魔弾の王と戦姫~獅子と黒竜の輪廻曲~
しおりを利用するにはログインしてください。会員登録がまだの場合はこちらから。
ページ下へ移動
第8話『戦姫集う王都~風姫の新たなる挑戦』
『ジスタート王国・王都シレジア・執務室』
ヴィクトール=アルトゥール=ヴォルク=エステス=ツァー=ジスタートは悩んでいた。
ライトメリッツによる突然のブリューヌの内乱へ介入するという突発的な事態に、先日のディナント戦における講和会議は中断されることとなった。
延期によって得た貴重な時間を敗戦国のブリューヌに対して、つけ入る準備に使える為、本来なら、これは喜ばしい事態であったはずだ。
しかし、先ほどの報告によって、ブリューヌ内乱の中心人物。エレオノーラが介入した相手をテナルディエ公爵と知ってしまった。
ヴィクトールは自分に問いかける。
ブリューヌとジスタートの再戦の危険性は確かにある。だが、ジスタートが滅びるかもしれないという危機はさらに絶大ではないか?
――相手がましてや、『まつろわぬ民の末裔』のテナルディエ家なら――
「正直、余にはどうしたらいいのか分からん。エレオノーラがいう事も本当という確証はあるわけではないし……」
「陛下、今、ジスタートが平和と繁栄を享受できるのは、隣人たるブリューヌのおかげと……私は考えております。」
王が相談を持ち掛けた相手は、ユージェン=シェヴァ―リンという人物だ。
過去にブリューヌとの外交を担当しただけあって、その考え方は他の官僚達とも一線を画している。
隣人という言葉を強調して放つには、ユージェンがこれまで育まれた『国交』そのものが起因している。
ブリューヌ国王たるファーロン以外の王は野心家だ。ジスタートがそれほど戦禍に怯えすに済んでいるのは、ファーロン自身の外交力によるものだ。少なくとも、ユージェンはそう思っている。
「もしも、ジスタートに直接的な危機が近づいているわけではないとしても、我々は彼らに対して、力の限り、内乱を収めて、恩を返すべく努力する義務があると思うのです」
逡巡の極致にある王に向かって、相談をもちかけられたユージェンは王に力説した。しかも、語り合っているうちに、さらにある危険性の存在を気づかされた。
(もしも、ジスタートへの直接的な危機が、既に近づいているとしたら?)
ふいによみがえる、数十年前の――『ヴァルガ大河攻防戦』
かつての機械文明がジスタートを攻め立てたように、『影』に潜み活動しているとすれば?
だが、ユージェンの思惑とは裏腹に、ヴィクトール王の気持ちも既に固まっていた。
ただ、王としての軌条からはずれた事が一度としてなかった自分の生涯に、大きな脱輪の可能性が待っているとは信じられなかった。
不思議なことに、ユージェンの言葉を、自分の良心であるかのように、ヴィクトールは感じた。
(余は、もしかしたら戦姫共の悪影響を受けてしまったのだろうか?)
そう思いつつも、とある神殿で暮らす嫡男や、血を分けた多くの家族たちを思い出す。
ジスタートの行く末が脱輪ではなく、せめて分岐点の延長上であるほうが望ましい……とさえ考えてしまう。
ともあれ、ヴィクトールはブリューヌ内乱における議題執行を決意し、ユージェンは全面的な支援を約束した。
『ジスタート王国・王都シレジア・謁見の間』
綺羅絢爛のような作りの謁見の間には、既に一人の王と3人の戦姫が到着していた。
凍漣の雪姫、オルミュッツ公国公主、リュドミラ=ルリエ。
雷禍の閃姫、ルヴーシュ公国公主、エリザヴェータ=フォミナ。
虚影の幻姫、オステローデ公国公主、ヴァレンティナ=グリンカ=エステス。
以上の関係者は、ヴィクトール王と共に公判を担当することとなった。
王の耳に届けられた、エレオノーラに対する書文は次の通りである。
――1つ。戦姫の独断による他国への進軍。――
――2つ。ブリューヌの領土を交戦にて占領。――
以上の状文が、有罪か無罪かを、当事者のエレオノーラに言い渡す為、エレオノーラは王都シレジアへ出廷している。
リュドミラ、エリザヴェータ、ヴァレンティナには、ブリューヌの貴族と交流がある。ブリューヌの双璧を成す貴族の片方か、あるいは両方。
ヴァレンティナを除けば、二人の戦姫の眼光は、どこか鋭いままである。
やがて、高級感漂う赤い絨毯の上を歩いてくる『降魔の斬輝』の主が、王の前に膝をついて頭を垂れた。
静粛の時間。
間もなく、エレオノーラ=ヴィルターリアの公判が始まる。
「表を上げよ」国王の発声を切り目にして、書記官は、一言一句違えることなく、ユージェンは国王の発言と戦姫の弁明を羊紙に記していく。その過程と流れを的確に。
