テキはトモダチ
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6. 一航戦とビッグセブン(後) ~赤城~
プレートメイルを着込んだ女性……ロドニーと呼ばれた彼女は、静かに目を開いた。綺麗なブルーの眼差しだが、こちらに突き刺してくるような眼差しは非常に鋭い。
「ネルソン級戦艦二番艦のロドニーだ。女王陛下に忠誠を誓った身だが、今は縁あってこちらの中将閣下の指揮下に入っている」
聞いたことがある。ネルソン級といえば一番艦ネルソンと二番艦ロドニーがビッグセブンの一角だったはずだ。単純に考えて長門さん陸奥さんと同格クラスの艦娘ということか。先の大戦時には、同じく海外艦のビスマルクさんの轟沈にも彼女は一枚噛んでいたはず。
「赤城型航空母艦・赤城です。よろしくお願いいたします」
「ほう。貴公があの一航戦の……」
「私のことをご存知なのですか?」
「知っている。最強の航空戦隊の名は、貴公が思っている以上に世界に轟いている」
ロドニーさんはそういい、微笑みながら私に近づき右手を差し出してくれた。私もそれにならい、右手を差し出して金属の小手をつけた彼女の右手を取り、握手を交わす。
「よろしく」
「よろしくお願いいたします」
彼女の握力が強い。表情を見る。口元は微笑んでいるが、こちらに突き刺してくるような鋭い眼差しは変わらない。
「……」
「……」
私の直感が告げた。彼女はこちらを威嚇している。
「では赤城も来たことだし、本題に入るぞ」
ソファにふてぶてしく座って私とロドニーさんの様子を伺っていた中将が、汚い声でそう宣言した。私の意識の問題もあるだろうが、中将の声質はやたらとこちらの神経を逆撫でしてくる不快な声だ。ロドニーさんは顔色一つ変えず私との握手をやめると、再び壁際に戻り、姿勢を正した。騎士を思わせる美しい佇まいだが、彼女の全身から戦闘意欲が漏れ出しているようだ。気が抜けない。
大淀さんが自身のパソコンを開き、電源を入れる。大淀さんのメガネにパソコンの画面に映る文書作成ソフトのロゴが反射していた。彼女はこれから始まる会合の記録係と言ったところか。
「先日、私の耳に信じがたい情報が入った」
「ほぉ。どのような情報ですか?」
「なんでも、深海棲艦の大御所を匿う鎮守府があるそうじゃあないか」
やはり提督と私の予想は当たった。中将は私達が集積地さんを保護した件でお冠のようだ。まぁ分かりきったことではあるが。
「……」
「……」
中将と提督が互いに相手を目線で牽制……していない。中将は怒りを抑えきれないといった眼差しで提督を睨みつけているが、提督はいつもの死んだ魚のような眼差しで中将を見つめているだけだ。
中将が大げさにソファから立ち上がり、これまた大げさにドカドカと軍靴の音を執務室に鳴り響かせて提督の机の前まで来た。提督の眼差しは変わらない。相変わらず死んだ魚の眼差しだ。
「……」
「……素直に吐いたらどうだ? 調べはもうついてる」
「中将閣下にはかないませんなぁ……その鎮守府はうちです」
中将に言い寄られた提督は、思いの外あっさりと集積地さんの保護を認めた。もう少し粘るかと思っていたが……だが中将に威圧され仕方なく……という雰囲気ではない。
「……なぜそのようなことをしでかした」
「人道的観点から。戦時国際法では捕虜はキチンと保護しなければならんでしょ?」
「それは人間同士の戦争の場合だ! この戦闘は艦娘と深海棲艦の制海権を賭けた戦いだぞ!?」
「こっちの艦娘もあちらさんサイドも、同じく人間の姿をしてますなぁ。人間も艦娘も深海棲艦もそう変わらんでしょう」
「だとしてもそんなもんを律儀に守る必要はないッ」
