俺の四畳半が最近安らげない件
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来、来 ~小さいおじさんシリーズ16
初夏と呼んでいい季節が近づきつつある。
衣替えする程、服を持っていない俺だが、さすがにコートはクリーニングに出した。Tシャツ一枚ではまだ肌寒い日もあるが、3人の小さいおじさん達は既に真夏の装いでハーゲンダッツを掬っている。
「またこの季節がやって来たか…」
うんざりしたように、豪勢が呟いた。…この3人が部屋に現れるようになり、いつしか季節が一巡していたのか。最初こそ、頑なに自分たちの時代の服装にこだわっていた彼らだが、最近は綿のTシャツなどをねだるようになってきた。もちろん遠回しにだが。特に豪勢は服装に関しては先進的で、特別にあつらえたTシャツとバミューダをサラリと着こなしている。着こなしが完璧過ぎて、日曜日のお父さんにしか見えなくなりつつある。
「応。…今でも思い出すな、あのコンクリートジャングルの洒落にならない輻射熱。…死にかけたわ」
端正が、じっとりと俺を睨めつける。…野郎、去年一度だけうっかりクーラーのリモコンを高い壁に掛けて会社に行ったのを根に持ってやがる。
「…この国の民が夏になると馬鹿の一つ覚えのように窓辺にぶら下げる、風鈴とかいう硝子の鈴」
うるせぇな陰険白頭巾。馬鹿で悪かったな。
「これが風に吹かれて鳴り響くと…あの男を思い出します」
「あぁ…そうだな」
端正が懐かしそうに目を細める。
「あいつが来るような気がするな」
「……鈴の、甘寧か」
豪勢が忌々しげに呟く。
「奴には何度も煮え湯を呑まされたものよ。特に海戦に関してはとんでもない手練れだった…」
「海戦ダメッダメですからねぇ、魏は」
「うるせぇ黙れ」
そういや何があったかは知らないが、赤壁では12万にも及ぶ大船団で押しかけたのにほぼ何もしないで逃げ帰ったな、魏は。白頭巾は薄い袷の裾を女子高生のようにぱたつかせながら、羽扇をゆっくりと動かしていた。…鬱陶しいな、お前はTシャツを着ればいいのに。
「こういう関羽殿の青龍偃月刀やら、張遼殿の『遼、来来』やら」
「応、名を遺す豪傑は、こういった何というか…敵の畏怖を煽る特徴に事欠かないものだ」
しみじみと、端正が呟く。こいつはTシャツの上に薄い袷を軽く羽織っている。こっちの習慣にどっぷり漬かるには抵抗があるものの、便利なものはさりげなく取り入れる。比較的バランスのよい人格の持主だ。…こいつも面倒だけど。
「この国の言葉では『キャラ立ち』というらしいですよ。…我々のような軍師には、縁のないものですが…ふふ…」
「当たり前だ。余や貴様のような一国の主が戦の前線に偃月刀ぶん回して現れたら貴様…ちょっとした事故だぞ」
「そいつの首落としたら国終了だからな、ははは」
端正が快活に笑った。
「三国無双とかもう…丞相レベルの偉い連中が槍やら刀やらぶん回して敵陣に突っ込むし、挙句の果ては奥方連中まで戦場に乱入してくるし…俺はおかしくておかしくて…くっくっく」
こいつらに遠回しにねだられて、俺はたまに三国無双をプレイする。だがこいつらが毎回後ろで茶を吹いてのたうち回るので集中してプレイできないのだ。…ただ、呂布が出て来た時だけは一様に黙り込む。2000年過ぎても消えないレベルのトラウマを、あの人馬は彼らの心に刻んだのだろうな。
「呂布の恐さの再現率だけは半端ないけどな…」
豪勢がぶるりと身を震わせる。
「あれはもうキャラがどうとかいうより、台風とか雷と同じ扱いだったな…」
