亡命編 銀河英雄伝説~新たなる潮流(エーリッヒ・ヴァレンシュタイン伝)
しおりを利用するにはログインしてください。会員登録がまだの場合はこちらから。
ページ下へ移動
第十四話 信頼
帝国暦 485年 4月 6日 ヴァンフリート4=2 ジークフリード・キルヒアイス
「どうにもならないな」
「ええ、そうですね、ラインハルト様」
「後は単座戦闘艇(ワルキューレ)を待つだけか……」
遣る瀬無さそうに呟くラインハルト様に私は無言で頷いた。
ヴァンフリート4=2にある自由惑星同盟を名乗る反乱軍の基地は恐ろしいほどに頑強だった。攻撃開始から十二時間、帝国軍はこの基地を攻めあぐねている、いや、この基地に翻弄されている。
当初の想定では苦も無く攻略できるはずだった。地上攻撃メカを投入し、制空権を奪い敵基地に侵入する。二十四時間とかからずに基地の攻略は終了するだろう、皆がそう予想していた。的外れな予想だとは思わない。ラインハルト様も基地攻略は問題無いと考えていた。問題が有るとすれば敵艦隊の増援だろうと……。こんな事になるとは誰も予想していなかった……。
だが、地上攻撃メカは近接防御火器システムの前に破壊され、敵の多機能複合弾によってこちらの装甲地上車は次々に破壊されていく。一方的に帝国軍が反乱軍から攻撃を受けている。私もラインハルト様も装甲地上車に乗っていない、装甲地上車は危険なのだ。反乱軍は片端から装甲地上車を撃破している。今私達は装甲地上車の陰に仮の指揮所を設けて戦闘を統率している。
なんとも厭らしい敵だ。相手はしきりに救援要請を出している。しかもその通信内容は全くのでたらめだ。“我が軍は被害甚大”、“敵は基地に侵入したが何とか撃退した”、“敵に制空権を取られた”等……。
この通信は艦隊司令部でも傍受している。おかげでこちらがどれだけ司令部に苦境を訴えても誰も信用してくれない。それほどまでに武勲を過大に評価させたいのか、そんな風に取られている。実際にこの基地を攻略できたら勲功第一だろうとラインハルト様はぼやいている。
攻撃部隊の指揮官、リューネブルク准将も頭を抱えている。それでも准将は司令部とかけあい単座戦闘艇(ワルキューレ)の投入を勝ち取ってきた。その努力と粘りはラインハルト様も高く評価している。
“嫌な奴だが出来るやつだ、戦場では頼りになる”、それがラインハルト様のリューネブルク准将に対する評価だ。攻撃前に有った彼に対する悪感情もこの苦境をともにすることで大分変ったらしい。
もっともそれはリューネブルク准将も同様だ。かつては露骨に目下扱いしていたラインハルト様を相手に司令部の愚痴を言うこともある。そしてラインハルト様もそれに対して頷いている。強力な敵と無能な味方……、頼れるのはどれほど不本意でも共に戦場に居る相手しかいない……。
「単座戦闘艇(ワルキューレ)が来れば近接防御火器システムを潰せる。それさえ出来れば……」
呻くようなラインハルト様の言葉だ。この戦いは地上戦であることと言い、苦戦している事と言い不本意の極みなのだろう。
単座戦闘艇(ワルキューレ)が上空に現れたのはそれから十分程経った頃だった。総勢二百機の単座戦闘艇(ワルキューレ)が基地を目指す。近接防御火器システムを全て潰す必要はない。何処か一箇所、集中的に破壊してくれれば良いのだ。後はそこから地上攻撃メカを投入すれば良い。
敵の対空防御システムが動いた。レーザー砲が単座戦闘艇(ワルキューレ)を狙うが単座戦闘艇(ワルキューレ)は低空飛行に切り替え基地を目指す。もう少し、もう少しで基地にたどり着く。その時だった、ラインハルト様が絶望の声を上げた。
「駄目だ、キルヒアイス。あれを見ろ」
ラインハルト様が指さす方向には同盟の単座戦闘艇、スパルタ二アンが編隊を組んでこちらに向かってくるのが見えた。
その数はどう見ても単座戦闘艇(ワルキューレ)よりも多い、おそらくは倍はあるだろう。単座戦闘艇(スパルタニアン)が上空から一方的に攻撃をかけてきた。単座戦闘艇(ワルキューレ)は抵抗できない、上空に向かえば対空防御システムの砲火を浴びるだろう。彼らに出来るのはただひたすらに基地を目指して進む事だけだ。そして多分、基地にたどり着く事は出来ない……。
指揮所の中から兵士が通信が入っていると伝えてきた。
『ミューゼル准将、応答してくれ、リューネブルクだ』
小型の通信機からリューネブルク准将の声が聞こえた。ちょっとざらついて聞こえる。電波の状態が良くないらしい。ラインハルト様が答えた。
「こちらミューゼル、リューネブルク准将、今連絡しようと思っていたところだ」
『気が合うな、ミューゼル准将』
