俺の四畳半が最近安らげない件
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彼の戦を伝える者達 ~小さいおじさんシリーズ14
花冷えの外気が染みる春宵。澄んだ空気にくっきりと冴えわたる名月は、花は散ってもなお美しい。『彼ら』は細く窓を開けて、まだきりりと冷たい空気を誘いこむ。
「…風が、通らんな」
俺の四畳半に巣食う三人の小さいおじさんは、いつも通り無言のチラ見で俺をせっつく。仕方ないので少し玄関のドアを開け、チェーンを掛けて隙間に重ねたサンダルを差し込んだ。
「冷える夜は、燗酒にかぎるな…」
端正が満足げに息をついた。…それ云いたいが為にわざわざ部屋を冷やしただろう。
奴らはこの冬、ポットの使い方を覚えた。広辞苑とかで高さを合わせておくと、俺が居なくても勝手にチキンラーメン作ったり酒に燗をつけたりする。エアコンもテレビも俺の設定や好みを無視して変えまくりだ。…こういうの、何て言ったか。軒先を貸して母屋を取られる…ってやつだな。今日も9時からお笑いバトルを観る予定だったのに『日本人あるあるネタが意味分からん』とかいう無茶苦茶な理由で『金曜ロードショー レッドクリフ』に勝手に変えられた。
「……いや素晴らしい映画だった……まことに素晴らしい……」
普段呑み始めはテンション低めの端正が、上機嫌で熱燗を呷る。
「あたかも目の前で戦が行われているかのような臨場感…そして緻密な人物描写…」
レッドクリフが相当気に入ったのだろう。逆に、普段から酒が並べばテンションMAXな豪勢が、苦虫を噛潰したような顔で不味そうに酒を啜っている。
「…はん、レッドクリフだかクリフハンガーだか知らんが、そもそも魏の正史では一行しか記述がないしょぼい戦をよくもまぁ、あそこまで嘘で膨らませたものだ」
―――特に反論は出ない。フィクション甚だしいことは間違いなさそうだ。
「しょぼいのは魏軍の敗因でございましょう…」
くっくっく…と白頭巾が嫌な忍び笑いを漏らす。
「疫病が蔓延して開戦前に撤退とかもう…あほじゃないかと…」
ぶー、とかわざとらしく吹き出しながら、白頭巾が酒に口を付けるふりをした。
「貴様なぞ温水洋一が演じればよかったのだ」
いや何云ってんだ、現場で温水浮きまくって可哀想だよ!!多分中国側の制作陣にスタッフと間違われて使い終わったタオル回収とかさせられちゃってるよ!
しかも金城武あたりは確信犯で『面白いから』って理由で一緒になってスタッフ扱いするよ!!
…さて、少しイラつきが混ざったが、相変わらず端正は機嫌がいい。
「赤壁の真偽はともかく、三国志を伝承する作品としてふさわしいのはやはりレッドクリフだな」
ご満悦で酒を注ぐ端正を忌々しげに一瞥して、豪勢が薄切りの竹輪を噛んだ。
「何を云うか。主題が赤壁って時点でもうダメダメだろ。各地に散逸する赤壁話のどこに真実がある!?あれもう嘘だらけだよな?それは貴様でも認めるだろ?」
…うん。俺も三国志を伝承する云々は買い被りが過ぎると思う。
「だから卿は無粋だというのだ。どうせネタになるのは真偽入り乱れる史実という名の勝者目線の記録。赤壁に限らずな。…それならば文献に残る有名武将の人物像を繊細に表現し、一つの戦を取り巻く人間模様を描き出すという方法も」
「人となりを繊細に表現!?お前はアレで結構だろうが、余はものすごい雑な悪者になっているが!?」
ツボに入った白頭巾が痙攣しながらのたうち回る横で、端正が余裕のため息をついた。
「ならば貴様の推し作品は何だ」
「蒼天航路、一択よ」
……えぇ~?
あれはあれで色々偏り過ぎじゃないか?
「人間模様を描くというのなら、チャラい心象描写などではなく、人物同士の個性のぶつかり合いよ…人物そのものが持つ迫力を描かずして何の人間模様よ!!」
「…貴様、本当に分かりやすい男だな…」
「人のこと云えるか」
お互い苦笑交じりで軽く和解しかけた辺りで、のたうち回っていた白頭巾がむくりと起き上がった。
「蒼天航路だけは、ありません」
羽扇で口元を隠してはいるが、眉間に刻まれた皺が深く、昏い憤りを現している。
「な、なんだ貴様いきなり入って来て」
なに急にビックリしたぁ、みたいな顔をしているが口元が半笑いだ。…こいつらはもう…。
「分かっていますよ、私への嫌がらせでしょう」
「ちょ…なに?怖いんだけど?」
豪勢がとぼけ切った口調でわざとらしく驚いてみせる。
「えー、かの傑作に問題シーンとかあったかのう。ちょっと見返してみるか、えーと…わー、なんかどっかの変態軍師が初対面の劉備の前で勃起状態で現れたー。その後の発言も色々やばーい。わーこの変質者、もしかして後に蜀の丞相になったりすんのかなー。蜀やばいー、やばすぎー、劉備逃げてー、超逃げてー」
『蒼天航路』の単行本をパラ見しながら棒読み口調で『何処ぞの丞相』を虚仮にしまくりトドメに初対面からのちんこ見せシーンの物真似を始めた。ここ最近、白頭巾の根性悪さに隠れて忘れかけていたけれど、こいつも相当根性が悪い。
「ちょ、もうやめ…」
端正は肩を震わせながら笑いをこらえている。一緒になって白頭巾を虚仮にしたい気持ちはあるものの、こんな下ネタに乗っかって豪勢と同じレベルに品性を落とすことに抵抗があるようだ。傍らの白頭巾は、軽く咳ばらいをして居住まいを正し、羽扇を顎にあてた。頭巾と羽扇、それに人を見下すような余計な慇懃さ。それはもう、ステロタイプな『蜀の軍師』をことさらに主張するようなポーズだ。…何こいつ、ムキになってんのか?