端正も応じる。そうか、天災と同列か。
「あいつと戦場で対峙したことがない貴様は幸せ者だ」
「ほーん、そうですかー。私が世に出た頃はもうその男、死人ですしー」
白頭巾は超絶無関心丸出しでティッシュを丸めて鼻に突っ込んでぐりぐり回し始めた。
「くっそムカつくなこの若造め。余らがあの猛獣をどれだけ苦労して仕留めたと思っているのだ!」
―――あぁ、この感じ。何処かで見たことがある構図。
そうだ、ゆとり世代と氷河期世代の、決して噛み合うことのない会話だ。
「よせ、不毛だ。口で説明してもあの恐ろしさは伝わらんよ。…呂布で云えば赤兎馬の蹄音、あれが響き渡ると、心底肝が冷えたものよ」
恐ろしげに、しかし何処か懐かし気に、端正は述懐する。
「同意なり。豪傑の登場は一味違うのぅ…貴様が戦場に現れた時はもう、シンとしたものだったがな」
豪勢がさりげなく茶々をいれる。
「くっくっく…待ち合わせより随分前に戦場に現れているのに、小さ過ぎて姿すら見えない何処ぞの丞相も、いらっしゃいますしねぇ…くっくっく…」
「それな!」
「ぐぬぬ」
―――何故このおっさん達は、他愛もない会話すら喧嘩の火種にしてしまうのか。
「よ、余とて嘗ては中元イチのならず者と呼ばれた男ぞ!なにかこう…あったはずだぞ!余の背後から覇気がボゥッとか!!」
端正と白頭巾が一瞬顔を見合わせた。
「…覇気とか云い始めたぞ?いい歳のおっさんが。何処ぞの海賊漫画みたいなことを」
「はあ…強いて云うならあのステルス性能は逆に恐怖でしたねぇ」
「殺すぞ」
「声はすれども姿は見えず…いや、声もそこまで大きくなかったな」
「貴様のとこの武将がうるさ過ぎなんだよ!あれじゃ余が何云っても聞こえないだろ!?」
「……良かったじゃないですか、今や皆さん、DJマキシマムの元でファンキーなライムを叫び放題でしょうから」
「殺すぞ」
そろそろ溶け始めたハーゲンダッツを片付ける。豪勢はじっとハーゲンダッツを目で追うが、俺は小さく首を振った。最近こいつ、ダッツの5パイントカップを貪るアメリカのデブみたいになってきているし。
代わりにぬるめの茶を置くと、おっさん達がわらわら群がってきた。…ほらやっぱりアイスの食い過ぎで体冷えてやがる。
温かい茶をすすり、ほうと小さく息をついた端正が呟いた。
「―――ま、我々は所詮軍師。鈴だの武器だので悪目立ちする必要はないのだ」
……お前いま綺羅星の如き武将達の戦働きを『悪目立ち』っつったか。
「そうですかね。私には常に、貴方が現れる『予兆』を感じられましたが」
そう云って白頭巾が、羽扇を口元にあてた。
「なに!?」
まんざらでもないような顔をして、端正が身を乗り出した。
「そ、そうか…分かる者には分かるのだな、俺の放つ高貴な覇気が」
お前も何云ってんだ。何処ぞの海賊漫画か。
「貴方が近づくと我が軍の楽師連中が『奴が来るぞー!!』『半音外すと聞き咎めて突っ込まれるぞー!!』と楽器を抱えて逃げ惑ったものですよ…くっくっく」
「おい待て」
「わはははは工兵連中は『無茶な納期で膨大な数の矢を作らされるー!!』てな」
豪勢が茶を吹いて笑った。
「楽師と工兵がそわそわし始めると『あ、来たな』と」
「ぐぬぬ」
端正、まさかのブラック上司疑惑。
言葉に詰まった端正をちらりと流し見て、白頭巾がドヤ顔をちらつかせ始めた。
「予兆を語るなど愚かしい。…優れた軍師とは戦場の『空気』を支配する者。貴方がたも感じた筈ですよ、私が戦場に現れた瞬間に一変する空気の流れを」
―――前々から思っていたが、何でこいつこんなに自信満々なんだろう。歴史的な敗軍の将のくせに。
