異伝 銀河英雄伝説~新たなる潮流(ヴァレンシュタイン伝)
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困ったチャン騒動記(2)
新帝国暦 2年 7月15日 ハイネセン オスカー・フォン・ロイエンタール
フェザーンにいるミッターマイヤーから連絡が来た。多分例の困ったチャンの件だろう。せいぜい笑われてやるか。
「元気そうだな、ミッターマイヤー」
「ああ、卿も元気そうで何よりだ、ロイエンタール」
「そっちでも俺が困ったチャンだという話は広まっているのだろう」
「まあ、広まっているな。しかし気にする事は無い、エヴァに言わせれば男など皆困ったチャンなのだそうだ」
あっけらかんとしてミッターマイヤーは笑った。こいつ、良く分からん。
「卿も困ったチャンなのか、ミッターマイヤー」
「昨日、エヴァがカイザーリンに拝謁した。その際困ったチャンで大いに盛り上がったそうだ。卿の奥方の気持ちが良く分かると」
そう言うとミッターマイヤーは肩をすくめた。
「つまり、卿だけじゃない。俺も陛下もケスラーも困ったチャンだという事だ」
「ケスラー?」
「ああ、言い忘れたがその席にはケスラー夫人も居たそうだ」
「……」
ケスラーの奥方は確か未だ十代のはずだ。二十歳ぐらいの年の差が有ったはずだが、それでも困ったチャンなのか? 憲兵隊司令官、帝都防衛司令官が困ったチャン……。まあロリコンだから困ったチャンなのは仕方ないか。
「そう言う事だから余り気にしないことだな」
「ああ」
「ところで卿に訊きたいのだが、ハイネセンは下着の種類が豊富なのか?」
今度はその話題か。どうせ俺は着せ替え人形ごっこをする変態さんだ。
「オーディンよりは豊富だな」
「フェザーンとはどうだ、ロイエンタール」
ミッターマイヤーは意気込んで訪ねてきた。
「いや、それは分からんな。俺はフェザーンには余りいなかったから」
「そうか」
妙だな、こいつ女性の下着に興味が有るのか? いや男である以上下着に興味があるのは当然か。
「どうした、卿も下着が欲しいのか?」
「エヴァがハイネセンの下着とはどんなものかと言うのでな」
なるほど、やはり奥方か。まあそうだろうな。
「ミッターマイヤー、ハイネセンの下着メーカーに頼んでカタログでも送ってやろうか」
「本当か、それは助かるな。エヴァも喜ぶ」
「……」
何で断らない? 今更冗談だとは言えん。仕方ない、手配するか。
「ミッターマイヤー、卿は随分と下着に関心が有るようだが、卿も奥方に下着を贈っているのか?」
「ああ、うちは一緒に買いに行っているよ」
「……そうなのか」
恥ずかしくないのか、ミッターマイヤー……。
「卿はヒョウ柄と紐パンが好きなようだな、ロイエンタール」
「……」
誰が漏らしたか、後で調べる必要があるな。ベルゲングリューンか、ゾンネンフェルス、シュラーか、レッケンドルフも有り得る。俺の幕僚におしゃべりは必要ない。おしゃべりには罰を与えねば……。
「俺も大好きだ」
「……そうか」
「特にエヴァは紐が好きだな」
奥方が紐? はてミッターマイヤーの奥方はどちらかというと大人しい感じの女性だったが……。
「あれは普通の下着と違ってゴムの跡がつかないだろう? それが良いらしい」
「……」
「ゴムの跡は見栄えも良くないし、それにむずがゆいからな」
「なるほど」
「ロイエンタール、紐は強引に引っ張ってはダメだぞ」
ミッターマイヤーは真面目な顔をしている。何か有るのか紐に。思わず俺は小声になった。
「ダメなのか?」
「ダメだ。あれは強引に引っ張ると返ってきつく締まってしまう事が有るのだ。場合によっては千切れてしまう事も有る」
冗談かと思ったがミッターマイヤーは至って生真面目な表情だ。