「人物そのものが持つ迫力…?それに拘り過ぎた結果、呂布が『パワー系の可哀想な人』になっているじゃないですか。アニメじゃ作中ほぼ雄叫びしか聞いてないんだけど。何の生物ですかあれ。恐竜?」
「ぐっほっ…」
「瑾兄さんも何かもう哺乳類かどうかすら疑わしい容姿にされて。あの目とか完全に複眼でしたよ?作者は諸葛一族丸ごと嫌いなんでしょうかね。諸葛均まで話が続いてたらもう…あれですよ。ロボとかになってますよ絶対。戦国BASARAの本田忠勝ロボみたいな感じで」
豪勢が酒を吹いて噎せた。
「ちょ、待て、アルコールがき、気管…ヴえっほっ」
「陳宮も実際…普通過ぎて乱世の価値観についていけなかった程の普通人なのに呂布の巻き添えで『東北の珍しい妖怪』みたいなキャラにされて。あのひと後世に至っても何かと呂布の巻き添えを食らい続けますねぇ。誰か彼の涙を止めてみせよ」
二人が一斉に笑いながら崩れ落ちた。…何だかんだ云ってこいつ読み込んでんじゃねぇか。
「…後世の人々が私たちをどう伝承しようが、大して興味はないのです」
笑い過ぎでぐったりしている豪勢と端正をよそに、白頭巾は白い月を見上げて呟いた。
「卿はそれでよかろうよ。演義は蜀寄りだからな。卿の如き陰険頭巾すら『高潔な天才軍師』などと持ち上げられて。初めて読んだ時、思わず書を叩きつけたわ」
…やめろよー、俺の本を乱暴に扱うのは。
「呉がフィーチャーされた作品少ないものな」
豪勢が寝転んだままニヤニヤしている。豪勢の挑発ともとれる発言をさらりと流し、端正は杯を傾けてため息をついた。
「応。だからだろうか、うちの連中の推しは圧倒的に『三国無双』だな」
いや…多分別の理由だよ。あの人たち絶対活字読まない。ノリ重視だもの。他人事ながら、DJマキシマムの所から無理にでも引き上げないと呉の人たち、益々のっぴきならない感じになっていくんじゃないんだろうか。
「―――我々はともかく、奥方とかいいのかアレで」
そうだよな、大喬はともかく小喬とかいいのかアレで。
「逆にあれでいいらしい。…可愛ければ何でもいいらしい」
―――ああ、そうなのか。あの子たち、次に来るときに変に感化されてイタいロリキャラになってなければいいけれど。
「おい、貴様のとこのバハムートはどの作品推しなんだ?」
豪勢がむくりと身を起こし、白頭巾の傍らにずいと寄った。
「…さぁ?妻とそういう話はしたことがないので」
…とうとうバハムートで通じるようになってしまったか。不憫な。
「マルチレイドか?絶対、マルチレイドなんだろう!?」
「おぉ、しっくりくるな!あの最早人外レベルのチート感はマルチレイドのそれだ!」
ほんと、こいつらどうかと思うくらい失礼だし妙にゲームに詳しいし。
「いい機会だ、聞いてみろ!おい、奥を呼べ!」
白頭巾がふっと猫ちぐらに潜り込み、何かを引っ張り出して来た。
「お?何だそれ、貝か」
豪傑が興味深げに身を乗り出す。一抱えほどはあるかと思われる巻貝の殻は、俺がちょっと前に酒のつまみに買ったつぶ貝だ。それをラッパの如く掲げて息を吹き込むと、ぶぉっふぉ~、ぶぉっふぉ~…と、割と本格的にホラ貝っぽい音がした。
程なく、傍らに音もなく巨躯の豪傑が現れた。
「うぉぅ、本格的に合戦って感じになったな」
感心しているのかドン引きしているのか分からないが、端正が少し居住まいを正してあとじさった。
「いいなそれ、勇壮な感じだな!俺も今度、夏候惇をホラ貝で呼ぼう」
つぶ貝だよ。
「すみませんね、つまらぬ用事で…貴方の、これがイチオシっていう三国志関連の作品てありますか?」
彼女は、小さく首を振った。豪勢と端正がつまらなそうに息をつく。
「…ま、卿の如き才女は逆に後世の創作などに興味は示さぬか…ん?」
誰か来るぞ、と呟いて端正が猫ちぐらの陰に隠れた。
「こんにちは、宅急便でーす」
クロネコヤマトの配達員が、Amazonの箱を提げて現れた。…俺は何も頼んだ覚えはないのだが、最近こういうことがよくある。あいつらは俺のカードを勝手に使って菓子やら本やらを勝手に注文するのだ。…伝票には『書籍』とある。