これが、今回の会議録となり、出席者と当事者の討議による結果を随時残しておく事となる。
そして、ヴィクトールはエレオノーラの申し出を促し、形だけは聞き入れた。ただ、内容は眉を潜めるものなのだが。
「なるほど、それがそなたの申し出というわけか」
ヴィクトール王の淀んだ視線など、受け流しながら、平然とエレンは訴える。
口実は既に出来上がっている。リムと事前に口合わせを行っていたからだ。
何よりも「民を守る為に」というティグルの正当性を認めてほしいという気持ちが、彼女を確固たるものにしたのだろう。
「テナルディエ公爵は他人の領土を無法に侵害しようとし、いたずらに内乱を激化させる気配は濃厚でした。それに、理はヴォルン伯爵にこそ……」
ヴィクトール王には、その先の説明を聞くつもりなど毛頭なかった。聞くつもりがないのは、大部分の官僚達も同様である。
「結局そなたのやろうとしたことは、ブリューヌへの侵略なのだ!ともすれば、ジスタートとブリューヌが刃を交えることになるのだぞ!」
王からの叱責はまだいい。エレンにとって、矮小な王がそのように言いのけることなど想定内だ。
「他国の……それも一介の貴族にすぎない連中の面倒まで見る必要があるか」等――
「ディナントの戦では莫大な戦費がかかってるんだ」等――
背後や側面で囀る官僚達。エレンは思わず舌打ちをしそうになった。ジスタートの国益を第一に考える事は間違っていない。言い分は理解できるが、言い方は気に入らない。
卑しい利益欲が正論である故に、言い返せない歯がゆさが、エレンを罵る。
「恐れながら陛下に申し上げます」
官僚達の相次ぐ横やりに、一人の女性がエレンの隣に進み出た。手に持つ不思議な作りの錫杖を、ついた膝の前に置いて。
「ソフィーヤ=オベルタスか」
「列挙・羅列・枚挙・前例・外つ国を招き入れて国家の覇権を争った過去の事象に、適切な言葉を選ぶ暇はありません」
そして、ソフィーヤは柔舌による援護口撃を開始した。態度はあくまで控えめを心掛けて柔らかい。心にある根底の芯を捕えるように、王へ語り掛けた。
「ヴォルン伯爵の義に応じ、自領の民を護らんとする要請にエレオノーラ姫が応じたのは、戦姫たる人格の美路に立った故でしょう」
「綺麗ごとよな」
冷たく言い放たれる王と官僚の悪態。だが、それで引き下がるようなら戦姫は務まらない。
「ここでエレオノーラ姫を処罰すれば、他国に先んじたという我が国の優位を放棄することとなります。周辺諸国も内乱に乗じてブリューヌに介入するでしょう」
情と理という二段構えのソフィーヤの弁護に、エレンは安堵と感服の息をついた。
反発しづらい雰囲気の言葉選び。耳の奥へ染み込んでいく声帯。彼女は舌戦の反撃を抑えるツボを知っている。
年老いた王は、深い溜息をついて額に手を当てた。ヴィクトールが悪態をついたときだった。ソフィーヤは、深くのめり込んでくれた王の手応えを感じた。
「ここね」とソフィーヤは思った。
「我が国への小競り合いの遠因が、ブリューヌの内乱によるものだとしたら、これから先、ライトメリッツ、オルミュッツ、……いえ、我が国すべてに戦火が訪れるのは必須。だからこそ、エレオノーラの介入を承認するべきではないのでしょうか?」
一国の王として、ジスタートが戦火に巻き込まれることは見過ごせる事態ではない。一押ししたソフィーヤの進言。彼女が王に与えた効果は絶大だった。
ソフィーヤは決して誇張して言っているわけではない。ブリューヌの隣国ザクスタン、ムオジネル、アスヴァールは、虎視眈々と肥沃なブリューヌを狙っている。
この三国の現在の王は、いずれも野心家だ。思惑は違えど、目指すべき獲物は共有している。飢狼の中に放り込まれたようなブリューヌの配置は、必ずジスタートへ影響を与えている。誰しも、そんな好戦国とは国境を接したくないと思っている。
「エレオノーラに一任せよ。そう言いたいのか」
「今、ブリューヌは覇を定める状況で、無意味に外敵を増やす真似はしたくないでしょう。必ずやこちらの真意を確かめに来るはず。もし、それすらもせずに攻めてくるのであれば、私が彼らを歓迎いたしましょう」
戦姫という立場の人物から出た発言なだけに、官僚たちもその重さを吟味せざるを得ない。だが、柔らかな姿勢の彼女を後押しするように発言を求めたのは、オステローデ公国の戦姫ヴァレンティナだった。
「陛下。恐れながら進言申し上げます」
「ヴァレンティナ=グリンカ=エステスか。申してみよ」
「陛下のお許しを得て、申し上げます」
ソフィーヤの顔に、無色の衝撃が広がる。この期に及んで一体何を進言する気だ?
