テキはトモダチ
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20. 初期艦は電 〜電〜
……
…………
………………
『い、電です。どうかよろしくお願いします』
『……』
『え、えーと……司令官さん、なのです?』
『……』
『……?』
『……』
『電がどうかしたのです?』
『……思ったより、小さいのね』
『ひ、ひどいのです……』
………………
…………
……
……なんだかふわふわする。遠くの方から、ザザザという波を切る音が聞こえてる。
「ん……」
「………マ……が…………」
ものすごく遠いところから、誰かが私を読んでいるような……
少しだけ身体の感覚が戻った。でも目は開けられない。手を少し動かしてみる。私の顔のすぐそばに誰かの顔がある。
「しゅうせき……ち……さ……?」
「……………………わ……は………ー……じ…………お……の…………は…………」
何を言っているのかさっぱり聞こえない。少しだけ動かせるようになった手で、私の顔のすぐそばの顔をぺたぺたと触る。髪は長くないようだ。
「や……! わ………………ぺ…………………!!!」
誰かが私に何か言っているけれど、まるで気にならない。また眠くなってきた……
「お…………ず…… わ………………ご…………せ……」
まただ。誰かが私に声をかけているけれど……とても遠いところから話しかけてくるからよく聞き取れない……でもとても心地いい声だ……眠い……
………………
…………
……
……
…………
………………
『電、帰投したのです……』
『ほい。初めての出撃おつかれさん。敵を撃沈しなかったんだって?』
『は、はいなのです……』
『なんで?』
『え、えーと……』
『うん』
『できれば、戦いたくないのです……』
『……』
『沈んだ敵も、出来れば助けたいのです……』
『……ぶふっ』
『司令官さん?』
『あ、いやごめん。おつかれさん。お風呂入っといで』
『はいなのです。電、入渠するのです』
………………
…………
……
突然、身体がぽかぽか温かくなってきた。とても心地いい感触に全身を包まれ、ぷかぷかと空中を漂うような温かいふわふわ感が私の身体を包み込んだ。
「ぽかぽかして気持ちいいのです〜……」
この心地よさに全身を委ねたい。寝返りを打った。途端に、ある問題に気付いた。
「……なんだか苦しいのです」
息が出来ない。口を開けるけど、息を吸おうとすると不思議と身体が『すっちゃダメ!!』と私の意思を拒絶する。試しに息を吐いてみる。これは問題ない。でも吸えない。
「もががががが……吸えないのです……息がががが……」
頭がハッキリしてきた。目が開く。私が今どこにいるのか分かった。私は今、温かいお湯の中にいる。お湯の中でうつ伏せになり、身体をプカプカと浮かせているんだ。
「ぶわッ!? 苦しいのですッ!!」
「おー起きた起きた」
「大丈夫だったクマね〜」
たまらず身体を動かし、上体を上げた。足が立つ。周囲をきょろきょろと見渡してみた。
「……お風呂場?」
「入渠施設ですよ電さん」
赤城さんの言葉で冷静になった。改めて周囲を見回す。確かにここは鎮守府の入渠施設だ。私が入っている湯船とは別の湯船に、赤城さんと天龍さんと球磨さんがいた。3人とも実に気持ちよさそうに湯船に浸かっていて、天龍さんは縁にもたれかかってこちらを見ていた。
「おはよー電」
「お……おはようなのです」
気の抜けた天龍さんのおはように、私もつい気を抜いて返事をしてしまった。
自身の記憶を少し振り返ってみる。集積地さんのところに行ってロドニーさんの前に立ちはだかって、三式弾から集積地さんをかばって……そこから先の記憶がまったくない。私はどうやってここに戻ったのだろう。
「赤城さん?」
「はい?」
「どうやって戻ったのです?」
「それは……」
「起きたか?」
背後から、今は聞きたくない声が聞こえた。この声の調子は……確実にぷんすかと怒っている……
「あ、あのー……」
「こっちを見ろ」
肩がすくむ……怖くて仕方ない……でも仕方ない。私はおでこに冷や汗をだらだら垂らしながら、恐る恐る背後を振り返った。