「おい、誰か頼んだか」
「はて、私は何も」
「俺も今日は何も」
彼らが顔を見合わせる中、何故か彼女がそわそわし始めた。
「まぁまぁ、誰か頼んで忘れているのだろう。丁度酒のつまみが少なくなったところだ。どれ、食い物は」
ひらり、と身軽に箱に飛び乗る豪勢。こういう時のこいつは誰より素早い。他の二人も、のたのたと続いた。『彼女』は、あ…あぁ…とか呟きながら段ボール箱の周囲をウロウロしている。…やがて、ぴりぴりぴり、とビニールのダンプロンが破れる音がした。
「……やや!?」
ボール紙ごとラッピングされた一冊のワイド版の単行本が、箱の底に貼りついていた。やや?と呟いた豪勢、そしてアホ面さげて段ボールを覗き込んだ白頭巾と端正の背中が同時に固まった。
『孔明のヨメ』と題された、可愛らしい女の子(多分月英)の4コマ漫画らしき単行本が、箱の底に貼りついていた。
ごくり……と、3人が息を呑む音が響いた。
「こっ…これはっ…」
「3…巻…ですか」
「2巻までは買っているんだな…卿、覚えはないか」
端正の声など耳にも入っていないかのように、白頭巾は箱の底を凝視する。
「…おい、卿がポチったんだよな…そうだよな…そうだろう!?そうだと云え!!」
声がガクガク震えている。
「…私は…何も…」
3人は恐る恐る、『彼女』の方を振り返る。彼女は…
それは果たして怒りなのか、それとも羞恥なのか。
ただ彼女は顔を紅潮させ、羅刹の如き気を纏い、彼らの背後に立ち尽くしていた。弾かれたように飛び退く3人、そして機械的に振り下ろされる戟。風塵と共に切り裂かれるビニール。彼女は剥き出しになった『孔明のヨメ3巻』をむんずと掴みあげると、何かを叫びながら一陣の竜巻のように奔り、襖の陰に消えた。
「ま、待ってくれ、私は…私は!!!」
ずり落ちた白頭巾を直しながら、彼は上ずった声で怒鳴った。
「ま、まずいまずいまずい、ザックリ抉ったな貴様!!あの女意外と豆腐メンタルだぞ!?」
豪勢の声にぶん殴られたようなタイミングで白頭巾が崩れ落ちた。
「わ、わ、どうしよどうしよ、俺マルチレイドとか霊長類最強女子とか色々…」
「…最低ですな、貴方達…」
「な、何を云うか!貴様、とうとうホラ貝で呼び出してたじゃねぇか!!あれ何気に一番まずいぞ!?」
「皆落ち着け、落ち着くんだ!彼女の推し作品がコレだったというだけで、体制に影響はない…はずだ!!」
「じゃあ貴様は今後も態度を変えずに接することが出来るんだな!?豪傑の乙女願望を目の当たりにしても!!」
「豪傑云うな!!」
「そうですよ、そもそも最初にバハムートとか言い出したのは誰でしたか!?」
「だっ…だって云うだろそりゃ、今だってワイド版の本を片手で担いで走ってたぞ!?許著も出来ねぇぞそんなの!!」
「け、卿!何故このタイミングでそんな追い打ちを!!」
やがて襖の陰から、嗚咽のような声が漏れ始めた。座がしんと静まり返る。
「…あーあ、泣かした。貴様ら最低だな」
「なに!?マルチレイド マルチレイドと面白がって大騒ぎしたのは卿ではないか!!」
「貴方が余計な話を振らなければ、そもそもこういう事にはなっていないでしょう!?」
―――お前ら最っ低だな、と云いたいのをぐっと堪える。
俺の四畳半に、実に気まずい空気が満ちる。これは…あれだ。クラスのブス揶揄い過ぎて泣かせた時のあの空気だ。このおっさん達、いい年して何やってんだよ。
「どうするんだ、卿。謝らなくていいのか」
「…し、しかし…今までやってきたこと全部謝るならもう切腹レベルの謝罪になりますよ!?」
何十年も趙雲の替え玉に使ったり戦場に武将として放り込んだりしてるもんな…。
「思い返すとつくづく最低だな貴様」
「なにを!妻をバハムート呼ばわりしたのは…!!」
高まる嗚咽、そして重苦しい空気。…俺はそっと『孔明のヨメ 4巻』をポチるしかなかった。
後書き
次回更新予定は、来週です
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