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蒼き夢の果てに

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第7章 聖戦
  第159話 追儺

 
前書き
 第159話を更新します。

 次回更新は、
 1月25日。『蒼き夢の果てに』第160話。
 タイトルは、『崇拝される者』です。

 

 
「さて、ヴェルフォール卿。ここは潔く降伏して貰えると助かるのですが――」

 決して勝ち誇る訳でもなく、何時も通りの淡々とした表情及び声音でそう告げる俺。
 そろそろ黄昏色に染まり始めた屋外。精緻な彫刻の施された窓より差し込む陽光に少しの翳りが混じる時間帯。おそらく外界の気温は真冬に相応しい気温……五度以下にまで下がりつつある事でしょう。
 もっとも、現在のここヴェルサルティル宮殿鏡の間は二十一世紀の科学の力に因り、()して厚着をする必要もない室温に保たれているのですが。

 ただ……。

 但し、ガリア王太子ルイのペルソナを演じ続ける俺の泰然自若とした雰囲気に比べると、緊張感を高めつつあるギャラリーたち。やや陰気に分類される気を放つ彼らは、自らの置かれた立場に対して言い様のない不安を抱いている事は間違いない。

 そもそも、現在の彼らは徒手空拳。王の御前で開かれるイベントに参加する紳士淑女の方々が、自らの身を守るべき武器や防具の類を身に付けている訳はない。
 (しか)るに、回廊の入り口方向は黒いマントと魔法使いの帽子を目深に冠る黒い影……ジャック・ピエール・シモン・ヴェルフォールが立ち塞がり、
 さりとて回廊の奥にはガリアの王家の人間と賢者枠の三人が居るので、そちらの方向に慌てふためいて逃げる事も出来ない。いや、流石に貴族や魔法使いとしての矜持がソレを許さない。
 正に進退窮まった状態のガリア貴族たちからは、妙に落ち着いた雰囲気を発して居る俺の事がさぞかし頼もしく見えていると思うのですが……。
 いや、もしかすると最後通牒など与える事なく、反逆者などさっさと処分して仕舞え、などと物騒な事を考えているのかも知れないか。

 かなり余裕を持った思考でそう考えを纏める俺。まぁ、何にせよ、窮地に立たされた挙句に半ばパニック状態に陥り、系統魔法を発動しようとして魔法の杖を振り回されないだけでもマシでしょう。あんな条理を捻じ曲げ、気の循環を妨げる陰気を世界に溜め込むような魔法を、この様な狭い場所でバンバン使用されたら、陽気の神獣である俺の体調に悪い影響が出て仕舞う。
 それでなくても、俺は周囲の雑多な気に影響され易いのだから。
 自らの修行不足を他人の所為だと言って責任を転嫁しているような気がしないでもないのだが……。確かに雑音(精霊たちの断末魔の悲鳴)を物ともせずに意識を集中出来れば良いだけ……なのだが、流石に其処まで外界からの影響を排除出来る訳でもないので。と、少し自己弁護じみた形で考えを終える俺。

 誰もが息をする事すら忘れた彼のような空間。少なくとも俺の方から使い魔召喚及び契約の儀式に乱入して来た人物に対して攻撃を加える心算はないので、次の一手はこのジャック・ヴェルフォール卿に委ねられているのは間違いない。
 ……俺としてはこのままあっさりと武装解除をしてくれると色々と有り難いのですが。

 しかし!

「荒ぶる炎よ、その神威以て、我が敵を滅殺せよ!」

 魔術師の証たる闇色のマントを翻した瞬間、その手に抜かれる銀の光。同時に、それまで此方には聞こえないレベルで唱えられて来た、このハルケギニア世界独特の系統魔法の呪文を完成させるジャック・ヴェルフォール。
 その瞬間、黒い魔法使いの顔に残忍な、更に勝ち誇った笑みが浮かぶ。おそらく、奴の感覚から言うと、完全に不意打ちが成功した。そう言う気分なのだと思う。
 一瞬、恐慌状態に陥り掛けるギャラリー。その場にしゃがみ込む者、逃げようとして、逃げる場所などない事に気付く者。
 そして、為す術もなくただ呆然と立ちすくむ者。