「怪我は大丈夫だな?」
「は、はいなのです……」
私の背後には、さっきの戦場で盛大に言い合いをしてしまったロドニーさんが腕を組んで仁王立ちしていた。編み込まれていたはずの髪は解かれ、キレイな長い金髪は私のようにバレッタで後ろで留められていた。当然だけど、身体にはバスタオルを巻いていた。
「まったく……友達を守るためとはいえ私の砲撃を受け止めるなど……」
「ごめんなさいなのです……」
「一体何を考えてるんだお前は……」
湯気のせいでいまいちハッキリと見えないけど、その鋭い目が全力で私に怒りを告げている。『私は怒っている! ぷんすか!!』という文字がロドニーさんの頭の上に浮かんで見えるようだ……
「……まぁいい。あがったら執務室に行け! 司令官が一番心配してたからな!!」
「は、はいなのです……」
「聞こえない! 返事は!?」
「はいなのです!!!」
「まったく……私は先に上がるぞ!!」
ものすごくごきげんななめらしいロドニーさん。『フンッ』と言いながら踵を返し、頭から湯気を出しながらお風呂場から出て行こうとした。でも出入口のドアを開けた時、
「よく言うぜー。『イナズマを撃ってしまったのは私だ! 私に運ばせてくれ!!』て血相変えて言ってたくせにさー」
「帰り道でも『死ぬなイナズマ! 私に仲間殺しをさせるな!!! 優しいお前を殺させるな!!!』って必死に電に話しかけてたクマ」
と天龍さんと球磨さんから余計なことを暴露され、一度こちらを振り返って思いっきり睨んだ後ドバンと音を立ててドアを閉じていた。ほっぺた赤かったけど。
あの戦いの顛末は、赤城さんと天龍さん、そして球磨さんが代わる代わる教えてくれた。私が気を失い、集積地さんが私に必死に話しかけている光景を皆が見たことで、自然と戦闘が止まったらしい。元々ロドニーさん以外のみんなが戦いたくない状況だったため、意外とすんなりと戦闘をやめたようだ。その後は赤城さんと中破していた戦艦棲姫さんの話し合いで互いに撤退することになったとか。
『アカギ! イナズマは!? イナズマは大丈夫なのか!?』
『きっと大丈夫。私たちが必ず助けますから』
『イナズマをたすけてやってくれ! 私が出来ることはなんでもする!!』
『なら、集積地さんもちゃんと傷を治してください。きっと電さんはそれが一番喜びますから』
集積地さんは自分も沈黙レベルの大ダメージを負っていたのに、それにも関わらず私のことを心配してずっと私に話しかけていたそうだ。最後まで私に付いて行くと言っていたそうだが、戦艦棲姫さんに必死に止められ、自陣に戻っていったらしい。ちぇ……こっちに来てくれればよかったのに……
「まぁそう言わずに……彼女も大怪我でしたし、怪我を治すならこっちじゃなくて深海棲艦さんの施設を使ったほうが彼女にはいいでしょう」
赤城さんが優しい笑顔で私にそう告げた。あれだけの激しい戦闘だったのに、双方共に轟沈はゼロ。被害は互いに甚大だったが、命まで失われなかったのが不幸中の幸いだったのかもしれない。
だけどよかった……私たちは誰も轟沈することなくさっきの作戦を乗り越えたんだ……集積地さんと殺し合いをすることにならなくてよかった……私たちが仲間の命を奪うようなことに……集積地さんが私たちの命を奪うようなことにならなくて、本当によかった……
――艦娘失格の駆逐艦
唐突に私の頭にロドニーさんの言葉がよぎった。
「電さん?」
「どしたー?」
「な、なんでもないのです……」
3人に私の動揺が伝わってしまわないよう、努めて明るく返事をする。唐突に思い出したロドニーさんのこの言葉は、私の気持ちを沈めるのに充分な質量を持っていた。
身体が無事にしっかりと癒えたところで、私はお風呂から上がった。お風呂上りの牛乳を飲んだ後、迷惑をかけた司令官さんに会うべく執務室に向かう。
「とんとん。司令官さん」
「電? いいよ入って」
「はいなのです。失礼するのです」
本当に私のことを心配していたのか疑いたくなる程の気の抜けた司令官さんの入室許可が聞こえ、私はドアを開くべくドアノブに手をかけた。
――フフ……コワイカ?