「『赤信号、みんなで渡れば怖くない』を国家レベルで行くわけですか? いやぁー、さすがは歴戦の古強者であらせられる中将閣下ですなぁー。戦場の酸いも甘いも体験してきた方がおっしゃるお言葉には、含蓄がございます」
「なめとるのか貴様ッ!!」
不意に鳴り響くバンという音。中将が提督の机に自身の拳を打ち付けた音だ。私から見て中将は、提督の鼻先をかすめるように拳を机に打ち付けていた。にもかかわらず、提督はまったく微動だにせず、涼しい顔で中将を見ている。
「……相手は敵だぞ」
「今のところは……ですが」
「敵である以上、勝たねばならん」
「孫子曰く『戦わずに勝つのがチョーサイコー☆』らしいですなぁ」
「いずれは殲滅させる必要がある相手だ」
「『相手を全滅させるだなんてサイっテー☆』とも言っているようで」
平気でペラペラと軽口を叩いている提督に対し、頭の血管が切れる音が聞こえてくるのではないかと思えるほどに顔を真っ赤にしてプルプルと震えている中将。力を込めた右拳によって、中将の怒りがこれでもかと表現されている。
先ほど、私は『人を不快にさせる才能は中将の方が上だ』と思っていたが……それは訂正する。先程から提督からは中将のご機嫌をなんとかして損ねてやろうという子供染みた意図しか感じられない。そして本来なら咎めるべきところなのだが……今の私は機嫌が悪いせいか、この提督の暴言の数々を実に清々しく感じている。
「……そいつはどこだ」
「そいつとは?」
「貴様らが匿っている集積地棲姫のことだ!!!」
再びドカンという音が執務室内に響いた。中将が今度は提督の机を足蹴にしたようだ。だがそれすら、提督は動じない。
「現在は意識不明の重体のため集中治療中です。ゆえに面会謝絶のため、お会いしていただくことは出来ませんなぁ」
「状態なぞ聞いとらんッ……場所を聞いているッ……」
「どうせ会えないのですから居場所など聞いても意味無いことは、聡明な中将閣下なら私以上に把握しておられることと存じます。……が?」
提督がそう言い終わるか終わらないかの時。中将が勢い良く提督の襟を両手でつかみ、そして無理矢理に立ち上がらせた。そしてそのまま提督の襟を力任せにねじり、我慢しきれない怒りをにじみ出す顔を近づけた。
「何のためにここにわざわざロドニーを連れてきたと思っとるんだ貴様は……ッ!?」
「我が鎮守府の栄光ある第一艦隊との親睦を深め、日本文化にいち早く馴染んでいた……」
「お前が匿っている敵をねじり潰すために決まっているだろうがッ!!!」
ついに堪忍袋の緒が切れたと思われる中将の右拳による鉄拳制裁が、提督の左頬を直撃した。殴られた提督はその勢いに身体を持って行かれ、提督から見て右側にある戸棚に身体をぶつけ、床に倒れこみ、うずくまった。
「提督……ッ!」
「言え! 言わんかッ!!」
「……」
たまらず提督に声をかけたが、提督は答えない。目深に被った帽子のせいで、私の角度からは床に倒れこんだ提督の表情が見えない。執務室に訪れる耳にうるさいほどの静寂。大淀さんが叩くキーボードの音だけが機関銃のようにバチバチと鳴り響く。
さっきまでは中将を茶化しつつ責め立てる提督の言葉に清々しさを感じていた私だが、さすがにここまで来るとやり過ぎだ。たとえこんな提督でも、やはり上官が殴られたのに黙って見ているのは気持ちが悪い。たまらず中将を制止した。
「中将閣下! 意見具申よろしいでしょうか!」
「黙れ赤城!! 楯突くようなら貴様は解体処分だッ!!」
『私の上官はあなたではない』という言葉が喉まで出かかったが、なんとかこらえる。大淀さんが叩くパソコンのキーボードの音だけが鳴り響いている。気のせいか先程よりも音が大きく、激しくなってきている。大淀さんも中将に対して怒りがたまっているようだ。