原則として王から命令を下された場合、王都へ出廷しなければならない。ただ、重い病気等による公主の事情、公国に著しい損害を生じる場合、それら一定のやむを得ない理由がある場合は出廷を辞退できる。
以上の理由がある為に、レグニーツァ公国公主のアレクサンドラ=アルシャーヴィンはこの場にいない。
もっとも、ブレスト公国公主のオルガ=タムは行方不明なのだが――
なのに、普段病弱な為に公国からあまり出ないことで知られているヴァレンティナがいる。もし、ここが謁見の間でなければ、驚きを隠せずにしたい。我慢したくない。
ともかく、そんな金色の髪の彼女の心情を承知なのか、ヴァレンティナは司法席越しからソフィーヤを冷笑するように睨めつけた。この美女達の相対する光景こそ、竜具によって選ばれた戦姫の歴史の具現化、いわば光と影であった。
「ブリューヌへの介入に私も異存ありません。むしろ、火中の栗はライトメリッツに拾わせるべきかと――」
流石にこの申し出には、ソフィーヤも形の良い眉を寄せた。
彼女の意見は、要約するとこうだ。――あまりブリューヌに肩入れすると、万が一に他の公国まで巻き込まれる恐れがある――
エレオノーラの申し出とソフィーヤの進言を聞く限り、確かな大義名分があるように思える。邪魔はしないから、そっちはそっちでやってくれという意見を、いけしゃあしゃあと言ってのけた。
それに、ヴァレンティナには思惑があった。
最悪、ブリューヌの内乱で状況がこじれても、ヴァレンティナ自らが進み出て、状況を押さえつけてしまえばよい。
例えば、エレオノーラが内乱で何かしくじったとしても、現状では外界の脅威のないオステローデを派遣して利用させるという手も取れる。
王に直接進言するのではない。幾重にも重鎮を挟ませて、十分に恩を着せることもできる。
他の戦姫介入の可能性もあるが、ルヴーシュとレグニーツァはアスヴァールからの侵領に警戒せざるを得ない。この2国の動きさえ把握できていれば、とりあえず心配はない。オルミュッツ、ポリーシャは出方次第だろう。ブレストは取りあえず無視してもよい。
――獅子身中の虫たる彼女の、本音はそこにあった――
ヴァレンティナがそんなことを考えていること露知らず。
ガヌロン家を交易相手としている彼女だが、「中立」という立場をしっかりと証明して見せた。だが、流石にこの発言には謁見の間がざわめいていく。むしろ、彼女はその状況を楽しんでいるように、ソフィーヤとエレオノーラにはそう見えていた。
他の戦姫達もヴァレンティナの言葉に便乗を開始した。
「我が公国は現状として、対中東勢力で警戒中です」
リュドミラ=ルリエの意見はこうだ。――ムオジネルに手を焼いているから、余所様の喧嘩に手を出すべきではない――
因縁浅からぬ、ムオジネルとの子競り合いを続いていた時期があった。現在こそ、ムオジネル軍は沈静化しているが、いつまた国境を脅かすか分からない。
それに、青い髪の少女の家系「ルリエ家」はテナルディエ公爵と80年に渡る付き合いがある。もし、テナルディエ公爵がオルミュッツ公国に支援を要請してきて、内乱を長期化させるようなら、多額の予算と資材を投入しなければならなくなる。介入には反対の立場を示した。
それに、ムオジネルは物量に任せて攻めてくるほど、遠征に関して手際が良い。最悪、オルミュッツと隣接するライトメリッツ、ポリーシャとも連合する必要性も出てくる。ブリューヌの内乱にかまけて不備の事態は避けたいところだ。
「ブリューヌから得られる利益は、我が国にも開放されます。経済的な結びを強固すべきです」
エリザヴェータの意見はこうだ。――もっと積極的に関与すべきではないかと――