 しかし――

「チッ、矢張り悪魔の技を身に付けているのか」

 しかし……。いや、当然、精霊と契約を交わす事の出来ない系統魔法使いが、この場所で魔法を発動出来る訳などなく。
 そより、ともしない空気。微かな熱すら発生させない剣。
 そして空しく過ぎて行く時間。

 大体、敵対する他人の洞や工房に土足で踏み込んで来て自らの魔法を問題なく発動させる事が出来る、などと考えて居る御目出度い魔法使いが居る事の方が、俺としては不思議なのだが。
 俺ならば自らが持つ霊気のみで発動する術を細かく行使し続けるか、もしくは事前にその場に施された結界系の術を調べ上げた上で、其処に微かな綻びを作り出して置く。
 これはルールのある決闘や術比べのような物ではない。準備はし過ぎるぐらいにして置くのが普通だと思うのだが。

 もう泣き出したくなるほどの徒労感。出来る事ならば、このままコイツの事は捨て置いて控えの間に帰って一休みしたい気分なのだが。大体、本来の俺は多くの人に見つめられるだけで大きく疲れを感じるような繊細な神経しか持ち合わせていない一般人。その俺が、このような衆人環視の中で本来の自分とは違う種類の人間の演技を続けながら戦うと言う事がどれだけ精神を消耗させるか考えて欲しいぐらい。
 いや、俺自身が場の雰囲気に影響され易い神獣としての側面が大き過ぎる可能性……周りの人間が発する期待やその他の感情をプレッシャーとしてより強く感じて仕舞う可能性の方が大きいのかも知れないが。

 但し、流石にそんな職場放棄にも等しい事が現実に為せる訳もなく、更に言うと現状、自身が置かれた立場から非常に哀しげな瞳でジャック・ヴェルフォールを見つめる事しか出来ない俺。何故ならば、現在の俺の立ち位置は為政者側で、その支配している領内から裏切り者が現われたのだから、コイツを自らの手で誅する事が出来そうだと言って楽しそうな顔をする訳にはいかないから。
 裏切り者が現われたと言う事は、自分たちの考えや国の進み行く先を皆にちゃんと説明し、納得させる事が出来なかった、と言う事だから。

 そう、この場所には系統魔法使いの(ジャック・ヴェルフォール)よりも多くの精霊を従える事の出来る俺やタバサたちがいる。そもそも、このヴェルサルティル宮殿内で魔法を発動出来るのは、ガリア王家の人間と、王により認められたごく一部の人間のみ。その場所で、精霊に嫌われる系統魔法使い、更に王に認められていない……と言うか、そのガリア王を害しようとするジャック・ヴェルフォールに魔法を発動させられる訳がない。
 少なくとも、俺の見鬼が捉えている奴の姿の中に、奴自身が従えている小さき精霊たちの姿が存在していない事は間違いない。

 但し――

「悪魔の技などではなく、より洗練された新しい魔法ですよ、ヴェルフォール卿」

 近い将来にはリュティスの魔法学院でも教えるようになるでしょう。
 何時の間にか対峙する俺と黒い魔法使いの間に割って入っていたタバサを庇うように、一歩前に強く踏み出しながらそう言う俺。
 相変わらず、ガリア王国王太子ルイのペルソナのままで。
 一瞬、不満そうな気配を発するタバサ。但し、俺を見上げた表情に関しては何時も通りの無。まして、その感情も言うほど強い物などではなく、非常に淡い気配。おそらく、俺以外の人間では絶対に感じ取れないほどの淡い感情だと思う。
 もっとも、この精霊と契約を交わすタイプの魔法。……俺の世界では至極当たり前の魔法を、このハルケギニア世界の魔法学院で教えるようになる頃には、精霊と契約を交わす事の出来ない見鬼の才のない者には、呪符などを使用しない限り魔法を行使する事が出来なくなっているとは思いますが。