「大淀ッ!」
「……」
「やめんか大淀ッ! パソコンの音がうるさいぞッ!!」
「私の仕事はこのミーティングの記録です」
「やかましいッ! いいからやめろッ!!」
中将の怒りが今度は大淀さんに向いたようだ。大淀さんはいつものように右手でメガネのズレを直した後、チラッと中将を見て、すぐにパソコンに視線を落とした。ここからでも分かる。彼女は今、猛烈な勢いでキーボードを叩き、この内容の記録を取ることで怒りを表現している。
「……やめなさい大淀」
うずくまっていた提督が右手を大淀さんに向け、静かにそうつぶやいた。いつもの、覇気のない優しい言い方だ。
「……よろしいのですか?」
「うん。いいからやめなさいよ」
提督の指示を受け、大淀さんの手が止まった。今この室内で聞こえる音は中将の荒い息遣いのみとなった。静かに立ち上がり襟を正した提督は、何食わぬ顔で中将のそばまで歩いてくる。
「ったく……この鎮守府は艦娘のやつらにどういう教育をしとるのかッ!!」
「彼女たちの自主性を重んじておりますゆえ。いやー失礼いたしました」
頬に殴られた痕を残しながらも、提督は中将に向かってケラケラと笑っている。死んだ魚の眼差しは変わらず、殴られた痛みすら微塵も感じさせない。口の中を切ったようで、唇の端から少しだけ血が垂れているのが見えるが、それ以外に提督の怪我の痛みを訴えてくるものは、頬の痣のみだ。
「……どうあっても深海棲艦の元まで案内はせんのか?」
「だから申し上げたでしょう絶対安静だと」
「……ロドニー」
「……」
ガシャリという鎧の音が響いた。ロドニーさんの方に視線を向けると、彼女の右手が腰に挿している剣の柄に添えられている。見るものを刺す彼女の視線の鋭さが増した。執務室内の空気の体感温度が変わり、空気の感触が固くなる。先程までは荒んだミーティングのそれだった室内の空気が、一気に開戦前の戦場の空気になった。
まずい。もしロドニーさんがここで暴れたら……私は素手だ。相手も素手なら組み伏せる自身はあるが、まさか帯剣しているとは思ってなかった。その立ち居振る舞いから、ロドニーさんは相当な強さであることが伺える。剣で武装した彼女を、素手の私が組み伏せられるだろうか……右手の人差し指がピクピクと動いた。
鋭い視線で室内を見回すロドニーさんの様子を伺う。彼女はすでに頭の中でこの密室での戦闘を組み立て始めている。恐らく真っ先に狙われるのは私。彼女の第一撃は何か……袈裟斬りか横薙ぎか……あるいは刺突か……彼女の殺気が視覚化されるほどに強くなってきた。その殺気は、自身が次の瞬間に刺突で私にとどめを刺すつもりであることを告げていた。
「いやぁー艦娘たるもの、戦場で火花を散らせたいものですなぁー」
不意に提督の明るい声が室内に響き、戦場の空気を打ち破った。ロドニーさんから感じられた殺気が消え、室内の温度が幾分柔らかくなる。
「……?」
「……貴様、どういう意味だ?」
「そのままの意味です。艦娘たるもの、やはり戦いは海上で、敵を相手に繰り広げたいものですなぁ。こんな陸の上で、共に戦う仲間とではなく」
「なんだと?」
唐突に訳のわからない事を聞かされたせいだろうか。少々怒気を抜かれたらしい中将を尻目に、提督はロドニーさんに視線を向けた。同じくロドニーさんも、あの鋭い視線のまま変わらず提督を見つめ返す。一度柔らかくなった空気が、再び硬質になった。
「なぁロドニー?」
「……?」
「その実力は、やはり敵を相手に披露したいよなぁ? 仲間の艦娘相手ではなく」
「……ああそうだな。敵ならいざ知らず、仲間を殺したくはない。栄えある一航戦ならなおさら」