少しびっくりした。いつの間にか天龍さんのスゴミが子鬼さんの声になっていた。これは子鬼さんが天龍イズムを無事に受け継いだからかもしれない。そう思おう。
静かにドアを開き、執務室に入る。執務室には、いつもの席に司令官さんと大淀さん。そして……
「ロドニーさん……」
「フンッ……」
司令官さんの前にロドニーさんが立っていた。私の顔を見るなりツンとした顔でぷいっとそっぽを向いていた。まだご機嫌ななめなのかな。
「そうでもないぞ。今『イナズマが目を覚ましたぞ! お前もうれしいだろう!?』てめっちゃ笑顔で俺に報告してきたから」
「司令官……申し訳ないが張り倒していいか?」
「あら怖い」
なんだか出撃前には見られなかったロドニーさんの意外な面を先程から聞かされているなぁ……少しロドニーさんのことを面白いと思うようになってきた。
「ぶふっ……」
「何がおかしい?」
「ご、ごめんなさいなのです……ぶふっ」
「? ……まぁいい。私はこれで失礼する。……司令官」
「ほいほい?」
「中将閣下にありのまますべてを報告しても良いのだな?」
「うん。お願い」
「クソ・オブ・クソの称号の件も報告して良いのだな?」
「むしろもっとひどくしてもいいよ?」
「分かった。……では失礼する」
踵を返し、私の顔を見た途端に『フンッ』と鼻を鳴らしてロドニーさんは執務室から出ていこうとドアに向かって歩き始めた。私の隣をすれ違った時、私はロドニーさんに妙な違和感を覚えた。この人、こんなに背が小さい人だったっけ?
「ロドニー」
「なんだ?」
ドアノブに手をかけたロドニーさんに司令官さんが声をかけた。声の調子はいつもの感じ。だけど作戦前と比べると、ロドニーさんに対する棘のような感覚はなくなっている気がした。
「電にごめんなさいは?」
「必要ないだろう? 今回のイナズマの損傷は自業自得だ」
「ごめんなさいは?」
「だから必要ないと……」
「ご、め、ん、な、さ、い、は?」
司令官さんの死んだ魚の眼差しでジッと見つめられたロドニーさんの頭の上に、モジャモジャ線が出来上がっていく過程がハッキリと見えた。そのモジャモジャ線が消えないまま、彼女は私に振り返り頭を下げてきた。
「……イナズマ、お前を撃ってすまなかった」
「い、いや、あれは電が集積地さんをかばったからで……」
「……司令官、これでいいか?」
「電もロドニーのこと許してあげてね」
「ゆ、許すも何も……」
「あとロドニー。お前さん、思ったより小さいのね」
「何がだッ!?」
「色々と。でもいいじゃない可愛くて」
「~~~ッ!!?」
ほっぺたを真っ赤にして顔を歪めたロドニーさんは、そのまま足早に執務室を出ていった。ドアを閉じる時に相当力を込めていたようで、『ドバン』という盛大な音とともにドアは閉じ、そして心持ちドアがジーンと震えているように見えた。
それにしてもロドニーさん。なんだか雰囲気が変わったような……そもそも、あんなに小さい人だったっけ? 今まで全然気付かなかったけど、鎧を着ている時と比べて一回りほど小さくなっているような……。