 王権の剣(クラウ・ソラス)を右手に。……しかし、その剣を構える事もなく、ただ無防備に立つだけの俺。
 心の中はやや皮肉に染まった感情で、積極的に動き出す素振りさえ見せずに。
 そう当然、この程度の系統魔法が頼りのハルケギニア世界標準タイプの騎士など一瞬の内に制圧して仕舞える。……制圧して仕舞えるのだが、それではこのイベントを画策したイザベラのお気に召す結末にはならない。
 ……と思うから。
 彼女の予定では、完全に。グウの音も出ないような圧倒的な勝利の瞬間を、この場に集まった貴族たちの目に焼き付けたい。そう考えていると思うから。
 少なくとも俺がイザベラの立場なら、そう考え、計画実行すると思うから。

 先ず、相手に先手を取らせるのは必須。出来る事なら二、三発無駄に殴らせてから捕まえる。当然、その際に相手を殺す訳には行かない。圧倒的に有利な場所での戦いであるが故に、確実に生きている状態で奴を捕らえる必要がある。
 それも出来るだけ優雅に。まして、ギャラリーに被害など出さずに。
 ……おっと、コイツがハルケギニア標準仕様の騎士様だと決まった訳ではないか。

 ならば――

【ダンダリオン――】

 どうせイザベラの控えの間にでも居るのだろう。そう簡単に考え、彼女に対して【念話で話し】掛ける俺。一応、こんな敵地のど真ん中にやって来るぐらいだから、この眼前の黒い魔法使いジャック・ヴェルフォールはハルケギニア的に言うとそれなりに実力のある魔法使いだと思う。それに、奥の手のひとつやふたつは準備しているのでしょう。
 但し、相手の能力がまったく分かっていないのに、こんな重要な場所にまでイザベラやダンダリオンが敵を侵入させるとも思えない。王の御前で開かれる召喚儀式の最中。それも、今のガリアの施策に少し否定的な貴族が集められた可能性の高いこの場で、この眼前の騎士様の処理に梃摺る(てこずる)ようでは、余計な反対派と言う連中を作り出して仕舞う可能性もある。
 そう考えると、この黒い魔法使いジャック・ヴェルフォールの能力に対する調べは付いている可能性の方が高い。ならば、その情報を教えて貰えれば、例え飛車角に香と桂を落とした状態でも問題なく勝てるはず。

 そう考えて彼女に対して呼び掛けた……のですが……。
 しかし……静寂。まるで空を掴むかのように何の反応もなし。
 うん? 俺が居ない間に何かあったと言う事なのか?

 少し不安に……と言うか、自らの式神の身を案じる俺。確かに、ダンダリオンと俺との間で交わされた契約が一方的に解除された可能性が無きにしも非ずだが、しかし同時に、その可能性は著しく低いとも思うのだが。
 何故ならば、約束通り、彼女が生体を維持出来るレベルの龍気の補充は為されていたから。ガリア王家、イザベラもケチではないので、彼女やガリア王家からの依頼に対する報酬に関しても不満はなかったと思う。更に言うと、彼女らのような存在。俗に悪魔と呼ばれる存在に取って人間……特に能力の高い術者と契約を交わす事は一種のステイタスとなる。
 彼女らは某十字で表現される宗教家が主張するように俺が死んだ後の魂を求めている訳ではない。むしろ、彼女らと契約を交わした相手が生きている間に――。契約を交わしている間に、その契約者がどれぐらいの事を為したかが重要と成って来る。
 契約者が生存している世界に対してどの程度の事を為せたか。大きな影響を与えられれば与えられるほど、彼女らの世界ではステイタスとなる。
 そう言う意味で言うのなら、のべつ幕なしに厄介な事件に巻き込まれている俺との契約を一方的に解除する事に益はない……と思うのだが。

 気を抜いていた、と言うほど注意力が散漫と成っていた訳ではない。しかし、少し意識が目の前の敵から逸れたその瞬間――

 まるで地の底から響いて来るかのような陰気に染まった嗤い。それは最初、極小さな声でしかなかった物が徐々に大きなヴォリュームと成り……。

「お前たちが悪魔の技を使う人ならざるモノ達だと言う事は最初から分かっていた事」

 正直に言うと、もう黙れ。耳が穢れるわ……と言いたくなるような不愉快な声で何かを言い始めるジャック・ヴェルフォール。ある意味、声を出すだけでこれほど俺を不愉快にさせる人間と言うのも凄いとは思うのだが。
 但し、だからと言って今、実力でその耳障りな声を止めさせる訳にも行かない。