苦笑交じりのリューネブルク准将の声が聞こえた。
『単座戦闘艇(ワルキューレ)による攻撃は失敗したようだ』
「残念ではあるが同意する」
二人の声は苦い。基地攻撃の手段が失われたのだ、無理もない。
『卿はあの単座戦闘艇(スパルタニアン)が何処から来たと思う? 敵の艦隊から来たと思うか?』
「いや、敵の艦隊が来たなら司令部が騒ぐはずだ。あれは敵の基地が寄越したものだろう。基地の向こう側に別に飛行基地が有ると思う」
『同感だ。では何故敵は今まで単座戦闘艇(スパルタニアン)を出さなかった?』
リューネブルク准将の声には笑いが有る。この状況で笑えるとはたいしたものだ。
「時間稼ぎだ。敵の増援が来るまでの時間稼ぎだろう。あの救援要請もそれが目的だ。我々はどうやら敵の罠に落ちたようだ」
『卿は話が早くて助かる。となるとこれからの事だが司令部に増援を求めても無理だろう。上空からの攻撃も受け入れてくれるとは思えん』
リューネブルク准将の言葉にラインハルト様の表情が歪んだ。
リューネブルク准将もラインハルト様も何度か艦隊による基地の攻撃を要請した。だが司令部は頷かない。”基地攻略など大した事は無いといったではないか”そう言って嘲笑するだけだ。ラインハルト様もリューネブルク准将も司令部では孤立している。そして司令官、グリンメルスハウゼン中将は全く頼りにならない。基地攻撃部隊は完全に孤立している。
『それに敵の増援部隊が近くまで迫っているかもしれん、最悪だな……、』
リューネブルク准将の声が一瞬途絶えた。攻撃する手段が無い以上、敵の増援部隊が近くまで迫っている可能が有る以上、取るべき道は決まっている、撤退しかない。このまま攻撃を続けても犠牲が増えるだけだろう。
だがリューネブルク准将はそれをラインハルト様から言わせようとしているのだろうか。撤退はミューゼル准将の進言によるとするつもりなのか、思わず身体が緊張した。ラインハルト様も表情が厳しい。
『撤退する。貴官は次席指揮官だ、俺の指示に従ってくれ』
「……」
ラインハルト様が私を見た。目には複雑な色が有る。リューネブルク准将を疑った事を恥じているのかもしれない。
「宜しいのか、それで」
ここで撤退すれば敗退ということになる。当然だが経歴には傷がつく。三年振りに戦場に出たリューネブルク准将にとってはこれが最後の戦場になるかもしれない。
勝ちたいという気持ち、敗戦の責任は取りたくないという気持ちは誰よりも強いだろう……。ラインハルト様が声をかけたのは自分も責任を分かち合うという意思表示だ。ラインハルト様らしいと言えるし、私もそうするべきだと思う。
『卿の好意には感謝する。だが負け戦の責任くらいは一人で取れそうだ、心配は無用だ』
どこか含み笑いを込めた声だった。
『それより撤退を急ごう、敵の艦隊が到着すればおそらく連中は全面的に反転攻勢に出る。追い打ちはきついものになるだろう。それまでにどれだけ基地から離れられるか、それが生死を分ける事になる』
「……」
『卿が先に行け、俺が殿を務める』
「しかし、それは」
『ぐずぐずするな、ミューゼル。一分一秒が生死を分けるのだ』
宇宙暦 794年 4月 6日 ヴァンフリート4=2 ミハマ・サアヤ
酷い話です、バグダッシュ少佐は私まで疑っていました。でも実際疑われても仕方の無いところもあります。私はフェザーンでの一件を報告しませんでした。でも、あれは報告すべきものではないと思ったのです、汚してはいけないと。
今でもその事は後悔していません。ヴァレンシュタイン少佐も私が情報部に報告しないと思ったからあの場に連れて行ったのでしょう。盗聴器を付けられていた、自分の一語一句を記録されていた、寒気がします。何ておぞましいことか……。私は一生このおぞましさを忘れる事は無いでしょう。
自分がこれまでしてきた事を考えると心が凍りそうです。ヴァレンシュタイン少佐の傍に常に寄り添い、その一部始終を監視していた……。少佐には私がどう見えたか……。自分の周りをうろつき、臭いを嗅ぎまわる薄汚い犬に見えたでしょう。一体少佐はどんな気持ちでいたのか……。
そしてあの時の少佐の目、蔑むような眼でした。人の情を理解しない女、筋金入りの情報部員、そんな眼でした……。私はこれまであんな眼で見られた事は有りません。でもこれからは常にそう見られるのでしょう。所詮は情報部の人間で本人がどう思っていようと危険な女なのだと……。
私はこれまで自分のしてきた事に罪悪感を感じずにいました。多分ヴァレンシュタイン少佐が感じさせずにいてくれたのだと思います。少佐は私に隔意なく接してくれました。あくまで補給担当部の同僚として接してくれたのです。だから私もあまり少佐を監視するという意識を持たずに済みました。