「鎧のせいもあるだろうけどね。周囲を威圧しなくなったんじゃないかな?」
「そうなのです?」
「うん。永田町ってね。うちと違って艦娘同士の仲って良くないらしいんだわ。ライバル同士って言えば聞こえはいいんだけど……青葉がそう言ってた」
「へぇ~……なんだか意外なのです……」
「そんなとこで過ごしてたから、あまり周囲に隙を見せられなかったんじゃない? うちでも同じように隙を見せないように肩肘張ってたんじゃないかな?」
「……」
「でも電が仲間を必死に助けようとしてるのを見たり、そんな電を他のみんなが頑張って助けようとしてるのを見て、永田町とは違うって気付いたんだと思うよ。だから周囲への敵意むき出しもやめた。きっと、あのちょっとちっちゃくてぷんすかしてる姿が、本当のロドニーなんだろうね」
司令官にそう言われ、改めてさっきのロドニーさんを振り返る。確かにぷんすか怒ってはいるけれど、以前よりも少しとっつきやすいような……そんな印象を受けた。それはきっと、来た時と比べて表情豊かだからだ。今のところはぷんすか怒ってるだけだけど。
「さて電」
「はいなのです」
「お前さん、何か話があるから来たんじゃないの?」
なぜだか知らないけど、胸がドキンとした。そして次の瞬間私の頭の中に響いたのは、ロドニーさんのあのセリフだった。
――艦娘失格の駆逐艦
私は集積地さんを倒すことが出来なかった。艦娘の敵である深海棲艦さんたちを倒し切る事ができなかった。私は艦娘として、失格だろうか……。
「司令官さん」
「ん?」
「電は……艦娘失格なのです……?」
「なんで?」
「電は、テキを倒せないのです……今回も、集積地さんを倒さなかったのです」
司令官さんの優しい声に促されて、私は降って湧いた疑問を司令官さんに問いかけてみた。
この鎮守府に私たちが着任してしばらく経った頃、永田町鎮守府の中将さんが視察に来たことがある。その時私の戦績を見た中将さんは、私を『敵艦を仕留め切れないヘタレ駆逐がッ』と叱責してきた。司令官さんは『気にしなくていいのよ』って言ってくれたけど……その時は中将さんが苦手になっただけだけど。
でも、今になってその言葉の重みが増した。ロドニーさんから押された『失格』の烙印と、中将さんからの『ヘタレ駆逐』の暴言……敵を倒すことの出来ない駆逐艦は……集積地さんたちを倒すことができなかった私は、艦娘失格なのだろうか……。
私の言葉を受けた司令官さんは、窓の外を見た。さっきの作戦はお昼前だったはずだが、今はもう夕暮れ時。窓の外は夕焼けで赤い。まるで集積地さんが帰りたいことを私に告白したときのように真っ赤だ。
その夕焼けを眺めながら、司令官さんは帽子を脱いで制服の上着のボタンを開いた。
「大淀。ちょっと席を外すね」
「了解です。どちらへ?」
「俺の可愛い初期艦とデート」
ぇえ!? デートなのです!? 司令官さんと!? 突然なにごとなのです!?