 そんな二律背反に陥る俺。正直、さっさと奴の方から魔法を発動するなり、斬り掛かるなりしてくれた方が俺の精神衛生上良い結果を産む事は間違いないのだが。

「神に選ばれた本当の英雄の力を見せてやる。そして、地獄に行ってから後悔しろ!」

 我、理を越え――
 このハルケギニア世界の系統魔法では聞いた事のない呪文を唱え始めるジャック・ヴェルフォール。
 実は詳しい内容を知っている訳ではないのだが、確か炎系の系統魔法の呪文ならウル・カーノの入りで唱え始める事が多いはず。……と言うか、その単語の詳しい意味もよく分からない、基本とする言語が地球世界で何処の言葉なのかさっぱり分からない呪文の言葉。少なくとも地球世界のフランス語に近いガリア共通語とは違う言語で発動する『系統魔法』ではない……平易とは言い難いながらも、俺が聞いても意味の分かるガリア共通語で紡がれる呪文。

 ただ、よく分からないが、現状は少し慌てなければならない状況なのは間違いない。

「森羅万象を我が手に。現われ出でよ、炎の魔神よ!」

 表面上の泰然自若の雰囲気を崩す事なく、しかし、少し焦り気味に自らに物理反射及び魔法反射の神明帰鏡の術を施す。そして同時に周囲に張り巡らされている術式の種類の特定も仙術で行う俺。
 そう、間違いなく周囲に防御系の結界は施されている。
 そもそも、俺が召喚されたのは榊木と注連縄に囲まれた聖地。この世界から四角く切り取られた内側に発生した風も雷も一切、外側に被害を与える事はなかった。これは間違いなく俺の周囲に何らかの結界が施されている、と言う事。

 しかし、一体全体、このハルケギニア世界には何人の神に選ばれた勇者様が居るのだ、などと少し呆れ気味ながらも、新たな事態に対処しようとする俺。
 その瞬間――

 目の前の黒い魔法使いから発生していた気配が変わった。いや、当然の事ながら、現実に其処に存在している奴の姿形が変わった訳ではない。目深に被った帽子により表情が見え難い形は変わらず。更に、引き抜かれたハズの軍杖も何時の間にか魔術師のマントの内側へと消えている。
 姿形に関して言うのなら、奴は最初に現われた時のまま。

 しかし――
 しかし、矢張り何かが変わっていた。それは――

 僅かに浮かび上がるヴェルフォールの身体。その身から湧き上がる陽炎の如きモノ。
 この時、春の陽気に設定されている室温が僅かに上昇した。

 ……成るほど。

「オイ、カブ頭」

 その僅かに宙に浮いた身体に重なるように存在する、まるで陽炎の如きモノ……はっきりと見えている訳ではない。一般人の目から見て見えているのか、それとも見えていないのか分からない霊的な物質で形成された黒い身体を見つめながら、そう話し掛ける俺。
 気分的に言うと嘆息混じりに。また、神に選ばれた自称英雄さまを相手に弱い者イジメに等しい戦いを演じなければならないのか、……と言うある種の徒労感にも似た思いに囚われながら。

 もっとも……。
 何が炎の魔神だ。何が地獄に行って後悔しろ、だ。
 そもそもオマエ自身、地獄に行く事さえ出来ない低級の悪霊じゃねえか。
 ……などと考えて居たのも事実なので、その感情を隠す事に失敗しただけなのだが。

「誰がカブ頭だ、このクソがき」

 それまでと違う、妙にぞんざいな俺の言葉使いに対して、周囲のギャラリーから驚きの声が上がる。
 但し、その中に何故か妙に落ち着いた感情が混ざって居るのも同時に感じた。おそらく、あのジョゼフ王の息子なのだから、イザベラ姫の弟なのだから、ただ大人しく礼儀正しいだけの人物ではない、……と言う事がこの瞬間に確認出来たと言う事。成るほど、矢張りカエルの子はカエルなんだな、と多くのギャラリーたちが納得したのかも知れない。