豪勢と端正は死んだ魚のような目で白頭巾を一瞥した。
「…兵の動きに陰険さが加わる」
「…勝敗、というより嫌がらせメインの動きをしだすよな」
「…東南から生臭い風が吹く」
「…疫病が流行る」
「…苛々してくる」
「…ドヤ顔に腹立つ」
「…人としてどうなのかと思う」
「…酒が不味くなる」
「…水すら、不味くなる」
「はははは後半只の悪口ですな」
ほら見ろ、要らんこと云うから。想像以上の嫌われっぷりだったが。
「他にもあるな、こ奴が進軍した跡地には蕪がわっさわっさ生えている」
「だはははは戦場あるあるだな!」
「行軍の跡にはぺんぺん草一本残らない盗賊軍団の親玉が…何をおっしゃるやら」
…どっちも『後に残すもの』であって『予兆』じゃないけどな…
―――しゃりん。
三人の動きが止まった。
しゃりん、しゃりん、しゃりん…と四畳半を満たす鈴の音。鋭敏な端正の耳は、いち早く音の正体を突き止めたらしく、茶器を蹴倒すようにして立ち上がった。
「………甘寧!!」
「そういやエンカウントしたことなかったな、こっち来てから」
「というより、問題はですね」
―――YO,YO
「エンカウントして大丈夫な状態なのか…と」
白頭巾の言葉が終わるか終わらぬかの間に、端正の顔色が紙のように白くなった。
「まずい、またあの時のように聞かされるぞ、ヒップでホップなライムのビートを」
豪勢は少しワクワクしている。端正は刀の柄に震える手をかけ、気がふれたように血走った目を上げた。
「こっ…これ以上、呉の恥を卿らに晒すくらいなら…卿らもろとも…」
「お、おい待て、たかが歌くらいで何をそこまで追い詰められているんだ貴様は!」
「卿に何が分かる!!徹底的に音楽性が合わんのだ、あの音楽が呉で大ブームだと思うだけで気っ…気が狂いそうだ!!」
え…?そんな理由で!?
おっさん3人の無理心中とか見たくないのでしぶしぶ腰を上げた瞬間、彼らが乗っていた畳が一枚、ぶわりと持ち上がった。
「む!?」
「月英…今です!!」
白頭巾の声に呼応するようなタイミングで、畳の下から一陣の竜巻が巻き上がり、鈴の音が千々に乱れた。そして…再び畳が元に戻った時には鈴の音は消え去り、つむじ風だけが跡形を残すのみであった。
「終わった…のか?」
端正の口元から、魂が抜けていくようなため息が漏れた。その掌がだらりと垂れ下がったのを見極め、豪勢はいぐさのマットに腰をおろした。
「ったく…あの戦乱の時代を生き抜いたというのに、こんな下らん理由で斬られてたまるか」
端正も、荒い息で肩を上下させつつも刀を鞘に納め、倒れ込むように座った。
「………おい、奥方への褒美に『孔明のおヨメさん』2巻を買って差し上げろ」
言葉が終わるや否や、3人の体が飛び上がるレベルの床ドンを下から食らい、彼らは再びすくみあがった。
「馬鹿めが、不用意な事を抜かすな。まだテンパっているのか?」
豪勢が端正を小声で嗜める。…何だろう、甘寧は結局もう出てこないのだろうか。
「うむ…俺は暫く、畳が持ち上がる度に『予兆』に震えそうだ」
「な。豪傑とはその登場も、気迫に満ちかつキャッチーなものだのぅ。我々、軍師がオーラの空気のと騒いでも、豪傑の放つ溢れんばかりの暴力のオーラに晒されたら…足元にも及ばん」
「相変わらず、彼女には何を云ってもいいと思ってますね、貴方がたは」
彼らは何事もなかったように茶をすすり始めたが、俺は甘寧がどうなったのか気になって仕方がない。
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