているのは一着だ。両方共ビキニタイプで、ラシャの主観で言えば色くらいしか大した違いが見受けられなかった。女性というものはやはりわからないことが多い。遠い昔の銀河の騎士ではないが、まだまだ学ぶべきことは多いようだとラシャは唸った。
「まずは織斑先生からだが……一夏、お前の意見を聞きたい」
「お、俺ですかぁ!?」
まさかのキラーパスに狼狽する一夏。同時に千冬の表情が不機嫌の方向へと一気に傾く。
「お、俺もよくわかんないからラシャ兄に任す!!」
「ふむ、ならばその黒いやつはどうだ?白いやつは少々眩しすぎる」
ラシャは千冬の持っていた水着の黒いものを指差した。すると、千冬の表情は裏返したかのように好転する。
「そ、そうか!?一応理由を訊いても良いか!?」
「あー……そうだな。千冬ちゃんはどうも黒色のイメージが有るからかな?何時も着ているスーツも黒一色が多いし」
ラシャとしてはかなり苦しい理由付けであったが、千冬本人としては満足の行く回答であったみたいだ。先程の不機嫌な表情が嘘のように舞い上がっているような表情をしている。
「よし、決めたぞ。私はこれにさせてもらう」
浮ついた様子でレジに向かう千冬を見送った後、ラシャは山田先生の方へ向き直った。
「山田先生の水着は、今手にとっていらっしゃる物でいいと思いますよ。個人的な主観ですが、そのきれいな髪にマッチしていると思いますし」
「ふえええええぇぇぇっ!?」
「お、おおおお客様ぁぁぁ!?」
何とか程々の褒め言葉を絞り出して伝えた結果、山田先生の顔は瞬間湯沸かし器が如く発熱し、羞恥心のあまりに水着売り場から脱兎のごとく駆け出して行ってしまった。慌てて店員が後を追いかけるも、あの速度の差では追いつくのは難しいのではないだろうか。
いつの間にか一夏も先程合流した少女たちと共に水着選びに勤しんでいるようなので、ラシャは近くのベンチに腰を下ろしてその様子を見守ることにした。日曜日の昼近くなだけあって人の喧騒凄まじく、このまま惰眠を貪ってしまおうかと考えていたラシャは、急に持て余し気味になってしまったこの状況に独り苦笑した。
「そこのあなた!」
不意に声をかけられた。その声色に隠す気のない驕慢と嘲罵の響きを感じ取ったラシャは、狸寝入りを即座に決め込み、遠回しに関わる気は毛頭ないということをアピールした。
ISの台頭による影響で女尊男卑が浸透してしまったこのご時世、女性が男性に対して意味もなくふんぞり返っている多々見られる。その中でも、IS発祥国たる日本では女性の驕慢による男性への冤罪や理不尽な恐喝までもがまかり通る程だ。
「貴方のことを言っているのよこのグズ!!」
ラシャの足の甲に鋭い痛みが走る。薄目を開けると、女の履物であろうスティレットヒールがラシャの足の甲に浅く刺さっていた。僅かとはいえ流血沙汰にまで発展したこの状況に苦言を呈すものは誰もいない。皆己が平穏を守りたいが為に関わり合いになりたくないのだ。
ラシャはゆっくりと目を開けた。気の強そうな女の顔が視界いっぱいに広がる。
「やっとお目覚めってわけ?とっとと」
女はそれ以上喋れなかった。ラシャの右手が彼女の胸の谷間を優しく撫でていたからだ。とはいえ、彼女はラシャの堂々としたセクハラ行為に言葉を失っていたわけではない。自らを構成する何かが唐突壊れ、大事な何かを零れ落としている気持ち悪い感覚によって声が出なかったのだ。
唐突にラシャが立ち上がった。同時に彼女の肩に手をかけ、ダンスのターンの様にくるりと回ったのだ。そしてお互いの位置を迅速に入れ替えたのと同時に、彼女をゆっくりとベンチに座らせた。
「失礼致しました、そこまでお疲れだとは思いませんでしたので……無作法をお許しあれ」
「──」
ラシャは物言わぬ彼女に恭しく一礼をすると、さりげなくその瞼に手を添えて瞳を閉じさせた。女は既に事切れていた。
降って湧いてきたかのように現れた獲物を仕留めたラシャは恍惚の極みにあった。
──やはり日頃の行いは重要なのだろう。誠実に生きるものには福が舞い込むものだ。
先程の女に試した『戻し切り』は実にうまくいった。女の心臓に仕込み刃のナイフを瞬時に突き立てて戻す事により、心臓だけを傷つけて皮膚は刺す前のように見せかける技だ。傍から見れば、女の胸元からは血の一滴も出てはいないだろう。少なくとも、人が死んでいると判断されるのには時間がかかるはずだ。
この戻し切りそのものは、大根や生花で行った記録は残っているものの、人間が人体で敢行したのはおそらく無いだろう。ラシャは前人未到の領域を侵した実感など微塵もなく、いち早く我に返ると、この場から気怠げな雰囲気を崩さずに退散する事に全理力を注ぐことにした。
買い物からの帰路、ラシャはどこかからか聞こえてくる救急車のサイレンに心地よく耳を傾けながら歩いていた。周囲には相変わらず女絡みの騒動の中心にいる弟分と、時折軽く注意を飛ばしながら談笑する彼らの保護者役の先生二人が居た。どうやらレゾナンスの職員の両足が乳酸に屈する前に山田先生は我に返ったようだ。
「そういえば、ラシャ兄も臨海学校に行くんだろ?」
話が一段落ついたのか、一夏がこちらへ振り向く。
「お前なあ、一介の用務員がおいそれと学校行事に着いて行けるわけがねえだろ」
「ええ!?ラシャ兄来れないのか?」
当然の帰結を説明したにも関わらず、唖然とする一夏に対して千冬の拳骨が落ちるかと思いきや、この場にツッコミを入れるべき大人二人は茫然自失の表情を晒していた。ご丁寧に水着の入った紙袋を地に落とすというベタなリアクション付きで。
「……千冬ちゃん、山田先生。まさか……?」
「ぬかった……」
「どどどどどうしましょう織斑先生!?ラシャさんのぶんも頭数に入れちゃってますよ!?今から修正って出来ましたっけ!?」
分かりやすく顔面蒼白になって狼狽える山田先生。
「いやいやいや!何で何の疑問も抱くこと無く私を頭数に入れているんですか山田先生!?」
「すいません!下見のときに一緒に行って頂いたものですから……」
「それ以前に私は用務員なんですよ?教職員ですら無いんですよ!?」
普段の態度とは裏腹に、怒涛のツッコミを繰り出すラシャの肩を、千冬はポンと叩いた。
「大丈夫だ、私にいい考えがある。ラシャ!有給取れ!!そうすれば万事解決だ!!」
「無茶苦茶を言うんじゃない!!第一、今から申請して間に合うわきゃねーだろ!!楽をするんじゃない楽を!!俺も付き合ってやるから今すぐ学園長に謝りに行くぞ!!」
「ちょっ、千冬姉!?ラシャ兄!?」
「そんなわけで、一夏!!このお嬢さんたちを学生としての節度を守りつつしっかりとエスコートしろよ!?」
大慌てでIS学園行きのモノレール駅に全力ダッシュで向かうダメな大人達を、花の高校生たちは呆然と見送っていた。
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