提督の言葉を受けロドニーさんはそう返答し、わざわざ私に視線を刺しながらニヤリと笑った。これは私への挑発か。彼女自身にそのつもりはないかもしれないが、私の戦闘意欲はそう受け取った。いけない。ここまで挑発されると闘争心がうずく。彼女を潰せと騒ぎ立てる心を鎮められない。
「なあ赤城?」
「?」
「お前も戦う時は海上で敵を相手にしたいよなぁ? こんな陸の上で、仲間を相手に素手じゃなくてさ」
この人もこの人だ。ここに来て私を煽ってくるとは思ってなかった。私の身体がゾクッと震える。口角が上がるのを抑えきれない。私の周囲の温度がさらに下がり、全身がロドニーさんとの戦いに備え始めたことを感じた。
「そうですね。この場でビッグセブンを組み伏せるよりは、海上で弓を得物に存分に戦いたいものです」
私はロドニーさんに自分の視線を刺しながらそう言い放った。提督にではなく、ロドニーさんに言った。これはロドニーさんの挑発に対する私の返答だ。あなたがそのつもりなら私も容赦しない。ビッグセブンか……一航戦の相手として申し分なし。そうして私とロドニーさんの、無意識化での攻防が始まる。
「……ロドニー」
「……ハッ」
「帰るぞ」
執務室の空気の異変に感づいたのか……はたまた口を割らない提督に業を煮やしたのかは定かではない。だが提督を睨み続けていた中将は一度大きく息を吐き、怒気を抜いてロドニーさんを制止した。剣の柄から左手を離し、再び姿勢を正して目を閉じるロドニーさんが小さく舌打ちしていたのを、私は見逃さなかった。
「……いずれその椅子から引きずり下ろしてやる」
「いやははは……出世とは無縁な人生ゆえ、そのようなこともあるかもしれませんなぁ」
「その時は安心しろ。ここの奴らは私が面倒を見てやる」
「その方が戦果があがるかもしれませんなぁあははははははは」
「……フンッ」
縁起でもないことを口にしながら苦笑いを浮かべる提督を尻目に、中将は必要以上に軍靴の音を鳴らして部屋を出た。かなり乱暴にドアを開け放った為、壁にドアがガツンと当たる。ヒビが入ったドアが壊れてしまわないか心配になったが、特に問題はないようだ。
「いずれ見せてもらうぞ。一航戦の実力をな」
中将さんに続いてロドニーさんが部屋から退出する際、すれ違いざまに私にそう告げていった。提督や大淀さんの耳に入るか入らないかの小さな声であったが、私の耳にはしっかりと届いた。やはり彼女は私を挑発していた。
「その時はビッグセブンの名に恥じないご健闘をお願いしますね」
「無論だ」
私の返答にニヤリと笑みをこぼしながらそう答えた彼女は、そのまま静かにドアを閉じた。パタンという音が鳴り、執務室にいつもの静寂が訪れた。
「赤城」
「……はい?」
「落ち着きなさいよ」
提督に静かにそう言われ、私の右腕がピクピクと動き続けていたことに気付いた。知らぬ間に右腕に力が入っていたようだ。私の無意識はすでにロドニーさんに向けて矢を引き絞っていたらしい。
「……失礼しました」
「いいから肩を一端上げてストンと落としてみなさい。リラックスするから」
意識して深呼吸し、肩をぐるぐると回して身体をリラックスさせる。何度か肩を持ち上げてストンと落とし無理矢理に全身の力を抜いて、体中の臨戦態勢を解いた。
「提督」
「はいはい?」
「中将はいつもあんな感じなんですか? 正直申し上げますと不愉快この上なかったのですが」
「まぁ……あんな感じだねぇ。赤城がイライラして大淀がブチギレたのは予想外だったけど」
そういい提督は苦笑いを浮かべながら帽子を脱ぎ、頭をポリポリと掻いていた。この人もよく言う。大淀さんはともかく、最後に私を煽ってきたのは他ならぬ提督だったのに。
「提督が余計なことを言わなければ、私とロドニーさんは一触即発にはならなかったんですよ?」