「了解しました。行ってらっしゃい」
大淀さんももっと狼狽えないのです!!? と私があたふたしていると……
「ほら。おじさんとデートに行こうねー」
と司令官さんが私の手を取って、強引に執務室から連れ出した。
「はわわわわわわわわわ……司令官さんとデートなのです!?」
「集積地には内緒よ? じゃないとおじさんヤキモチやかれちゃう」
「ぇぇええええっ!?」
司令官さんに強引に手を引っ張られ、為す術無く何処かに連れて行かれる私。集積地さんと違ってゴツゴツした男っぽい強引な手をしている司令官さんの手は冷たく、でもなぜか集積地さんと同じく繋いでいて胸が暖かくなるような、そんな不思議な感覚を覚えた。
「はわわわわわわ……司令官さん! そんなに引っ張ったらダメなのです!」
「大丈夫大丈夫。すぐ着くからもうちょい我慢」
「電は大丈夫じゃないのですー!!」
司令官さんに強引につれてこられた場所……それは、私と集積地さんの思い出の場所で、夕焼けがとてもキレイな演習場だった。
「お前さんたちは自力で見つけたみたいだけどさ。ここは俺もお気に入りだったのよ」
「そうなのです?」
「うん。夕焼けがキレイだから」
口に出したら怒られそうだけど……そう語る司令官さんの横顔は、なんだかいつもよりテカテカして見えた。
「おじさん、もう歳だからね……」
「電の心を読まないでほしいのです……」
「ついでに加齢臭も……」
「それ以上は言わなくてもいいのです」
2人で並んで夕焼けを眺める。私はそばの埠頭に腰掛けた。潮風が心地いい。
「電」
「はいなのです」
司令官さんが、私の方に顔を向けずに私に呼びかけてくれた。いつものようにとっても優しい声だけど、いつもと違って覇気や気持ち……そういったものを感じられる声だった。
「ありがとう。お前さんのおかげで、俺たちは仲間殺しをしなくて済んだ」
はじめ私は、言われている言葉の意味がよく分からなかった。
「へ?」
「旗艦のお前さんが『戦わない』って決心したから、みんなが仲間殺しなんて汚名を被ること無く済んだ。みんなを代表して礼を言うよ。電、ありがとう」
違う。私はそんな大それたことは考えてなかった。単に集積地さんや子鬼さんたちと戦いたくなかっただけで……それにみんなだって、旗艦をしていたら戦いを止めたはずだ。
「で、でも司令官さん……」
「ん?」
「たまたま電が旗艦だっただけなのです。他のみんなが旗艦だったとしても、戦いは止まってたと思うのです」
「うん。確かに他のみんなでも止めてただろう。……でもね。お前さんなら絶対に戦いを止めてくれる。そう思ったから、俺はお前さんを旗艦にしたんだよ」
「そうなのです?」
「うん。電なら、安心して旗艦を任せられる。みんなに仲間殺しをさせなくて済む……だから今日の作戦は、お前さんが切り札だったんだよ」
私をわざわざ切り札に選んだ理由は、私なら戦いを止めるからなのか……
「でも、もし電が戦いを止めなくて集積地さんを倒してたら……」
「それは絶対にない。この鎮守府でお前さんと一番付き合いが長いのは、大淀と俺だよ?」
「……」
「うちの可愛い初期艦がそんなことするはずないのは、俺が一番良く知ってるからさ」
なんだか顔が熱くなってくる。司令官さんはそんなに私のことを信頼していたのか……でも。
――艦娘失格の駆逐艦
「……司令官さん」
「ん?」
「司令官さんは、電を初期艦に選んで後悔したことはないのです?」
「なんで?」
「深海棲艦さんたちを倒せないから……」
私は知っている。司令官さんが中将さんから私たちのことをかばっていることを……。私たちの鎮守府は戦果が低い。それはひとえに、私たちが敵艦を撃沈しないからだ。それは集積地さんと仲良くなる前から今も変わらない。テキを撃沈しないで撤退させるにとどめていたから戦果が上がらない。そのせいで、司令官さんは中将さんの怒声に何度も何度も付き合うはめになっている。
「後悔なんてしたことないよ?」
司令官さんは即答で私の質問を否定した。意外だった。これだけ戦果も上がらず中将さんにやいのやいの言われ続けているのに、私を初期艦に選んだことを後悔してないだなんて。
「そうなのです?」
「うん。考えたこともない。電以外に初期艦は考えられなかったよ?」
「なんでなのです?」
「んー……」
なかぜ司令官さんのほっぺたが赤い……いや夕焼けのせいかもしれないけど……でも司令官さんは照れくさそうに、鼻の頭をポリポリと掻いていた。
「……みんなに言うなよ? 秘密よ?」
「は、はいなのです。ゴクリ」
「……電は、俺の憧れのヒーローだから」
んん!? 私が!? 憧れのヒーロー!?