「強引にされるほうが好きな女性もいるようだが、紐はダメだ。そこだけはソフトタッチで攻めないと。まあ卿のことだから余計な忠告かもしれんが」
「いや、卿の忠告で無駄な事など無い。気をつけよう」
気をつけよう、俺は知らなかった……。紐の事も、卿の奥方が強引なのが好きな事も。たかが下着、されど下着か、女とは見かけによらないものだ。
「ところで卿は、奥方と一緒にお風呂に入っているのか」
「いや、そんな事はしていない」
「何故だ? 夫婦なのだろう?」
契約結婚なのだ、そんな事ができるわけが無い。
「卿のところは一緒に入っているのか」
「もちろんだ。陛下もケスラーも一緒に入っているぞ」
「本当か、ミッターマイヤー」
「ああ、本当だ。ロイエンタール、一緒に風呂に入らないなどおかしいぞ、卿」
ミッターマイヤーはともかく、陛下もケスラーも一緒に入っている? あのお子様の陛下が? 冗談は止せ、ミッターマイヤー。ケスラーの所は、まあお父さんと一緒、そんなところか……。
「俺達は一旦戦争となれば何ヶ月も家には帰れん。家にいるときぐらいは出来るだけ一緒にいるべきだろう」
「そうかもしれん」
「卿の奥方も戦場では別な艦に乗っている。一緒にいられる時は今だけだぞ。ワーレンも後悔している」
「ワーレン?」
「ああ、彼は奥方を亡くしているからな。もっと一緒にいてやれば良かった。恥ずかしがらずに風呂も一緒に入れば良かった。そう言っているよ」
「……」
「恥ずかしがれるのも生きている内だ。詰まらぬ体裁など気にするのは愚かだぞ、ロイエンタール。卿はどうも体裁を気にしすぎる」
「……」
「一緒に風呂に入るんだぞ、ロイエンタール。それが夫婦円満の秘訣だ。それから着せ替え人形ごっこは俺も大好きだ。じゃあな、元気でいろよ」
そう言うとミッターマイヤーは通信を切った。俺は何も写さなくなったスクリーンを見ながら打ちひしがれていた。ミッターマイヤー、俺は卿と奥方がままごとのような夫婦生活を送っているのだと思っていた。だから子供も出来ないのだろうと。
だが違った、下着の事といい、入浴の事といい卿は俺などよりはるかに豊かな性生活を営んできたようだ。おまけに着せ替え人形ごっこ。俺など卿に比べれば数をこなしただけではないか。いや、それより拙い事が有る。フェザーンでは明日には俺がエーリカと一緒に風呂に入っているという噂が立つだろう。どうしたものか……。
次の日職場に行くとベルゲングリューンが新領土での世論調査を持ってきた。
「新領土の住民たちは概ね帝国の統治に対して様子見といった模様です」
「始まったばかりだ、仕方あるまいな。これから徐々に信頼度を上げていけばいい」
「ところで閣下に対する好感度ですが……」
「言わなくていい。どうせ碌なものではあるまい」
例の一件以来、新領土での俺に対する評価は困ったチャンと変態だ。
「それがそうでも有りません」
「?」
「閣下の行動はとても理解できると、好感度は上昇しています」
「……」
評価は困ったチャンと変態だが、行動は理解できるか。人間という生き物は本当によく分からん。
「それと例の店ですが最近売れ行きが良いそうです。総督夫人御用達の店として特に紐が売れているとか」
「そうか」
どうせ何処かの馬鹿女が勝負パンツだ等と言って買っているのだろう、愚か者が。俺はあの勝負パンツというものほど無意味なものは無いと思っている。相手の好みも無視して何が勝負パンツなのだ。自己満足なだけではないか。男と女の真の勝負パンツとはノーパンだ! これこそがオスカー・フォン・ロイエンタールが得た真理だ。
「フラウ・ロイエンタールは人気が有りますからな。おかげで我々も随分と助かっています」
