機動戦士ガンダム SEED C.E71 連合兵戦記(仮)
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間章 1話 全ての始まり
前書き
1話の次にいきなりですが、間章になります。
本編1話に至るまでのコズミックイラの世界情勢に関する話となります。
C.E 15年 後々の世界情勢に影響を与える告白をした男の名は、ジョージ・グレン
大西洋連邦の記録上は、西暦末期に北米のカリフォルニア州の某都市で生まれたとされている男である。
彼は、C.E 15年に、自身の出生上の秘密にかかわる衝撃の告白をする前から大西洋連邦だけでなく、地球のほとんどの地域に名を知られていた人物であった。 「天才」として・・・
彼の幼少期の経歴は不明であったが、若干17歳で大西洋連邦(旧アメリカ合衆国)のMIT博士課程を修了する。
さらにオリンピックの射撃で銀メダルを獲得(因みに金メダルは、スカンディナヴィア王国の軍人、ユーティライネン氏である)し、 更にその1年後には、アメリカンフットボールのスター選手として活躍した後、大西洋連邦空軍に入隊する。
そしてパイロット過程を修了すると同時に当時起こったアフリカ統一紛争時に祖国が軍事介入した際、エースパイロットして活躍した。
紛争終結後には、空軍で宇宙軍と共同開発されていた試験型宇宙戦闘機のテストパイロットとなった。そして後には、ロボット工学や物理学等、理工学面でも数々の業績を残したという、異能の人物であった。
彼は、自らが設計開発を主導した木星探査船「ツィオルコフスキー」で木星探査に赴く際に世界中の人が注目する中で、ある告白をした。
それは、画面の向こうの人々を驚愕させた。
・・・自分は、遺伝子操作によって作られた人間である…と。
告白と同時に彼は、自らを生み出した、人の遺伝子操作についての詳細を記したマニュアルを、世界中の主要なメディアやインターネット等の情報ネットワークに流すことで公開頒布した。
その後に自らを「僕はこの母なる星と、未知の闇が広がる広大な宇宙との架け橋。そして、人の今と未来の間に立つ者。調整者。コーディネイター」と称した。
そして、最後に彼は、「僕に続いてくれる者が居てくれることを、切に願う」と述べ、ツィオルコフスキーのクルーと共に木星へと旅立っていった。
彼と「ツィオルコフスキー」のクルーが木星探査に旅立った後、この告白によって世界は、 論争と混乱の渦に飲み込まれた。
その混乱は、再構築戦争末期のカシミール核攻撃に匹敵するのではないかと言われた。
中にはジョージ・グレンを天使とあがめる新興宗教(後のG・G友の会)まで生まれる程だった。
この遺伝子操作技術という西暦の時点でも人類にとって禁断の領域に触れるとされた来た技術が、野放しになることを再構築戦争後に誕生した各国家の指導者達は、憂慮した。
これに対する動きは、迅速であり、C.E 16年には、地球連合の前身、国際連合が、ロスリンで開いた「国連遺伝子資源開発会議」にて 「人類の遺伝子改変に関する議定書」が採択され、国際連合加盟国での遺伝子操作された人間 コーディネイターを合法的に生み出すことが不可能となった。
これは当時では、事実上の全世界でのコーディネイター違法化に等しかった。
まだ、ここで終わっていれば、後の歴史は変わっていたかもしれない・・・と後の人々は語った。
だが、C.E 23年、2月に木星探査船「ツィオルコフスキー」が帰還したことで 地球は更なる混乱と論争に包まれることとなった。
C.E 23年 2月23日、木星探査船「ツィオルコフスキー」と、衝撃的な告白を全世界に行ったジョージ・グレンを含むクルー達は、地球に帰還した。
地球と地球の人々に宇宙開発の更なる未来と可能性(当時は、再構築戦争時の軌道爆撃等の影響で宇宙開発は軍事面のみが注目されてしまっていた)を示したが、同時に地球に新たなる衝撃と混乱をもたらす物体を持ち帰っていた。
「エヴィデンス01」・・・後にそう名付けられたそれは、C.E 22年、木星探査中にジョージ・グレンが発見した地球外生命体の化石であり、机上の空論でしかなかった地球外生命の確固たる証拠であった。
その化石となった生物は、クジラに似た骨格に1対の羽状の器官が生えている・・・という形状でその形状から、一般に「羽クジラ」、「クジラ石」、「天使」と呼ばれた。
この「エヴィデンス01」は、全世界に混乱を齎すこととなり、再構築戦争による混乱で揺らいでいた宗教の影響力にも打撃を与えることとなる。