「そ、そうなのです!?」
「うん」
その後司令官は初期艦に私を選んだ理由を教えてくれた。とっても恥ずかしそうに話していたけど、目だけはキラキラと輝いていた。
小さい頃、司令官さんは模型屋さんで暁型駆逐艦四番艦のプラモデルを見つけ、そのカッコよさに一目惚れしたんだそうだ。その日のうちにお母さんにお小遣いを前借りして、そのプラモデルを買って帰ったらしい。子供の頃の司令官さんによって組み立てられた暁型駆逐艦四番艦のプラモデルの出来は最悪。接着剤もはみ出ているし塗装だってされてなかったけれど、そのプラモデルは幼い司令官さんの宝物になったんだそうだ。
その後司令官さんは、その暁型駆逐艦四番艦の本を本屋さんで見つけ、やっぱりその本をお小遣いを前借りして購入。自分が心奪われた暁型駆逐艦四番艦とはどんな船だったのか……それを知るため、それこそ手垢で酷く汚れるほど……目線だけで穴が空いてしまいそうになるほど何度も何度もその本を読んだそうだ。
「なんだか恥ずかしいのです……」
「我慢してよ俺だって恥ずかしいんだから……」
その後司令官さんは普通に学校に通い、一般企業に就職。いうほど仕事が出来たわけではないけれど、なぜか社内政治に強くて出世街道まっしぐら。人間関係のるつぼで磨かれた社内政治の手腕は、今でもとっても役に立っているらしい。その分、他のスキルが身につくなんてことはなかったらしいけど。
そのまま月日が流れて去年。司令官さんは繰り広げられる社内政治に突然嫌気がさして退職。他人を不幸にして自分が出世していく……下らない社内政治にうつつを抜かしていたことへの自己嫌悪から自暴自棄になっていたとき、海軍将校募集の広告を見つけたそうだ。
「なんかさ。初めてあのプラモデルを見たときの感覚を思い出したんだよ。身体中に鳥肌がぶわーっとたったというか、胸がギュッて締め付けられたっていうか、そんな感覚を久しぶりに感じた」
「うう……」
「ひょっとしたら電に会えるかもしれない。あの時憧れた世界一カッコイイ駆逐艦の電に、おれは会えるかもしれない……そう思ったら、いてもたってもいられなくなった」
「め、めちゃくちゃ恥ずかしいのです……」
「俺も恥ずかしいんだから我慢してよ……」
その日のうちに司令官さんは海軍将校になることを決意。士官学校最高齢での入学だったそうだ。試験も突破し無事に鎮守府を管理する今の役職についたとのことだ。
そして一つの鎮守府を任される者には、業務の補佐として任務娘、そして当面の戦力となる初期艦として艦娘を一人つけられる。初期艦として選択出来る艦娘のリストを見た時、司令官さんの心を稲妻のような衝動が駆け巡った。
下記リストから初期艦として選択する者の名前を記入する
-------------------------------------
吹雪型駆逐艦一番艦:吹雪
吹雪型駆逐艦五番艦:叢雲
綾波型駆逐艦九番艦:漣
暁型駆逐艦四番艦:電
白露型駆逐艦六番艦:五月雨
-------------------------------------
選択する艦娘の名前:
『初期艦の子とは長い付き合いになる。彼女たちの性格を把握し、よく考えて……』
『電で』
『いやだから、よく考えて決めろと……』
『電で』
『だからよく……』
『電で』
『分かった! わかったから申請書類に電って書いてそれを……』
『電。早く電。電』
『分かったから書類! 書類書いて!!』
そうして赴任する鎮守府も決まり、私たちの初対面の日が来た。実は司令官さんは、はじめて私を見た時にちょっとガクッときたそうだ。
「だってそうでしょ。俺が世界で一番カッコイイと思ってた船が、こんなにちっちゃい女の子になっちゃってるんだもん」
「ひ、ひどいのです……」
そして初出撃。私はその時戦闘そのものには勝利したけれど、どうしても敵の駆逐艦を撃沈したくなくて見逃してしまった。そしたら。