実際、ムオジネル、アスヴァール、ザクスタンは、「切り取ったブリューヌがもらたすであろう利益、資源に狙点を定めている。だからこそ、列強3国は水面下での活動をしている。
事実、彼女の耳には、拠点防衛の要となるナヴァール騎士団の存在が入っている。アスヴァールとザクスタンの両国は、ブリューヌの情勢をさぐる為に小競り合いを続けている。
それに、支援するなら燃料や兵糧程度で良いと思われる。それだけなら、エリザヴェータは声だけを使えば済む。さらに言えば、他の周辺国より情勢を探る為、現地人を向こうに送り込みたいところだ。これは戦況次第なので現段階では判断しかねる。
彼女の思惑としては、テナルディエとガヌロンが別に共倒れしても、そのヴォルンとかいう貴族が勝者となるならば、戦況次第でルヴーシュと友好を繋いでしまえばよい。勝者は必ずともブリューヌの双璧を成す貴族とは限らないのだ。エレオノーラとは過去の確執もある彼女だが、なによりルヴーシュ公国の民を富ませたいという強い想いが、自分の意見を大きく加速させたのかもしれない。
この時、エレンは複雑な心情で紅い髪の少女の「異彩虹瞳」を見据えた。
(どうも意申が乱立しているな)
ヴィクトールは頭を抱えた。今後のジスタートを左右する瞬間だ。十分に側近と議論をして決を採りたい。ただ、戦姫の独断行動に振り回されるのに時間を割きたくないのもまた事実だ。
深い溜息を一つだけついて、年老いた王は声を発した。
「エレオノーラ=ヴィルターリア。もし、ヴォルン伯爵とやらから報酬を得た場合、その中に領土を譲り受ける……ということは、ないのだな?」
エレンが勢力を増すかもしれない。とりあえず、それだけ確認をしなければならない。
当然、エレンには「結局それか」と半ば捨て鉢な表情を浮かべていた。
「もし、領土を譲られたなら、一欠けらの大地も残さず陛下に献上いたしましょう。この場にいる全員が証人でございます」
今、現状はどう動くか分からない。ひとまず、戦姫の勢力拡大なしと判明しただけ、よしとしよう。
「……宜しい。ヴォルン伯爵の件、そなたに任せよう」
やっと裁定が下ると、エレンはほっと息をついた。
ブリューヌで起こるだろう内乱に介入する気はいまのところ、国王にはない。――諸卿はジスタートの国益を第一とし、軽挙妄動は慎むようにせよ――と、エレンに裁定を言い渡して、今回における判廷は幕を下ろした。そもそも、「国益を第一」という部分を主根に置いた理由がある。
どのような形であれ、ジスタートと国交を継続ならあえて勝利者を問わない。都合のよい解釈をさせる為、濁れた言い方をした。
まず、ヴィクトールは国内に向けて具体的な成果を国民に示さなければならない。ブリューヌの情勢に関して、介入する、介入しないにかかわらずだ。
例えば傍観を決め込み、他国に先んじられて、今後のジスタートに損害が被るなら、王としての責務を問われるのだ。
(エレオノーラに言い渡した地点で考えておかなくてはならんな)
どのあたりで幕を引くかを。まずは半年を目途に様子を見る、次第と状況によっては撤退させなければならない。
国益の傷口が広くなる前に、口を挟む必要も出てくるだろう。
ブリューヌ内乱介入の件については、国営直属評議会の監査本部が設立されることとなった。
ジスタートが他国に対し、ブリューヌへ先んじたという優位性と、内乱の前兆期を逃すべきではない。エレオノーラとソフィーヤがその事を主張したのだが、どうもこのあたりが妥協の範囲らしい。ヴィクトール王が国益を第一という方針を選んだ以上、それ以上の決議を覆す事は出来なかった。
NEXT
ページ上へ戻る