「あれはね? 二人をワザとけしかけてドンパチする寸前にもってけば、それで中将が尻込みしちゃうだろうっていう俺の計算なのよ?」
「最初にロドニーさんに指示を出したのは中将なのに?」
「あの人、なんだかんだで小心者ぽいからね。ここで派手にやらかして、最新鋭の艦娘に傷でもつけたら大変だとか思ったんじゃない?」
ロドニーさんは本気だったようだが……あの相手を刺す眼差し。そして私への挑発。彼女はあの時、本気で私と戦おうとしていた。物腰は静かなようだが、本質的には相当に好戦的な性格のようだ。強者には挑まずにいられない……それも敵味方の区別なく……そんな感じの人のようにも見える。うちの天龍さんや、妙高型の足柄さんをもっと凶暴にした感じと形容すればいいだろうか。物静かで礼儀正しいのは外見だけだろう。
「ともあれ何事もなくてよかった。あの二人が鎮守府から出たのを確認したら、電と集積地に『もう大丈夫だよー』って伝えてちょうだい」
「わかりました。……提督は大丈夫なんですか?」
「なにが? ほっぺた?」
とぼけたことを……確かに殴られた怪我も心配だが、今回の中将を見る限り、提督の立場はあまり良いとは言えない状況のはずだ。そしてそのことは提督も分かっているはずだ。
「いえ、立場上マズいのでは……」
「いまさらだよいまさら。中将から俺への信頼なんてとっくの昔になくなってるよ。なぁ大淀?」
いつの間にか薬箱の用意をしていた大淀さんは提督からそう声をかけられ、返答に困った人特有の困惑した苦笑いを見せていた。こういう『はい』とも『いいえ』とも言えない質問には、いくら聡明な大淀さんも困るだろうに。かといって私に振られても困るけど。
「そうですね。提督は一人では鎮守府運営も出来ませんし……戦果も全然上げられないし……」
「そう責めないでよー……確かに大淀いないと鎮守府運営も出来ないし、艦隊指揮はみんなに頼りっぱなしだけどさー……」
苦笑いしながら熟考した結果、大淀さんは素直に思ったことを口にすることにしたらしい。戦果が上がらないのは私達の練度不足もあると思うと耳が痛い。大淀さんの、辛辣ながらも柔らかい叱責を受け、提督は死んだ魚の眼差しのまま苦笑いを浮かべていた。
「とりあえず提督、血を拭いてください。私は氷の準備をしますから」
「うんお願い。赤城も言付け頼んだよ」
「了解しました。……あと、提督」
「ん?」
私はこの時、以前の大淀さんの言葉を思い出していた。
―― あの人が私たちをとても大切にしてくれているのは本当ですよ
この言葉を聞いた時、私は大淀さんの言葉を信じることが出来なかった。だが先ほど目の前で繰り広げられた光景を見て……提督が中将に立ち向かう姿を見て、その認識が変わった。
「今までああやって、私たちを中将から守ってくれていたんですね。ありがとうございます」
確かに提督は、鎮守府運営は苦手なのかも知れない。書類整理もタスク管理も苦手で、大淀さんがいないと仕事が蓄積していくばかりなようだ。艦隊指揮も苦手だ。だから海上戦闘は私達に丸投げで、おかげで鎮守府の戦果はまったく上がらない。他の鎮守府に比べると、この鎮守府は落ちこぼれの部類に入るだろう。
だがその分、提督は自分にしか出来ないことをやっていた。私たちが誰の目も気にすることなく自由に動き本来の仕事に集中出来るよう、提督は私たちを全力で守っていたようだ。そして提督は、私たちが自由に行動した結果の責任をしっかりと負っている。その意味では、彼は私たちにとっては理想の上官と言えるだろう。
彼の元であれば、私たちは何者をも恐れず自由に動くことが出来る。それはある意味では、私たちにとってはこの上なく恵まれた環境なのかもしれない。そんな素晴らしい環境を作ってくれた提督に対し、私はやっと上官としての威厳を感じ始めていた。