少佐は意地悪でサディストで、どうしようもない根性悪ですけど私の事を気遣ってくれたのだと思います。アルレスハイムでもフェザーンでも私は少佐と一緒にいる事を楽しむ事が出来ました。少佐が私を警戒していれば私はいやでも自分が監視者なのだと気付かされたはずです。楽しむなどと言う事は無かった……。
司令室の中は静寂に満ちています。先程までの緊張や興奮は有りません。私達の会話を聞いたのです、無理も無いでしょう。皆私とバグダッシュ少佐からは視線を逸らしています。
司令室が沈黙に支配される中、ヴァレンシュタイン少佐はスクリーンを見ていました。スクリーンには単座戦闘艇(スパルタニアン)に撃墜される単座戦闘艇(ワルキューレ)が映っています。一方的な展開です。基地までたどり着ける単座戦闘艇(ワルキューレ)は皆無に近いでしょう。
「バグダッシュ少佐」
私は小声で少佐に話しかけました。少佐が“どうした”というような視線で私を見ます。
「私はフェザーンの件を報告しませんでした。情報部はクビですか?」
クビでも構いません、味方まで疑うなんてうんざりです。後方勤務本部のほうが気が楽です。
「それは無い、私は中尉のした事が間違っているとは思わない」
「……」
思わず少佐の顔を見ました。冗談を言っているのではないようです。
「貴官のように監視者だと監視対象者に知られてしまうと、監視者としては余り役に立たない。相手が警戒し交流が無くなる、つまり情報は断片的にしか入ってこなくなるからだ。監視対象者がスパイであるか否かは関係無くね」
「……」
「だが貴官は違った。監視者だと知られてからもヴァレンシュタイン少佐との間に良好な関係を築いた。もちろん少佐が貴官を敵視しなかった事が大きいのだろうが、貴官も不必要に少佐を疑わなかったからだと思っている。おかげで我々は貴官を通して少佐の事を知る事が出来た」
本当でしょうか、私には自信がありません。でも少佐の表情には冷やかしや軽侮はありませんでした。
「……でも私はフェザーンの件を報告しませんでした。監視者としては失格では有りませんか」
「少佐は貴官になら話しても良いと考えた。貴官は少佐のために他者には話すべきではないと考えた……。そうだな」
「はい」
私の返事に少佐は柔らかい笑みを見せました。
「貴官達には信頼関係が有ったのだと思う、人としてのね。それはどんなものよりも大切なものだ。貴官はそれを守った、間違った事はしていない」
間違った事はしていない? なら何故盗聴器を?
「貴官は間違った事はしていない。だから我々が汚れ仕事を引き受ける。監視者も監視対象者も人なのだ、その事を忘れては生きた情報など得る事は出来ない」
「……生きた情報」
よく分かりません。私は生きた情報を送ったのでしょうか? 私はいつも失敗ばかりしてヴァレンシュタイン少佐に圧倒されていました。それが生きた情報?
「貴官には酷い事をしたと思う。許してくれと言うつもりは無い、理解してくれと言うつもりも無い。ただ……」
「ただ?」
「ヴァレンシュタイン少佐との関係を維持して欲しいと思う。ヴィオラ大佐が言っていたよ、二人は本当に楽しそうだったと、とても監視者と監視対象者には見えなかったとね」
「……」
楽しかったです。フェザーンだけじゃ有りません、アルレスハイムも楽しかった。その前からずっと楽しかったんです、少佐と一緒にいる事が……。今とは雲泥の差です、思わず鼻の奥に痛みが走りました。
「彼は今一人だ。全てのものから背を向けようとしている。だが、それでは何時か壊れてしまうだろう。だから貴官が手を差し伸べて欲しい。いつか彼は必ず助けを必要とするはずだ」
「……私に出来るでしょうか」
私の問いかけにバグダッシュ少佐は軽く笑みを浮かべて首を横に振りました。
「私には分からない、貴官にも分からないだろう。だから信じるんだ、いつか彼が必ず助けを必要とすると、自分が彼を助けるんだと」
今のような怖い少佐ではなく、昔の少佐に戻ってくれるのならと思います。たとえ意地悪でサディストで、どうしようもない根性悪でも、優しい笑顔を浮かべてくれる少佐のほうが私は好きです。少佐、戻ってきてください、お願いですから、戻ってきて……。
眼から涙がポロポロと落ちます。私は自分が何を失ったのかようやく分かりました。私が失ったのは信頼だったのです。帝国と戦うと決めたときから少佐は人の心を捨てました。そして信頼も捨てたのです。それを取り戻さない限り、私の知っている少佐は戻ってきません……。
ページ上へ戻る