「オマエの中に居るジャック・ヴェルフォールに伝えてやってくれ。本当にオマエと相性の良い属性は炎ではなく土だ、とな」

 まぁ、何にしても思わず発して仕舞った言葉が、妙な具合に相手を挑発する言葉となったのなら、それを活かすべきか。そう考え、言葉を続ける俺。
 そう、確かに単純な攻撃力だけを考えるのなら、ハルケギニアの系統魔法の中で言うのなら炎系の術が攻撃力は高い。当然、高いのだが、但し、コイツの名前、ピエールと言うのは古いガリアの言葉では『岩』と言う意味。
 本名の中に土に関する言葉がある以上、コイツと相性が良い術の系統は土だと考える方が妥当だと思う。
 少なくとも、地球世界の魔法に関わる者の例から言うと、その可能性の方が高い。

 多分なのだが、コイツ。ジャック・ヴォルフォールの本当の魔法の才はシャーマン系。ただ、ハルケギニアでは神や魔物を自らに憑依させるタイプの術者及び術に関しては聞いた事がないので……。
 おそらく、普通の場合ならその魔法の才能を開花させる事もなく埋もれて――

 ――仕舞う存在。一瞬そう考え掛けて、しかし、直ぐに自分の考えの甘さにホトホト嫌になる俺。
 何故ならばこの世界はクトゥルフの邪神。這い寄る混沌が暗躍している可能性が異常に高い世界だから。奴は望めばどんな能力でも与えてくれる。この大前提は必ず頭の隅に置いて置くべき情報だったから。
 そして、その何の裏付けもない……身に余る能力に振り回され、自滅して行く様を神の視点から眺める。奴に相応しい嘲笑を浮かべながら。
 彼奴が居る限り、この目の前で宙に浮かんでいる悪魔憑きが元々シャーマンの才能に溢れていたのか、それとも、他者の持っていない特殊な能力(才能)を望んだ人間にただ与えただけなのかは分からない。……と考え直したから。

 もっとも、こんな場所に乗り込んで来た挙句に、シモンの名前を持つ魔術師が宙に浮かんでいるのだから、コイツはおそらく後者の方……。
 伝承通り敗れるのならそれも一興。また、地球世界で最も読まれた本に記された伝承を打ち破り、宙に浮かぶ魔術師シモンが俺に勝利するのならそれもまた愉し。……と言う感じだと思う。
 いや、更に言うのなら、そもそもシャーマン系の術者は自らの能力を超える神霊や悪魔をその身に降ろす事は出来ない。もし、無理に自らの能力を超えた存在を身に降ろしたとしたらのなら……。

「小僧。貴様、死ぬぞ」

 ……コイツは単に能力を与えられただけ、そう考えた俺に対して、何を当たり前の事を言い出すのか、この悪霊は。……と呆れるほど当たり前の事を言い出すカブ頭(元ジャック・ヴォルフォール)

 確かにそれは世の理のひとつだな、そう前置きをした上で、

「大体、人間ならば何時かは死ぬ事となる。この運命からは絶対に逃れられない」

 万物は流転する。産まれ出でたモノは、何時かは滅びる定めを持つ。確かに永い、短い……の差は当然あるのだが、それでもこの運命から逃れられるモノなどいない。
 それが例え神に選ばれた英雄や救世主であったとしてもだ。

 彼我の距離は三十メートル以上、五十メートル未満。その距離を詰めるように。しかし、敢えて一歩、一歩、ゆっくりと歩みを進めながら、自らの言葉を締め括る。
 そう、多くのギャラリーの視線を一身に浴びながら、一歩、一歩着実に。

「あぁ、そうだな小僧。貴様ら異教徒に取って死とはすべての終わりを意味する言葉だ」

 オマエらに約束された未来は地獄の業火しかない。
 何処からそう言う論法が出て来るのか不思議な……。俺に死が終わりなどと言う思想は存在しないのだが、そう割と落ち着いた声音で答えを返して来るカブ頭。
 いや、この辺りの台詞はどう考えてもある種の宗教に由来する狂信者の言葉。つまりこれは、ジャック・ヴェルフォール自身が完全にカブ頭の悪霊に身体を乗っ取られている訳ではない、と言う事なのか。