「こんなことしか出来ない、うだつの上がらない提督ですよ。お前さんたちはいつものように、気持ちよーく仕事してくれりゃいいんだから」
そう言って笑う提督の目は、いつもに比べて少しだけうれしそうだった。相変わらず死んだ魚の目だったけど。
中将とロドニーさんが鎮守府から離れたのを確認した後、私は資材貯蔵庫に向かう。二人を見送った鳳翔さんと球磨さんに話を聞いてみたところ、ロドニーさんの艤装は前方への攻撃に特化した装備だったようだ。執務室で彼女が背負っていた巨大なランスもその一環なのかもしれない。
『スピードはそんなに出てなかったから、あのでっかいヤリで突っ込まれても怖くはないクマ』
球磨さんは鼻息を荒げながらそう言っていたが……そうだとしても油断は出来ない。大戦時の金剛さんのように近代化改修で劇的に速力が上がれば、ランスチャージはこの上ない脅威となる。そうなった時、私の艦攻隊と艦爆隊で彼女を捉えきることが出来るだろうか……
知らぬ間にロドニーさんとの戦いを頭の中で組み立てている自分に苦笑しつつ、資材貯蔵庫の扉を開く。以前は貯蔵庫内の空気はひんやりと冷たく、物資を貯蔵している場所特有の生活感の無さを感じたが……今は集積地さんが居座っているためか、その空気にも若干人のぬくもりが感じられる。
「電さーん。集積地さーん」
貯蔵庫に足を踏み入れ、二人の名を呼んだ。奥から『赤城さんなのです?』という電さんの声が聞こえる。不安感がこもっているように聞こえたのは、私の気のせいではないはずだ。
「そうですよ。おまたせしました」
「中将さんは帰ったのです?」
「帰りましたよ。もう隠れてなくても大丈夫です」
声の発生源がいまいち掴めないまま貯蔵庫の奥に足を踏み入れた。さっきまで二人が妖精さんと共に貧乏神をなすりつけあっていたゲーム機とテレビモニターは電源が切られていて、今は一切の音を発していない。
そこから少し奥まったところにあるボーキサイトのかげから、電さんと集積地さんが顔を見せた。二人は私の姿を見るなり安心した表情で姿を表し、私のそばまで歩いてくる。電さんと集積地さんは息を潜めて貯蔵庫の中でずっと隠れていたらしい。二人と遊んでいた妖精さんたちもいなくなっている。
「二人とも。お疲れ様でした」
「赤城さんこそお疲れ様なのです。中将さんにはヒドいことされなかったのです?」
「私は特になにも。確かにちょっと怒鳴られましたけどね」
「はわわわわわ……やっぱり中将さんは怖いのです……」
私の話を聞いて、自分が怒られた時のことを思い出したのだろうか。電さんは顔を真っ青にして恐れおののいていた。確かに優しい彼女にしてみれば、机を叩いて怒りを表現することでこちらを威圧してくるあの中将は、さぞ恐ろしかったことだろう。今回同席したのが私でよかった。
「……アカギ」
「はい?」
「やはり私のことでか?」
「そうですね。あなたを出せと迫られましたが、提督はなんとかかばいきりましたよ」
「そうか……ありがとう」
「礼なら電さんと提督に言ってください。あなたに関しては電さんがすべての発端で、それを受け入れたのは提督です。私は何もやってませんから」
「そうか……」
集積地さんは私の言葉に対してそうつぶやき、隣で未だに青ざめた顔をしている電さんの頭を撫で、彼女の右手を取っていた。神妙な顔をしている。何か思うところがあるのだろうか。
「アカギ。イナズマも聞いてくれ」
「はい?」
「どうしたのです?」
「イナズマ、お前は私を助けてくれた。お前が私を見捨てていたら、今私は生きてはいなかっただろう」
「そんなこと……改めて言わなくていいのです……」
「お前たちの司令官は司令官で……私をかばってくれた」