確かに助かっている。新領土総督府の広報関係はあの女のポスターを結構使っているが、貼るたびに盗まれると聞いているし、記者会見も重要なものはあの女に任せている。大体において好意的に受け取ってもらっているようだ。俺がやると反感を買うだけだろう。
「ところで来週の二十五日ですが、財界が主催の親睦パーティが開かれます。旧同盟政府、軍部の重要人物が招待されるそうです。閣下にも招待状が来ておりますがいかがしますか?」
親睦パーティか。詰まらんな、着飾った女どもと脂ぎった親父どもの相手などうんざりする。断るか、ベルゲングリューンを代理で出せば良いだろう。俺の顔色を読み取ったのだろう、ベルゲングリューンが断ることにしますと言った。
「皆、残念がりますね」
「どういうことだ、ベルゲングリューン」
「フラウ・ロイエンタールに会いたいという方が多いのですよ。しかし、閣下が出席されない以上、奥様が出席される事は有りませんし」
「……」
「お二方が欠席と分かればパーティも参加者は今ひとつでしょう」
「ベルゲングリューン、気が変わった。出席するぞ」
「はあ」
「夫たるもの妻が美しく装う機会を無駄にするべきではない。それに折角の親睦パーティが盛り上がりにかけるのは良い事ではないだろう。俺とエーリカは出席する。そう伝えてくれ。それと悪いが俺はこれからエーリカと出かける。後を頼む」
「はっ」
三十分後、俺とエーリカは地上車の中にいた。
「何処へ行くのです」
「下着を買った店だ」
「また下着を買うのですか、もう十分です、必要有りません」
そう呆れた顔をするな、我が妻よ。
「お前、イブニングドレスを持っているか?」
「いいえ、持っていません」
やはりそうか。この女は自分を装うという事を知らない、いや出来ない。幼少時に両親を亡くした所為かもしれない。どんな女でも持っている美しく装うという事が出来ないのだ。そして美しく装う事を酷く恥ずかしがる。結婚式を断ったのもそれが原因だ。あの時は不思議だったが今なら分かる。
虚飾を嫌うのだ。仕事でもこの女は大言壮語などした事は無い。何よりも実を重んじる。おかげで女としての技量、炊事、洗濯、掃除を全部完璧にこなすにも関わらず、自分の容姿には無頓着という酷くアンバランスな女になっている。
「二十五日に財界が主催の親睦パーティが有る。それに出席するのでな、お前のドレスを調達する」
「でも下着の店と」
「そこは女性専門の衣類を扱う店なのだ。下着もあればドレスもある、装身具もな。まあ有名なのは下着のようだが」
「貴方は軍服なのでしょう。私も軍服で十分です」
「そうはいかん。新領土の統治を上手く行かせるには財界の協力が必要だ。お前には美しく装って彼らの好意をかち取ってもらわなければ成らん。これは公務なのだ」
公務、その言葉にお天気女は悔しそうに唇を噛んだ。まだまだこれからだ。
「怒っているのですね先日の事を。悪かったと謝ったでは有りませんか。まさかあんな騒ぎになるとは思っていなかったのです」
「そうではない、これは公務なのだ。それに妻を美しく装いたい、美しい妻を他人に自慢したいと思うのは夫として当然の事だろう」
「契約結婚でもですか」
「契約結婚だからこそだ。俺達は仲の良い夫婦だと周囲に認めさせなければならん。そうだろう?」
幸いな事に運転席と後部座席は防音ガラスで仕切られている。俺達の会話が運転者に聞かれる事は無い。
エーリカは恨めしそうに俺を見た。
「そんな顔をするな。もう直ぐ店に着く。夫に服を買ってもらうのだ、嬉しそうにするのだぞ。俺達は着せ替え人形ごっこをするくらい仲の良い夫婦なのだからな。これも契約の一部だ」
店に入るとオーナー自ら挨拶に来た。五十代から六十代ぐらいの男だ。銀髪の瀟洒な装いをした男だった。