「だが、貴様らの命日は今日だがな!」

 相変わらず三下風の口調を変える事もなく、そう叫ぶカブ頭。その瞬間――
 半透明の黒い大きな影。宙に浮かぶヴェルフォールの身体を包み込む黒い影の周りを更に囲むように浮かぶ紅い炎たち。
 ひとつ、ふたつ、みっつ、よっつ――

「さぁ、どうする英雄王さんよ。これだけ多くの炎塊を躱す事が出来るかな」

 カブ頭の手が翻り、黒きマントの裾が不穏に揺らめく。そして、その度に次々と顕われ浮かび上がる炎の塊。
 その数は既に二十を越え、世界に巨大な熱量を放射し始める。

「もっとも、ウカツに躱しちまったら、その時は流れ弾が何処に行くか分からないがなっ!」

 真面な……。耳障りが悪いとは言え、真面に意味が理解出来るガリア共通語に続く奇怪な叫び。それは単調な繋がりを持ちながら、しかし、世界に――。人類の歴史が始まって以来、ずっと積み重ねられて来た常識や当たり前に(きし)みを上げさせた。
 これは――これは獣の叫びか? 耳を覆いたくなるような不快な音階に対してそう考え掛け、直ぐさま否定。獣はこのような声は出さない。
 そもそも、真っ当な生命体では出せない叫び。
 そう、其処に居たのは既にガリアの騎士ジャック・ヴェルフォールなどではなかった。人間の条理も、節理も、道徳すらも一切通用しない存在。ありとあらゆるモノの外側に存在し得るモノ。
 これは――この狂気に彩られた絶叫はおそらく、歓喜の叫び。
 それまで自らの意志により押さえ付けていた能力(ちから)を解放する喜び。人外の存在が振るう異界の能力を思う存分振るえる際に発生する万能感の発露。その低い単調な繋がりが大理石の床を揺らし、金銀の装飾品を、そして何より集められた人々の心を穢しながら――

 刹那、ヤツの身体を覆い尽くしていた黒き陽炎が揺れる。確かにこれまでも不穏な……見る者を不穏な気持ちにさせる影の如き巨大な陽炎がゆらり、ゆらりと揺れているようには見えていた。しかし、この瞬間、それは明確な意志の元に周囲に浮かぶ紅き弾に干渉を開始。

 そして次の瞬間!
 爆発的勢いで走り始める炎塊。それぞれの動きを一般人の瞳で完全に追い掛ける事は不可能。それぞれが、それぞれに相応しい速度で。有るモノは音速を超えたと思しき衝撃を床に、壁に、天井に刻み付けながら、在るモノは床面ギリギリの高さを、緩急を付けながら蛇行を繰り返し――
 しかし、そのすべてが確実に俺を目指して迫り来る!

 しかし、そう、しかし!
 思考の分割。呪詛返しの強化。
 俺の龍気の高まりに反応した王権の剣(クラウ・ソラス)が強く輝く。

 刹那、右腕が軽く弧を描く。

「東海の神、名は阿明(アメイ)!」
 バン! 裂帛の気合いの元、輝ける勝利の剣を一閃。

 その瞬間、軽く音速を凌駕して接近して来たバレーボール大の炎の塊が三つ、一瞬よりも早く簡単に弾けて仕舞う。
 その後には空間に引かれた蒼銀の一閃が残るのみ。確かに其処に存在したハズの炎の塊の残滓を感じさせる物はなかった。

 しかし、地獄に行けない悪霊とは言え、地球世界でこのカブ頭が得た存在の力は世界的なレベル。
 次々に産み出され、撃ち出される炎の塊はその程度でどうこう出来る物ではない!

 あらゆる物を……いや、物、者、モノすべてを燃やし尽くす地獄の業火、それまでゆっくりと接近して来て居た一群の炎塊が俺との距離を三メートルまで詰めた瞬間、急にそのテンポを変える。
 有るモノはまるで獲物を狙う蛇の如く、一瞬の溜めを行った後、丁度、俺の目線の高さまで跳ね上がり、
 また有るモノはそれまでの、まるで蛇行するかのような動きを更に強化。一瞬、視界から消えたかのような大きな半円形を描き、正面を向く俺の死角から襲いかかる。
 また有るモノは跳ね上がる高さを腰の位置に留めながらも、三方向から僅かに時間差を付けながらも一点を貫くかの動きを開始する。

 但し、この程度の攻撃でどうこう出来るほど、俺の今までの人生も平坦ではない!