C.E 30年、1月3日 一般にアブラハムの宗教と呼ばれる3つの宗教共通の聖地が存在する中東の都市 イェルサレムで、世界各地の宗教の関係者が集結し、 ジョージ・グレンの告白とその後の「エヴィデンス01」発見による混乱を終結させるべく、 パレスティナ公会議を行った。(この際、当時のブルーコスモス幹部でもあったプロテスタント系牧師も参加していたとされているが、詳細は不明。)
・・・この宗教会議が失敗したことで、一時的に宗教の権威は失墜した。(よく誤解されているが、15年のジョージ・グレンの告白 23年の「エヴィデンス01」発見以前の再構築戦争直後のC.E 1~10年代の時点で、宗教の影響力は、再構築戦争期の原理主義のテロ活動等によって低下しており、この告白だけが、パレスティナ公会議後の世界的な宗教的権威の失墜を招いたわけではない。)
この宗教の影響力の失墜の影響で、「コーディネイター寛容論」と「遺伝子操作アレルギー論」という二つの思想が広まった。
大西洋連邦 ユーラシア連邦 東アジア共和国の3大国の新興富裕層を中心に我が子をコーディネイターにするものが現れ始めた。
これは、最初は秘密裡に行われていたが、数年もしない内に大っぴらに子供をコーディネイター化する動きが広まった。
無論、C.E 16年のロスリン議定書やその前後に各国で制定された人の遺伝子操作を禁止する法律に従えば、違法行為である。
しかし、コーディネイター化が当初は一部の病院や不妊治療専門のクリニック等で、秘密裡に行われていたこともあって、政府がその実態を把握する頃には、コーディネイターとして生み出された子供達は、ジョージ・グレンの出身地である大西洋連邦だけでも数万に及んでいた。
法律に従えば、この子供達は、幼稚園の5歳児から母親の胎内の受精卵に至るまで違法な存在である。
だが、流石に現実問題として、これらの子供達を物理的に排除することも出来ない為、その存在を政府は黙認することしか出来なかった。
更に人権団体等のロビー活動により、コーディネイター化を合法化するべきだという意見「コーディネイター寛容論」が広まり、事実上各国でのコーディネイター化は合法化された。
C.E 35年には、大西洋連邦の<G.A.R.M. R&D>、<ハイドラ・コーポレーション>等穀物や家畜の遺伝子改良を行っていた大企業がコーディネイター化事業に参入することとなった。
この混乱の時期に単なる環境保護団体に過ぎない存在だったブルーコスモスは、反コーディネイター団体へと変貌することとなる。
以前より、遺伝子操作作物による遺伝子汚染(再構築戦争期には、一部の国家が遺伝子操作によって強化された雑草を 敵の穀倉地帯に散布する作戦が行われたこともあった。)を懸念していたブルーコスモスにとって、人間の遺伝子操作を行うコーディネイター化は、グレンの意図がどうであれ、倫理にもとる行為であったからだ。
更にブルーコスモスはこの時期、「遺伝子操作アレルギー論」の影響で僅かながら勢力を盛り返しつつあった宗教と結びつきを深め始める。
そしてブルーコスモスの数々のロビー活動によって55年のトリノ議定書で大西洋連邦、ユーラシア連邦、東アジア共和国等の主要な国家で正式に遺伝子治療等を除く、コーディネイター化の禁止が採択された。
この時期、コーディネイターの人口は1300~2000万にまで達しており、更にはコーディネイター同士の子供、第2世代コーディネイターも誕生し始めていた。
遺伝子操作により誕生した彼らコーディネイターは、彼らの両親や彼らに遺伝子操作を施した医師や科学者の期待通りに遺伝子操作が施されていない従来の人類、ナチュラルを遥かに上回る身体能力と知的能力を発揮し、様々な分野で活躍した。
企業の中には、コーディネイターを優先的に雇用しはじめるものまで現れ始めた程であった。
だが、非合法に生み出されたということもあってか社会との軋轢の末、コーディネイターの中には 犯罪に走るものも現れた。
ナチュラルを遥かに上回るコーディネイターの能力に警察では、対処しきれない場合も多く、国によっては、正規軍や専門の特殊部隊が派遣されることさえあった。
コーディネイターの登場で職を失った人間やコーディネイター犯罪の被害者らを中心にコーディネイター脅威論が唱えられたが、当初は、コーディネイター脅威論等は、旧西暦の黄禍論やユダヤ人陰謀論と同レベルに見做されてはおらず、まじめに信じる者は一部の人間がいただけだった。
だが、C.E 54年 S2インフルエンザの大流行によって事態は変わり始める……
後書き
個人的にジョージ・グレンの告白は、あの世界を大変な方向に導いたと思ってます。
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