「これは総督閣下、奥様、よくいらっしゃいました。今日は一体どのような御用でございましょう」
「今度二十五日にパーティが有るのだが、それのドレスを買おうと思っている」
「ドレスでございますか」
「ああ、他にもアクセサリーなども頼みたい。何分エーリカはこちらに来る事が決まったのが急だったのでな、身の回りの物くらいしか持ってこれなかったのだ」
俺の言葉にオーナーは大きく頷いた。
「なるほど、それでパーティにも御出席なさらなかったのですな。皆不思議に思っていたのですよ。お美しいのに何故パーティに御出席なさらないのかと」
「俺も何故パーティに出ないのかと聞いたら、ドレスもアクセサリーも無いと言うのでな。それなら買えば良かろうといったのだが、今度は時間が無いと言い出す。それでこれは公務だといって連れてきたのだ」
「なんとまあ、奥様、お優しい御主人様でございますな。なかなか奥様のためにそこまでなさる方はいません。世のご婦人方が聞いたら羨ましがるでしょう」
「有難うございます。本当に幸せですわ」
お天気女は穏やかに微笑んでいる。頬のあたりがひくついたように見えたが、見間違いだろう。服を買ってもらって嬉しくない女などいるはずが無い。エーリカ、今日は眼一杯綺麗に装ってやろう。
ドレス、アクセサリー、それから靴も整える必要がある。俺達はオーナーの案内でドレス売り場のほうへ歩き出した。オーナーは案内だけのためにドレス売り場に来たのではなかった。自分でドレスを見立て始めた。俺達は余程の上客らしい。まあ無理も無いが。
「ドレスの色はいかがいたしましょう。奥様なら明るい色がお似合いかと思いますが」
「いや、出来れば深い紫色をお願いしたい。大人の女性の魅力を出したいのだ」
「なるほど紫ですか」
オーナーはじっとエーリカを見ていたが一つ頷くと口を開いた。
「奥様は目と髪が黒ですからドレスを深い紫にしますと全体的に沈んだ色合いに成りそうです。幸い色が白いですから胸元、背中を大きく開けることでドレスの色と調和を取りたいと思いますが如何でしょうか?」
「ふむ、胸元、背中を大きく開けるか。いいだろう、そうしてくれ」
「貴方、私は」
「エーリカ、心配するな、俺に任せろ」
「……」
エーリカが少し不安そうな表情をしている。オーナーは心配になったのだろう。
「よろしゅうございますか?」
「ああ、構わない」
「ウエストの部分は明るい紫のベルトにしてはどうでしょう。割と軽めのアクセントになるかと思います」
「そうしよう。後はアクセサリーか」
「その前に、スリットはいかがしますか。前か横か」
「スリットか……」
「大胆さを出すのであれば横ですが、動き易さを取るのであれば前でしょう」
「横で頼む」
後ろで溜息を吐く音が聞こえた。どうやらエーリカは諦めたらしい。
「後はネックレスとイヤリングですね。こちらはルビーなどは如何でしょう。全体にドレスが深い紫になります。そこに白い肌で調和をとり赤のルビーでアクセントをつけるというのは」
「いいだろう、そうしてくれ」
「それと、髪型ですがパーティ当日はアップにしてうなじを出す形にしたほうがよろしいかと思います。髪を下ろしては背中の白い肌が消え、後姿が暗くなります」
「そうだな。当日はパーマとそれからエステを頼めるか」
「分かりました」
大体の構想は決まった。後はドレスのデザインと靴、それからアクセサリーの選定だ。此処からが本当の勝負だ。今日は楽しくなりそうだ。後ろで憂鬱そうにしている妻の耳元で俺は囁いた。
「エーリカ、もう少し嬉しそうにしろ。綺麗になるのだからな」
エーリカが恨めしそうに俺を見た。
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