「ええ。お二人に見せたかったです。集積地さんをかばう提督を」
「アカギもだ。お前もその場にいたんだろう? ならば私を助けてくれたことと同じだ」
「そんなことはないですよ」
実際、私はロドニーさんへの牽制としてその場にいただけだ。まさか本当に挑発されるとは思ってなかったが……それは今は彼女たちには黙っておこう。ロドニーさんとの遺恨は、彼女たちとは関係ないところでのものだ。
「みんなが私のことを守ってくれた……」
「集積地さん?」
「どうしたのです?」
フと顔を上げ、何かを決意したと思しき集積地さんは、ハンモックのそばに置いてあった自身の艤装の元へ行き、その艤装を作動させた。
「集積地さんッ! 艤装を作動させてはいけないのです!」
「心配はいらない。作動させるだけだ。装備はしない。それなら文句はないはずだ」
突然の彼女の行動に一瞬血の気が引いたが、どうやら彼女に攻撃の意思はないらしい。身につけないまま艤装を動かし始めた集積地さんは、そのまま艤装をごそごそといじりはじめ、次の瞬間……
『キャハハ! キャハハハハッ!!』
『キヤー!! ウキャー!!』
見るからに深海棲艦と思しき10体ほどの妖精さんほどの大きさの子供たちが艤装からトコトコと次々姿を表した。子どもたちといっても頭部はどう見ても深海棲艦のため、いまいちかわいいと評価出来ないのが非常にもどかしい。小さい子たちは私たちの前に一列に並び、一人がビシッと敬礼をすると、集積地さんは彼らに小さくコクリと頷いていた。
「集積地さん……この子たちは?」
「PT子鬼たちだ。私の手足となって動いてくれる」
「今まで艤装の中に隠れてたのです?」
「正直に言うと、お前たちの出方が読めなかった。だからこの子たちがひどい目に遭わないよう、私がみんなに隠れているように命じていたのだが……」
集積地さんがうなずいた後、子鬼さんたちはおのおの身体をストレッチをしたり、その場でゴロゴロと転げまわったり……中には腹筋をしている子もいた。狭い艤装の中でずっと隠れていたせいで、身体を動かせる状態になったことがとてもうれしいみたいだ。キャッキャキャッキャ言いながら、おのおの自由に身体を動かし、ほぐしている。腹筋をしている子だけは『ぅうあーふるるしゅるしゅる……ぅうあーふるるしゅるしゅる……』というよくわからない、おぞましい呼吸音を発しながら腹筋を継続していた。その姿は私に、アメリカの悪徳プロレス経営者を思い出させた。
しばらくそうした後、子鬼さんたちは再び一斉に集積地さんを見た。集積地さんが再度小さくコクリと頷くと、子鬼さんたちは一列に並んで資材貯蔵庫の出入り口に向かってとことこと歩き出していった。
「この鎮守府に……私たちを助けてくれたお前たちに礼がしたい。鎮守府にいる間は、私も資材を集めよう。お前たちが資材を集めるよりも、何倍も効率がいいはずだ」
集積地さんはそういい、私と電さんを真っ直ぐな瞳で見つめていた。先の作戦で私たちは集積地さんと幾度となく戦ったのだが、その度に集積地さんは、自陣に莫大な資材を貯蓄していた。短時間であれだけの量の資材を集め続けていた集積地さんが、今度はこの鎮守府の資材を収集してくれる……たくさんの資材が……鎮守府に集まる……
「じゅるり……」
「? アカギ、どうした?」
しまった。ロドニーさんの時とは違う意欲が刺激されてしまった。想像するだけでおなかがへってくる。口からたれそうになったヨダレをふき、再度集積地さんに確認を取る。キリッ。
「し、失礼……集積地さん、いいのですか?」
「もちろんだ。私の命を助けてくれたイナズマたちに、私も恩返しがしたい」
「ありがとうなのです! ちっちゃい子鬼さんたちもありがとうなのです!」