『電、帰投したのです』
『ほい。初めての出撃おつかれさん。敵を撃沈しなかったんだって?』
『は、はいなのです』
『なんで?』
『え、えーと……』
『うん』
『できれば、戦いたくないのです……』
『……』
『沈んだ敵も、出来れば助けたいのです……』
『……ぶふっ』
『司令官さん?』
『あ、いやごめんね。おつかれさん。お風呂入っといで』
『はいなのです。電、入渠するのです』
司令官さんは私の報告を聞いてぶふっと笑った後、私を責めずに優しく入渠を指示してくれた。あの時のことはよく覚えている。
「どうして笑ったのです?」
長い間思っていた疑問を司令官さんにぶつけてみた。
「……スラバヤ沖海戦」
「へ?」
「お前さんたち艦娘に軍艦だった頃の記憶があるかはよく分からない。でも、お前さんが敵艦を撃沈しないで帰ってきたって知った時……『沈んだ敵も出来れば助けたい』って言った時、スラバヤ沖海戦の話を思い出した」
うっすらと覚えている。私がまだ軍艦だった頃の話だ。私の乗組員たちが、海戦で海に放り出された敵軍艦の乗組員たちを必死に救助したその海戦……
「『この小さい女の子は確かに、俺がガキの頃に心奪われた暁型駆逐艦四番艦の電なんだなぁ……』ってなんかホッとしたのよ。そしたらなんか吹き出しちゃって」
「そうだったのです?」
「うん」
「……」
「だからさ。俺は嬉しいのよ。お前さんは確かに敵を撃沈するのを極端に嫌がってるけど、それは、俺が大好きだった……俺のヒーローだった電のままなのよ」
「……」
「それが艦娘失格なのかどうかは正直俺は知らんけど……」
「……」
「たとえそうだとしても、電には今の電のままでいて欲しい。むしろ、今の優しい電だからこそ、みんなにとっては大切な子だ。……もはや加齢臭のキツい初老のおっさんだけど、俺はそう思ってるよ? そしてきっと、他のみんなもそう思ってるよ?」
暗くなり始めた夕焼けに照らされた司令官さんの笑顔は私に向けられていた。
「司令官さん……ひぐっ……」
「ガキの頃の俺の心を奪ってくれてありがとう電。おかげで俺は今、いい子たちに囲まれて充実した日々を過ごせている。深海棲艦の仲間だなんて、普通にしてたら絶対に出会えない友達を連れてきてくれる」
「ひぐっ……ぐすっ……」
「なにより、ガキの頃の俺の憧れだったお前さんと毎日過ごしていられる。ありがとう電」
司令官さんはそう言って、キラキラと輝いた目で私を見つめていた。きっとこの眼差しが、幼いころに私のプラモデルを見つけた時の……私の本を夢中になって読んでいた時の、司令官さんの眼差しだったんだ。
私もこの人に初期艦に指名されてよかった。他の人から『艦娘失格』とか『ヘタレ駆逐』とか言われる中、この人はそんな私のことをヒーローと言ってくれた。そのままでいい、今のままでいて欲しいと言ってくれた。司令官さんのこの言葉は、自己嫌悪に陥りそうになっていた私の心のヒビに静かにゆっくりと、だけど深いところまでじっくりと温かく染み込んでいった。
「司令官さん……ひぐっ……司令官さん」
「ん?」
「ありがとうなのです……電もありがとうなのです……ひぐっ……」
「……んじゃみんなと晩御飯たべといで」
「……はいなのです。んじゃ司令官さんも……」
「俺のことはいいから。みんなで食べてきなさい。みんな待ってるから」
「そうなのです?」
「うん。きっと待ってるよ」
なぜみんなのことを司令官さんは分かっているのだろう……そう思って司令官さんを見た。いつの間にやら死んだ魚の眼差しに戻っていた司令官さんは、いつもの司令官さんに戻ってしまっていたようだった。
「知らんけど」
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