西海(さいかい)の神、名は祝良(しゅくりょう)!」
 ウン! そして続く一閃。

 振るわれるは王権の剣。一度その鞘から抜かれれば、決して持ち主を地に伏せさせる事はない、と歌い上げられた必勝の剣。剣先より零れ落ちるは蒼銀の煌めき。
 その一閃、一閃ごとに斬り払われるは邪気。魔炎が消される度に、大気は清浄な物に変わって行く。

「ば、馬鹿な、剣圧だけで俺の炎塊を無効化して仕舞うだと?」

 掌底を強く突きだす事により、黒き陽炎から無限に発生し続ける内の五から十の炎の塊に新たなベクトルを与えながら、驚愕の言葉を呟くヴェルフォール。瞳は一歩一歩ゆっくりと、しかし一切の遅滞もなく近付いて来る俺を映したまま。

「南海の神、名は巨乘(きょじょう)!」
 タラク!

 その姿は伝説の騎士物語に登場する英雄の如し。黒いベールを纏う悪の魔法使いを誅する勇者の佇まい。
 生成され続ける龍気が俺の周囲に存在する精霊を活性化させ、強固な霊的防衛圏、精霊の護りを形成する。
 おそらく、今の俺が維持している防御用の術をこの瞬間にすべて解除したとしても、今のヴェルフォール(=カブ頭)の放つ炎の塊では傷ひとつ付ける事は叶わないであろう。そう感じさせるだけの龍気を纏う。

 しかし――
 しかし、成るほどね。矢張り無能は無能、と言う事か。
 流石にバトルマニアではないので、がっかりした、と言うほどでもないのだが、それでも少しの落胆を覚えながらそう考える俺。
 何故ならば、今現在、俺が剣圧で炎塊を斬り捨てているように見えているのなら、コイツは霊気の流れを感じる事の出来ない二流以下の雑魚。
 少なくとも、モノになるレベルの見鬼の才には恵まれていない。
 四方八方から飛来する炎の塊を斬り捨てながら、そう心の中でのみ吐き捨てる。
 そもそも剣圧と言う事は、属性は風。五行思想で言うのなら火克金。そんな不利な状況で戦う仙人などいない。これは剣圧などではなく、もっと高度な術式。
 確かにあからさまに巨大な龍気を使用している訳ではないが、それでも多少は漏れ出ている部分はある。それを感じ取る事が出来ない以上、コイツは元々シャーマン系の才能に溢れていた訳でもなさそうだと考える方が無難でしょう。

「北海の神、名は禺強(ぐうきょう)!」
 キリク!

 空間に走る銀の一閃。その度に弾けて消える炎の塊。刹那の間、空間に引かれた輝く銀の線と、その線に纏わり付く微かな炎が断末魔の蛇の如くもがいた後に――
 ――消えて行く。
 無数の光の粒子となって……。

 何もない空間に、水面に浮かぶ波紋にも似た何かを微かに残し……。

「貴様、本当に人間なのか?」

 無限に続く徒労。幾ら炎の塊を産み出し、それをそれまでよりも複雑な形。同じパターンと成らないようにアクセントを付けつつ、タイミングを外した形で放ったとしても、一切の回避行動を行う事もなく、ハルケギニアの人間に取って意味不明の呪文を唱えながら、ただ真っ直ぐに一歩ずつ近付いて来る俺の歩みを遅らせる事すら出来ない。
 そう、幾ら矢継ぎ早に炎を放とうとも、蒼銀が一度閃く度に、三から五の炎塊が弾けさせられていたのだ。
 その瞬間、俺を見つめるヴェルフォールの三白眼と、そして問い掛ける声に僅かばかりの畏れの色が滲んだ。

 そして――

「四海の大神、百鬼を退け、兇災(きょうさい)を祓う!」
 アク!