中将の件で陰が差していた電さんの表情に明るさが戻った。集積地さんに対する彼女の適応力はすごい。数日前に会ったばかりの集積地さんに対しもう心を開き、そして新しい友達をもたやすく受け入れている。駆逐艦・電には驚かされてばかりだ。
「集積地さん」
「?」
「ありがとう。この件は提督に報告させていただきます。後ほど提督から話があると思います」
「分かった」
「先に伺っておきます。資材収集にあたって、何か条件はありますか?」
「私と同じく、PT子鬼たちとも仲良くしてやってくれ。あと私がここにいる間は、出来れば私の仲間との戦いを避けてくれると嬉しい」
「わかりました。当然の要望ですね。あの提督なら、きっとOKするはずです」
「そうか。よかった……私が集めた資材が、仲間を殺すことにはならないんだな」
「ええ」
提督ならきっと『んじゃしばらく出撃はやめよっか』と言うだろう。たとえ電さんが絡んでいたからだとしても、あれだけ体を張って集積地さんをかばった提督ならきっとそういうはずだ。今日の提督の姿を見ていた私は、不思議とそう確信していた。提督はもはや、集積地さんすらも鎮守府の仲間だとみなしているのだろう。
『キヤー! ウキャー!!』
『キャハハ! キャハハハ!!』
2人の子鬼さんたちが早速戻ってきたようだ。二人はボーキサイトの塊を頭上に掲げ、誇らしげに胸を張って私たちの元までとことこと歩いてくると、集積地さんに向かってそのボーキを高々と掲げていた。
集積地さんはその二人の子鬼さんたちにボーキの貯蔵先を指示し、子鬼さんたちはそのボーキを高々と掲げながら貯蔵先に運んでいった。
「ぐぅ〜……」
「アカギ?」
「お腹空いたのです?」
「あ、し、失礼しました……お昼をまだ食べてなかったもので……」
その後はゲームをしていてお昼ごはんを食べそびれていた2人と一緒にお昼ごはんを兼ねたおやつを食べ、提督に集積地さんのことを報告した。私の報告を聞くなり提督は、
「はいよー。んじゃしばらくは遠征と演習だけにして、出撃するのはやめよっか」
とほぼ予想通りの反応を見せた。そして実際にその日以降出撃はなくなり、私たちの仕事は資材調達の遠征任務と、練度を上げるための演習のみとなった。
「ゼハー……ゼハー……姐さん……」
「はい?」
「疲れたんじゃねーか? いつもよりも……ゼハー……爆撃が生ぬるい気が……するぜ?」
「それだけ天龍さんの練度が上がってるんですよ。最近は対空演習ばかりですからね」
「まったくだ……ゼハー……集積地さまさまだな……ゼハー……」
そして集積地さんと子鬼さんたちは少しずつ、だけど確実に私たちに馴染んでいった。この日も集積地さんは、休憩中の子鬼さんたちを引き連れ電さんと一緒に私たちの対空演習を見物していた。
「なあ集積地! お前のおかげで俺もめちゃくちゃ強くなってんぞ!!」
「そうか。……なら、私たちともやってみるか?」
「お! マジか! 演習の相手してくれるのか?」
「ああ。私とPT子鬼たちがな」
「え……」
『キャッキャッ!!』
『キャハハハッ!!』
数分後。すばしっこく動きまわる子鬼さんたちにいいように遊ばれた挙句、完膚なきまで叩きのめされ敗北した天龍さんの下半身が海面から突き出ていた。私たちはまだまだ練度が足りないようだ。
「ぐう……ナイスファイト……だぜ……お前ら……」
「なんだかスケキヨみたいですねぇ……」
「子鬼さんたち、すばしっこくて強いのです……」
「当たり前だ。私の大切な分身みたいなものだからな」
「な、納得なのです……」
『キャッキャッ!!』
『キャハハハッ!!』
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