 後一手。此処までに処分して来た炎の塊は軽く五十以上。それは大きく目標を外れ……おそらく放たれた最初から俺を目標とせず、俺の後ろに立つタバサやティターニアなどを目標にした炎の塊や、観客となったガリア貴族たちに向かって放たれたと思しき物までもすべて斬り捨てて来ている。
 ここまで圧倒的な戦いの経過を見せつければ、ギャラリーに対する示威行為も十分でしょう。
 少なくとも、今のヴェルフォールのハルケギニア的な魔法使いとしての実力は理解出来ていると思う。普通のハルケギニアレベルのメイジ……今の自分たちがこのヴェルフォールと直接戦って勝てる、などと考える貴族はいない……と思う。コイツはそれだけ奇怪な、更に強力な炎塊を現在矢継ぎ早に放っている。
 しかし、それを物ともせず、むしろ余裕を持って捌いて居るのが俺。それも、表面上から見ると、どうも魔法を使って居る気配すらない。

「神よ――」
 ふ、ふふ、ぅふんぐぅぅぅるるぃぃい、むぐむぅぐるむぐぅるふ――

 ゆっくりと、誰から見ても何か術の準備をしながら徐々に距離を詰めて行く俺と、その俺に対して無駄な攻撃に終始していたヴェルフォール。しかし、その彼我の距離が十メートルを切った瞬間、それまで奇怪な唸り声とも、金属と金属を擦り合わせた時に発生する精神を逆なでするかのような音とも付かない、真面な言語ですらなかった奴の言葉が明確に呪文と言える物へと変わった。
 その瞬間、ヴェルフォール自身が纏う黒き影が今までの大きさの倍近くに膨れ上がり、周囲に発散させる狂気がそれまで以上に危険なモノへと存在を変え――
 ――立ち昇る熱が陽炎の如く空気を、発生させる狂気が理を捻じ曲げて行く。

「我の捧げる贄を受け取り給え!」
 い、いいいいい、いあ いあぁ くぅ、くく、くとぅぐあ!

 鏡の間に響くヴェルフォールの聖句(まがごと)。そして、その声に重なる爆音。
 刹那、ヴェルフォールを覆う黒き影から発生する猛烈な炎。その熱により奴の足元の大理石の床が一気に溶解。
 その猛烈な勢いの炎が彼我の距離十メートルを一瞬にして埋め尽くし、無防備に見える俺を内に包み込む。

 その時、世界にすべての音が消えた。
 闇に属する炎が発する猛烈な熱量だけが真実。

 悲鳴、絶叫。俺の事を将来の英雄王だ何だと持ち上げながらも、本質的な部分では俺の事を一切信用していない連中から絶望的な声と気配が発生する。
 但し、それも(むべ)なるかな。中世ヨーロッパに等しい知識しか存在しないハルケギニアに暮らすとは言え、ここに集められたのは貴族(魔法使い)たち。彼らが全力で放つ系統魔法が果たして大理石を溶解させる事が出来るかと言うと流石にそれは甚だ疑問。
 大理石の主成分、炭酸カルシウムの融点が大体千五百度。大理石が溶け始めるような猛烈な熱を発生させる炎に人間が包まれたら、その後にはおそらく骨も残らない。

 しかし!
 瞬転、世界が変わる! 圧倒的なはずの魔炎の気配の中に、何か別……もっと清涼なる何かの気配が混じる。

「疾く、律令の如くせよ!」
 カン!

 そうその瞬間、完全に炎へと包まれた俺から発せられる口訣。そもそも、この程度の炎に害される程度の実力しか持っていないのなら、去年の初冬に起きた翼人の事件。最終的にクトゥグアの召喚事件の際に現われたクトゥグアの触手に燃やし尽くされて人生自体が終了している。
 その瞬間、呪われた炎の中から漏れ出す光輝。
 それは穢れた炎を一瞬にして凌駕。やがて周囲を、この鏡の間すべてを呑み込む。

 そして――
 そして、何もかもを白く染め上げた光輝が完全に消え去った時、其処には――

 
 

 
後書き
 それでは次回タイトルは『崇拝される者』です。
 ……これも長い引きだったよねぇ。
 
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